68 精霊人と赤い少女
「大丈夫? 気分が悪い? どこか痛い?」
エルメルアリアに気づいた少女は、かがんで目線を合わせてくる。子供だと思われているのだろう。問いかけは、気遣いの綿にくるまれていた。
エルメルアリアは反射的に口をつぐむ。しかし、どこかの戦乙女を思わせる強いまなざしを注がれると、観念した。
「大丈夫……疲れただけ……」
不自然に思われないよう、慎重に答える。すると少女は眉を寄せた。やにわに手を出してきて、額に触れる。
「うん。熱とかはなさそうね、確かに」
ひとり納得した少女は、改めてエルメルアリアと向き合った。
「一人でいたら危ないよ。お父さんやお母さんは?」
「え――」
当然の質問だろう。しかし、エルメルアリアは固まってしまった。動揺のあまり、正直に答えてしまう。
「いない。消えた……」
少女は、物音に驚いた小動物のように顔をこわばらせる。エルメルアリアも、慌てて取り繕った。
「え、っと。と、友達と一緒だったんだけど、はぐれちゃって……」
「あっ。そ、そっか。それは大変だ」
少女もどぎまぎと反応する。滴る汗が見えるのは、暑さのせいだけではないだろう。
「じゃあ、そう! お姉さんと一緒に、おまわりさんのところに行きましょ」
「あ、いや。け……おまわりさんは、ちょっと……」
警察に知られれば、騒ぎどころでは済まない。どこかの副支部長あたりから苦言を呈されそうである。エルメルアリアは必死で口を動かしたが、当然、少女はいぶかる。赤い眉がつり上がり、眉間にしわが寄った。
「なぁに? もしかして、大人に言えないようなことしてるの?」
「別に、そういうんじゃ、ないけど」
尖った言葉に気圧されて、エルメルアリアはうつむく。その態度をどう取ったのか、少女はやおら立ち上がると、腰に手を当てた。
「しょうがないな。――ちょっと、ついてきて」
すました少女を見上げ、エルメルアリアはしきりにまばたきした。
少女に連れられていった先は、小さな公園だった。ジラソーレは本当に公園が多いな、と、エルメルアリアは感心する。折よく近くに飲み物を売る販売車が来ていたので、少女が二人分の冷たい果実水を買った。それを持って、近くの草地に腰を下ろす。
人っ子一人いない。時折、風が木々を揺さぶるだけだ。
「疲れたって言ってたし、一回落ち着いた方がいいかと思って」
不思議そうなエルメルアリアに、少女はそんなふうに言う。かと思えば果実水を一口飲んで「あ、おいし」と呟いた。
エルメルアリアは、カップに口をつけつつ、少女を横目で見る。
どこかで見たような少女だ。そして、どこかで聞いたような声だ。エルメルアリアは記憶を辿ろうとしたが、その前に少女に話しかけられた。
「ところで、君、どこから来たの? 旅行?」
「……すっごく遠いところから。でも、友達はこの町に住んでる人」
「なんだ、そうなの? それなら、案外すぐ見つかるかも」
少女はそう言いつつも、すぐに「友達」について尋ねてはこなかった。世間話程度の問いをいくつか投げてくる。エルメルアリアも、ぽつぽつとそれに答えた。
穏やかな時間は、二人のカップが空になったことで終わりを告げる。弾みをつけて立ち上がった少女が、エルメルアリアを振り返った。
「じゃ、お友達を探そっか。特徴――髪の色とか、着ている服とかについて、教えてくれない?」
エルメルアリアは言葉に詰まる。彼女にヒワの話をしてもよいものかどうか、判断がつかなかった。理由のわからないためらいが、言葉を喉元で押しとどめる。
少女が首をかしげた。
その瞬間――精霊たちが金切り声を上げる。
エルメルアリアは、はっと顔を上げた。
「どうしたの?」
少女が目を瞬く。
その足もとに――昏い穴が開いた。
瞠目する。すべてが真っ白になる。無色の震動が大気を伝う。
エルメルアリアは、宙を蹴った。
「――っらぁ!」
精霊たちをなだめている暇はない。自前の魔力だけで風を起こし、同時に少女へ体当たりした。悲鳴を上げた少女が吹っ飛ぶ。同時、エルメルアリアの視界が闇色に染まった。穴から噴き出した瘴気をまともに浴びたのだ。
瘴気は、精霊人の『精霊の部分』を食い荒らす。それは、より彼らに近い者にとって、心臓を握りつぶされるに等しいことだ。しかし、エルメルアリアは歯を食いしばって痛みをやり過ごし、すぐに魔力をかき集める。体を覆った淡い光と夏の風が、まとわりつく瘴気を押しのけた。
「ってえ……! やってくれたな」
赤く腫れた手の甲で、やはり赤い頬をぬぐい、昏い穴――いや、〈穴〉から距離を取る。そのとき、背中に声がぶつかった。
「飛んで……る? 君……何?」
尻餅をついた少女が、愕然としてエルメルアリアを見上げていた。エルメルアリアは、彼女に目立った外傷がないことを確かめると、無愛想に視線を逸らす。
「説明は後。そっから動くなよ」
言ったついでに手を振った。防御結界が少女を囲む。輝く壁を見た彼女は何かを察して顔を上げたが、エルメルアリアは知らないままだった。
沸騰する水のごとく〈穴〉の表面に泡が立つ。いや、泡のように見えたのは魔物の影だった。〈穴〉から這い出してきた魔物たちは、瘴気を振りまきながら雄叫びを上げる。
「まあ、こうなるよな」
エルメルアリアは不敵に笑んだ。
瘴気と同じ色の泥人形が、雪崩を打って襲いかかる。その攻撃を踊るようにかわした彼は、一気に高度を上げて、腕を振った。ごう、と熱風が吹きつけ、泥人形が地面に叩きつけられる。エルメルアリアは間髪入れず、水晶のような針を生み出して、地上めがけて投げつけた。日光を弾いて輝いた針は、魔物たちを地面に縫い留める。
そうこうしている間にも、次々魔物が現れた。恐れも躊躇も一切ない攻撃をかわし、すぐさま反撃する。魔物たちが昏倒するか拘束に成功するまで、この繰り返しだ。
エルメルアリアは冷静に、そして淡々と対処する。しかし、際限なく湧き出る魔物たちに、早くも辟易していた。妙なことが立て続けに起きたせいか、瘴気を浴びたせいか、疲労の蓄積がいつもより早いようだ。
「一か八か、試してみるか」
呟いたエルメルアリアは、魔物の群れのただ中でつむじ風を起こす。記憶より小さい骨の魔物たちががらがらと倒れると、手のひらを空に向けた。ふっと息を吹きかけると、エメラルド色の輝きが使い鳥のように飛んでいく。輝きが町に吸い込まれると、彼は腹に力を入れて呼びかけた。
「おい、聞こえるか――契約者殿!」
※
〈穴〉の気配がする。ヒワがそれに気づいたのは、エルメルアリアを探しはじめて一時間が過ぎたときだ。本気でロレンスかカトリーヌに救援を要請しようと思っていたところに、悲しいかなお馴染みとなってしまった吐き気が襲い来る。
「こんなときに……!」
思わず吐き捨てたヒワは、それでも『嫌な空気』の元を辿った。無意識のうちにそちらへつま先を向けたとき、額で何かが弾ける。小石でも当たったか、と額に触れたが、傷らしきものはなく、足もとにも何も落ちていない。ヒワが目をすがめたとき――風に乗って、声がした。
かすかなささやきのようで、内容までは聞き取れない。それでもヒワは、返事をしていた。
「エラ?」
「――っしゃ! 届いた!」
雑音交じりの声が返る。それを聞いた瞬間、ヒワは頬を緩めていた。緩めすぎて溶け落ちそうである。
「エラ……よかった、よかった……!」
「悪い、はぐれちまった」
「怪我してない? 今どこ?」
「町のどっかの公園にいる。怪我は…………まあ、したな」
「怪我したの!? あ、もしかして〈穴〉の近くにいる?」
ヒワは、胸のむかつきで状況を思い出す。魔力の風に声を乗せたエルメルアリアが「あたり」と苦々しそうに言った。
「しかもこの〈穴〉、地下魔界に繋がってる」
付け足された言葉に、ヒワは息をのんだ。つい、足を止める。
「魔物と瘴気がじゃんじゃん出てきてきりがない。ってわけで、大至急来てほしい」
「そりゃ、行きたいのは山々だけどさ。正確な場所がわからないと行きようがないよ」
ヒワは、腰の袋に手を触れる。相手も考え込んでいたのか、短い無音の時間があった。果たして、エルメルアリアは落ち着いた声で言う。
「よし、ヒワ。オレが今から言うことを復唱してくれ」
「え、いきなり何?」
「いいから」
契約相手は頑なだ。ヒワは釈然としなかったが、追及している余裕もない。しかたなく承ると、エルメルアリアは長い言葉を唱えた。その意味に気づいて、ヒワは目をみはる。杖を抜いて両手で握ると、ゆっくりと息を吸った。
「『クランダーテ・ノバートル・アリイネラ
ワーディ・ワース』!」
ひと息で言い切った。その瞬間、地面が消え失せた。
※
都市の夜景を思わせる光が、真昼の空に浮いている。それはすぐに雨となり、招かれざる客に降り注いだ。
結界の中で少女が目をみはっている。それをわき見しつつ、エルメルアリアは精霊たちをなだめすかした。瘴気の影響か、地下魔界の魔物のせいか、姿なき隣人はいつになく興奮している。草木を騒がせ、公園の柵を無分別な幼子のように揺らしていた。
「わかったよ。その熱意は魔物に向けような」
何度目になるかわからない声がけをして、エルメルアリアは腕を振る。新たに出てきた泥人形たちを吹き飛ばしたとき――お世辞にもきれいとは言えない声が近づいてきた。
「――いいいいいぎゃああああああ!!」
招かれた少女は、喉が潰れるのではないかと心配になるほどの悲鳴を上げて飛んでくる。涙で顔をぐちゃぐちゃにした契約者を見て、エルメルアリアは手の向きを変えた。魔物を阻んだ暴風は、命を救うそよ風に変わる。
風に受け止められたヒワは、ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返した。杖を手放さぬまま胸を押さえる。そして、精霊人をにらみつけた。
「ひ、ひどい! なにこれ! なんなの、これ!」
「何って。契約相手のもとに強制的に飛ばされる術」
「そ、そんなのあるなんて、聞いてない……!」
「言わなかったからな。体に負担がかかるし、ヒワは絶対嫌がると思ったから」
「よく……おわかりで……!」
文句を言いつつも、ヒワは杖を構える。エルメルアリアに対して抱いた怒りを、そのまま魔物に流したようである。
「まあでも、無事合流できたしいいか。いつも通り、やろう」
「おう」
エルメルアリアは、手のひらを拳で叩いて応じた。そこでやっと、ヒワの背筋が伸びる。ただ、その気合は長くは続かなかった。
「ヒワ?」
「え?」
突然名前を呼ばれたヒワは、振り返る。黄緑色の瞳が一気に収縮した。結界にすがりついている少女も、よく似た表情をしている。
「シルヴィー!? なんでここに……」
「それはこっちの台詞!」
動揺の叫びに、それを上回る反撃があった。
少女――シルヴィー・ローザは、赤茶色の瞳を爛々と輝かせた。
「あんた今、空飛んでなかった? ってか、その子と知り合い?」
繰り出される質問は、〈穴〉の魔力以上に精神をえぐる。困り果てたヒワは、友人と精霊人の間で立ち尽くしてしまった。




