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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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62 もうひとつの、父子の対話

 間もなく、ヒワたちは会議室から追い出された。丁寧に退出をうながされ、エリゼオが外まで案内してくれたのだが、どうにも『追い出された』という表現がしっくりくる雰囲気である。ヒワが震える手足をどうにか動かして歩いていると、前から人が駆けてきた。


「あ、ヒワ! 聴き取り調査、終わったのね」


 手を振りながらやってきたのは、カトリーヌ・フィオローネだ。


 二人が目を丸くしている間に、カトリーヌはヒワの手を握る。


「どうだった? あの練習、少しは役に立ったかしら」


 ヒワは何も返せない。朗らかな笑顔を見つめているうち、両目からぽろりと涙がこぼれ出る。


 カトリーヌとエルメルアリアが、それぞれ驚いたように目をみはる。ヒワは慌ててごまかそうとしたが、自分の意志で止められるものでもなかった。勝手にあふれ出る涙は、頬を濡らして服に染み込むまで伝い落ちる。


「あらあら、大丈夫? 怖いおじ様がいたかしら?」

「わ、かんない……なんか……ほっとしたら、かってに……」


 しゃくりあげながらそこまで言って、ヒワは幼子のように目もとをこすった。カトリーヌが、「そう」とほほ笑んで、花柄のハンカチで涙をぬぐう。エルメルアリアがぽんぽんと背中を叩いた。


「よく頑張ったわね。お疲れ様」

「お疲れ。最後のあれは、なかなかよかったぜ」

「へええ、何を言ったの? 気になっちゃうわね」


 飾り気のない一言が、やり取りが、ぬくもりとなってヒワの内に染み込んでいく。涙に濡れた顔のままで、ヒワは不格好に笑った。


 その後、三人は連れだって、協会支部の門前まで出た。近くに(しつら)えられていたベンチに座って、ヒワが落ち着くのを待つ。その間、カトリーヌが町の様子などを教えてくれた。ちなみに、ロレンスはヒワがここに着いたであろう頃にようやく起きたが、疲労と筋肉痛でベッドから出られないという。


「明日、帰りの列車に乗る予定だけど……どうなるかしらね」

「どうだろうね。無理しないのが一番だけど」


 ヒワは、腫れぼったい目もとを隠して相槌を打つ。時々しゃくりあげてしまうが、普通に話せるようにはなってきていた。


 ふと、エルメルアリアが顎を動かす。不思議そうに目を開いていた。それが気になったヒワは、尋ねようと顔を上げ――え、とささやいた。


「ヒワ! やっと見つけた……!」


 通りの方から、男性が息せき切って駆けてくる。エルメルアリアは首をかしげ、カトリーヌは「あら」と呟いていた。ヒワはどちらの様子にも気づいていない。思わずベンチから立ち上がり、男性を指さした。


「お、お父さん!?」


 ひっくり返った声で呼ぶと、父は娘が見たことのないような笑みをこぼした。


「会えてよかった。昨日見つからなかったから、何かあったのかと」

「大げさな……ってか、なんでいるの?」


 ヒワが詰め寄ると、父は首をかしげる。


「なんでって。講演会聴きにきた。毎年のやつ。お母さんから聞いてなかったか?」

「あ、あー……。そういえば、聞いた、ような……?」


 ヒワはいつかの食卓を思い出したが、霧がかかったようで、詳細な言葉は聞こえてこない。頬をかいていると、父が眉を寄せる。


「ヒワこそ、なんで王都にいるんだ。昨日、避難中におまえを見たって聞いて、心臓止まるかと思ったぞ」


 ヒワは声を詰まらせる。避難中ということは、町に魔物があふれていたときだ。あの状況で、いるはずのない娘を見たと聞けば、心配どころでは済まないだろう。


 ヒワが黙っている横で、カトリーヌが手を叩く。


「やっぱりヒワのお父様だったのね。スノハラなんて姓、ほかで聞いたことないから、そうだろうとは思ったけど」

「カティ、知ってるの!?」


 ヒワは勢いよく先輩を振り返る。カトリーヌはなぜか楽しそうに「たまたま会話を聞いただけよ」と答えた。そして、怪訝そうにしている男性に向かって一礼する。


「はじめまして。精霊指揮士(コンダクター)のカトリーヌ・フィオローネと申します。ヒワさんのお友達です」


 詳細を端折って友人と言い切ったカトリーヌは、ふわりと笑う。父は彼女をまじまじと見たのち、返礼した。


「や、これはご丁寧に。トウマ・スノハラと申します。娘がお世話になっております」


 態度が上司や取引先に対するそれである。ヒワはひっそりと苦笑したが、すぐに笑っていられなくなった。父の目が、少女たちの間にいる少年を捉えたからである。「こちらの子は――」とまで言ったところで、固まった。


「と……飛んで、る……?」

「あ」


 三人の声が、きれいに重なる。ヒワとエルメルアリアは、さあっと青ざめた。


 少女たちと精霊人(スピリヤ)は彫像と化す。その後、エルメルアリアがそそくさとヒワの背後に隠れた。


「今からでもごまかせねえかな」

「……無理だよ」

「無理があるわね」


 ヒワとカトリーヌは仲良く否定する。「だよなあ」と、エルメルアリアはうなだれた。


 ヒワは咳払いして、父に向き合う。


「えっとね、お父さん」

「……はい」

「この人は、エルメルアリア。……精霊人(スピリヤ)です」

「精霊人?」


 父は娘の言葉を繰り返し、エルメルアリアに少し顔を近づける。ヒワははらはらしていたが、父は彼女の予想ほどには動じなかった。


「へえ。話に聞いたことはあるけど、実在するんだ。初めて見た」


 呟いた後、身を引いて、ぺこりと頭を下げる。


「……っと。じろじろ見てしまってすみません。よろしくお願いします」

「あ、いや、どうも。こちらこそ、なんというか……驚かせてすみません」


 エルメルアリアもぎこちなく礼をして、そんなことを言う。普段なら国王にすらしなさそうな振る舞いを見て、ヒワとカトリーヌは顎を落としてしまった。


「しかし、なぜ精霊人がここに? なんだったか……別の世界に住んでるんじゃありませんでしたっけ」

「まあ、そうなんだけど……今は極秘の仕事のために内界へ下りてきて、人間と契約を……」

「契約……ああ。カトリーヌさんと?」


 三人は顔を見合わせる。


 ――これまでであれば、「そうだ」と答えてやり過ごしていただろう。しかし今回、うかがうようなカトリーヌの目を見たヒワは、かぶりを振った。それから、父にも否定の意味で手を振ってみせる。


「違う。契約者は、わたし」

「は?」


 呆けたような声を上げた父は、それからしばらく動かなかった。たっぷり思考停止したのち、うめくように説明を求めてくる。ヒワは落ち着いてうなずいた。


 無意識のうちに、ヒダカ語が滑り出る。


「あの、さ。春ごろに、ジラソーレで騒ぎがあったの、知ってる?」

「春……ああ、商店街を魔物が襲ったっていう? お母さんと連絡取り合ったから、よく覚えてる。ヒワ、現場にいたんだって?」

「うん。そのときに、魔物に殺されかけまして」

「そこまでは聞いてないけど!?」

「言わなかったからね。で、夢中で助けて! って叫んだら、エラと契約が成立しちゃった」

「契約ってそんな感じなんだ」

「いや。かなり特殊な事例みたい。で、助けてもらった後に、エラの任務のことを知って……契約者の力が必要だから、っていうので、手伝いをしてるんだ」

「手伝いって、どんな……」


 唖然としている父から視線を外し、ヒワは自分の腰あたりに触れる。エルメルアリアお手製の袋から、杖を抜いた。父の顔が、これまでとは違う驚きに染まる。


「ざっくり言うと、精霊指揮士みたいなこと」


 言葉は何も返らない。ベンチのまわりだけが奇妙に静まり返り、協会支部に出入りする精霊指揮士の足音とローブのこすれる音が行き来している。ややして、遠くの方から槌のと誰かの掛け声が流れてきた。


「それ、お母さんは知ってるのか?」


 父が、痛いところを的確に突いてくる。ヒワはひるんだが、素直に首を振った。


「知らない。何か気づいてはいるかもしれないけど」

「……言ってないんだな」

「うん」


 またしても、沈黙が返る。責められているように感じて、ヒワは慌てて口を開いた。


「『任務』については、関係者以外に言っちゃだめって言われてるし。契約のことも、話せてなくて……」


 ぎこちない手つきで杖をしまう。父を見るのが怖かったが、そろそろと顔を上げた。その父は、腕を組んで何やら考え込んでいる。


「王都に来たのは、『任務』の関係?」

「そう、なような、違うような……」


 ヒワは観念して、協会から呼び出されたことを打ち明けた。ついでに、ロレンスもいるということを付け加えておく。相槌を打った父の顔は、先ほどまでより緩んでいた。


「その、聴き取りっていうのは終わった?」

「うん。今は結果待ち」

「そっか。……なら、あとはしっかり結果を聞いてきなさい」


 父はそう言って、娘の肩を軽く叩く。ヒワは、目をみはった。


「怒らないの?」

「お父さんから見れば、怒る要素はないな」


 父が、少し困ったような顔で笑う。ヒワにとっては見慣れた笑顔だ。


 そのとき、カトリーヌが振り返る。


「あ、グラネスタ副支部長」


 ヒワは反射的に腰を浮かせた。支部から出てきたところらしいエリゼオが、こちらを見て立っている。ヒワを見つけると、にこりともせず口を開いた。


「君の処遇について、結論が出た。支部長執務室まで来てもらいたい」

「は、はい! わかりました!」


 エリゼオの口調が会議のときと少し違う。共通語に切り替えたヒワは、困惑してしまった。が、エルメルアリアやカトリーヌが動じないのを見て、こういうものなのだろうと言い聞かせる。ヒワが男性二人を見比べていると、エリゼオがヒワの父に目を留めた。


「……こちらの方は?」

「父、です。偶然会って」


 ヒワが白状すると、エリゼオは友人と同じ色の瞳を見開いた。一時瞑目してから、支部の方へ体を向ける。


「ちょうどいい。同席していただけますか」


 思わぬ言葉に、父娘は顔を見合わせた。



     ※



 結局、親子そろって支部長執務室を訪ねることになった。むろん、エルメルアリアも一緒である。彼らを出迎えたインヴェルノ支部長は当然驚いたが、父――トウマが名乗ると歓迎の意を示した。


「では、結論から言おう。ヒワ・スノハラ殿」

「はい」

精霊指揮士(コンダクター)協会アルクス王国支部は、貴殿を特待精霊指揮士と認める。ただし、今回の任務が終わるまでの、期間限定だ」


 ほう、とエルメルアリアが腰に手を当てた。一方、親子は目をしばたたく。


「とくたい、ですか?」

「うん。言ってしまえば、『学校の試験などをすっ飛ばして例外的に精霊指揮士と認定する』ということだ」


 インヴェルノはそう付け足して、快活に笑う。


 ――通常、精霊指揮士が協会からの認定を受けるには、ソーラス院などの教育機関を卒業する、師匠に紹介状を書いてもらうなど『ひとつ前の段階』を踏む必要がある。だが、知識や才能、ヒワのような事情がありながら、そういった機会に恵まれない人もいる。


「『特待』は、そのような人々が精霊指揮士として働きやすくなるよう設けられている肩書だ。最近では、三年前にヒューゲル王国支部で一人、認定者が出ている」


 エリゼオが淡々と解説する。ヒワだけ特別扱いしているわけではない、と言いたかったようだ。スノハラ親子は思わず顔を見合わせた。


 一方、エルメルアリアは足をぶらぶらさせながら、インヴェルノを見下ろす。


「ってことは、ヒワはアルクス支部所属になるのか?」

「いえ。現状は無所属です。当然、会員になってもらうべき、という意見も出ましたが……。そもそもが期間限定の認定ですし、あな――失礼、任務のことを考えれば、下手に組織に縛り付けない方がよい、という結論に落ち着きました」

「ま、道理だな。〈銀星の塔〉経由で情報は行くんだし」


 ええ、と顎を撫でたインヴェルノは、穏やかな表情のままトウマを見た。


「親御さんの同意が得られ次第、手続きを行います。スノハラ嬢とそのことを話し合うつもりでしたが……せっかくですので、お父君のご意向を確認させてください」


 水を向けられたトウマは、少し宙をにらんでからうなずいた。


「私個人としては、異論はありません」


 ヒワは目を丸くする。父は、「ただ」と言葉を繋いだ。


「現状、この子と接する時間が長いのは妻です。彼女にも話しておきたいので、いったん持ち帰らせていただけませんか」

「なるほど。わかりました。話がまとまったら、伝霊か手紙でご連絡ください」

「はい。ありがとうございます」


 大人のやり取りは軽快に進んで、終わる。ヒワは、エルメルアリアに頬をつつかれるまで、立ち尽くしていた。



 話が済むと、エリゼオとともに退室した。一階へ下りる階段の前で、ふいに彼が足を止める。


「ヒワ殿。ひとつ確認しておきたい」

「は、はい」

「君はジラソーレ在住だったな」


 唐突な確認に、ヒワは首をかしげる。はい、と答えると、エリゼオが続けた。


「……ロレンスとは、以前から面識があったのか」


 大声を出しそうになって、ヒワは慌てて口を押さえた。ひと呼吸置いて、答える。


「はい。友達、です」

「そうか」


 エリゼオが顔をしかめた、ように見えた。縮こまったヒワの隣で、エルメルアリアがため息をつく。


「あんた……というか、伝統ある精霊指揮士は相変わらずだな。そんなに『外』と関わるのが嫌かよ」

「嫌というわけではありません。交流の結果、指揮術の研究や鍛錬がおろそかになっては問題だ、と考えているだけです」

「ああそう。あんたがそう思うのは勝手だが、子供に押し付けるのはやめておけよ」


 エリゼオは答えない。代わりに、階段を下りはじめた。


 ヒワはとっさに口を開く。


「あの。ロレンスは、ソーラス院の勉強、頑張ってます。〈穴〉のことを知ってからは、わたしに色々教えてくれてます。指揮術のことをおろそかになんてしてないです」


 エリゼオが、再び足を止める。「そうか」と答える声はささやきのようだったが、ヒワの耳には届いた。


 階段を下りる。一階に着いたとき、エリゼオはぽつりと言った。


「不肖の息子だ。迷惑をかけることもあろうが……よろしく頼む」


 半分はエルメルアリアに、半分はヒワに向いた言葉のようだった。二人は互いを見た後、力強くうなずく。


「はい。……わたしの方がお世話になると思いますけど……」

「ま、ほどほどに見といてやるよ」


 エリゼオが小さく顎を動かす。


 彼らのやり取りを、最後尾のトウマがほほ笑ましそうに見守っていた。

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