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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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60 騒動の後始末

2025.5.27……シーン追加

〈穴〉がふさがった後、広場は一時いっとき静まり返った。そして、すぐに歓喜の声で満たされる。今まで杖を向けていた相手がいなくなっていたことを確認すると、人々は拳を突き上げ、あるいは隣の人と抱き合って、安堵と達成感を分かち合う。


 ヒワは、彼らの様子を黙って見守っていた。しかし、すぐに世界が傾く。自分がへたり込んだのだと気づいたのは、頭上から声がかかったときだった。


「終わったな、嬢ちゃん」


 年かさの精霊指揮士(コンダクター)がにっと笑う。ヒワも、悪童のようにほほ笑み返した。


「はい。手伝ってくださって、ありがとうございました」

「いいってことよ。面白いものが見られたしな」


 感情渦巻く中にあって、名も知らぬ精霊指揮士は落ち着いている。今までと変わらぬ調子で呟いて、ヒワの頭をやや乱暴になでた。彼のそばでは、カルロやナルーをはじめ、最初にヒワの話を聞いた人々が立ち尽くしていた。


「すごい……本当に魔物がいなくなっちゃった」

「なんか、とんでもないものを目撃しちゃった気がする」

「ほんとに。精霊人の制限が解ける瞬間なんて、見れると思わないじゃんね」

「つうかさ。魔物、吸い込まれてなかったか? なんなんだ、あれ」

「わからない。でもまあ、今は――」


 気の抜けた様子で語り合っていた人々は、それから一斉にヒワを見る。かと思えば、いきなり頭をなでたり肩を叩いたりしてきた。


「え、え? えっと……?」


 うろたえているヒワに、彼らは清々しい笑顔で語りかける。


「功労者に祝福を!」

「お疲れ様ー!」

「君が発言してくれなかったら、大変なことになってたかもしんないからね」


 その輪はじわじわと広がり、気づけばヒワは先輩たちに頭をぐちゃぐちゃにされていた。髪留めだけは死守しつつも、どうしたものかと途方に暮れる。


 そんなところへ、エルメルアリアが戻ってきた。彼もまた、嬉しそうである。ヒダカ語の詠唱が初めて成功したときと同じくらいに。


「終わったぜ、ヒワ!」

「――うん。お疲れ、エラ」


 ヒワは笑って手を挙げる。エルメルアリアは当然のように、己の手を差し出した。優しいハイタッチの後、ヒワは髪を整えながらあたりを見回す。


「でも、まだ安心できないよね」

「そうだな。〈穴〉に吸い込まれなかった奴が残ってるかもしれない」

「――そういうことなら、もう一仕事するか」


 年かさの精霊指揮士が当然のように言って、手の中で杖を回す。


「余力のある奴は、魔物を探してふんじばる。はい、解散!」


 彼が号令すると、実務経験のある精霊指揮士たちは一斉に散っていった。さすがに切り替えが早い。


「魔物を見つけたら、あんたらに知らせればいいのか?」

「おう。天外界への門は、オレたちしか開けないからな」

「なるほどねえ。じゃ、また来るわ」


 年かさの精霊指揮士もまた、ひらひらと手を振って去っていく。地面に座ったままみんなを見送っていたヒワに、今度は白い手が差し出された。銀灰色の髪の青年が無言で見下ろしている。


 ヒワは戸惑いつつも、その手を取った。


「わ、すみません」


 青年は、無言でうなずき、ヒワを引っ張り上げる。そこへ、泡をまとった人魚が戻ってきた。


「あら。あのおじさまは行ってしまったのね。『告げ口』はよかったのかしら?」

「……余計なことを言うな、マール」


 やっと口を開いたルートヴィヒを、エルメルアリアがじろりとにらむ。


「ご安心を。少なくとも、てめえがヒワにナイフぶん投げたのは見えてたぞ。あの状況じゃなかったら、王都の端まで吹っ飛ばしてたとこだ」


 小さな拳が、さらさらの髪に覆われた頭を軽く叩く。ルートヴィヒはわずかに眉を寄せ、路地の方へ足を向けた。


「マール。まだ魔物の残党がいるかもしれないそうだ。狩りにいくか」

「あっ! てめえこら、逃げる気か」

「うふふ。わかりました。いきましょ」


 憤慨する精霊人(スピリヤ)と、それを黙殺する青年を見比べて、マーリナ・ルテリアがころころと笑う。その上で、二人に向かって優雅に一礼した。


 そのまま歩き出したルートヴィヒはしかし、広場を出る前に振り返る。


「ヒワ」

「は、はい!」


 いきなり名前を呼ばれたヒワは、ほとんど反射で返事をする。ルートヴィヒは、一度目を伏せてから、しっかりと彼女を見た。


「確かに、いきなりナイフを投げたのは軽率だった。反省している」

「い、いえ。今となっては、止めてもらってよかったと思ってます」

「……そうか」


 空白の後。再び、唇が動いた。


「次からは、先に声をかけるようにする」


 声をかけた後にナイフを投げるということか。ヒワは思ったが、疑問を口にする前に、ルートヴィヒたちは行ってしまった。所在ないヒワは、杖を収めてなんとなく指の体操をする。


「ったく。相変わらず、よくわかんねえ連中だな」

「あはは……。まあでも、今回は手伝ってくれたし……敵ってわけじゃない、と思いたいよ」


 どうだかな、とエルメルアリアは唇を尖らせる。不満げに飛び回っていたが、あるときぴたりと止まった。ヒワも、穏やかな炎のぬくもりが近づいてくるのに気づく。


 果たして、広場に見覚えのある三人が現れた。


「二人とも、お疲れー」

「ご無事で何よりです、ヒワ様。エルメルアリアも」

「こっちも終わったみたいね!」


 フラムリーヴェとカトリーヌが、壊れた石畳や瓦礫を避けながら歩いてくる。ロレンスは、契約相手に抱きかかえられていた。


「みんな! 無事でよかったあ……」

「よ。なんとかなったな」


 ヒワは、半泣きになりながらも笑みをこぼす。エルメルアリアはいつもの調子で飛んでいき、フラムリーヴェと拳を合わせていた。


 (はな)をすすったヒワは、戦乙女を――正確には、彼女に運ばれている少年を見つめる。


「ところで、ロレンスはなんで抱っこされてるの? まさか、怪我――」

「いや、うん。気にしないで。走りすぎて動けないだけだから」

はしっ……ロレンスが? 走ったの? ほんとに?」


 ヒワは思わず前のめりになる。すると、ロレンスはこちらを見るなとばかりに手を突き出した。頬がうっすら赤くなっている。


 カトリーヌはそれを見てくすりと笑ったが、フラムリーヴェは悔しそうに唇を噛んでいる。


「それだけではないのです。足に少々、火傷(やけど)を……」

「火傷? 火の吐息ブレスでも食らったのか。平気か?」


 エルメルアリアが少年をのぞきこむ。彼は小さくうなずいた。


「平気、平気。かすっただけだし。そのうち治るでしょ」


 確かに、ロレンスの右足首には包帯が巻いてある。本人は言葉通りに平然としているが、フラムリーヴェは「私がついていながら」と、珍しく縮こまっていた。


 人が出ていくばかりの広場に『彼』がやってきたのは、そんなときだ。


「ここにいたか」


 聞く者の姿勢を正させるような、重みのある声。ヒワにとっては馴染みのない音だった。そしてまた、声の主も見覚えのない男性だ。しかし、すぐに友人の面影を見出して振り返る。ロレンスは明らかに目を泳がせていた。そして、それ以外の面々は、それぞれに驚きを露わにする。


 エルメルアリアが緑の瞳をきらめかせる。


「エリゼオ。久しぶりだな。また老けたか?」

「……お久しぶりです、エルメルアリア殿」


 ヒワは、ぎょっとして男性を見つめてしまった。エリゼオは無遠慮な挨拶にも表情を変えず、低頭する。それから、五人を順繰りに見た。


「どうされたんです、副支部長? 何か言伝でもございますか?」


 カトリーヌが好奇心を隠そうともせず尋ねる。エリゼオは、「いや」と首を振った。


「愚息に言っておかねばならないことがあったのでな。探していた」


 ロレンスの肩が跳ねる。ものすごく逃げ出したそうだったが、しぶしぶ顔を上げた。


「……なんでしょう」

「第一に。先刻、執務室から無断で飛び出したことについてだが――」


 うっ、と少年と精霊人が同時にうめいた。エリゼオは気にすることなく続ける。


「状況と現場での働きを鑑みて、特別に不問とする」


 二人の肩から力が抜ける。ヒワはその様子を興味深く見ていた。一方、エリゼオはそんな少女に一瞥もくれず話を繋ぐ。


「第二に。フラムリーヴェ殿との契約と、〈穴〉の調査への参加続行を認める」


 ロレンスとフラムリーヴェが目をみはった。協会支部での出来事を知らないヒワたちは、思わず顔を見合わせる。


「でも、さっきは――」

「――ただし、調査の過程と結果は必ず報告しろ。定期連絡のついでで構わん。以上だ」


 淡々とそう告げて、エリゼオは息子から顔を背ける。そのまま、颯爽と去っていった。


 ヒワは、口を半開きにして濃紺のローブを見送る。


「い、行っちゃった……。まだ挨拶してないのに……」


 困惑しているヒワのもとに、エルメルアリアが飛んでくる。彼は空中で膝を抱えて、「年取っても忙しねえな」などと呟いた。


 その後ろで、ロレンスが深いため息をつく。


「……相っ変わらず、こっちの話は聞きやしないんだから」

「ですが、活動継続の許可は頂けましたよ。認められた、と解釈してよいのではありませんか」


 苦虫を噛み潰したような表情のロレンスに、フラムリーヴェが力強く言う。ロレンスは「どうなんだろう」と低く呟いていた。


 気まずい空気が五人の上を流れる。それを打ち払わんとばかりに、カトリーヌが手を叩いた。


「とにかく! ロレンスのお呼び出しについては、一件落着ってことでいいのかしら?」

「まあ……一応そうなる、のかな」


 少年は、釈然としない、といわんばかりの表情でうなずく。カトリーヌはそこを追及せず、もう一人の『後輩』を振り返った。


「となると、次はヒワね!」

「うわあああ嫌なこと思い出したああああ」


 ヒワは、頭を抱えて天を仰ぐ。この瞬間まで、定例会議のことなど頭から吹き飛んでいた。


 一気にしおれた少女を、精霊人たちが困ったように見下ろす。とりあえず、エルメルアリアが彼女の背中をさすった。


 フラムリーヴェが顎に指をかける。


「定例会議……この状況で、通常通り行うのでしょうか」


「さあな」と、エルメルアリアが頭を傾けた。


「でも、ヒワへの聴き取りはやるんじゃないか? ジラソーレからわざわざ来てるわけだし。派手に指揮術使っちまったし」


 契約相手の何気ない言葉が、ヒワを打ちのめす。黒い頭は、ますます地面に近づいた。


「ううー……そんなつもりはなかったんです……」

「ここで弁解してどうするのさ」


 ロレンスが呆れて眉を下げる。一方、カトリーヌとエルメルアリアは拳を握った。


「大丈夫よ! 実績がひとつ増えたわけだし、協会のおじ様たちも粗雑には扱えないはずだわ」

「そうだそうだ! なんてったって、王都を救ったんだからな。胸張ろうぜ!」


 慰めとも激励ともとれる言葉は、傷だらけの身心をそっと撫ぜる。ヒワは不安を抱えたまま顔を上げ、曖昧に笑った。



     ※



 複雑に入り組んだ路地の奥。赤子をあやすに似た、優しい旋律が流れる。そこに身をひそめていた大きな虫の魔物たちは、あっという間に眠りについた。


「『フリヤール』」


 ルートヴィヒは、淡白に詠唱する。虫たちの周囲を氷で固めると、一息ついた。


「ヒワさんたちに知らせにいかなくちゃね」


 強力な子守唄を歌ったマーリナ・ルテリアが、笑い含みの声で言う。ルートヴィヒは、ためらいつつも「そうだな」と答えた。――胸中を察したのか、青い人魚は鈴を転がすような笑声を立てる。


 ルートヴィヒは、ため息をのみこんで、(きびす)を返した。


 ――刹那。静電気に似た、それよりも冷たい痺れが首筋を走る。


 ルートヴィヒは、とっさに抜剣した。白銀の刃が薄暗がりを撫ぜる。それよりも濃い闇が、どこからかにじみ出た。衝突する。火花が弾ける。すさまじい衝撃を受けて、ルートヴィヒはほんのわずか、後ずさった。


「何者だ」


 誰何の声に、明確な答えはない。ただ、建具の軋む音を思わせる笑い声が、生ぬるい風に乗って流れてきた。


「あれれ? 防がれちった。ま、いっか。自慢の奴もぶちのめされちゃったみたいだし、退散退散っと」


 声は、すぐ近くで聞こえているようでいて、どこから響いているのか判然としない。顔をしかめるルートヴィヒのそばで、マーリナ・ルテリアが眉を上げた。


「この魔力……精霊人? でも、何か――」


 精霊人、の一言を聞いた瞬間、ルートヴィヒは息を詰める。剣を握り直し、駆けた。すぐ前の民家の壁を蹴り、屋根の上まで跳躍する。


「ルートヴィヒ!」


 マーリナ・ルテリアもすぐさま追ってきた。


 屋根の上に立ったルートヴィヒは、素早く周囲を見回す。――しかし、どこにも人影らしきものは見当たらなかった。


「マール。何か感じるか」

「魔力の残り香のようなものはあるわ。けど……出所はわからない。ごめんなさい」

「……いや、いい。仕方がないだろう」


 ルートヴィヒは、うなだれる人魚を慰める。しかし、吹雪を閉じ込めたような瞳は、王都の町を鋭く見つめ続けていた。

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