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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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59 禁じ手

 旅の剣士ルートヴィヒと、水妖族すいようぞくマーリナ・ルテリアの働きぶりは凄まじかった。


 散歩のような足取りで魔物たちの前に立ったルートヴィヒは、息をのむほど鮮やかな剣さばきを披露する。まっさきに飛びかかってきた魔物を一振りで三体切り伏せたかと思えば、勢いのままに二体の足を斬りつける。そのまま群れのただ中に飛び込んで、次々と魔物を無力化していった。


 マーリナ・ルテリアはまず、精霊指揮士(コンダクター)たちの上を飛んで、哀愁漂う不思議な歌を口ずさんだ。すると、正気を失っていた使い魔たちがたちまち大人しくなる。眠りに落ちたものもいた。『味方』の暴走が止んだことを確かめると、ルートヴィヒの隣についた。時に歌で魔物の意識を刈り取り、時に水を操ってひるませ、あるいは溺れさせる。


 防御結界や壁が維持できなくなったにもかかわらず、彼らのおかげで地上の被害は最小限に留められた。


 ヒワや年かさの精霊指揮士、カルロたちは、その様子を唖然として見ていた。ヒワなどは、うっかりエルメルアリアの援護を忘れかけ、慌てて杖を構え直したほどである。


「嬢ちゃん……とんでもない奴と知り合いなんだな……」

「……わたしも、ここまでとは思いませんでした」


 カント森林であれ以上喧嘩しなくてよかった、と胸をなでおろす。その思いが詠唱に乗ったのか、直後に巻き起こした暴風は、今までより早くやんでしまった。


 どうにか気持ちを切り替えて、上空の魔物を追い払っていく。時折マーリナ・ルテリアが加勢してくれるおかげで、順調に〈穴〉のまわりが開けていった。


「『カレーラ・ルフ』!」


 仕上げとばかりにカルロが乾いた風を巻き起こす。多くの魔物は吹き飛ばされただけで戦意を失っていなかったが、指揮術を警戒してか、エルメルアリアに近づかなくなった。ちょうどそのとき、ヒワのもとに声が届く。


「よし、ヒワ。制限解いてくれ」

「うん。任せて」


 契約相手からの要請を受けたヒワは、周囲の大人たちを振り返る。


「すみません。少しの間、守ってもらっていいですか」

「おう。任せな」

「できる限りのことはやるよ」


 年かさの精霊指揮士が胸を叩く。カルロや、そのほかの精霊指揮士もうなずいた。近くでダチョウに似た魔物を倒したルートヴィヒも、彼女の方を一瞥する。先ほどと違って、体を貫くような冷たさはなかった。


 深々と頭を下げたヒワは、姿勢を正す。杖を両手で握り、先端を天に向けた。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」


 詠唱する。今度は、誰の邪魔も入らない――はずだった。


 ルートヴィヒと対峙していた魔物たちが一斉に叫びだす。あるいは、うなり声を上げる。不快な音がユリアナ広場を満たすやいなや、上空の魔物たちが地上に突っ込んだ。


「なんだ……?」

「気をつけて。なんだか様子がおかしいわ」

「詠唱準備!」

「結界張れる?」


 鋭い声が飛び交う。音と空気で異変を知ったヒワはしかし、心をなだめて詠唱を続けた。


「『クランダーテ・イリューア・デア――』」


 しかし、最後まで言い切ることは叶わない。異形の魔物の突進と空から降ってきた赤い光線とが、ヒワのまわりに張り巡らされていた防御結界を打ち破る。臓腑をひっくり返すほどの衝撃に押され、ヒワは尻餅をついてしまう。当然、詠唱を繋げることなどできなかった。


「『バム・バム』!」


 野太い声が詠唱する。防御結界の欠片が砕け、小規模な爆発を起こす。


 ヒワに突っ込もうとしていた異形の魔物が、黒板を爪で引っかいたような声を上げて飛びのいた。それをにらんでいた年かさの精霊指揮士が、彼女を振り返る。


「嬢ちゃん、無事か」

「あ……はい。ありがとうございます」


 ヒワがなんとか立ち上がったとき、上空で桃色の光が瞬く。硝石の塊に口をつけたような魔物が、二人に向けて何かを放とうとしていた。年かさの精霊指揮士が舌打ちしつつ杖を構えたが、互いの攻撃がぶつかり合うことはない。その前に、エルメルアリアが彼らの前に割り込んで、魔物を吹き飛ばしたのだった。


「エラ、ごめん……!」


 ヒワは反射的に謝罪を口にする。振り返ったエルメルアリアは、気にしていないどころか、何事も起きていないような表情だった。


「もう一回やればいいだけだ。マールがいてくれるぶん、今までより魔物を追っ払いやすいしな」


 硝石のような魔物を蹴り飛ばしたエルメルアリアは、その勢いで上昇する。表情はあっという間に見えなくなったが、彼が笑ったのが、ヒワには伝わった。


「気を取り直して、頼むぜ」

「……うん」


 ヒワは、杖を握りしめて、再びことばを舌に乗せる。


 ――当人たちのやる気に反して、制限解除は失敗し続けた。ヒワが詠唱を始めるたびに、派手な妨害が入るのである。周囲の精霊指揮士たちは気が気でない。ヒワも、精神的に疲れるだけでなく、衝撃で転んだり不意打ちの爆撃を受けかけたりと――これはエルメルアリアが戻ってきて防いだ――身体的にも危ない場面があった。そんなことを五度ほど繰り返したところで、とうとうヒワがふらつく。年かさの精霊指揮士が、とっさに支えた。


「ぶっ倒れるには早いぞ。気張りな」

「は、はい……すみません……」


 ヒワは答えて、無理やり笑みを浮かべる。しかし、その相貌は青白い。


 最近になって、ようやくまともに指揮術を扱えるようになった彼女にとって、それ自体が未だ神経をすり減らす作業だ。何度も繰り返し、不発が続けば顔色も悪くなる。


 ヒワを立たせた年かさの精霊指揮士が周囲を見る。低空飛行していた鳥の魔物を黙らせたルートヴィヒと、それを援護していた女性――カルロと一緒に行動していた人――が、じっと二人の方を見る。年かさの精霊指揮士が顔をしかめた。


「やましいことは考えてないぞ」

「わかってますよ。一瞬色々思いましたけど、言いません」

「思ったって口に出してんじゃねえか」


 大人の男女がそんなやり取りをする横で、ルートヴィヒとヒワは首をかしげる。ルートヴィヒは、吹雪をまとって突進してきた大きな狼と競り合って打ち負かした後、眉間にしわを寄せた。


「この魔物たち、明らかにヒワを狙っているな」

「ああ。しかも、制限解除の詠唱をしだした途端にこの暴れよう。嬢ちゃんたちがやろうとしていることをわかっているとしか思えねえ」


 年かさの精霊指揮士が毒づいた。そのとき、空から魔物たちが落ちてくる。上空でエルメルアリアに叩きのめされ、マーリナ・ルテリアに眠らされたものたちだ。ルートヴィヒがそれを端に寄せていると、青い人魚が戻ってくる。


精霊人(スピリヤ)が力を解放するのも、〈穴〉をふさがれるのも、彼らにとっては都合の悪いことでしょうけど……それゆえの妨害、と言うには違和感があるわ。魔物にしては冷静すぎる、というか」


 マーリナ・ルテリアの呟きにルートヴィヒがうなずく。ヒワはそれを聞いて、困り果ててしまった。


 魔物の行動の謎については、すぐに解き明かせるものでもないだろう。それはそれとして、このままでは同じことの繰り返しだ。ヒワが疲弊するのはもちろんのこと、エルメルアリアや協力してくれている人々にまで迷惑をかけてしまう。


 妨害を耐え忍んで、最後まで詠唱しきれる気はしない。精霊指揮士たちの助けを借りれば魔物の攻撃を耐えることはできるだろうが、ヒワの集中が持たないのだ。


 であれば、そもそも魔物に妨害されない方法はないか。ヒワは杖を抱きしめて考えてみたものの、ひらめきは生まれない。「ものすごく強い防御結界を張る」という考えしか思い浮かばず、悲しくなった。


「うう……魔物たちを混乱させるとか、欺くとか、不意を突くとか……何か……」

「何ぶつぶつ言ってんだ、嬢ちゃん」


 年かさの精霊指揮士が、ヒワに珍獣でも見るかのような視線を向ける。が、ヒワ本人には文句を言う余裕も、言い訳する暇もなかった。


 知識や記憶をひっくり返す。その最中、ふと「攪乱(かくらん)」という言葉を思い出し、ヒワは不思議な気持ちになった。どういうわけかロレンスの顔が浮かび、そのまま記憶が繋がって、夏休み前までさかのぼる。


 大量の本と紙を広げた机。紙が真っ黒になるほど書き込んだこと。そして――珍しく難しい顔をした、精霊人の言葉。


『うーん……一応、なんとか、訳したけど……これは使わない方がいいかもなあ……』


 どうして、とヒワが首をかしげると、彼は律儀に説明してくれた。


『ほかの詠唱と違って、検証が難しいんだよ。失敗したら、精霊どもの反応を見る以前に、オレやヒワの体に何か起きるかもしれない。そんな危険を冒してまでヒダカ語にする利点も、はっきり言ってあんまりない。誰かを欺く必要があるときには使えるだろうけど……ま、禁じ手だと思っておいた方がいい』


 過去の声が、脳内にこだまする。瞬間、ヒワは息をのんだ。その記憶をとっさに手繰り寄せ、暗唱した言葉を掘り起こす。暴れ出した心臓をなだめながら、空を見上げた。


「――エラ!」


 声が届く保証はない。そう思って呼びかけたが、〈穴〉の前で魔物を牽制していたエルメルアリアは、振り返った。ヒワは安堵して、尋ねる。


「禁じ手、使ってもいいかな」


 エルメルアリアは確かに目をみはった。つかの間、どちらもが沈黙する。耳が痛くなるほどの無音の時間が過ぎ去ると、エルメルアリアは、破顔一笑した。


「いいぜ」


 さっぱりとした答えが、魔力に乗って届く。ヒワは、心臓がはち切れそうな緊張の中で、うなずいた。


「ありがとう。……失敗したらごめん。エラに何かあったら、わたし……」


 彼女は、杖の先を自分に向けようとする。が、その前に、爽やかな笑い声が大気を揺らした。


「そんなこと気にすんな。ヒワならできる」

「……え?」

「なんてったって、このオレの契約者だからな!」


 その一言は、揺るぎなく、まばゆく、それでいてどこか優しい。ヒワは、虚を突かれて佇んだ。しかし、次の時には満面の笑みを浮かべる。


「うん。そうだね」


 信頼を受け止めて、噛みしめて。応えるために、杖を掲げた。


 ヒワが再び動いたことに気づいて、まわりの精霊指揮士たちも身構える。ルートヴィヒが剣を構えて空をにらみ、マーリナ・ルテリアが飛び上がった。


 すべての光景を目に焼き付けて、ヒワは口を開く。


「『この手が触れるはあまの鍵。この手が開くはつちの門。これより、(ことわり)に触れ、理を書き換える。天地万物の精霊よ、玉響(たまゆら)いろうことを許したまえ』」


 声をこぼしたのは、息をのんだのは、果たして誰だっただろう。すべての音に身を浸しながら、すべての音を遠ざけて、ヒワはただ言の葉を重ねる。


「『契約者、春原(スノハラ)ヒワの名において、〈天地(あめつち)の繋ぎ手〉エルメルアリアにかけられた世界の枷を今外す』!」


 言い切った瞬間、ヒワは自分の中から膨大な熱が流れ出るのを感じた。倒れ込みたいところをぐっと堪え、瞼を持ち上げる。


 一陣の風が吹く。それはたちまち嵐となった。


 天に佇む精霊人の体から、抑圧されていた力があふれ出し、都の空へと広がっていく。精霊たちが歓喜して、息吹を天地に注いだ。


 魔物たちが金切り声を上げ、一斉に暴れ出す。しかしそれは、今のエルメルアリアの前では幼子の癇癪のようなものだ。その様子を一瞥した彼は、しかし一切の関心を失ったかのような態度で飛翔する。闇と色とりどりの光を内包した〈穴〉の前に立って、ようやく地上を見下ろした。


「――制限解除、成功だ。あとは任せとけ」


 静かな声が、精霊の息吹とともに地上へ届く。ヒワは杖を掲げて、相棒の言葉に応えた。



     ※



 羽ばたきの音がする。魔物たちの声がする。しかし、エルメルアリアはその一切を無視した。仮に一斉攻撃されたとしても、今の彼ならそのすべてを同時に打ち消すことができる。もっとも、そんなことをすれば精霊たちが興奮して一日は言うことを聞かなくなるので、地上の剣士や精霊指揮士(コンダクター)たちに怒られること間違いなし、だが。


 戯れのような思いつきを振り払い、エルメルアリアは手を叩いた。


「さーて。始めるか」


 軽く探ってみたところ、ちょうどフラムリーヴェも別の〈穴〉の前に立ったようだ。改良した陣を二人同時に試せるのは、望外の幸運である。


 エルメルアリアは、虚空に手を触れ、優しくなぞる。


「精霊ども。ちょっとここ、いじるぞ」


 呼びかけると、彼らは快く承諾してくれた。エルメルアリアがほほ笑んだとき、指先からこぼれた魔力が光を帯びる。


 〈銀星臨時会合〉の折、精霊人(スピリヤ)リリアレフィルネが二つのことを提案した。ひとつは、陣を簡略化しつつ魔力の流れをよくするための工夫。もうひとつは、魔力の輝きを利用して陣を描くことである。


内界(ないかい)にさ、魔力で空中や水中にも書けるペンがあるでしょ? あれと原理は同じ。魔力を指揮術に変換するときに起きる発光現象を利用して、陣を描くの。それができれば、わざわざ土を枝で引っかくなんて真似をしなくて済む。ちょっとの集中力とそれなりの魔力量、あと精霊との対話が要るけど、この面子なら問題ないでしょ』


 あっけらかんとした同胞の言葉を思い出しながら、エルメルアリアは五指を動かす。エメラルド色の輝きは、その軌跡を空に刻んで、順調に陣を形作っていった。


 怪訝そうにする精霊をなだめ、善意から余計な手出しをしようとする精霊たちをやんわりと遠ざけながら作業を続ける。約五分後、〈閉穴〉のための陣が完成した。


「よし。あとは――」


 輝きが失われないよう注意しつつ、エルメルアリアは陣に両手をかざす。そして、息を吸った。



 エルメルアリアとフラムリーヴェ。二人が王都の上空で〈閉穴〉の術を使ったのは、はからずもほぼ同時だった。


 本人たちは、それを知らない。もちろん、相棒を見守っていた契約者たちも。


 ただ、避難者の中には、空に浮かぶ神秘的な光と、心を洗われるような二重唱を聴いたという人がいた。それはのちに王都の小さな伝説として、人々の間で語られることとなる。



 長い詠唱が終わると、陣が輝きを増して〈穴〉に吸い込まれていく。それが完全に消えると、闇と原色の光が渦を巻き、〈穴〉がふさがっていった。いつものように、そこから来た魔物たちの大半を巻き込んで。


 遠くの空で赤い光が瞬くのを見て、エルメルアリアは肩をすくめる。そのとき、空を割るような歓声が、広場で沸き起こった。


 それは、彼にとって当たり前の音である。当たり前でなければならない。ゆえに、『個』として喜ぶことは決してない。ただ、善き精霊人として見守るだけだ。いつも、どこかでそう思ってきた。


 しかし、今日は少し違う。知らない熱が体の底から湧きあがってきて、胸がうずく。飛び出したくてたまらない。その理由は、きっと、つながりの先に。


 努めて冷静に人々を睥睨したエルメルアリアは、口の端を持ち上げる。踊るように空を蹴って、飛んだ。人々にもみくちゃにされている少女を見つけると、いつものように声をかける。


「終わったぜ、ヒワ!」

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