67 未知の世界、未知との遭遇
着られはするが一部の丈が合わない衣服があったので、それらは一度カトリーヌが引き取ることになった。その上で、持ってきてもらった物の中から、ヒワとエルメルアリアで数着を選別した。
衣服を畳みながら、ヒワはカトリーヌを振り返る。彼女もまた、引き取った衣服を紙袋にまとめていた。
「ありがとう、カティ。実はちょっと悩んでたから、助かったよ」
「いえいえ! 私は楽しく探しただけよ。それでふたりの役に立てたならよかった」
「ま、助かったのは確かだな。注目されにくくなるのはいいことだ」
ヒワと一緒に服を畳んでいたエルメルアリアがぽつりと呟く。彼は、フラムリーヴェが後ろでうなずいていることには気づいていなかった。
そんな精霊人たちを見て、ヒワはあることを思いつく。手元の衣服を見て、ひとつうなずいた。
「そうだよ、エラ。せっかくだし、これを着て外に出てみない?」
エルメルアリアは虚を突かれてまばたきする。一方、カトリーヌはすぐさま賛同した。
「いいわね! どれくらい人に見られるかの検証にもなるし!」
「うーん。ま、そうだな」
エルメルアリアは、やや戸惑った様子でうなずく。これにより、彼らのこの後の予定は決まった。
エルメルアリアは再び着替え、ヒワとともに外へ出る。深緑色の上着に白いシャツ、デニム生地の細いズボン、という組み合わせだ。
ロレンス、フラムリーヴェ、カトリーヌの三人は、ひとまず解散することになった。あまり大人数で固まっていては結局目立ってしまうためだ。
住宅街を進んで、市庁舎などへ繋がる通りに出る。と、いきなりエルメルアリアが後ずさった。
「おお……人がでかい……町が大峡谷みてえ……」
「あー。この道を歩くのは初めてだっけ」
彼が地面を歩いた数少ない外出の際は、できるだけ人の多いところを避けていたのだ。この反応をしてしまうのも無理はない。
ヒワは苦笑しつつ、白金色の頭に注意を向ける。きょろきょろするエルメルアリアとともに、記念すべき一歩を踏み出した。
ジラソーレ市街、特に大きな通りでは、機能性重視のてかてかした建物と、伝統的な民家を思わせる建物とが混在している。それらが調和しているのが、ヒワとしては不思議だった。そして、アルクスの民はよく窓辺や軒先に花を飾る。ジラソーレでもそれは変わらない。夏から秋の花々が、無機質になりがちな町に鮮やかな色を落としていた。
休暇の時季は終わりが近いが、未だ人は多い。好き勝手に走りまわる子供たちをなだめる母親、旅行鞄を持った老夫婦、談笑しながら顔を手であおぐ学生たちなど、その姿も様々だ。
彼らは大抵、雑踏にまぎれた精霊人には目もくれず歩いていく。幼児にしては不自然な容貌に惹かれてか、たまに振り返る人もいたが、すぐに興味を失い通り過ぎた。そのことにヒワはこっそり安堵する。
周囲に気を配る彼女の横で、エルメルアリアは観光客よろしく町を堪能していた。
「いつも上から見るところだ。歩いてみると全然違うな。……お、馬。お疲れさん」
目に入るものすべてに興味を示し、果ては通り過ぎる馬車――を引く馬たち――に手を振る。そうしていると、『当代最高の精霊指揮士』とは思えない。
ヒワはそっと口もとをほころばせた。住み慣れた町をそんなふうに楽しんでもらえて、悪い気はしない。
人混みをかき分けながら、十分ほど歩いた。そこで、さざめきの中から明瞭な声が飛んでくる。
「あらま、ヒワちゃんじゃない」
「へ?」
ヒワは、肩を震わせて振り返る。こじゃれた洋裁店の前で、恰幅のよい女性が手を振っていた。ヒワは大急ぎで記憶を辿り、同じ集合住宅に住んでいる人だと気づく。
「あっ……ど、どうも……こんにちは」
「こんにちは! ここで会うなんて珍しいわねえ。お散歩? それともお買い物かしら?」
「まあ、散歩、みたいなものです」
「そう。最近はお散歩しやすくていいわよねえ。……あ、そうそう! この間、トウマさんを見かけたわよ」
明るくおしゃべりなご婦人に、まんまと捕まってしまった。
ヒワはこのような雑談に上手く乗れない。さりとて、穏便に切り上げる方法もわからない。結果として、ただただ視線をさ迷わせる不審者と化してしまう。
十五分ほどの立ち話の後、ご満悦な女性が去ってゆく。ぎこちなく手を振ったヒワは、こっそりため息をこぼした。それから、はっとして振り返る。
「あっ! ごめん、エラ――」
とっさに呼びかけたが、視線の先にエルメルアリアの姿はない。爽やかな風の名残は、人いきれにのみこまれてしまったようだ。
「……あ、あれ?」
ヒワは慌ててあたりを見回す。背伸びして、車道を挟んで反対側の歩道までを覗き見た。しかし、どこにも精霊人は見いだせない。
ヒワは、青ざめて立ち尽くす。
エルメルアリアは見た目通りの子供ではない。ヒワに黙ってよそへ行くことは考えづらいし、一時的に姿を隠したのだとしても、魔力や周囲の精霊たちの気配で気づく。彼の方からも何か声がけがあるはずだ。そのどちらでもないということは、人波にさらわれたか。嫌な想像が、少女の脳裏を駆け巡った。
「どうしよう。最悪の展開だ……わたしの馬鹿……!」
頭を抱えたヒワは、そのままうずくまりそうになる。しかし、腰から提げた杖が目に入って、ほんの少し冷静になった。
落ち着け、と心の中で己を叱咤する。ヒワとエルメルアリアは指揮術による契約でつながっている。名を呼ばれればどこへでも出てこられる、と以前言っていたではないか。
「エラ、エラ……エルメルアリア!」
いつもより強く魔力の流れを意識して、名前を呼ぶ。すると、頭の端にわずかに引っかかるものがあった。しかし、精霊人は現れない。
「え? なんで……」
そこで初めて、ヒワは違和感に気づいた。精霊たちが何やら騒ぎ立てているような気配がある。精霊人たちと違い、彼らの声を聞くことができないので、何かが起きているということしか察せられなかった。
背中に嫌な汗がにじむ。我知らず腰の袋に手を伸ばしていた。
「エラ……どこ……?」
自分こそが迷子になったかのように呟いて、ヒワはひとり駆け出した。
※
一方、エルメルアリアは見慣れない建物群の前で途方に暮れていた。自分に気づかず歩いてくる通行人を避けているうち、知らずヒワから離れてしまい、ここまで流されていたのだ。
「うわあ……町ではぐれるとか、ねえだろ……」
左右に視線を巡らせながら、己に呆れる。フラムリーヴェあたりに知られたら、当分いじられそうだ。
ため息をついたエルメルアリアは、瞑目する。己の魔力に意識を集中させた。
今の彼は、指揮術の観点から見れば、契約者の支配下に入っている状態だ。その気になればいつでも彼女のところへ跳んでいける。ただ、向こうから名前を呼んでもらった方が確実に辿れるので、ヒワには「名前を呼ばれれば出てこられる」と説明していた。
しばらく、雑踏の中に立ち尽くして。エルメルアリアは眉を寄せた。――どういうわけか、今日は契約者の気配を上手くつかめない。
「呼んでもらえるまで待つか」
呟いたエルメルアリアは、色々なものをあきらめて歩き出す。
ほどなくして、彼は呼ばれたことに気づいた。髪のひと房を強く引っ張られるような感覚。エルメルアリアはふっとほほ笑んで、いつものように跳ぼうとした。しかし――すぐに顔をしかめる。
「……っ、あれ?」
頭の中に薄い板を差し込まれたような違和感があった。首をかしげたエルメルアリアは、思わず空を見上げる。精霊たちの声に耳を澄ませた。
かこまれた。
ねのしたのものがくちをあけた。
みている。かぞくだったものが、みている。
「囲まれた? 何に?……家族だったもの、って、誰のことだ」
そっと尋ねてみたものの、気が動転しているのか、精霊たちはそれ以上答えない。
エルメルアリアは頭を抱える。
「飛ぶにしても、ここじゃ目立ちすぎるな。となると――」
人のいないところで飛んで、上からヒワを探す。見つからなければスノハラ家に戻るか、フラムリーヴェのもとへ行く。できることと言えば、このくらいだろう。
考えをまとめたエルメルアリアは、さっそく人のいないところを探す。途中、何度か呼ばれたので、ヒワのもとへ跳ぶことを試みた。しかし、何度やっても結果は同じだ。今までにない違和感と言い、精霊たちの様子と言い、何者かが妨害しているのは確実だが、はっきりしたことはわからない。
慣れない感覚に振り回された上、人を避けながら歩いていたおかげで、エルメルアリアは三十分も経たぬうちに疲れ果ててしまった。ふらふらと手近な壁に寄りかかる。
「うーん……いっそ伝霊でも借りるか……? いや、伝霊も上手く飛ばない可能性があるのか……」
頭の奥に居座る異物感と戦いながら、ひとりごつ。
大きな影が差したのは、そんなときだった。
「君、どうしたの? 一人?」
声が降る。カトリーヌともフラムリーヴェとも違う、荒涼とした大地に咲く野花のような、少女の声。
エルメルアリアは顔を上げる。赤茶色の瞳をすぐそばに見た。
一人の少女が心配そうにエルメルアリアをのぞきこむ。彼女が首をかしげると、柘榴を思わせる赤髪が元気に揺れた。




