間章Ⅱ-3 軋む心
〈雪白の里〉周辺での魔物制圧戦から数日後。フラムリーヴェは〈銀星の塔〉を訪れた。
先の仕事の報告は、制圧完了と共に終わらせている。今日はステアルティードを探していた。
幸い、探し人はすぐに見つかった――が。何やら深刻な様子である。
「ステアルティード様? どうなさったのです」
フラムリーヴェは、思わずそう声をかけた。
よほど考え込んでいたのだろう。二拍ほどの間があってから、ステアルティードは慌てた様子で顔を上げた。
「あ、フラムリーヴェ殿。失礼しました」
「いえ。何か心配事でもおありですか」
「ああいえ、大したことでは……」言いかけたステアルティードは、しかし顎に指をかける。
「いや、貴殿にお願いするべきか」
呟いた彼は、まっすぐにフラムリーヴェを見た。
「フラムリーヴェ殿。エルメルアリアの様子を見てきていただけませんか」
思いがけない名を聞いて、フラムリーヴェは目を丸くする。
「エルメルアリアの?」
「はい。……先日の魔物制圧戦についての詳細報告が、まだ来ていないのです。制圧が完了したことは、当日に使い鳥を介して連絡があったのですが」
制圧完了後に連絡が取れなくなったということか。
フラムリーヴェは、白いタイルをにらみつける。変わらず手入れが行き届いているはずなのだが、今は白がくすんで見えた。
彼女の厳しい表情をどう取ったのか、事務官の青年は苦しそうに言葉を繋ぐ。
「自由奔放な奴ですが、必要な報告を怠る精霊人ではありません。何らかの理由で来られなくなっている可能性があります。かと言って、私が直接赴けば、彼にいらぬ刺激を与えかねない。見たところ、貴殿とはそれなりに話ができる様子でしたので……」
「だから、私に話を聞いてきてほしい、ということですか」
「はい。無理を言っているのは承知の上です。それでも……お願いできませんか」
ステアルティードが頭を下げる。くすんだ金髪がひと房、肩からこぼれ落ちた。
戦乙女は迷わずうなずく。
「わかりました。……彼の所属先は〈翠緑の里〉でしたね」
「はい。里の外れにある、大樹の家に住んでいます」
そう言った後、重々しく感謝を述べた事務官に、フラムリーヴェは一礼してみせる。それから急いで準備を整え、〈翠緑の里〉方面に向かって飛び出した。
〈銀星の都〉と〈翠緑の里〉の間には〈枝垂れの森〉という場所がある。その名の通り立派な木々が生い茂り、垂れた枝が空を覆い隠していた。
フラムリーヴェは、昼間でも薄暗い森を滑空する。眼下に点々と生えている、光るキノコが数少ない明かりだった。
しばし無言の無表情で飛んでいたが、あるとき眉を跳ね上げた。近くの太い枝の上で止まる。息をひそめて、周囲に視線を走らせた。
魔力が動いている。
精霊も、いつもより騒がしい。何か訴えているが、声がぶれて詳しい内容がわからない。
もう少しよく聴こうと、フラムリーヴェが耳をそばだてたとき。
『あぁっ! 精霊人様がいらっしゃったぁ~!』
気の抜けるような声が、下から響いた。その正体をおぼろげながら察したフラムリーヴェは、枝を蹴って飛び降りる。
木の下に、一匹のリスがいた。フラムリーヴェは身をかがめ、そのリスに話しかける。
「憑依精霊ですね」
『はい、そうですぅ』
案の定、リスから返答があった。少女のような高い声だ。
「私に何かご用でしょうか」
『あのあの、あのですね! 私たちのお友達を助けてほしいんですぅ~! 〈都〉に向かってたみたいなんですけど、体調が悪そうで、途中で動けなくなっちゃってぇ~!』
リスは後ろ足で立ち上がり、小さな前足をぶんぶん振って訴えた。
〈都〉に向かっていた。その一言が、フラムリーヴェの胸をまたざわつかせた。詰め寄りたいのをぐっとこらえて、彼女は静かな声を返す。
「わかりました。ご友人のもとへ案内していただけますか」
『はいですぅ! こちらですぅ!』
リスはすぐさま駆け出して、木々の間を潜り抜けてゆく。フラムリーヴェも、憑依精霊を見失わぬよう飛び出した。
道なき道を進んだ後。開けた空間が眼下に見える。そこで、リスがぴたりと立ち止まった。つぶらな瞳をフラムリーヴェに向ける。
リスの向こう、ほかと比べて太い木の根元に、誰かが倒れているようだった。
――薄暗がりでも目立つプラチナブロンドの髪が、草地の上に広がっている。それを認めたフラムリーヴェは、考えるより先に飛び出した。
「エルメルアリア!」
『お知り合いでしたかぁ』というリスの声に応えている余裕はない。フラムリーヴェはすぐさま同胞をのぞきこんだ。
顔色がかなり悪い。額に汗がにじんでいる。右肩に包帯が巻かれていたが、はっきり言ってあまり上手ではなかった。処置に不慣れな者が頑張って巻いたようだ。隙間だらけの白い布の下から、血とは違う液体がしみ出してきている。
「エルメルアリア! わかりますか!」
フラムリーヴェは声を張って呼びかける。つかの間、森の中であることを忘れていた。
幸い、すぐに反応があった。眉がぴくりと動いて、瞼が開く。赤紫色の瞳が濁って見えた。
「……あん、た……なんで……ここに、い……」
かすれた声が、質問を紡ぐ。しかし、途中で霞んで消えた。フラムリーヴェは強くかぶりを振る。
「説明は後ほど。これ以上、無理にしゃべらないで」
ぴしゃりと言ったフラムリーヴェは、あっちへこっちへ走っているリスを振り返る。「憑依精霊さん」と呼びかけると、彼――あるいは彼女――は急停止して立ち上がった。
『は、はいぃ!』
「〈藤黄の里〉のステアルティードをご存知ですか」
『はい。いつもよくしてくださいますぅ。〈都〉の別邸にお邪魔したこともありますぅ』
フラムリーヴェは顔をほころばせる。そこまで親しいとは、助かることこの上ない。
「では、大至急彼を呼んできてください。今は〈銀星の塔〉にいらっしゃるはずです」
『わ、わかりましたぁ! 同胞たちにも呼びかけますぅ!』
リスはその場で鳴き声を上げた。通常の獣とはまるで違う音色である。不思議な響きはあちこちに飛び散り、精霊たちを突き動かしたようだった。そして、リスも来た道を戻るように駆け出す。
特徴的な尾を見送って、フラムリーヴェは目を戻す。小さな精霊人が、ぐったりと身を横たえていた。
※
しばらくして、ステアルティードとリスが連れだってやってきた。いつも難しい顔をしている青年は、エルメルアリアを見ると血相を変えた。すぐさま救急箱を持ち出して――リスに、必要になるとでも言われたのだろう――肩の傷に改めて応急処置をほどこした。
その後、怪我人を連れた二人は、人目を忍んで〈都〉へ戻った。そのままステアルティードの家へ向かう。普段〈銀星の塔〉で仕事をしている彼は、里の家とは別の拠点を持っていたのだった。
なぜ医院ではなく彼の家に向かったのか――フラムリーヴェは首をかしげたが、ひとまず問いはのみこんだ。ステアルティードのことだ、何か意図があるのだろう。
「ありがとうございました、フラムリーヴェ殿。せっかくですので、こちらで少し休まれてください」
ステアルティードはそう言い置いて、エルメルアリアを寝室らしき部屋に運び込んだ。
客間にひとり残される形となったフラムリーヴェは、ひとまず手ごろなソファに腰かける。客人は客人らしくしておくのが最善だ。
何とはなしに部屋を見回す。
ステアルティードは、どちらかと言えば『人間寄り』の精霊人だ。だからか、家の大きさも構造も天地内界の人家に近い。広々とした部屋には温かみのある絨毯が敷かれ、テーブルや小さなソファが複数配置されている。無秩序に見えて動線はしっかり確保されていた。品のいい絵画や花々が、そこに彩りを添えている。
ややあって。柄にもなくまどろんでいたフラムリーヴェは、かすかな人の声を聞いて目を開けた。魔力の動きで状況を察し、しばし膝の上で手を握ったり開いたりしていた。それを二十回ほど繰り返したところで、意を決して立ち上がる。
なるべく調度品に手を触れないようにしながら、声のする方へ歩く。つややかな木の扉と向き合ったとき、話し声が流れてきた。
『まったく。なぜそんな状態で動き回ったんだ。こうなることくらい、わかっていただろう』
『報告に来いっつったのはそっちだろ』
『怪我を押してまで来いとは言っていない』
ステアルティードとエルメルアリアが、話している。後者の声は明らかに精彩を欠いていたが、〈枝垂れの森〉で発見したときよりは元気そうだ。フラムリーヴェの肩から力が抜ける。
『第一、なぜ医院で治療を受けなかった? いくら精霊寄りの貴様でも、ただ自然治癒を待てる傷ではなかろう』
『行ったって同じことだ。痛み止めしかくれないからな』
『――は?』
ステアルティードの声が裏返る。フラムリーヴェも、目をみはった。
『そんなわけがあるか。〈翠緑の里〉の医院だぞ?』
『言いたいことはわかるけどな。オレに対してはずっとそうだよ、連中は』
エルメルアリアの声が、数段低くなる。
フラムリーヴェは唇を噛んだ。
――おかしい。何かがおかしい。制圧戦の日と同じ言葉が、頭の中で繰り返し鳴り響く。
『とにかく、あまり無理をするな。体調が悪いときは連絡しろ。使い鳥を介してでも、シェマデール様を通じてでも構わん』
『……連絡したら配慮してくれんのかよ』
『……? 当たり前だろう』
『うそつけ』
声に、火が点いた。
フラムリーヴェが、まずい、と思ったとき――
『嘘なものか。急に不機嫌になってどうした――』
ステアルティードの言葉をさえぎって、騒がしい物音がした。フラムリーヴェは、とっさに踏み出し扉を開ける。瞬間、怒声が鼓膜を震わせた。
「いいや嘘だ! 大嘘だ! 〈塔〉の連中が、今まで何をしてくれた!?」
――部屋の奥。寝台で身を起こしたエルメルアリアが、無理やりステアルティードの胸倉をつかんでいる。つかまれた側は呆気にとられていた。意味がわからない、と、縮んだ金色の瞳が語っている。
二人が動けないでいる間にも、エルメルアリアの顔がゆがんだ。
「今さらこんな真似して、わかったようなこと言って! ご機嫌取りか、ふざけんな!」
「待て、エルメルアリア。何の話を――」
「オレが廃人になろうがなんだろうが、構いやしないくせに!!」
ひときわ大きな一声を聞いた瞬間、ステアルティードが何かに気づいたように息をのんだ。それを見てか、エルメルアリアもぴたりと怒鳴るのをやめた。潤んだ瞳をさ迷わせ、唇を震わせて、言葉の形に動かそうとしたところで――ずるりと崩れ落ちた。
「エルメルアリア!!」
男女の声が重なる。
フラムリーヴェは、躊躇なく寝台のそばへ駆け寄った。とっさに反応できない事務官に代わって、エルメルアリアの体を支える。
吐息が嫌な熱を帯びている。フラムリーヴェは、彼の額に自分の額を触れさせた。一瞬ひるんでしまうほどの熱が、伝わってくる。
「あなたという人は……無理をするなと言われたばかりでしょう。寝ていなさい」
額を離し、あえて尖った声で言う。相手から反論がないことを確かめると、その体を寝台に横たえて、問答無用で布団をかけた。次いで、珍しくうろたえている青年を振り返る。
「ステアルティード様も――」
怪我人を刺激するな、と言おうとして、思いとどまった。刺激するつもりは、彼にはなかったはずだ。
「――お説教はほどほどになさってください。相手の心身に負担をかけますので」
微妙に言葉を変えて伝えると、ステアルティードはわかりやすくうなだれる。
「面目ない」
沈んだ謝罪は、双方に向けたものだろう。
フラムリーヴェは小さくうなずいたが、エルメルアリアは何も反応しなかった。




