間章Ⅱ-6 関係の名前
フラムリーヴェが最初に『それ』を見たのは、騒動から半月後のことだ。
自分の仕事を終えた帰り。里へと通じる〈花間の小径〉が見えてきたところで、妙な魔力を感じ取った。誘われるように上を見て、葉っぱが一枚飛んできていることに気づく。ただ風に吹き散らされた木の葉ではない。淡い光を帯びていて、まっすぐフラムリーヴェのもとへ飛んできたのだから。
フラムリーヴェは首をかしげつつ、手を伸ばす。端をつかむと、葉っぱは見る間に変貌した。一瞬後、彼女の手に収まっていたのは、小さな布の切れ端である。
「指揮術? 手の込んだことを……」
ひとりごちて、フラムリーヴェは布を見た。覚えのある魔力が肌を撫ぜ、布の表面にじわりと文字がにじみ出る。水に溶いたインクを垂らしたかのように。
フラムリーヴェは今度、眉一つ動かさなかった。黒い文字列に目を走らせると、すぐさま布を虚空にかざしてしまい込む。
体調、良好。武器の状態も問題なし。直行できると判断し、地面を蹴って浮き上がる。そのまま北西方向へ飛び出した。
向かった先は〈青嵐山脈〉のふもと。鬱蒼とした森を抜けた先の、岩だらけの一帯だ。フラムリーヴェが『待ち合わせ場所』に降り立つと、そこにいた精霊人が振り返る。ぎょっとして、飛び上がっていた。
「ほんとに来た……」
「言ったことは守りますよ」
唖然としているエルメルアリアに、フラムリーヴェは淡々と答えを投げる。彼に歩み寄りながら、布に書かれていた文言を繰り返した。
「〈青嵐山脈〉における魔力異常の調査でしたね。私を呼んだということは、戦闘になる可能性が高いと踏んでいるのですか?」
「おう。精霊どもの様子を見るに、魔物がいつも以上に凶暴化してると思う。オレ一人でもさばききれないことはないけど、怪我して山から下りられなくなるのは嫌だからな。試しにあんたを呼んでみた」
本当に来るとは思わなかった、とエルメルアリアは繰り返す。対するフラムリーヴェは怒りも笑いもせず、虚空に手をかざした。
「賢明な判断です」
炎をまとった大剣を呼び出す。紅い波型の刃が輝きを放った。
目を丸くしている同胞に呼びかける。
「行きましょう。案内をお願いしてもよろしいですか」
「……わかった。ちゃんとついてこいよ」
未だ動揺しているエルメルアリアは、空中で旋回し、精霊の声を追って飛ぶ。フラムリーヴェは静かにその後をついていった。
――結局、そのときの魔力異常の原因は、魔物が地脈をいじってしまったことだった。エルメルアリアの予想通り、激しい戦闘となったが、さほど苦労はしなかった。乱れた地脈をエルメルアリアが元に戻したことで魔力異常は収まり、無事任務完了となった。
山脈から離れた後、なぜか気まずそうに感謝を述べたエルメルアリアに対し、フラムリーヴェは「また何かあったら呼んでください」とだけ言った。
その後も、エルメルアリアから要請があるたびに、フラムリーヴェはそこへ向かった。時には間が悪く、彼女の仕事中に要請が来ることがあったが、そんなときは己の仕事を可能な限り早く片付けて、彼の元へ急行した。「待機していてください。すぐにこちらの仕事を終わらせます」と声を送ってから三十分後に合流したときは、そのときの同行者もエルメルアリアも引いていた。
当然と言えば当然だが、エルメルアリアとフラムリーヴェが対処に当たる仕事は、危険なものばかりである。凶暴化した魔物の制圧はもちろんのこと、瘴気が満ちる毒沼の調査や、廃墟に住み着いた竜の追い出しなどという仕事もあった。
エルメルアリアは今までこれを一人でこなしてきたのか。フラムリーヴェは毎度感嘆するとともに、ぞっとした。
〈塔〉に改善の意志はなく、〈秩序の室〉も動かない。彼女にとっては歯がゆく、やるせない現状だ。エルメルアリアはどう思っているのか――そう考えるたびに、激高した彼の姿が脳裏によぎる。
紫水晶の瞳に映る小さな背中に、あのときのような怒りの色はない。ただ、いつもどこか悲しげだった。
※
フラムリーヴェがエルメルアリアの「救援」を始めてから、一年と少しが経ったある日。二人は〈枝垂れの森〉の端を歩いていた。
今回の仕事はこの森の調査。不審な魔力が観測されたということで、エルメルアリアが駆り出されたのである。理由のわからない『嫌な予感』を感じた彼がフラムリーヴェを呼び、彼女はいつも通りそれに応じた。そして二人は森に踏み込んだ、のだが――
「まさか、森の中心部が丸ごと凍ってるとはな……」
げんなりとしたエルメルアリアの呟きに、フラムリーヴェは深くうなずく。冷え切った二の腕に手を当てかけて、しかしやめた。金属の篭手は肌よりも冷えている。
エルメルアリアの言葉通り、森の中心部は冷気と霜、それから大きな氷に覆われていた。しかも、外からわからぬよう、ご丁寧に結界まで張られていた。寒冷地に生息しているはずの魔物の仔がまぎれこみ、力を暴走させてその一帯を凍らせてしまった。しかも、防衛本能から結界まで張ってしまった、というわけだ。
二人は魔物の仔を死に物狂いで捕獲し、今しがた〈銀星の塔〉の使者に引き渡した。魔物は〈塔〉で検査などを受け、凶暴化の兆しがなければ元の生息地に帰されるはずだ。
一方で、魔物が森にまぎれこんでしまった原因はわからない。「若い精霊人が面白がって持ち込んだのかもな」とエルメルアリアは言っていた。そのあたりは、里長に調べてもらうことになるだろう。
「申し訳ありません。今回はあまり役に立てませんでした」
炎熱と親しい精霊人は、水中や体が冷えた状態では本来の力を振るえない。ただの寒冷地ならまだしも、あそこまで魔力を含んだ冷気に閉ざされてしまっている場所では、お荷物同然であった。
フラムリーヴェがうなだれると、エルメルアリアはかぶりを振る。
「いや、オレとしてはいてくれて助かったけど……。今回ばかりは、あんたの方が無事じゃないんじゃないか?」
「すでに冷気は消えていますし、普段の活動には支障ありません」
「と言う割に、血色が悪い気がするけどなー」
フラムリーヴェの周囲をぐるぐる飛び回り、彼女の眼前で停止したエルメルアリア。少し考え込んだ彼は、その場で指を鳴らした。
「よし、フラムリーヴェ。せっかくだからお茶でも飲んでけ」
「お茶……? どこでですか?」
「オレの家しかないだろ」
当然のように言い返し、エルメルアリアは森の出口の方へ飛ぶ。一方のフラムリーヴェは目を丸くした。
〈翠緑の里〉は、〈枝垂れの森〉を抜けた先にある。地形的には森の一部と言ってもよいのだが、地図上では森と区別されていた。
二人は里を突き抜けるように進んでいく。やがてひと気のない道に入り、大樹の一部が見えてきた。
エルメルアリアが高度を上げる。フラムリーヴェも、それを追うように飛び立った。
瞬間、下から声がかかる。
「あら、フラムリーヴェさん? この里にいらっしゃるなんて、珍しいのね」
フラムリーヴェは下を見る。萌黄色の髪を編みこんでいる女性がこちらを見上げていた。以前どこかで会った、ような気もする。ひとまず会釈しておいた。
「どうも、お邪魔しています」
「ようこそ、我が里へ。それにしてもあなたたち、最近仲がいいわね」
さりげなく付け足された言葉に、フラムリーヴェの心の隅が刺激された。つい、小首をかしげる。
「仲がいい……?」
「フラムリーヴェ! 置いてくぞ!」
先行していたエルメルアリアが、やや不機嫌そうな声で呼ぶ。フラムリーヴェは手を振る女性に頭を下げて、それを追った。
――彼が不機嫌になる理由は、フラムリーヴェにもなんとなくわかる。里の者が彼に向ける視線が、異様なのだ。
表面上にこやかに挨拶するし、世間話もする。しかし、その笑みの下からのぞく感情は、好ましいものではない。畏怖、期待、嫉妬、嘲笑――そのすべてを集めて煮詰めたようで。
部外者の彼女ですら、眉をひそめたくなった。
そのことにはあえて触れず、フラムリーヴェは小さな同胞についていく。人が通るに足る洞をくぐると、エルメルアリアが振り返った。
「ちょっと待っててな。今、客用の椅子を持ってくる」
言うなり彼は家の奥へ飛んでいく。フラムリーヴェは洞を背に立って中を見た。
調度品がどれも小さい。しかも、窓や棚が高い位置に設えられている。さすがにテーブルは『床』にあり、大きさも一般的だが、椅子の方はフラムリーヴェには小さすぎた。
部屋の奥に人間の大人も使える椅子がある。エルメルアリアはそれを指揮術で浮かせて、テーブルの前まで運んでいた。
「よし、お待たせ。適当にくつろいでてくれ」
「……お邪魔します」
一礼して、フラムリーヴェは部屋へ踏み込む。木製の椅子に腰かけて、大樹の家を見回した。
洞の中は想像以上に広く、生活のほとんどが一部屋で済ませられるようになっている。ただ、フラムリーヴェから見て右側の壁面にいびつな穴が開いていて、別室に繋がっているらしかった。
大体の家具は揃っているが、寝具は見当たらない。どこで寝ているのだろう、と少し不安になった。
洞内部のへこみを利用して設けられた調理場で、エルメルアリアが手際よく作業している。香りに気づいたフラムリーヴェは、眉を動かした。
「林檎茶ですか」
「そう。飲んだことあるか?」
何気なく呟くと、調理場の方から声が返る。フラムリーヴェはうなずいた。
「ありますよ。爽やかで好ましい味ですよね」
「好きならよかった」
炎熱の精霊たちが、楽しそうに魔力を吐き出している。ほどなくして、焜炉の上のやかんが騒ぎ出した。
「そういえば、このあたりはポルメ林檎の産地ですね」
「そうそう。林檎の時期になると、匂いがすごい」
「……それは、少し気になります」
他愛のない会話をしている間に、お茶が入った。エルメルアリアは円い盆を器用に支えて飛んでくる。渡されたカップを丁重に受け取って、フラムリーヴェは向かいを見た。
不思議な同胞は、切り株にも似た小さな椅子に座っている。彼の容貌も相まって、一幅の絵のようだ。
緑の瞳に怪訝そうな光がちらついた。フラムリーヴェは我に返る。ひとまず、お茶に口をつけた。優しい味わいが口いっぱいに広がり、爽やかな林檎の香りが鼻を抜ける。熱めのお茶は、冷えた体をほどよく温めた。
「……おいしい」
声がぽろりとこぼれ出る。エルメルアリアが、得意げに腕を組んだ。
「お茶を淹れるのがお上手なんですね。少し意外です」
「なんか一言余計じゃね?」
一転、彼は眉を寄せる。しかし、お茶を飲むとしかめっ面が緩んだ。
「ずっと一人だからな。生活に必要なことは大体できる」
「なるほど」
自分と同じようなものだ。それにしても、器用だとは思うが。フラムリーヴェは相槌を打ちつつ、家主の姿をながめた。
両手でカップを持つ精霊人に、不機嫌の影はない。自宅でお茶を飲んでいるという状況もあるのだろうが――
「多少は信用されているとみてよいのでしょうか」
「……ん? なんか言ったか」
エルメルアリアが小首をかしげる。プラチナブロンドの髪がさらりと流れた。フラムリーヴェは「いえ、なんでも」と答えてカップに口をつけた。
つかの間の沈黙。樹の家に出入りしている精霊が笑いさざめく。
フラムリーヴェは、この家に来る前の出来事を思い出して、目を瞬いた。
「そういえば――私たちは『仲がいい』のでしょうか?」
唐突な質問に、エルメルアリアがぽかんとする。相手の正気を疑うような目をしていたが、すぐに納得した表情で頬杖をついた。
「外で言われたことか。気にしてんのか?」
「気にしているといいますか……純粋に、どうなのだろう、と思いまして」
昨年の一件以降、二人揃って行動することが増えたのは確かだ。しかし、あくまで仕事のためであり、個人的な交流はほとんどない。一見遠慮がないような言動は、おそらく互いの性質からくるものだ。ただそれが、まわりからは仲がいいように映るらしい。
『仲がいい』とはなんなのか。率直な疑問をフラムリーヴェがこぼすと、エルメルアリアも眉を寄せた。
「んー……言われてみれば、よくわかんねえな。オレ、仲がいいって胸張って言える相手なんて、クロしかいねえし」
友人がいたのか、という言葉をのみこんで、フラムリーヴェも身を乗り出す。
「私も、仕事仲間は多いですが、仕事関係なく会う友人はいませんね。里の同胞は家族のようなものですし」
「かといって、オレたちが友達かっていうと……やっぱりわかんねえな」
「わかりませんね」
わからないということがわかっただけだった。
二人してうなった後、ほぼ同時にカップを持ち上げる。残り少ないお茶を飲みほしたエルメルアリアが、ふいに悪戯っぽい笑みを見せた。
「まあでも、もしあんたがオレと友達になりたいっていうんなら、なってやってもいいぜ?」
「なぜそういう話になるんです?」
フラムリーヴェは即座に切り返す。相手はといえば、冷たくあしらわれてもさほど堪えていないようだった。「つれない奴だな」と呟いて体を揺らしている。
フラムリーヴェはため息をついた。しかし、すぐにエルメルアリアの方をうかがう。
――ステアルティードの憶測を聞いた今となっては、その子供っぽい振る舞いですら、どこか無理をしているように映る。あくまで一時的な同情による感じ方の変化だと自覚しながら、戦乙女は炎色のまつげを震わせた。
長年の不信感の蓄積により〈銀星の塔〉を嫌い、里ですら肩身が狭そうな精霊人。自分が彼にとっての『同僚以外の何か』であれるのか。――自分にとって、彼は今、どういう存在なのか。
遠く、鳥のさえずりに耳を傾けて、フラムリーヴェは考えた。そして、唇を開く。
「そうですね。いきなり友と名乗るのは少し違和感があるので――」
きょとんとした彼を見て、フラムリーヴェはほほ笑んだ。
自然と、朗らかに。
「――『友達予備軍』というところで、いかがでしょうか?」
彼女が得意げに告げると、エルメルアリアは若葉の色をした目をみはる。しばらく沈黙したのちに、思いっきり吹き出した。
清らかな笑声が大樹の洞に響き渡る。聞き惚れてしまったフラムリーヴェの前で、エルメルアリアが腹を抱えて笑っていた。
「なんだよ、それ。聞いたことねえ。……でも、悪くないな」
その表情は、純真な子供のようで。
彼は、カップを置いてひらりと舞い上がる。フラムリーヴェと目線を合わせた。
「いいぜ。そういうことにしておこう」
「――では、そういうことで。よろしくお願いします、エルメルアリア」
小さな手を差し出して。その手をさながら騎士のように取る。
互いの関係に名をつけた二人は、悪戯を企むように笑いあった。
『友達予備軍』となってからも、二人のやることは変わらない。〈銀星の塔〉では挨拶を交わす程度。時折仕事を共にして、気が向いたら世間話をする。
だが――やがて環境の方に変化が訪れた。
他の精霊人とともに緊急招集を受けた二人は、別々に天地内界へと降り立った。
運命的な出会いを経て、二人が思わぬ再会を果たすのは、任務開始から二月後のことである。
(間章Ⅱ 風と炎のエンカウンター・完)




