66 広がる日常
「ただいまー……」
長距離飛行でへとへとになったヒワは、まだまだ元気なエルメルアリアと帰宅する。ちょうど夕飯の準備をしていた家族から、驚きの視線を向けられた。
「お、おかえり。本当に今日中に帰ってきた……」
唖然として言ったのは、ポロネギを切っていた母である。隣から、姉のコノメが顔をのぞかせた。炊飯中の鍋を見張っていたらしい。
「レグンまで行って、一日で帰ってこれるもんなんだ。精霊人ってすごーい」
「そうか? 普通に飛んできただけだぜ」
エルメルアリアは、風に流された花びらのように居間へ飛び込む。以前はヒワの家族に見つからないよう気を遣っていたが、色々あって契約のことを打ち明けてからは、彼ものびのびと過ごしている。
気ままに飛びまわっている精霊人を見て、コノメが顔を引きつらせた。
「飛ん……飛んだ? え、つまり、空飛んだの? ヒワも?」
「うん……」
部屋に鞄を置いて戻ってきたヒワは、力なくうなずく。「すげー。いいなー」と言いながら焜炉の火を止めたコノメに、湿っぽい視線を向ける。
「そんなにいいものじゃないよ……。高すぎて怖いし、風がちょっと痛いし……」
エルメルアリアが指揮術か何かで守ってくれているらしく、空気の薄さや寒さはほとんど感じない。それでもヒワは、空を飛ぶ感覚そのものにいつまでも慣れなかった。時間短縮のための移動だから、というのもあるかもしれないが。
姉妹と精霊人のやり取りを聞いていた母が、苦笑する。
「それなら疲れたでしょ。もうちょっとでご飯できるから、適当にしてな」
「ありがと……とりあえず着替えてくる……」
白樺の森やら岩だらけの荒野やらを走り回ったおかげで、服も髪も汚れ切っている。ヒワは、濡れては乾いてを繰り返した足を引きずりながら、自室に引っ込んだ。
※
夕飯とお風呂と睡眠で回復したヒワは、そこそこ良い気分で翌朝を迎えた。疲れはまだ残っているが、動けないほどではない。朝食を終えて、外に出る家族を見送った後は、杖の手入れを始めた。
来客があったのは、手入れが一段落した頃である。慌ただしく家の玄関扉を開いたヒワは、目をみはった。
「ロレンス。フラムリーヴェさんも!」
「ども」
「失礼いたします。ヒワ様、エルメルアリア」
「おう、お疲れ」
玄関先に立っていたのは、友人とその契約相手だった。少年はひかえめに会釈をする。隣に立つ精霊人の女性は、黒いワンピースの裾をつまんで丁寧な礼をした。赤から黄色へ移ろう、不思議な色の長髪が広がる。それにひととき見とれたヒワだが、すぐ我に返った。
「今日はどうしたの?」
「よければ、お互いの任務の話をしておきたいなと思って。あとは……」
ロレンスの青い瞳が、ちらりと動く。ふたりの背後から、蜂蜜色の髪の少女が顔を出した。
「私もふたりに用事があったから、ついてきちゃった!」
「わ、カティ」
ヒワは素っ頓狂な声を上げてのけぞる。そのかたわらでエルメルアリアが「そういや、来るっつってたなー」と呟いた。大きなリボンがついた白いワンピースをまとった少女は、畳まれた傘を杖に変えてから、にっこりとほほ笑んだ。
ひとまず三人を招き入れて、先の任務の話をする。ヒワたちがレグン王国にいる間、ロレンスたちはアルクス国内の〈穴〉に対応していた。すでに魔物があふれているような状態だったが、カトリーヌの協力もあって、無事に〈閉穴〉までこぎつけたという。
さらに、精霊人たちは、互いが倒した魔物の数を教え合っていた。
「今回は私の勝ちですね」
「だな。今度、好きなの持ってけよ。果物の糖蜜漬け」
「ええ。ありがたくいただきます」
どことなく勝ち誇った様子のフラムリーヴェに、エルメルアリアがさらりと言う。「いつの間に、賞品つきに……?」とおびえたロレンスは、女性陣の視線に気づくと、咳払いした。
「このところ、〈穴〉から出てくる魔物の数が増えてる気がするんだけど」
「そうねえ。見たことのない魔物がいた、っていう噂や報告も増えてるわ。ちょうど、王都での騒ぎの後からかしら」
フリーの精霊指揮士の証言を聞いて、ほかの四人は眉をひそめる。
「偶然にしては出来すぎてねえか?」
「なんとも言えませんが……気になるのは否定しません」
「魔物の『動き』のこともあるしなあ」
声を落とした精霊人たちを見て、ロレンスが頬杖をつく。一方、カトリーヌは、エルメルアリアを見上げた。
「〈銀星の塔〉から情報提供はないの?」
昨夜のうちに天外界へ行って戻ってきたというエルメルアリアは、腕を組んだ。
「〈塔〉からはないな。ただ、クロがちょっと気になることを言ってた」
全員の視線がエルメルアリアに向く。
クロことクロードシャリス。エルメルアリアの親友で、天外界各地の様子を見て回る『巡視官』を務める青年。彼の言葉は、多少正確さを欠きつつも、親友の口からみんなに届けられた。
「送還された魔物の調査が進んでるらしいんだけどな。一部の魔物から、指揮術の痕跡っぽい魔力の流れが検知されたんだってさ。――『一部の魔物』の中には、サーレ洞窟にいた亀も含まれてるそうだ」
「それって……」
ロレンスとカトリーヌが声を揃える。彼らがのみこんだであろう続きを、フラムリーヴェが引き取った。
「誰かが魔物に指揮術をかけた……?」
「その可能性は高い。王都で使い魔がおかしくなった件もあるんだし」
エルメルアリアが、空中で腕を組む。
「ただ、『その魔力が本当に指揮術の痕跡か』『そうだとしたら、いつ術をかけられたのか』――この二つがはっきりしないことには、話が進まねえ」
「そのあたりは、〈塔〉が調査結果をまとめるまで待つしかないですね」
フラムリーヴェがため息をつく。それが合図だったかのように、人間たちも肩を落とした。
「結局、わからないことだらけかあ……」
ヒワが額を押さえると、ロレンスも「しかたないね」と言いつつ天井を仰いだ。
沈んだ空気を打ち払うように、カトリーヌが手を叩く。
「ほんの少しでも進展があったなら、いいことだわ。私たちは私たちで、できることをするしかないでしょ」
「……まあ、それはそうだけど……」
ロレンスが、綿のような黒髪をかき混ぜる。カトリーヌはさらに続けた。
「でもって、今は一仕事終えた後なんだし、もう少し楽しいことも考えましょ? 私、そのために『いい物』を持ってきたんだから」
「そっちの話題に持っていきたかっただけか……」
ヒワと精霊人たちは目を瞬く。ロレンスも、ぼやきながら興味を示していた。
「そういえば、用事があるって言ってたけど……」
「そう! 正確には、見せたいものがあってね」
カトリーヌは嬉しそうに言うと、ここへ来るまでずっと持ち運んでいた手荷物を掲げてみせる。それは、持ち手つきの紙袋だった。
「広いところで中身を出したいんだけど、いい場所があるかしら」
「あ、それなら――」
ヒワは素早く席を立つ。そして、客人たちをヒダカ様式の部屋に案内した。
「わあ……! これがタタミなのね!? 初めて見た!」
妙に感動しているカトリーヌをよそに、ヒワはざっと部屋を見渡す。掃除をしたばかりなのか、畳くずなどは散っていない。何を広げても問題なさそうだ。
「よし、大丈夫だよ」
「ありがと!」
臨時の家主の許可を得たカトリーヌは、うきうきと袋の中身を引っ張り出す。手際よく並べられるそれを見て、フラムリーヴェが「あっ」と声を上げた。ヒワも、つい身を乗り出してしまう。
「服? しかも、この大きさ……」
畳の上に並べられたのは、衣服だ。男性向け、女性向けの区別なく、様々な種類が取り揃えられていた。ヒワたちが着るには小さすぎる。明らかに、ただ一人の体に合わせて選ばれたものだ。
一同の視線に気づいたカトリーヌが、得意げに振り返った。
「そう。エラちゃんが内界で着られそうなお衣装よ!」
「な――」
名前を呼ばれた当人は、あんぐりと口を開けている。
「わ、わざわざ、探してきたのか……? あんたが? なんで?」
「探したかったからよ! エラちゃんのお衣装探しなんて、絶対楽しいと思って!」
カトリーヌは、無邪気な子供のように瞳を輝かせている。これにはヒワも絶句してしまった。立ち尽くすふたりの前で、カトリーヌは身振りを交えて語る。
「上の二列は既製品。子供服中心で探したから、もしかしたら大きさが合わないところがあるかもだけど、多少の調整はできるから。下は、知り合いの仕立て屋さんに相談して作ってもらったもの。精霊人ってことは伏せたけど、結構細かいことまで伝えたから、問題なく着れると思うわ。気に入った物があったら、遠慮なく持っていってね!」
まさに言葉の嵐である。しかも、さらりととんでもない情報が織り交ぜられていた。この上なく興奮しているカトリーヌを前に、ヒワたちはぎこちない笑みを浮かべる。ロレンスが、軽く身震いした。
「性別不明の精霊人の体に合わせた服を作ってくれる仕立て屋さんって何……? てか、そもそもそれを説明できるカティが何……?」
「む……カティ様の人脈と、本職の方の技術には敵いませんね」
「フラムリーヴェは何を張り合おうとしてたの?」
真剣な顔の戦乙女を見て、ロレンスはますます縮こまった。
一方、ヒワとエルメルアリアは呆然と並べられた衣服を見る。沈黙の後、どちらからともなく、互いを見た。
「えーと……とりあえず、試着してみる?」
「そう、だな。せっかく持ってきてくれたし。つーか、作ってもらったものを着ないわけにもいかねえし」
慎重な問いに、慎重な答えが返る。畳の上に下りたエルメルアリアは、人目を憚らず、上の衣のボタンを外しはじめた。
その後の展開は、誰もが予想した通りである。ご機嫌なカトリーヌが、エルメルアリアにとっかえひっかえ衣服を勧めた。すぐにフラムリーヴェが参戦し、なんだかんだヒワも楽しくなってきて、積極的に試着を手伝う。名高き精霊人が着せ替え人形と化すまでに、大して時間はかからなかった。
「あなた、こんな衣服も似合うんですね」
「エラちゃん……可能性の塊だわ……!」
「あっ! でも、スカート系は飛んだときにちょっと……色々問題が……」
「そう思って、下に履ける物を持ってきたのよ。ほら、これ」
「カティ、抜かりない!」
黄色い声を上げる女子たちの中心で、エルメルアリアはされるがままになっている。最初こそ彼女たちの盛り上がりに乗っかって得意げにしていたものの、だんだん落ち着いてきて、しまいには真顔になった。
「よく飽きねえな」
ぼやく彼に羞恥心はない。ただ、着替え続けるのが面倒くさくなっただけだ。
そして、ロレンスに至っては遠巻きに見ていることしかできない。
「こういうときの女の子ってすごいよな……生命力にあふれてる……」
「そう言うロレンスは、生命力を吸い取られてるように見えるけど。大丈夫か?」
「ぎりぎりかな……。ここにシルヴィーがいなくてよかった。いたら俺まで巻き込まれて終わってた」
「どんななんだよ、あんたらの友人」
エルメルアリアとロレンスは、もはや女子たちとは別の領域で会話をしている。その間も試着会は盛り上がり、気づけば一時間が過ぎていた。




