71 友の心
話がまとまったところで、精霊人たちが奥の部屋へと引っ込んだ。ヒワは何事かと思っていたが、エルメルアリアがいつもの格好で、フラムリーヴェが『内界用』の格好で戻ってきたのを見て、すべてを察した。
「やっぱ、飛ぶときはこっちの方が動きやすい」
身の丈よりも長い衣をなびかせて、小さな精霊人が宙返りする。
「さっきまでの服装もよかったわよ」
「ま、あれも必要になったら着させてもらうよ」
「ええ、ぜひ」
嬉しそうなカトリーヌに、エルメルアリアがひらりと手を振る。
先刻までそのカトリーヌと話していたシルヴィーが、その姿を興味深そうに目で追っていた。彼がヒワの隣で滞空したところで、ずいと顔を突き出す。
「精霊人、ねえ。正直おとぎ話のたぐいだと思ってたけど……こんなの見せられたら、信じるしかないか」
鋭い視線を受け止めて、エルメルアリアが小首をかしげる。シルヴィーは、子供のような精霊人に笑いかけた。
「ねえ君。エルメルアリア、だっけ?」
「おう?」
「――ありがとね」
緑の両目が、ぱしぱしと瞬く。ヒワも、思わず友人の方を振り返った。エルメルアリアは怪訝そうに眉を寄せ、赤毛の少女を凝視した。
「なんだなんだ? むしろ怒られるかと思ってたんだけど」
「確かに、あたしの友人を大ごとに巻き込んでくれたことには、思う所があるけど」
シルヴィーは思いっきり顔を歪める。だが、すぐに表情を緩めて、ヒワの方をちらと見た。
「でも、ヒワの命を救ってくれて、今日までそばで支えてたんでしょ。そのことについては、友人として感謝してる。――あたしだって、危ないところを助けられたしさ」
ヒワとエルメルアリアは、揃って目を丸くした。ヒワは、鼻の奥がつんとしたのをごまかしたくて、その下をこする。幸い、シルヴィーは相棒の方を注視していて、気づいていなかった。
まともに見られていた彼は、まじめくさって腕を組む。
「内界に派遣された精霊人の務めを果たしたまでだ。気にすんな」
「へええ? それにしては、ずいぶんヒワと仲がいいみたいじゃない?」
「べ、別にいいだろ!」
エルメルアリアは、さっとヒワの後ろに隠れてしまう。盾にされた本人は、苦笑して頬をかいた。
モルテ・テステ渓谷で喧嘩したことは黙っておこう、と心に決めた。
※
かしましい事情説明会が終わると、ロレンスたちはスノハラ家を辞した。
カトリーヌとは大通り付近で別れた。ロレンス、フラムリーヴェ、シルヴィーの三人でソーラス院近くまで歩くことになる。シルヴィーはそれまでと比べて格段に口数が少なくなった。会話が発生しても、どことなくぎこちない。ただ、フラムリーヴェは普段通りだ。ロレンスだけが肩をすぼめていた。
城館のような建物が見えて、ローブをまとった若者が目に付くようになると、シルヴィーが手を振る。
「じゃあ、あたしはここで。勉強にしろ任務にしろ、根詰めないでよ、ロレンス」
「気を付けるよ」と眠そうな表情で応じた少年は、そのままソーラス院の方へ足を向けた。
そんな彼を、フラムリーヴェが呼び止める。
「ロレンス。少しだけ、おそばを離れてもよろしいでしょうか」
「ん? いいよ。むしろ、ずっと俺についてるの、大変でしょ」
「大変ではありませんが……ありがとうございます」
フラムリーヴェは一礼して、踵を返す。自然な足運びで、立ち去ろうとしていた少女に追いついた。
「――シルヴィー様」
「へっ?」
人間の少女が、目を丸くして振り返る。フラムリーヴェはそこで、口もとに指をかけた。珍しく、続ける言葉に迷ったのである。
「あの、何か?」
「いえ。その――」
見上げた少女に問いかけられ、フラムリーヴェは唇を開いた。
「私がロレンスと契約してから、半年も経っておりません。戦いの腕には覚えがありますし、何があろうと契約者の身命を守るとは誓っております。が――ロレンス個人のことについては、まだまだ知らないことだらけです」
シルヴィーが眉を上げる。戦乙女を映す瞳が、戸惑いに揺れた。
対してフラムリーヴェは、胸に手を当て、人間の少女にこうべを垂れる。
「ですので、私に至らぬ点があれば、遠慮なく叱ってください。時には、助けを請うこともあるやもしれません。そのときは――色々と、教えていただけると嬉しいです」
紫水晶の瞳が、やわらかい光を湛えた。
「これはきっと、あなたにしかお願いできないことですので」
シルヴィーの唇が震える。数秒の間の後、彼女は呼吸を思い出したかのように息を吸った。
ふたりのもとに、馬蹄の響きと人の声が戻ってくる。
シルヴィーは、吸い込んだ息をゆっくり吐いた。拳を軽く握って、うなだれる。
「……一人でつんけんしてたあたしが、馬鹿みたいじゃん」
ささやきを聞き取って、フラムリーヴェは首をかしげる。
戦乙女が困惑している間にも、シルヴィーは頭を抱えて叫んだ。
「あー無理無理! もう無理! こんなキレイで強くて礼儀正しい年上のお姉様に、あたしが勝てるわけないってのー! 悔しい、ほんっと悔しい!」
「あの……? シルヴィー様と勝負をした記憶はないのですが……」
「でしょうね! あたし一人でやってましたからね!」
発散するように叫んだシルヴィーは、呼吸を整えて咳払いする。先ほどまでより幾分か落ち着いた表情で、フラムリーヴェを見上げた。
「わかりました。あたしでよければ、色々教えて差し上げます」
「ありがとうございます」
フラムリーヴェの表情が、ほんのわずか、緩んだ。対するシルヴィーは不敵にほほ笑む。
「その代わり、いざってときはロレンスをお願いしますね。……あたしは現場に出られないので」
挑むような、それでいてすがるような。そんなまなざしを受け止めて、フラムリーヴェは力強くうなずいた。
「お任せを。〈浄化の戦乙女〉の名にかけて、必ずお守りいたします」
彼女が断言すると、ようやくシルヴィーの顔がほころんだ。踊るように足を入れ替えて、精霊人と並び立つ。
「よかったら、フラムリーヴェさんのことも教えてくださいよ。好きな物とか」
「好きな…………勝負事はなんでも好きですが。武芸を競うようなものから、札遊びまで」
「へええ。じゃあ、腕相撲とかもやります?」
「よくやりますよ。私の故郷でも定番の遊戯です」
「そうなんだ! じゃあ今度、一戦お願いします!」
「シルヴィー様とですか? 私は構いませんが……」
困惑するフラムリーヴェに、シルヴィーは意気揚々と話しかけ続ける。少女と女性の華やかな声が、都会の喧騒に負けず弾けた。
気まずい空気から一転、急に距離が縮まった女性陣を遠目に見て、ロレンスがひとり、首をかしげていた。
※
白い通路に靴音が跳ねる。
クロードシャリスは、それを他人事のように聞いていた。
彼は今、〈銀星の塔〉の螺旋階段を登っている。向かう先は、ただ一つ。〈塔〉の頂上だ。
同行者は一人だけ。頂上――『極点の間』への立ち入りが常に許されている、唯一の者。すなわち〈銀星の主〉の側近だ。
二人の間に会話はない。今の側近は案内役であり、クロードシャリスの見張り役だ。彼と仲良く談笑する気は微塵もないだろう。
白い板を、一段一段踏みしめる。終わりがないのではないか――そう錯覚してしまう階段。だが、終わりは確かにやってきた。
まっ白な壁。二本の柱に挟まれるようにして、白い扉がある。銀色の装飾が施されているそれは、人の感覚を狂わせるような輝きを放っていた。
「〈主〉様。失礼いたします」
前に立っている側近が声を発する。
応えはない。しかし側近は、扉を開いた。
極点の間は、円形だ。星空を模した模様が床一面に描かれている。壁じゅうに大きな窓が張り付いていて、そこから〈都〉が見下ろせる。その中心にぽつんと佇む椅子に、〈銀星の主〉が座している。
クロードシャリスはひざまずいた。
「巡視官のクロードシャリスを連れてまいりました」
側近の、温度のない声を聞きながら、彼は玉座の方をうかがった。
そこにいるのは精霊人。背丈はクロードシャリスと同じほどで、髪は漆黒。目の色や顔立ちは――わからない。布で隠れているからだ。
布の下、わずかに見える唇が、開いた。
「クロードシャリス」
「――はい」
呼ばれてから少し遅れて、青年は返事をする。
「〈穴〉が広がった理由は、わかりましたか」
少し抑揚のついた声。それなのに、なぜか平坦に聞こえる声。
まるで、演じているかのような。己が心をどこかへ置き忘れてきたような。記憶を揺さぶる音が奏でた言葉を読み取って、クロードシャリスは息を吸う。
「いいえ。まだ、原因の特定には至っておりません。我々巡視官も、調査はしておりますが……」
――天外界の精霊人の生活圏を巡り、その様子を〈塔〉に報告する巡視官。彼らの仕事に、最近〈穴〉の調査が加わった。天外界側から〈穴〉をふさいでいる精霊人や、〈塔〉の観測室と連携して、周辺の魔物の様子や魔力の具合を調べている。少しずつ情報は集まってきているが、これが〈穴〉の発生原因特定に役立つかと言われると、首をかしげることしかできなかった。
芳しくない現状の報告に対し、しかし〈主〉は劇的な反応を示さなかった。「そうですか」とささやいたのち、少し頭を動かす。
――クロードシャリスの目には、痛みをこらえているように映った。そして、その感覚はおそらく、間違ってはいない。
「精霊たちは、日々痛みを訴えています。彼らの苦痛が、一日も早く取り除かれるよう。皆で力を合わせて、〈穴〉を閉じてください。そして、皆も……健やかであるように」
「はい。精霊人一同、全力を尽くします」
クロードシャリスはこうべを垂れる。常日頃、彼の中で渦巻く熱が、彼自身を押しつぶしているようだった。
極点の間を出て、螺旋階段を下る。その間、クロードシャリスは先ほどのやり取りに思いを馳せていた。
今日、なぜ自分が呼ばれたのか、クロードシャリスにはわからない。〈主〉の側近もわかっていないようだった。
特別変わったことを言われたわけでもない。ただ、呼び出されたことそのものに、意味があるようにも思える。
もしかしたら、〈主〉も『彼』を気にしているのかもしれない。精霊人の中で一番『彼』と親しいのはクロードシャリスだ。だから、呼び出されたのかもしれない。
〈主〉の姿。声。ことば。そのすべてが、かつての『彼』を思い起こさせる。
『〈群青の里〉のクロードシャリス。美しい御名ですね』
木漏れ日のような記憶の声が、脳裏にこだまする。
『菓子、というものを初めて食べました。精霊たちが笑っています。私も、これが好きなのだと思います』
何かを演じているような相貌によぎった、心からの喜び。それを示す笑顔を思い出す。
『彼』もまた、星に至る魂の持ち主なのだろう。だが、『彼』は〈主〉ではない。酷似しているが、何かが違う。
彼らは、互いをどう思っているのだろう。
いや――〈主〉はもう、特定の誰かを想うことはできないかもしれない。その精神は、精霊の感情と混線してしまっているはずだから。彼を精霊人たらしめているのは、人間によく似た肉体だけなのだから。
クロードシャリスが思考にふけっているうちに、螺旋階段が終わった。〈主〉の側近とはそこで別れる。
無人の通路を歩きながら、クロードシャリスはふと唇を開いた。
「その者、精霊と人の子の裔にして
より精霊に近き者
善きことに喜び
悪しきことに怒り
咎人を見て涙する――」
それは、〈銀星の主〉を表した詩だ。
「――生命の始まりには清きほほ笑みと祝いの詠唱を
生命の終わりには一粒の涙の後に慈雨のごときほほ笑みを捧ぐ」
そして、『彼』を表す詩でもある。
多くの精霊人は、どこかでそう思っているだろう。クロードシャリスも、以前はそう思っていた。
けれど、今は――わからない。
「……今のエラは、他者の命の終わりを見たら、どんな顔をするのかな」
ふと、思ったままを呟いて。苦笑して、かぶりを振った。
「縁起でもないことを考えるなよ、クロードシャリス。エラは今、内界で頑張っている最中なんだから」
自分で自分を叱咤して、少し足を速めた。
親友のためにも、彼らの契約者のためにも、そろそろ成果を挙げたいところである。今後の調査予定を頭の中で広げ、クロードシャリスはほほ笑んだ。




