70 助っ人宣言
流星のごとき炎は、まっすぐにヒワのもとへと向かう。身構えた彼女の鼻先すれすれを通り過ぎて、再び上昇した。唖然としたヒワの前に残されたのは、肌を炙るような熱と焦げたような臭い。そして、黒髪の少年だった。
「しっ…………死ぬかと思った……。色んな意味で……」
ロレンスは、生まれたての仔牛のような有様である。ヒワは、考えるより先に手を伸ばした。
「大丈夫、ロレンス?」
「うん……なんとかだいじょぶ……」
ロレンスは、彼女の手を取って立ち上がる。彼の持つ杖が上を向いたとき。魔力をまとった女性の声が響いてきた。
「ロレンス。制限解除をお願いしてもよろしいでしょうか。速やかに〈閉穴〉へと移行したいので」
「あーハイ。わかりました。やります」
やや投げやりに答えた少年が、杖を掲げる。
「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ
クランダーテ・イリューオ・デア・ロレンス・グラネスタ
アリイネラ・イリューア・デア・フラムリーヴェ』!」
詠唱は、心なしかいつもより力強い。鋭い音が消えると同時、空が赤く輝いた。
大気が熱され、大地が焼ける。魔物たちが悲鳴を上げた。フラムリーヴェはすぐさま下降し、容赦なく大剣を振り下ろす。斬撃とともに噴き上がった炎が、混乱した魔物の攻撃を打ち消して、彼らの体をのみこんだ。
フラムリーヴェはそれを見もせず飛び上がる。〈穴〉をにらむエルメルアリアと合流した。
「また派手にやったな」
「彼らなら、ここまでやっても軽い火傷で済むでしょう」
〈浄化の戦乙女〉はにこりともせず言い放つ。〈天地の繋ぎ手〉は、笑ってかぶりを振ってから、前を向きなおした。
「さ、やるぞ」
「はい」
短いやり取りの後、二人は陣を描きはじめた。二人がかりでひとつを描くのではなく、一人がひとつ、同じ陣を描く。その様子を、ヒワたちは息をのんで見守っていた。
魔力が彼らの方に集まる。ヒワがそのうねりを肌で感じたとき、背後のシルヴィーが小さく悲鳴を上げた。彼女を守っていた結界が、消えている。
ここからが正念場だ。ヒワは杖の感触を確かめた。
魔物たちが荒ぶる。今度は火だるまではないが、ところ構わず攻撃しはじめた。ロレンスとカトリーヌが、公園の周囲に結界を張る。
ヒワは、自分たちの方に飛んできた攻撃を防いだり、撃ち落としたりした。
やがて、ささやくような詠唱が響きはじめる。精霊人たちの声を、魔力が運んできているのだ。
それに反応したのか、地上では黒いオオトカゲのような魔物が口を開く。蒼白い炎が渦を巻き、人間たちの視界を焼いた。
「『精霊の息吹よ、爆ぜろ』!」
ヒワは、魔力のこもった火炎放射に杖を向ける。炎は低い音を立てて四方八方へ弾けたが、完全に消えはしなかった。ヒワは慌てて自分とシルヴィーの周囲に結界を張る。そこへ、ロレンスが「『ウィスカ・ルデッサ』」と水を撒いて消火した。
その間にも、魔物は絶えず攻撃してくる。
「『閃光、弾けろ』!」
「『グラッカ・ピッテル』!」
一般市民に当ててなるものか。その一心で、ヒワは詠唱を重ねて紡いだ。それはロレンスも同じだ。走り込みではすぐに音を上げる彼が、汗だくになっても、声がかすれても杖を持つ手を下げない。
光線を結界で防ぎ、雷撃を石と爆撃で撃ち落としたとき。そんな攻撃の合間を縫って、黒い影が走ってきた。泥人形だ。
「『光華の砦、ここに建て』!」
ぎょっとしたヒワは、慌てて結界を張る。輝く壁にぶつかった泥人形は、ぐしょりと嫌な音を立てて、その場に倒れた。しかし、後から後から別の泥人形がやってくる。
「なにあれ速っ!?」
「気持ち悪ぅ……」
二人揃って渋い顔をしつつ、杖を構える。ヒワは、夏場に時たま現れる黒い虫を思い出してしまったが、そのことは胸の内にしまった。高速であらゆる記憶をひっくり返し、詠唱しようと口を開いた。
――そのとき。
上空からかすかに聞こえていた音が、止まる。膨大な魔力が一斉に天へと昇った。ヒワは、その引力に抗えず顔を上げる。
空に精緻な図形が二つ、浮かんでいた。初めて〈穴〉をふさいだときに見たものとよく似た、けれどあれよりやや簡素な『陣』。二つの陣は、まばゆい輝きを放つと、光の粒となっ飛び散り、消えた。
その瞬間、公園に開いていた〈穴〉がぐうっと狭まる。その場にいた魔物たちは、まとめて吸い込まれていった。今度こそは、抗えない。
地下魔界の魔物を呑み込んだ〈穴〉は一気に収縮する。後に残るのはやはり、白っぽい亀裂だけ。それも、人々が見守る前で、力なく消え失せた。
魔力と狂騒に満ちていた公園が、静まり返る。
痛いほどの沈黙を破ったのは、手を叩く音だ。
「よーし、〈閉穴〉完了」
ことさらに明るく言ったエルメルアリアが、ヒワのもとに戻ってくる。静かに着陸したフラムリーヴェも、契約者の前で流れるように一礼した。
精霊人たちの無事な姿を見て、人間たちは一気に脱力する。
「お、終わったああああ……」
「なんか今回、すっごいしんどかった……」
ヒワは両腕をだらりと下げてしゃがみ込む。ロレンスに至っては、衣服が汚れることを気にもせず、その場に座り込んでいた。
カトリーヌが弾んだ足取りでやってくる。
「今回の魔物は手ごわかったわねー! お疲れ様!」
「カティが来てくれて助かった」
エルメルアリアが手を振る。杖を傘に戻した彼女は、にこやかに手を振り返した。
そこで、フラムリーヴェが思い出したように同胞を見る。
「ところで、エルメルアリア。瘴気の臭いがしますが……まさか浴びたんですか?」
責めるような質問を受け、小さな肩がびくりと震えた。
「うっ……! オレだって好きで浴びたわけじゃねえよ。〈穴〉から噴き出してきたんだから」
「なぜそれをまともに浴びるんです。〈穴〉の真上にでも立ったんですか」
「立った、といえば立ったけど……あの娘を逃がそうとしたらそういう状況になったんであって……」
戦乙女に詰め寄られたエルメルアリアは、ごにょごにょと弁解する。その途中ではっとして振り返った。
「そうだ、ヒワの友達――」
彼が言いかけたとき。ヒワたちの後ろで、赤い影がゆらりと揺れる。
「さあて。三人とも? やるべきことは済んだみたいだし、きっちり説明してもらいましょうか?」
寒気を誘う猫なで声が、一行の上を吹き抜ける。あっ、と声を詰まらせたヒワの隣で、ロレンスが青ざめた。――哀れなことに、今初めて『現場に居合わせた市民』の正体に気づいたのである。
「え? は? シルヴィー? なんで?」
「なんで、はこっちの台詞なんだけど!?」
カトリーヌすら耳をふさぐほどの大声を上げたシルヴィーは、凄まじい勢いでロレンスの両肩をつかむ。唖然としている幼馴染の体を、情け容赦なく揺さぶった。
「近頃仲良くなんかやってるなー? とは思ってたけどさあ。こんな危ないことしてたわけ? 何考えてんのあんた、ヒワまで巻き込んで!」
「なんでそういう話になるんだよぉ……俺が始めたことじゃないよ……」
「じゃあ誰が始めたっての? あんたが何かする以外に、ヒワが精霊指揮士になることある?」
涙目のロレンスは、左の人差し指をある方向へ向ける。シルヴィーは、眉間にすごい勢いでしわを寄せ、そちらを振り返った。
少年が指し示す先――つまりエルメルアリアは、視線に気づくと契約者の後ろに逃げ込む。
「ロレンスーっ! この裏切り者!!」
「だって……事実じゃん……」
「確かにヒワと契約したのはオレだけど!『これ』自体、オレが始めたことじゃねえからな!? こっちだって仕事で来てんだ仕事!」
「えー? じゃ、ヒワとも仕事上の関係でしかないってことかぁー」
「てめっ……卑怯だぞ! なんでそういう話の持って行き方するんだよ!」
いつになく騒がしい『少年』たちを、ヒワとカトリーヌは苦笑して見ていた。
一方、ロレンスを解放したシルヴィーは、静かな足取りでヒワの前までやってくる。かと思えば、どこか黒い微笑をエルメルアリアに向けた。
「ねえ君? 契約って何? 説明してくれない?」
「あー、えっと、そのー。これは、多重世界の機密事項でだな?」
「一から十まで現場を見ちゃったあたしに対して、今さら機密も何もなくない?」
「それ、は……」
言葉に詰まったエルメルアリア。遠くの方でフラムリーヴェが「一理ありますね」と呟く。それが聞こえていないのか、聞き流しているのか、シルヴィーは小さな精霊人から目を離さなかった。
「説明して」
「…………ハイ」
とうとう〈天地の繋ぎ手〉が折れた。世紀の瞬間を、ヒワは引きつった顔で見届ける。
重苦しい空気の中、〈浄化の戦乙女〉だけが、感じ入ったようにシルヴィーを見ていた。
※
一行は公園を離れ、ひとまずスノハラ家に集まった。なぜスノハラ家かというと、ある程度の広さがあり、かつエルメルアリアの存在が家族に公認されているからである。
まず、シルヴィーと初対面の人々が改めて自己紹介をした。それから、ヒワとエルメルアリア主体で事情を打ち明ける。〈穴〉のことをどこまで話すかが全員の悩みの種であったが、結局ほぼすべての事柄を明かすことになった。彼女は実物を見ているのだ。今さら隠し立てしても意味はない。
事情を知ったシルヴィー・ローザは、一部の人の予想ほど激しく反応しなかった。つんと唇を尖らせて、精霊人の二人をながめている。
気まずい沈黙に耐えかねて、ヒワは「あの」と手を挙げた。
「あんまりエラたちのこと怒らないでほしい、かな。契約を続けるって決めたのはわたしだし。ロレンスとフラムリーヴェさんの契約は、わたしのとは完全に別件だから」
「……怒ってるつもりはないけど」
いつもより刺々しい声でそう言って、シルヴィーは腕を組む。
「あのときの商店街であんたが助かるには、そうするしかなかったんでしょ。ふたりが決めてやったことを責める気はないよ。ただ――何もしてやれなかった自分にいら立ってるだけ」
「シルヴィー……」
彼女自身を突き刺すような友の言葉が、ヒワの胸を突く。
ヒワは思わず立ち上がり、シルヴィーの方へ身を乗り出していた。
「シルヴィーには、すでにたくさん助けてもらってるよ」
「……え?」
「体力づくり、協力してもらってるし。シルヴィーと学校で会って話ができると、ほっとするし」
――精霊指揮士たちと関わるようになってから、ヒワは彼女が得難い友人であることを噛みしめていた。彼女がいるから、どんな状況でも『ヒワ・スノハラ』で在り続けられる。それは、今も変わっていない。
まんまるになった赤茶色の瞳が、力んだ少女の顔を映しだす。そして、やわらかくほほ笑んだ。
「そ。ならよかった」
すまして呟いたシルヴィーは、ヒワから少し視線をずらす。ほのかに翳っていた相貌に、幼い少女のような色が乗った。
「あと、強いて言うなら――ロレンスがずっとこのことを黙ってたのは、なーんか腹立たしいかな」
「だからなんで俺だけ……。黙ってろって偉い人に言われたんだよ、しょうがないだろ……」
「ふうん? じゃ、『話していいよ』って言われてたら話してくれてたの?」
「それは……断言はできないけど……」
そこで、シルヴィーがロレンスの脇腹を小突く。若者と精霊人しかいない居間に、情けない悲鳴が響き渡った。
シルヴィーの言動は普段の『じゃれ合い』と大差ない。ただ、そこにほんのひとつまみ、いつもと違う感情が混ざっているようでもあった。ヒワはなんとなく、フラムリーヴェの方に視線を投げる。いつもより距離を置いて契約者を見守っている彼女は、ヒワと目が合うと、小首をかしげた。
彼女らの無言のやり取りをよそに、シルヴィーが力強く手を叩く。
「とにかく。ヒワたちの事情はわかった。で、このことは他言無用ってわけね?」
「そういうこと」
エルメルアリアが少しやりにくそうにうなずいた。それを見て、少女はにっと歯を見せる。
「了解。そんじゃーあたしは、あたしなりに一枚噛ませていただくとしますか」
からりとした発言。それから、時計の針の音が三度響く。居合わせた人々は、目を白黒させた。
「…………ん?」
「何する気だよ、シルヴィー……」
思考停止したヒワの隣で、ロレンスがげんなりと肩を落とした。シルヴィーは友人たちの反応にも動じず、腰に手を当てる。
「何って。二人の手助けするに決まってるでしょ。大陸じゅうを駆け回る仕事なら体力づくりは必須だし、家の情報網も役に立つかもしれないでしょ」
「体力つけたい理由もはっきりしたし、トレーニングの内容を練り直さないとね!」などと呟いて、拳を握るシルヴィー。活力の炎が全身から立ち昇っているようであった。それを見て、ロレンスが綿のような黒髪をかく。
「あーだめだ。これ、絶対大人しくしててくれないやつ……」
「でもまあ、助かってる部分もあるし……」
「影ながら支えてくれる人がいるっていうのは、いいことじゃないかしら? もちろん、彼女に危険が及ばないよう、注意はしないといけないけどね」
ヒワが乾いた笑いを浮かべていたところに、カトリーヌが顔を出す。この事態を楽しんでいるようにも見える先輩に、後輩たちは曖昧な笑みを向けた。




