58 精霊指揮士の総力戦――炎の節(1)
ストックが尽きた上に17時までに書き上がらなかったため、ギリギリアウトのリアルタイム更新となりました。申し訳ありません。執筆がんばります。
それはもはや、蛇というより龍であろう。禍々しさと神々しさを兼ね備えた龍は、炎をまとう精霊人を見つけると、ゆっくり動いた。――かと思えば、長い体を鞭のように振る。
周囲の魔物が、その動きと衝撃波に巻き込まれて吹き飛んだ。地上でも悲鳴が上がる。
一方のフラムリーヴェは、高く飛んでそれを避けた。龍は不快そうに目を細め、あぎとを開く。
自分を狙った第二、第三の攻撃を、フラムリーヴェは悠々とかわし続けた。力の応酬の末、敵が魔力を身にまとうと、一転して大剣を振りかざす。紅蓮と漆黒が弾けて、大気を焼いた。咆えた龍が大きく口を開くと、口腔に禍々しい炎が集まりだす。すぐさま距離を取ったフラムリーヴェは、大剣にまとわせた炎を投槍か何かのように放つ。口内を焼かれた龍はしかし、さほど堪えた様子がない。ぐうっと頭を動かして、地上の一点を見た。
膝が震え出すほどの圧を受けたロレンスは、え、と震え声をこぼす。龍に見られたと気づいたときには、暗黒の炎が迫っていた。
フラムリーヴェが急降下する。龍とロレンスのちょうど中間に割り込むと、黒い炎に両腕を突っ込んだ。歯を食いしばって拳を握り、振り上げると、炎は音を立てて消える。戦乙女はにこりともせず龍へ突っ込み、下あごを蹴り上げた。さすがに少し効いたらしく、巨体がわずかに揺れた。
「ロレンス、火傷などしていませんか」
「あ……うん、平気」
どうにか答える、その間にもロレンスはよろめいた。膝が笑っている。なけなしの気力を振り絞って、やっと立っている状態だった。そんな契約者の前で、フラムリーヴェは剣を構える。
「下がっていてください。あれはおそらく、ロレンスに目をつけました」
「うわっ。精霊人の契約者がわかるってことか」
うめいたのはミケーレだ。フラムリーヴェは彼を一瞥したのち、龍をにらむ。
「いずこの世界から来た魔物か存じませんが、速やかにお引き取りください」
戦乙女は淡々とそんなことを言う。当然、龍は聞く耳を持たず、彼女に食らいつこうとした。フラムリーヴェはひらりとかわして、龍の頭上に炎の雨を降らせる。
路地が白く煙る。ロレンスはその中で、じりじりと龍から距離を取っていた。一旦、フラムリーヴェの言う通りにしておこうと思ったのである。だが、途中で何気なく周囲を見て、震える足を止めた。
地上で戦っていた精霊指揮士たちが、龍に釘付けになっている。その相貌に浮かんでいるのは、恐怖だ。若い精霊指揮士の中には、へたり込んでしまった者もいた。
抗いがたい負の感情は、確実に伝播している。誰もかれも〈穴〉への対処どころではなくなっていた。
フラムリーヴェ一人で、いつまでもあの巨大生物を抑えていられるわけがない。このままでは、この場の全員が潰されてしまう。精神的にも、肉体的にも。誰かが叱咤激励しなければ。奮い立たせなければ。
「柄じゃないんだけどな……そんなの」
ロレンスは、かすれ声で呟いて、杖に刻まれた花と文字の装飾をなぞる。あいた手で乱暴に黒髪をかき混ぜた後、ローブの下からふたつの小瓶を取り出した。そのうちのひとつ、葡萄酒色の液体が入った小瓶を開けると、ふちを杖の先端で軽く叩く。
「『ディポス・エンピオ・ラ・ヒュイメラ』」
液体がこぽこぽと泡立ち、球状の雫が瓶の外に浮き上がる。ロレンスは、紅い貴石を赤い雫に向けて、薙ぎ払うように杖を振った。
「『ネスフィ・ラフス』!」
雫が意志を持ったように動き、龍のそばまで飛んでいく。そして弾けて、液体は霧状に広がった。
龍が明らかに目を細め、少しばかり苦しそうに身をよじった。発熱などをうながす霊薬だが、過剰に効果を高めればその熱でもって対象を苦しめることもできる。そして、熱が上がるということは、炎熱の精霊がそれだけ活気づくということだ。
龍の異変に気づいたフラムリーヴェが、長い胴の真上に躍り出て、大剣を振り下ろす。刃と鱗の間から炎が上がり、鱗ごと体を燃やしはじめた。
龍が苦悶の声を上げて暴れ回る。フラムリーヴェは、めちゃくちゃに振り回される体をかわし、時にやわらかい部分に蹴りを入れながら下降した。
その間、ロレンスはもうひとつの瓶を開ける。そちらにはハーブティーによく似た色の液体が入っていた。ただ、ハーブティーと違ってとろみがついている。気付け薬の類である。
先ほどと同じように瓶のふちを叩いて詠唱する。球状の雫がふたつ浮き上がると、今度は杖を突き上げた。
「『ネスフィ・ラフス』」
雫はまっすぐ空へ飛び、路地の真上で弾けた。霧状になった霊薬は、精霊指揮士や使い魔たちに降りかかる。薬草らしい香りをまとった霧を浴びた人々は、顔を見合わせた。おびえや恐怖の色は残っていたが、今にも錯乱しそうなほどではない。
ロレンスは、そっと息を吐く。彼が霊薬の小瓶をしまったとき、フラムリーヴェが会話できるほどの高さまで下りてきた。体の消火を済ませた龍の突進をかわした彼女は、相手の腹の下にもぐりこんで、熱をまとった足を叩きこむ。
龍がひるんでいる間に、フラムリーヴェはロレンスを振り返った。物言いたげな契約にロレンスは不器用な笑みを向ける。
「俺も、できることはやるよ。〈浄化の戦乙女〉の契約者が隅っこで震えてちゃ、格好悪いだろ?」
言っているそばから手足が震え、汗が吹き出す。それでもロレンスは精霊人と禍々しい龍から視線を逸らさなかった。
逃げたい。けれど、逃げたくない。それが、今のロレンスの、偽らざる本音である。
契約者の言動からフラムリーヴェがそれを読み取ったのかどうかは、定かではない。眉を寄せたが、少しして表情をやわらげた。口の端を持ち上げると、ロレンスに背を向ける。
「わかりました。援護を、お願いしてもよろしいでしょうか」
「了解」
「――全力でお守りします」
「うん。俺も」
フラムリーヴェは、返事の代わりに赤い刃をきらめかせ、宙を蹴った。魔力をまとった龍に熱波をぶつけ、背中側に滑りこむ。龍が体をくねらせた瞬間、地上から声が上がった。
「『ラズィ・シルール』!」
「『フリヤール・ゼスト』!」
龍と精霊人の間で火花が弾け、氷の刃が黒い巨体を打つ。さらに、攻撃や魔力の糸が殺到した。
ミケーレも怯えをのみこんで杖を掲げる。その脇を守る形で女性が詠唱を重ねていた。ロレンスは少しの間呆気にとられていたが、爆音で我に返ると慌てて追随する。
「『ドード・ルフ』!」
吹き荒れた風は、龍を揺らすことは叶わない。ただ、敵意に満ちた目はわずかに精霊人から逸れた。その隙に彼女が連撃を叩きこむと、うなり声が天を震わせ、ゴムが焦げたような臭いが路地に充満する。
龍がいらだたしげに炎を吐く。三度続けて吐き出された炎は、路地を越えて一帯に降り注いだ。しかし、路地や家々の屋根の上に現れた防御結界が、辛うじて破壊と延焼を食い止める。精霊指揮士たちがいるのは地上だけではないのだ。燦爛とした結界の輝きを見て、ロレンスは気が付いた。
精霊指揮士たちは、その後も攻撃と防御を繰り返す。獰猛な龍としぶとい魔物たちの猛攻にじりじりと押されるが、〈浄化の戦乙女〉のおかげで戦線崩壊は免れている。
「こいつ、冷えに弱いみたいだよ。水かけろ、水!」
「俺、水系の指揮術使えないんだけどー!?」
「じゃあ、あの姉さんの援護したら? 炎熱と親しい精霊人みたいだよ、彼女」
つい先刻まで、散らばって魔物に対処していた人々が、声を掛け合いながら龍に立ち向かっている。ロレンスはその様子に顔をほころばせつつも、現状には危機感を抱いていた。
絶え間ない攻撃により、龍の動きも少しずつ鈍っていたが、脅威であることに変わりはない。身じろぎが風を暴れさせ、咆哮ひとつが場の魔力をめちゃくちゃにかき乱す。まさに天災といえる彼の振る舞いは、人にも精霊指揮士にも少なからぬ影響を与えていた。はからずも最前線に立ち、一進一退の攻防を繰り広げていたフラムリーヴェの相貌に、疲労の色が見えはじめている。少しばかり動きの鈍った精霊人を見て、龍がゆっくりと上昇する。かと思えば、最初のように長い体をめいっぱい振り抜いた。
「『フィエルタ・アーハ』!」
当然、フラムリーヴェは回避を試みる。ロレンスをはじめとする何人かの精霊指揮士が、彼女の周囲に防御結界を張った。黒い尾が輝く壁に直撃すると、それはあっという間に砕け散る。衝撃に巻き込まれたフラムリーヴェが吹き飛ばされて、表通りの高い建物に激突した。
「フラムリーヴェ!」
ロレンスは思わず叫んだ。考えるより先に杖を構える。彼が口を開くと同時、炎色がばねのごとく空を駆ける。多少の傷は負っていたが、動くのに支障はなさそうだ。
ロレンスたちが安堵したのもつかの間、それを見つけた龍が魔力をまとう。黒い炎とは違う、嫌な気配を感じた。
「まずい、結界――」
「さすがにあそこまでは届かねえぞ!」
路地の端、表通りのそばで誰かが絶叫した、瞬間。
「『ミーレル・バンデ』!」
「『アールム・ファーゼム・アールム・ファーゼム』!」
おそらくは、この場の誰のものでもない声が、詠唱を紡ぐ。瞬間、戦乙女と龍のもとに彗星のごとき光が飛んで、弾けた。空が、王都が、つかの間白く染まる。
精霊指揮士の集団から悲鳴が上がる。ついで、不穏なざわめきに包まれた。
「え、誰――」
ロレンスは眉を上げ、慌ててあたりを見回す。詠唱は彼のすぐ近くから響いたのだ。
声の主を探す必要はなかった。向こうからやってきたからだ
「ばっちり! あなた、団体戦の才能があるわね」
「は、はあ。どうも……」
そんなやり取りをしながら戦場に踏み込んできたのは、一組の男女だ。やや気弱そうな青年と、蜂蜜色の髪の少女。彼らを見つけたロレンスは、杖を取り落としそうになった。
「カティ!?」
「はぁい、ロレンス! お手伝いが必要かしら?」
愛称で呼ばれた少女――カトリーヌ・フィオローネは、いつもの調子で片目をつぶった。