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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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63 家族の約束

 そして、翌日。ヒワたちは予定通り宿を引き払うこととなった。


「ロレンス、ほんとに大丈夫?」

「多分大丈夫……少なくとも、列車に乗るまではくたばらない、と思う」


 手続きを済ませたロレンスの足取りは頼りない。が、昨日のことを思えば、動けている分まだ()()だった。彼の手を取ったフラムリーヴェが、あいている方で拳を握る。


「ご安心を。いざとなったら、また私が抱えていきます」

「あ、うん。ありがと……。でも、あれは恥ずかしいからおんぶでお願い」

「いいじゃない。〈浄化の戦乙女〉にお姫様抱っこされるなんて、普通はしたくてもできない経験よ?」

「いや、俺、別にそういう願望ないし。てかはっきり言わないで。思い出すから」


 顔を覆ったロレンスをカトリーヌがつつく。かしましい二人を見て、エルメルアリアが両手を挙げた。


「朝から騒がしい奴らだな。ま、具合悪いよりはいいか」

「あなたにだけは言われたくないと思いますよ。パヴォーネ・コーダでのあなたの様子、今から語ってさしあげましょうか」

「や、め、ろ! あの話、まだ気にしてるのかよ!」

「当たり前です。答えを聞いていませんからね」


 精霊人(スピリヤ)は精霊人で、十分に騒がしい。すぐそばでそれを聞いていたヒワは、こっそり苦笑した。――フラムリーヴェがエルメルアリアを問い詰めたことを知らないので、少し引っかかりは感じていたが。


 駅までは、またミケーレたちが馬車で送ってくれる。ヒワは、車内で改めて定例会議のことを報告した。


 ロレンスがしみじみと呟く。


「特待かあ。先を越されたな」


 後半の一言には、ほんのわずか、羨望がにじみ出ている。ヒワは曖昧に笑った。


「いやいや、わたしのは期限付きの認定だから。『任務後に認定を受けたい場合は、改めて支部に来てください』って言われたよ。支部長さんの笑顔がちょっと怖かった」


 エルメルアリアとカトリーヌが顔を見合わせる。


「あー……目ぇつけられたな、ヒワ」

「お気の毒に……」

「えっ、何それどういう意味? 怖いんだけど?」


 ヒワが肩を抱いて身震いすると、同乗していたミケーレまでもが憐憫の目を向ける。


「なんというか……強く生きてくださいね」

「だからどういう意味!?」


 ヒワの絶叫は、馬蹄の響きと御者の掛け声にかき消された。



 駅前でミケーレたちとは別れたが、すぐに別の人物と合流することになる。改札が見えてきたところで、低い声がヒワを呼び止めた。振り返った彼女は、思わず高い声を上げる。


「お父さん!」

「同じ列車か」


 トウマは、いつもの困ったような笑みを浮かべた。エルメルアリアとカトリーヌに気づくと、会釈する。


「あれ、トウマさん?」


 息を整えていたロレンスが目を丸くした。トウマの方も、娘の友人に気づいて眉を上げる。


「ロレンスくん。そっか、一緒だって言ってたもんな」

「ども。お久しぶりです」


 ロレンスがぺこりと頭を下げると、トウマも穏やかに「久しぶり」と返した。


 一人増えた一行は、たわいもない話をしながら列車の乗り場へ向かう。その途中、トウマがふとヒワに尋ねた。


「そういえば、ヒワ。お母さんになんて言って出てきたんだ?」


 ヒワは、一瞬足を止めた。健康そのもののはずなのだが、お腹に痛みが走る。事情を知るエルメルアリアやカトリーヌも、気まずそうに二人を見比べた。


「その……王都に行くとしか、言ってない」

「へえ。よくお母さんが納得したなあ」

「いや、してないと思う。その話したときに、ちょっと喧嘩っぽくなっちゃって、そのままだから……」


 ヒワの口ぶりと表情から、家で起きたことを察したのだろう。父は顔を引きつらせて、うめいた。ヒワはいたたまれなくなって、頭を抱える。


「どうしよう。なんて言おう。怒られる気しかしない」

「そんなに悩むことか? ヒワ、説明はちゃんとできるじゃないか」

「え?」


 ヒワは弾かれたように顔を上げる。視線の先の父が、自分の顔を指さした。


「説明してくれただろ。お父さんに。おんなじように、お母さんにも話せばいいと思う」


 迷いのない父の言葉を、しかしヒワは素直に受け入れられなかった。鞄の紐を握りしめて、足もとのタイルをにらむ。


「でも……話せないことがあるって言っても納得してなかったし……」

「それ、だいぶ端折ったんじゃないか? 順を追って説明して、守秘義務があるって言えば、お母さんもしつこく訊いてきたりしないよ」

「そうかなあ」

「そうそう。――考えてもみな。お父さんなんて、家族に言えないことだらけだ」


 父は、おどけて眉を上げる。驚いてその顔を見たヒワは、けれどすぐに得心した。父の仕事を考えれば、当然である。


「そ、っか。患者さんの情報は、家族にも言っちゃだめか」

「そういう意味では、ヒワもお父さんも似たような仕事をしてる、ってわけだ」

「そっか。……なんだ、そっかあ」


 ヒワは、気の抜けた笑みを浮かべる。急に、自分の悩みが馬鹿馬鹿しく思えてきた。ふわふわと近づいてきたエルメルアリアの手を意味もなく握る。彼は不思議そうにしていたが、やはり意味もなく握り返した。仲のいい二人を見て、父は嬉しそうに目を細める。


「お父さんもいるから、大丈夫。なんとかなるさ」

「あと、オレもな。もう隠れる意味ねえし」


 父を一瞥したエルメルアリアが不敵に笑う。ヒワも、釣られてほほ笑んだ。


 ほんわかと団結する三人をながめながら、カトリーヌがわざとらしく頬に手を当てる。


「私と一緒に考えなくても大丈夫そうね、ヒワ」

「いや、待って。一緒に考えて。まだ頭の中が整理しきれてないから」

「そうなの? それじゃあ、しょうがないわね」


 ヒワが慌てて引き留めると、カトリーヌはころころと笑った。言葉とは裏腹に、楽しそうだ。


 たちまちにぎやかになった少女たちを、少年が見守る。


「なんか、いいな。ああいうの」


 ひとり目を伏せた彼に、戦乙女が寄り添った。



     ※



 途中でカトリーヌと別れ、列車に揺られる長旅の末、ヒワたちはジラソーレに帰ってきた。


「いやあ。懐かしいな、この空気」


 駅を出て、開口一番そう言った父を見て、ヒワはくすりと笑った。


 住宅街の近くで、ロレンスたちとも別れる。「健闘を祈る」と差し出された拳に、ヒワとエルメルアリアが自分の拳を合わせた。


 その後は、久しぶりの親子の時間だ。今までと少し違うのは、精霊人(スピリヤ)がそばにいることか。たわいもない話を挟みつつ、最後の『作戦会議』をした。


 見慣れた集合住宅に辿り着く。夕闇が迫る中、ぽつぽつと明かりが灯りはじめていた。スノハラ家の窓からも、暖色の光がこぼれている。


 ヒワは、深呼吸した。父に背を押され、扉を開ける。


「――ただいま」


 声が揃った。数秒後、忙しない足音とともにコノメが飛び出してきた。何かを言いかけた状態で、人形のように固まる。

「……お父さんとヒワ、なんで一緒なの?」

「王都でたまたま合流したんで、そのまま帰ってきた」

「たまたま合流できるもん? クッソ広いじゃん、王都」


 コノメは、鹿と植物柄のタオルを持ったまま、ふらふらと歩いてくる。やや遅れて、母も顔を出した。こちらは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにいつも通り「おかえり」と声をかけた。


「王都に魔物が出たって話あったけど……大丈夫だった?」

「ちゃんと避難したから大丈夫。どうなるかと思ったけどなあ」


 家族の会話は穏やかな小川のように流れていく。全員が居間に入ったところで、ヒワは母を見上げた。


「……ねえ、お母さん」

「ん?」

「話しておきたいことが、あるんだけど」


 しぼり出すように言うと、居間の空気がわずかに張りつめた。



 家族で食事用の机を囲む。母が淹れたお茶が、四人の前で湯気を立ち昇らせている。


 ヒワは、ぽつぽつと今までのことを打ち明けた。時間はかかってしまったが、三人ともじっと耳を傾けていた。


 王都での出来事を話したところで、一度口を閉じる。恐る恐る、家族の反応をうかがった。


 すでに事情を知っている父はともかく、母と姉は唖然としていた。言葉も出ない母の横で、コノメがわずかに身を乗り出す。


「精霊人? 契約? それ、まじ?」

「……まじ」


 引きつった笑みを浮かべたヒワは、天井に目を向ける。「エラ」と呼びかけると、風が額をなでた。コノメが軽く目をみはる。


 そして、やわらかな光の中から、小さな少年が現れた。髪と衣を天の息吹に遊ばせてヒワのそばへと下りてきたエルメルアリアは、両目をきらめかせる。


「お、さっそく出番か」

「出番と言うか……まあ、そうだね」

「よし。なら――」


 エルメルアリアはヒワの肩を軽く押して浮き上がる。女性と少女を見据え、流れるように一礼した。


「お初にお目にかかる。オレはエルメルアリア。天外界(てんがいかい)は〈翠緑の里〉所属の精霊人で――今はヒワと契約している」


 威厳に満ちた口上に、ヒワは頬を引きつらせた。自分にはそんな挨拶しなかったじゃないか、という思いをぐっとのみこむ。


 初めて精霊人を見た二人は、戸惑いつつも、どうも、と会釈していた。一周回って冷静になったようだ。一拍のの後、コノメが手を叩いた。


「……なんか聞いたことあると思ったら! 近代史の授業で出てきた名前だ」


 長女の言葉に、家族全員が目を剥いた。ヒワも例外ではない。


「え? わたし、知らなかったけど?」

「ああ、先生の雑談の中に出てきたって意味だからね。教科書に載ってたかどうかは……覚えてない」

「ふうん。なんにせよ、内界でもオレの名が知れ渡ってるってわけだ」


 エルメルアリアは得意げに笑ったが、すぐに表情を引き締める。ヒワの目線ほどにまで下りてくると、精霊指揮士(コンダクター)でない三人に対して、契約の何たるかを説明した。本来の指揮術における使い魔契約のことから、相手が精霊人の場合どうなるか、という点まで。


 それを聞いた母は、ヒワに厳しい視線を向ける。


「こんな重要なこと、なんで今まで黙ってたの? 守秘義務があるにしたって、話せることはあったでしょ?」


 ヒワはうめいた。当然の非難で、言われるであろうと覚悟もしていたが、いざ現実になると堪える。


「……最初は、言っても信じてもらえないだろうと思ったから。心配、かけるし……契約なんてやめろって言われたら、嫌――」

「だからって、黙ってたら余計心配するでしょ」


 鋭い声が飛ぶ。ヒワは、反射的に背中を丸めた。(まなじり)をつり上げた母が、言い募る。


「全部上手く隠し通せてると思ったの? 確かに契約なんてことは知らなかったけど、ヒワの様子がおかしいことくらい、前から気づいてた。触れられたくなさそうだったから見逃してたけどね――」

「――レナ」


 言葉の濁流を、低い声が止める。ヒワの隣に座る父が、静かなまなざしを伴侶に向けていた。


「まだ、ヒワが話してるだろう」


 あくまで穏やかに、しかし有無を言わさぬ強さをもって、諫める。母は小さく息をのむと、気まずそうに口を閉ざした。一方、話す機会を与えられた娘の方も、黙ってうなだれる。


 父は、さらに気まずそうなエルメルアリアを一瞥した後、ヒワに目を向けた。


「ヒワ。『契約なんてやめろ』って止められるのが嫌だったんだな?」

「う、ん」


 ヒワは(うべな)って、自分で驚いた。心配をかけたくない、という気持ちの裏にあった本音を、初めて自覚したからである。


 母は物言いたげだったが、父はいつもの困ったような笑みを浮かべた。


「って言うことは、だ。精霊指揮士の活動を続けたいわけだな。『任務』とやらも」

「うん」


 はっきりと、うなずいて。ヒワは対面の家族を見据えた。


「わたし、続けたい。今の活動も、エラとの契約も」

「……どうして? 危険だよ。一歩間違えたら、死ぬかもしれないよ」

「わかってる」


 今度は目を逸らさない。ヒワは、続けた。


「それでも。コノメやお母さんやお父さんに、あんな思いはしてほしくないから。それに、怖いこともたくさんあるけど、後悔はしてないんだ。やりがいもあるし、色んなことを学べてるし――」


 そこまで言って、かたわらで浮いている精霊人を振り返る。彼は契約者の視線に気づくと、きょとんと首をかしげた。ヒワは、苦笑してかぶりを振る。「だから、やりたい」と念を押すように締めくくった。


 コノメは特に大きな反応を示さない。一家団欒のときと変わらない様子でお茶をすすっている。一方、母は参ったと言わんばかりに顔をゆがめ、父を見た。


「お父さんはいいの? ヒワのこと、止めようと思わなかったの?」

「思わないなあ。経緯が特殊とはいえ、協会から認定もらえるくらいだ。精霊指揮士として、ちゃんとやってたってことだろ。だったら、門外漢の俺たちが口出ししない方がいい」


 腕組みして、ヒワを振り返る。


「例えばこれで、学校をさぼりまくってたとか、生活に支障が出てるとかだったらまずいけど……そういうわけじゃないんだろ? お母さんも見て見ぬふりしてたわけだし」

「そだね。あの事件のすぐ後はともかく、それ以外は普通に学校行ってたよ。運動なんか始めちゃって、今までよりいきいきしてたくらい」


 コノメがのんびりと口を挟む。ね、と彼女が言うと、母は嫌々ながらも肯定した。父は、ふっと口もとをほころばせる。


「だったら、見守ってやってもいいんじゃないか」

「そりゃ、ただ精霊指揮士になるんなら、私だって反対しないよ。でも、そうじゃないでしょ。詳しくは聞かないけど、危ないことをやってるんでしょう?」


 母の渋面はやわらがない。ヒワは、罪悪感ともどかしさで再び縮こまった。そこで、成り行きを見守っていたエルメルアリアが咳ばらいをする。


「危険だっていうのは否定しない。実際、任務の過程で、あの商店街に現れたような魔物と対峙するわけだし」


 全員の視線が精霊人に集中する。神妙な顔をしていた彼はしかし、すぐに不敵な笑みを浮かべた。


「けど、大丈夫だ。オレがついてるからな」


 エルメルアリアは胸を反らす。驕りではない、積み上げられた自信と誇りが表情ににじみ出ていた。


「このエルメルアリアがいる限り、ヒワに万が一のことは起きない。どこに行っても、何があっても、無事に家へ帰す。〈銀星(ぎんせい)の塔〉と我が名にかけて、約束する」


 その言葉は、ヒワの胸をも打った。そして、ふと気づく。エルメルアリアと契約して以降、一度も怪我らしい怪我をしていないことに。


 我知らず、髪留めに手を触れる。


 それを見つけたコノメが愉快そうに口の端を持ち上げたが、気づいたのは父だけだった。


 乾いた沈黙が落ちる。――しばし後、それを破ったのは、母のかすかなため息だった。目を閉じて、机上で手を組んでいた彼女は、ゆっくりと瞼を上げた。


「……わかった」


 ヒワは軽く目をみはる。エルメルアリアは眉ひとつ動かさない。


 二人に対し、母は夜風のごとき声で告げた。


「ヒワが――ううん、()()()()()がそこまで言うなら、私も止めない。精霊指揮士として、しっかりやりな」

「えっ……あ、ありがと……!」


 初めてエルメルアリアを見たときに似た驚きが頭をかすめた後、温かな感情がヒワの胸を満たす。おずおずと頭を下げた彼女に、母は釘を刺した。


「ただし、二つだけ約束して」


 ヒワは、じっと母の目を見つめる。――正確には、気圧(けお)されて視線を逸らせなくなっていた。


「ひとつ。任務で出かけるときは、行先を私かコノメに伝えること。今までみたいな嘘やごまかしはなし。私も、怒ったり引き留めたりしないようにするから、ヒワも正直に言って」

「……わかった」


 ヒワは、緊張しつつもはっきりと言う。契約と活動の続行を認めてもらう以上は、そのくらいの誠意は見せなければ、と思った。


 それまでずっとこわばっていた母の顔が、少し緩む。いくらかやわらかな語調で「ふたつ」と続ける。


「任務が終わったら、家に帰ってくること」


 言葉には、切実な思いがにじんでいた。ヒワは思わず膝の上で拳を握る。


「時間がかかってもいい。どうしても必要なら、危ないことをしてもいい。でも――必ず、無事に帰ってきて」


 精霊人の宣言を聞いていなかったわけではないだろう。それでも母は、真剣に言った。ヒワは深呼吸して、エルメルアリアと目を合わせる。彼がうなずいたのを確かめて、再び正面を向いた。


「うん。約束する」


 ヒワが言い切ると、ようやく母の顔に笑みが戻ってくる。隣にいたコノメの肩も、ふっと下がった。


 また、細く息を吐いた母は、次女のそばにいる少年を見上げた。


「エルメルアリアさん、でしたか」

「……ん? ああ」


 呼ばれたエルメルアリアが、ぴくりと肩を震わせる。珍しく緊張した様子の彼に、母がほほ笑んだ。


「先日は、娘を助けてくださって、ありがとうございました。これからも、どうかよろしくお願いします」


 エルメルアリアは意外そうに目をしばたたく。ややして、言葉の意味を察すると、白い歯を見せて笑った。


「当然のことをしたまでだ。そして――今後もそれは変わらない」


 彼が爽やかに言い切ると、ようやくスノハラ家にいつもの空気が戻ってきた。エルメルアリアに頭を下げ、そして上げた母は、晴れ晴れとした表情で手を叩く。


「堅苦しい話はおしまい。協会への連絡は明日するとして……今は夕飯の準備しなきゃ。ヒワの特待精霊指揮士認定記念ってことで、豪勢にしよ!」

「おっ。いいねえ」


 コノメが、頬杖をついて悪そうな笑みを見せる。母は笑顔のまま、彼女に何かを差し出した。食材が詰まった買い物かごである。


「コノメは手伝いなさい」

「なんであたしだけ」

「あんただけじゃないよ。お父さんも」


 普段、料理には駆り出されない――掃除や買い物などを任される――父が、目を丸くする。母は得意げに腕まくりした。


「何せ、今日は()()()作らなきゃいけないからね。働いてもらうよ」


 ヒワは顔を輝かせる。ほかの家族は納得する。エルメルアリアだけが、怪訝そうに首をかしげた。


「オレも数に入ってるのか?」

「もちろん」


 スノハラ家の面々は、何を当たり前のことを、と言わんばかりにうなずく。直後、母が尋ねた。


「……あ、もしかして、内界(ないかい)の食べ物が食べられないとか、あります?」

「いや、それはない。強いて言えば、人間ほどたくさん食べる必要がないくらいか」

「でしたら。夕食、ぜひ食べていってください」


 初対面の女性の提案に、エルメルアリアは目を白黒させた。


「でも……いいのか? 部外者だぜ?」

「アルクスの民は、そんなこと気にしません。まあ、私は半分ヒダカ人ですけどね」


 そう言って笑った母の隣で、買い物かごから食材を取り出していたコノメが追随する。


「ていうか、ヒワの使い魔って考えたら、家族も同然でしょ。……ま、精霊人は『人』だけど」


 エルメルアリアは、心底驚いたという表情で固まった。ヒワは、家族の言葉に安堵して、彼を振り仰ぐ。


「一緒に食べようよ、エラ。お母さんは、私の百倍料理が上手なんだよ」


 そそのかすように言うと、エルメルアリアの頭が動く。我に返ったらしい彼は、はにかんで言った。


「そ……そういうことなら……同席しよっ、かな」

「やった!」

「よっしゃ。なんかやる気出てきた」


 返答を聞いた姉妹が、両手を合わせて笑いあう。それから、みんなが自然と台所に集まって、夕食の支度が始まった。



 ちなみに。


「あ、そうだ。これお土産」

「え、味噌?」

「どうしたの、これ」

「講演会に来てた先生からもらった。味噌づくりに挑戦したから、本場の人に味見してほしいって。少し食べてみたけど、なかなかいけるぞ」

「みそ汁が飲める……久々のみそ汁……!」

「泣くほど嬉しいことなのか……」


 ――そんなやり取りがあったというのは、余談である。

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