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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第五章 異変と秘密のディテクション
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71 友の心

 話がまとまったところで、精霊人スピリヤたちが奥の部屋へと引っ込んだ。ヒワは何事かと思っていたが、エルメルアリアがいつもの格好で、フラムリーヴェが『内界(ないかい)用』の格好で戻ってきたのを見て、すべてを察した。


「やっぱ、飛ぶときはこっちの方が動きやすい」


 身の丈よりも長い衣をなびかせて、小さな精霊人が宙返りする。


「さっきまでの服装もよかったわよ」

「ま、あれも必要になったら着させてもらうよ」

「ええ、ぜひ」


 嬉しそうなカトリーヌに、エルメルアリアがひらりと手を振る。


 先刻までそのカトリーヌと話していたシルヴィーが、その姿を興味深そうに目で追っていた。彼がヒワの隣で滞空したところで、ずいと顔を突き出す。


「精霊人、ねえ。正直おとぎ話のたぐいだと思ってたけど……こんなの見せられたら、信じるしかないか」


 鋭い視線を受け止めて、エルメルアリアが小首をかしげる。シルヴィーは、子供のような精霊人に笑いかけた。


「ねえ君。エルメルアリア、だっけ?」

「おう?」

「――ありがとね」


 緑の両目が、ぱしぱしと瞬く。ヒワも、思わず友人の方を振り返った。エルメルアリアは怪訝そうに眉を寄せ、赤毛の少女を凝視した。


「なんだなんだ? むしろ怒られるかと思ってたんだけど」

「確かに、あたしの友人を大ごとに巻き込んでくれたことには、思う所があるけど」


 シルヴィーは思いっきり顔を歪める。だが、すぐに表情を緩めて、ヒワの方をちらと見た。


「でも、ヒワの命を救ってくれて、今日までそばで支えてたんでしょ。そのことについては、友人として感謝してる。――あたしだって、危ないところを助けられたしさ」


 ヒワとエルメルアリアは、揃って目を丸くした。ヒワは、鼻の奥がつんとしたのをごまかしたくて、その下をこする。幸い、シルヴィーは相棒の方を注視していて、気づいていなかった。


 まともに見られていた彼は、まじめくさって腕を組む。


内界(ないかい)に派遣された精霊人の務めを果たしたまでだ。気にすんな」

「へええ? それにしては、ずいぶんヒワと仲がいいみたいじゃない?」

「べ、別にいいだろ!」


 エルメルアリアは、さっとヒワの後ろに隠れてしまう。盾にされた本人は、苦笑して頬をかいた。


 モルテ・テステ渓谷で喧嘩したことは黙っておこう、と心に決めた。



     ※



 かしましい事情説明会が終わると、ロレンスたちはスノハラ家を辞した。


 カトリーヌとは大通り付近で別れた。ロレンス、フラムリーヴェ、シルヴィーの三人でソーラス院近くまで歩くことになる。シルヴィーはそれまでと比べて格段に口数が少なくなった。会話が発生しても、どことなくぎこちない。ただ、フラムリーヴェは普段通りだ。ロレンスだけが肩をすぼめていた。


 城館のような建物が見えて、ローブをまとった若者が目に付くようになると、シルヴィーが手を振る。


「じゃあ、あたしはここで。勉強にしろ任務にしろ、根詰めないでよ、ロレンス」


「気を付けるよ」と眠そうな表情で応じた少年は、そのままソーラス院の方へ足を向けた。


 そんな彼を、フラムリーヴェが呼び止める。


「ロレンス。少しだけ、おそばを離れてもよろしいでしょうか」

「ん? いいよ。むしろ、ずっと俺についてるの、大変でしょ」

「大変ではありませんが……ありがとうございます」


 フラムリーヴェは一礼して、(きびす)を返す。自然な足運びで、立ち去ろうとしていた少女に追いついた。


「――シルヴィー様」

「へっ?」


 人間の少女が、目を丸くして振り返る。フラムリーヴェはそこで、口もとに指をかけた。珍しく、続ける言葉に迷ったのである。


「あの、何か?」

「いえ。その――」


 見上げた少女に問いかけられ、フラムリーヴェは唇を開いた。


「私がロレンスと契約してから、半年も経っておりません。戦いの腕には覚えがありますし、何があろうと契約者の身命(しんめい)を守るとは誓っております。が――ロレンス個人のことについては、まだまだ知らないことだらけです」


 シルヴィーが眉を上げる。戦乙女を映す瞳が、戸惑いに揺れた。


 対してフラムリーヴェは、胸に手を当て、人間の少女にこうべを垂れる。


「ですので、私に至らぬ点があれば、遠慮なく叱ってください。時には、助けを請うこともあるやもしれません。そのときは――色々と、教えていただけると嬉しいです」


 紫水晶の瞳が、やわらかい光を湛えた。


「これはきっと、あなたにしかお願いできないことですので」


 シルヴィーの唇が震える。数秒のの後、彼女は呼吸を思い出したかのように息を吸った。


 ふたりのもとに、馬蹄の響きと人の声が戻ってくる。


 シルヴィーは、吸い込んだ息をゆっくり吐いた。拳を軽く握って、うなだれる。


「……一人でつんけんしてたあたしが、馬鹿みたいじゃん」


 ささやきを聞き取って、フラムリーヴェは首をかしげる。


 戦乙女が困惑している間にも、シルヴィーは頭を抱えて叫んだ。


「あー無理無理! もう無理! こんなキレイで強くて礼儀正しい年上のお姉様に、あたしが勝てるわけないってのー! 悔しい、ほんっと悔しい!」

「あの……? シルヴィー様と勝負をした記憶はないのですが……」

「でしょうね! あたし一人でやってましたからね!」


 発散するように叫んだシルヴィーは、呼吸を整えて咳払いする。先ほどまでより幾分か落ち着いた表情で、フラムリーヴェを見上げた。


「わかりました。あたしでよければ、色々教えて差し上げます」

「ありがとうございます」


 フラムリーヴェの表情が、ほんのわずか、緩んだ。対するシルヴィーは不敵にほほ笑む。


「その代わり、いざってときはロレンスをお願いしますね。……あたしは現場に出られないので」


 挑むような、それでいてすがるような。そんなまなざしを受け止めて、フラムリーヴェは力強くうなずいた。


「お任せを。〈浄化の戦乙女〉の名にかけて、必ずお守りいたします」


 彼女が断言すると、ようやくシルヴィーの顔がほころんだ。踊るように足を入れ替えて、精霊人と並び立つ。


「よかったら、フラムリーヴェさんのことも教えてくださいよ。好きな物とか」

「好きな…………勝負事はなんでも好きですが。武芸を競うようなものから、札遊びまで」

「へええ。じゃあ、腕相撲とかもやります?」

「よくやりますよ。私の故郷でも定番の遊戯です」

「そうなんだ! じゃあ今度、一戦お願いします!」

「シルヴィー様とですか? 私は構いませんが……」


 困惑するフラムリーヴェに、シルヴィーは意気揚々と話しかけ続ける。少女と女性の華やかな声が、都会の喧騒に負けず弾けた。


 気まずい空気から一転、急に距離が縮まった女性陣を遠目に見て、ロレンスがひとり、首をかしげていた。



     ※



 白い通路に靴音が跳ねる。


 クロードシャリスは、それを他人事のように聞いていた。


 彼は今、〈銀星の塔〉の螺旋階段を登っている。向かう先は、ただ一つ。〈塔〉の頂上だ。


 同行者は一人だけ。頂上――『極点の』への立ち入りが常に許されている、唯一の者。すなわち〈銀星の(あるじ)〉の側近だ。


 二人の間に会話はない。今の側近は案内役であり、クロードシャリスの見張り役だ。彼と仲良く談笑する気は微塵もないだろう。


 白い板を、一段一段踏みしめる。終わりがないのではないか――そう錯覚してしまう階段。だが、終わりは確かにやってきた。


 まっ白な壁。二本の柱に挟まれるようにして、白い扉がある。銀色の装飾が施されているそれは、人の感覚を狂わせるような輝きを放っていた。


「〈主〉様。失礼いたします」


 前に立っている側近が声を発する。


 いらえはない。しかし側近は、扉を開いた。


 極点の間は、円形だ。星空を模した模様が床一面に描かれている。壁じゅうに大きな窓が張り付いていて、そこから〈(みやこ)〉が見下ろせる。その中心にぽつんと佇む椅子に、〈銀星の主〉が座している。


 クロードシャリスはひざまずいた。


「巡視官のクロードシャリスを連れてまいりました」


 側近の、温度のない声を聞きながら、彼は玉座の方をうかがった。


 そこにいるのは精霊人(スピリヤ)。背丈はクロードシャリスと同じほどで、髪は漆黒。目の色や顔立ちは――わからない。布で隠れているからだ。


 布の下、わずかに見える唇が、開いた。


「クロードシャリス」

「――はい」


 呼ばれてから少し遅れて、青年は返事をする。


「〈穴〉が()()()()理由は、わかりましたか」


 少し抑揚のついた声。それなのに、なぜか平坦に聞こえる声。


 まるで、演じているかのような。己が心をどこかへ置き忘れてきたような。記憶を揺さぶる音が奏でた言葉を読み取って、クロードシャリスは息を吸う。


「いいえ。まだ、原因の特定には至っておりません。我々巡視官も、調査はしておりますが……」


 ――天外界(てんがいかい)の精霊人の生活圏を巡り、その様子を〈塔〉に報告する巡視官。彼らの仕事に、最近〈穴〉の調査が加わった。天外界側から〈穴〉をふさいでいる精霊人や、〈塔〉の観測室と連携して、周辺の魔物の様子や魔力の具合を調べている。少しずつ情報は集まってきているが、これが〈穴〉の発生原因特定に役立つかと言われると、首をかしげることしかできなかった。


 芳しくない現状の報告に対し、しかし〈主〉は劇的な反応を示さなかった。「そうですか」とささやいたのち、少し頭を動かす。


 ――クロードシャリスの目には、痛みをこらえているように映った。そして、その感覚はおそらく、間違ってはいない。


「精霊たちは、日々痛みを訴えています。彼らの苦痛が、一日も早く取り除かれるよう。(みな)で力を合わせて、〈穴〉を閉じてください。そして、皆も……健やかであるように」

「はい。精霊人一同、全力を尽くします」


 クロードシャリスはこうべを垂れる。常日頃、彼の中で渦巻く熱が、彼自身を押しつぶしているようだった。



 極点の間を出て、螺旋階段を下る。その間、クロードシャリスは先ほどのやり取りに思いを馳せていた。


 今日、なぜ自分が呼ばれたのか、クロードシャリスにはわからない。〈主〉の側近もわかっていないようだった。


 特別変わったことを言われたわけでもない。ただ、呼び出されたことそのものに、意味があるようにも思える。


 もしかしたら、〈主〉も『彼』を気にしているのかもしれない。精霊人の中で一番『彼』と親しいのはクロードシャリスだ。だから、呼び出されたのかもしれない。


 〈主〉の姿。声。ことば。そのすべてが、かつての『彼』を思い起こさせる。


『〈群青の里〉のクロードシャリス。美しい御名(みな)ですね』


 木漏れ日のような記憶の声が、脳裏にこだまする。


『菓子、というものを初めて食べました。精霊たちが笑っています。私も、これが好きなのだと思います』


 何かを演じているような相貌によぎった、心からの喜び。それを示す笑顔を思い出す。


『彼』もまた、星に至る魂の持ち主なのだろう。だが、『彼』は〈主〉ではない。酷似しているが、何かが違う。


 彼らは、互いをどう思っているのだろう。


 いや――〈主〉はもう、特定の誰かを想うことはできないかもしれない。その精神は、精霊の感情と混線してしまっているはずだから。彼を精霊人たらしめているのは、人間によく似た肉体だけなのだから。


 クロードシャリスが思考にふけっているうちに、螺旋階段が終わった。〈主〉の側近とはそこで別れる。


 無人の通路を歩きながら、クロードシャリスはふと唇を開いた。


「その者、精霊と人の子のすえにして

 より精霊に近き者

 善きことに喜び

 悪しきことに怒り

 咎人を見て涙する――」


 それは、〈銀星の主〉を表したうただ。


「――生命の始まりには清きほほ笑みと祝いの詠唱うた

 生命の終わりには一粒の涙の後に慈雨のごときほほ笑みを捧ぐ」


 そして、『彼』を表す詩でもある。


 多くの精霊人は、どこかでそう思っているだろう。クロードシャリスも、以前はそう思っていた。


 けれど、今は――わからない。


「……今のエラは、他者の命の終わりを見たら、どんな顔をするのかな」


 ふと、思ったままを呟いて。苦笑して、かぶりを振った。


「縁起でもないことを考えるなよ、クロードシャリス。エラは今、内界で頑張っている最中なんだから」


 自分で自分を叱咤して、少し足を速めた。


 親友のためにも、彼らの契約者のためにも、そろそろ成果を挙げたいところである。今後の調査予定を頭の中で広げ、クロードシャリスはほほ笑んだ。

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