69 異変と秘密の発覚
砂漠のごとき沈黙。それを破ったのは、エルメルアリアのうめき声だった。
「あー……そっか。ヒワの友達か……」
「エ、エラ? まさか、シルヴィーと一緒にいたの?」
「うん、まあ。なんか声をかけられて、流れで……」
エルメルアリアは気まずそうに横髪をいじる。ヒワは彼と友人を何度も見比べた。はぐれた後に何かあったのは確かだが、まだ状況が読めない。ふたりの様子を見ていたシルヴィーが、はっと目を見開いた。
「もしかして――君が言ってたはぐれた友達って、ヒワのこと?」
「ま、そういうことだ」
投げやりな口調で答えたエルメルアリアは、わかりやすく彼女から目を逸らす。彼らの間に流れる微妙な空気を気にしつつ、ヒワは再び杖を持ち上げた。
あれこれ言い合っている間にも、〈穴〉から泥人形のようなものが這い出てくる。ヒワは思わず頬を歪めた。
「うえ……あれも魔物?」
「そ。町に出てったらまずいから、さっさと片付けちまおう」
話題を切り替えるきっかけを得たエルメルアリアは、勢いよく手を叩いて飛び上がった。ヒワは戸惑いつつも友人を振り返る。彼女は、結界の内側であんぐりと口を開けていた。
「ごめん、シルヴィー。詳しい話はあとでする。今はひとまずそこにいて。――世界一安全な場所だから」
そう言い残して、ヒワも駆け出す。エルメルアリアに追いつくなり、前方でうごめく不気味な泥人形たちに杖を向けた。
「『風の針よ、貫け』!」
細く鋭く鳴った風が、人形の足を吹き飛ばす。ヒワがそれを何度か繰り返したところに、エルメルアリアが暴風を呼んだ。泥人形たちが一気に〈穴〉の方へ後退する。――が、すぐに何事もなかったかのように向かってきた。
「な、なにこれ!? 効いてないの!?」
「無傷ではないと思うけどな。見たところ、痛みを感じなさそうだから、厄介だ」
言いながら、エルメルアリアは両腕を振る。彼を取り囲むように出現した水晶のごとき針が、泥人形たちの方へ飛んで、足に突き刺さった。
変な人形が地面に縫い付けられているのはこれのせいだったのか、とヒワは納得する。
しかしながら、落ち着いてはいられない。泥人形たちを拘束したとて焼け石に水だ。〈穴〉の表面で泡のような影が躍り、こちらへ這い出してくる。
「『閃光、弾けろ』!」
ヒワは、杖を高く掲げる。空中で弾けた光が新たな魔物の一団をのみこんだ。その光を、若草色の石が捉える。
「――『バム・バム』!」
あえて通常の詠唱を紡ぐ。閃光の魔力の残滓が熱を帯び、周辺一帯の天地を揺るがすほどの爆発を起こした。獣の声に金属音を混ぜたような絶叫が、重なって響く。
「これで、どう――」
言いかけたヒワは、しかしすぐに頬を引きつらせた。
青黒い光が、立ち込める煙を貫く。禍々しい魔力をまとった光線が少女の目を焼いた。
「うわっ」
「ヒワ!」
エルメルアリアが前へ出る。彼が「おらっ!」と叫んで腕を薙ぐと、防御結界によく似た壁が現れて、光線を防いだ。ついでに巻き起こった風が、煙ごと魔物たちを吹き飛ばす。
「ごめん、エラ!」
「気にすんな。それより、ちっと時間稼ぎを頼む!」
「――了解!」
再び高度を上げた相棒に叫んで、ヒワは杖を握り直す。突進してきた骨だけの馬を見据え、息を吸った。
「『あからしま風、吹き散らせ』!」
ヒワの背後から、ごう、と強風が吹きつける。しかし馬の体をわずかに揺らしただけだった。さらに、そいつの後ろから数体の泥人形が飛び出してくる。
ヒワは暴れる心臓をなだめて杖を掲げた。
「『聖なる雨よ、降り注げ』!」
――唱え切ると同時、空を裂くように振り下ろす。瞬間、美しい白銀色の光をまとった『雨』が、晴れた空から降ってきた。激しく打ち付ける清らかな雨は、骨と泥の体だけを溶かしていく。
再び、絶叫が公園を包んだ。
ヒワは顔をしかめる。視界の端、結界の内でシルヴィーが耳をふさいだのが見えた。
そのとき。手を叩く音と澄み切った声が、不快な音を打ち消す。
「――〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する」
少女たちは顔を上げる。
プラチナブロンドの髪と、いつもと違う衣をはためかせた精霊人が、空へ手をかざしていた。
「門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」
玲瓏とした声に呼応して、空中に巨大な門が現れる。音もなく開いた門は、動きの鈍った魔物たちを吸い込みはじめた。
――しかし。
泥人形たちの方から異様な高音が発せられる。禍々しい獣たちが、特有の悲鳴を上げた。彼らは、地上から門の方へ吹き上げる風に抵抗し、その場で激しく暴れ回る。土や草が乱れ飛び、空中で幾度も火花が散った。
ぐうっと大気が捻じ曲がる。その圧力は、人間の臓腑すらも歪めてしまいそうだ。
ヒワは、吐き気を覚えてよろめいた。
「なんで……こんな……」
杖だけは落とさぬようにと指に力をこめる。黄緑色の瞳が、すがるように天を見た。ちょうどそのとき、門を維持しているエルメルアリアが、強風にあおられたかのようによろめく。――今この場所に、それほど強い風は吹いていない。
「エラ!」
「オレは平気だ! ただ――連中の抵抗が強すぎる!」
上空から悲鳴じみた返答がある。風と、魔力の嵐の中に舞う金糸の隙間から、悔しそうに歪む相貌が見えていた。
ヒワは杖を握り直す。窮鼠のように暴れ狂う魔物たちに向けて、叫んだ。
「『精霊の息吹よ、爆ぜろ』!」
無形の力が魔物たちを叩く。外界だけでなく、彼らの体内の魔力にも影響があったはずだ。しかし、魔物たちの動きはまったく鈍らない。それどころか、ヒワを捉えた真っ黒い狼が、口腔から黒い炎を放った。
「っ、『光華の砦、ここに建て』!」
顕現した防御結界が、攻撃を阻む。が、黒い炎の方がわずかに強かった。少女を囲っていた輝く砦は、炎を打ち消しきる前に揺らいだ。
頭の中で警鐘が鳴る。ヒワは夢中で口を開いた。
「『フィエルタ』――」
その詠唱は、最後まで紡がれない。炎に焼かれた魔力の壁が、硝子のような音を立てて砕け散る。そして、ヒワの視界を暗黒が覆った。
「ヒワ!!」
二人分の悲鳴が重なる。
ヒワが反射的に目を細めたとき――吹き抜けた強風が、炎を残らず散らした。花の香りに気づいた彼女は、弾かれたように上を見る。
左手を門に、右手を契約者に向けたエルメルアリアが、肩で息をしていた。
ヒワは思わず口を開く。が、彼女が言葉を発する前に、魔物たちが臨戦態勢を取った。門の吸引力に抗う者どもの敵意が、人間と精霊人を射抜く。
これは、いくらなんでもまずい。その場の誰もが息をのんだとき、精霊たちの熱気が高まった。
「『ラズィ・ノバーテ・シルール』!」
底抜けに明るい声が、ねじれた空気を叩く。
直後、魔物たちの上で数珠のように連なった火花が弾けた。苦悶の声があたりに響く。
そして、抵抗が弱まった一瞬の隙に、門が彼らを余さず吸い込んだ。いつになく長時間呼び出された門は、役目を終えると、文句のひとつも言わずに消えていく。
ヒワは呆然とした。我に返った後、声の方を振り返る。公園の出入り口に、蜂蜜色の髪の少女が立っていた。花形の貴石が輝く杖を構えた彼女は、得意げに片目をつぶる。
「はぁい、ヒワ、エラちゃん! 先輩その二、到着よ!」
「――カティ!」
ヒワは顔をほころばせる。カトリーヌ・フィオローネは上機嫌に駆けてきた。
「遅くなってごめんなさいね。町中にも魔物がいたから、そちらの対処に追われてたのよ」
「そうなの!? 町は大丈夫?」
「大丈夫! 大きな被害は出ていないわ。ソーラス院の人たちも動いているし、ね」
くるりと杖を回したカトリーヌが断言する。ヒワは肩の力を抜いたが、舞い下りてきた契約相手は渋い顔をしていた。
「町に? 嘘だろ? 〈穴〉から出てきた魔物は、全部ここで抑えてたはずだぜ」
「そうみたいね」とカトリーヌが唇を尖らせる。黒板を示す教師のように杖を振った彼女は、それをヒワたちの背後へ向ける。
「妙よねえ。フラムさんも、別れる前に『エルメルアリアが取りこぼすとは思えない』みたいなことを仰っていたし」
「フラムリーヴェさんと一緒にいたの?」
「ええ。あなたたちと別れてからしばらくは、ロレンスたちと行動していたの。魔物が出たって聞いたから、一旦二手に分かれたのよ。ふたりは別の区域の魔物を掃討しているはずよ」
状況を説明したのち、カトリーヌは「『バム・バム』!」と叫ぶ。ヒワたちの後ろで爆発が起きた。足を吹き飛ばされ、もがく泥人形たちを見て、ヒワも杖を構え直した。
「なんにせよ、〈穴〉をふさいでしまわないといけないわね」
「うん。お手伝い、お願いできる?」
「もちろん! 時間稼ぎは任せてちょうだい」
明るく請け負ったカトリーヌは、軽やかに杖を回して突きつける。
「『ミーレル・バンデ』」
奏でられたことばと、空中をなぞる杖。それに合わせて魔力が動き、複数の光球が現れた。弾丸のように飛んだ光が、たちまち不気味な魔物たちをのみこむ。
ヒワは目を細めつつ、半歩退いた。
「エラ。〈閉穴〉やっちゃおう」
「そうだな。ただ、その前にひとつだけ」
契約者の隣についたエルメルアリアは、親指を立ててよそに向ける。
「オレが〈閉穴〉の術の発動に入ったら、お友達はヒワに任せる」
言われて、ヒワはシルヴィーの方を振り返った。今、彼女を戦場から切り離している結界は、相棒が張ったものだろう。彼の言葉の意味を察して、力強くうなずいた。
「わかった」
よし、と満足そうに笑ったエルメルアリアが急上昇する。
ヒワも杖を両手で握って、息を吸った。
「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」
澄んだ音が鳴り響く。虹色の剣が魔物たちに降り注ぐ。土煙が舞い上がる。
ヒワは、その一切を見ていない。
「――『クランダーテ・イリューア・デア・ヒワ・スノハラ
アリイネラ・イリュール・デア・エルメルアリア』」
祈るように詠う。
ふたりを繋ぐ魔力の道が、震えた。
〈天地の繋ぎ手〉が――彼の力が、彼女の祈りに応えた。
風が逆巻く。大地が、木々が、水が、熱が、彼らを祝福するように輝いた。
「よし」
からりとした声を聞いて、ヒワはそっと上を見る。
地下魔界の魔物たちがおびえるほどの、力の奔流。その中心に佇むエルメルアリアは、透徹したまなざしを昏き〈穴〉に注いでいた。風で乱れる髪を気にも留めず、滑らかに〈穴〉の方へと飛ぶ。それを見届けたヒワも、身をひるがえして駆け出した。空に釘付けになっている友人を見つけ、彼女をかばうように立つ。輝きの砦はまだ維持されているが、気を抜かない方がいい。
ヒワは、遠くに凝る黒い影に杖を向ける。そのとき、震える声が彼女の背を叩いた。
「ヒワ」
呼ばれた少女は、声の主――シルヴィーをちらと振り返る。見開かれた赤茶色の瞳には、驚きと憂いの色が同じだけにじんでいた。
「あんた、いつの間に精霊指揮士になったの? てか、もう一回訊くけど、あの子とはどういう関係?」
結界の内側から投げかけられた問いに、ヒワは肩をすくめる。そして、後の質問にだけ答えた。
「相棒、かな」
シルヴィーがぽかんと口を開ける。か細い吐息がこぼれた。
そのとき、聞いたこともないような不快な音と、エルメルアリアの素っ頓狂な声とが重なった。ヒワは慌てて戦場に目を戻す。
先ほどまで怯えていた魔物たちが、空へ向かって一斉に攻撃していた。光線や炎を放つものもいれば、飛んで標的に牙を剥くものもいる。無論、狙いはエルメルアリアだ。
狙われた側は、放たれた攻撃をかわし、怪鳥を蹴落とす。鳥よりも自由に飛んだ精霊人は、眼下の魔物たちに向かって叫んだ。
「『眠れ』!」
ことばが広がる。泥人形のいくつかが、ぐんにゃりと倒れた。その他の魔物たちも動きを大きく鈍らせたが、完全に眠り込むことはなかった。よほど興奮しているのだろう。
さすがのエルメルアリアも、いらだたしげに舌打ちした。
その魔物たちが空に向かってあぎとを開く。
「『あからしま風、吹き散らせ』!」
「『フラーネ・ファラック』!」
少女たちの詠唱が重なる。花の貴石の先から出現した炎が、暴風の後押しを受けて魔物たちのもとへ押し寄せた。
絶叫が天をつんざく。魔物たちは、あろうことか、炎を身にまとったまま人間たちの方へ突進してきた。
「『フリヤール・ウィスカ』!」
さすがに青ざめたカトリーヌが詠唱する。空中から現れた水が、火だるまの魔物たちをのみこんだ。
「統率が取れすぎているのも怖いけど、これはこれで不気味ね」
「こいつら、〈閉穴〉すらまともにやらせねえ気だな」
カトリーヌが頬を引きつらせる。少し高度を下げたエルメルアリアも、彼女の隣でぼやいた。
「どうしたもんか」と彼が腕を組んだとき。戦場の中心で、ぽーん、と気の抜けた音が響く。そして、カトリーヌの眼前に鳥をかたどった光が現れた。
「あら」と目を瞬いた彼女は、杖を一振りして自らの伝霊を呼び出す。牡丹にも似た花をかたどった、薄紅色の光である。すらりと長い指がそれを弾くと、光の花は泡のように消える。
「はぁい! こちら、カトリーヌよ」
『どうも。西区商業通りのロレンスだ』
カトリーヌが陽気に呼びかけると、白い鳥のくちばしが動く。そのやり取りを聞いていたシルヴィーが目をみはったが、その変化に気づいたのはヒワだけだった。
『ここらの魔物は八割がた行動不能にした。そっちはどう? 〈穴〉は見つかった?』
「それなんだけど――いいお知らせと悪いお知らせが二つずつあるわ。どちらから聞く?」
『それ、すっごい嫌なやつじゃん……』
鳥が、げんなりした少年の声を奏でる。対するカトリーヌはころころと笑った。すぐそばで、襲い来る魔物たちをエルメルアリアがいなしている。
光と風と闇とが飛び交う中、会話は続く。
『じゃあ、いいお知らせから』
「了解。――ひとつ、〈穴〉を発見したわ。場所はテルツォ・ペッタロ公園。ふたつ、ヒワとエラちゃんと合流したわよ」
『そりゃ僥倖。悪いお知らせの方は?』
「ひとつ、〈穴〉から出てくる魔物が凶暴過ぎて、〈閉穴〉がまともに行えない。ふたつ――市民の方が現場にいらっしゃるわ」
鳥のむこうで、息をのむ音がする。それも、二人分。
エルメルアリアが小鳥ほどの大きさの翼竜を叩き落としたとき、再びロレンスの声がする。
『その人は無事? 避難はできないの?』
「無事よ。防御結界の中にいらっしゃるから、大丈夫。『第一発見者』は、逃がすよりも結界の中に留める方が安全と判断したみたい」
言いながら、カトリーヌは茶色の瞳を精霊人に向ける。それを見たわけではないが、伝霊は『わかった』と硬い声を奏でた。
『それなら、俺たちも公園に急行する』
「あら、いいの?」
『さっきも言った通り、こちらの対処はあらかた終わったし、ソーラス院の精霊指揮士も出てきてる。〈穴〉がそっちにあるのなら、一旦は任せても大丈夫だと思う』
「そう。それなら、援護をお願いしていいかしら?」
『うん、わかった。それじゃあ――』
『さっそく参りましょう、ロレンス』
精霊指揮士二人の会話に、涼やかな声が割って入る。ロレンスの声がひっくり返った。
『え、ちょ――なんで持ち上げるの』
『ここから現場まではかなり距離があるでしょう。飛ばします』
『テルツォ・ペッタロ公園の場所、わからないでしょ!?』
『エルメルアリアと〈穴〉の魔力を辿れば問題ありません。いきます』
『待って待って! まだ通信切ってな――』
ロレンスの言葉がぶつりと途切れる。同時、鳥の姿がかき消えて、花の伝霊が戻ってきた。伝霊の持ち主は、苦笑してそれをしまう。
「フラムさんは相変わらずねえ」
呟いたのち、杖を振って「『バム・バム』!」と詠唱する。自らに迫っていた泥人形を吹っ飛ばし、後続の魔物にぶつけた。
ヒワは、そんな彼女と相棒の立ち回りを、苦笑しながら見守っていた。
――そして、伝霊でのやり取りからわずか二分後。ヒワは、つと顔を上げる。
青い空に、紅い光が灯っていた。その光――いや、炎は、みるみる近づいてくる。
「来た! フラムリーヴェさん!」
ヒワは、仲間たちにも聞こえるように叫んだ。




