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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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57 背中を任せる

「『グロート・コード』」

 紅い貴石の周囲で小さな光が瞬く。とっくにひび割れていた石畳や周囲の瓦礫が集まって、魔物の足もとを固めた。尻尾が四又に分かれた巨大な猫が、鋭い威嚇の声を上げる。両目が妖しく、鮮やかにきらめいた瞬間、熱風が吹き荒れた。

 薪もないのに燃え盛る炎とともに、赤い剣が振り下ろされる。波形の刃を背中に受けた巨大猫は、人が吐き気を催すほどの悲鳴を上げ、ぐったりとうなだれた。

 一部始終を見届けたロレンス・グラネスタはしかし、猫の様子に拘泥することなく、流れるように杖を振る。

「『アールム・カルルズ』」

 上空から突っ込んできた鳥の群れを取り巻く空気が、わずかに歪んだ。そこへすかさず赤い大剣が叩き込まれる。刃にまとわりついた炎が一気に燃え上がり、鳥の群れを焼き焦がした。

 〈浄化の戦乙女〉・フラムリーヴェは結果を見もせず刃を返す。絶え間なく迫る魔物を次々と仕留めた。斬るというよりは、殴り飛ばすというふうだ。

 その戦いぶりに頼もしさを感じつつも、ロレンスはつい愚痴をこぼす。

「きりがないな」

「まったくです。あの〈穴〉から出てきているのでしょうが――」

 紫水晶の瞳が見つめたのは、路地から見える空。目の覚めるような青の中に、異質な色が落とされている。光と闇が渦巻く〈穴〉からは、魔力をまとった生き物が湧き出していた。そして、地上では精霊指揮士たちが対応に追われている。あちらこちらで怒号のごとき詠唱が飛び交い、魔力が弾けていた。

「〈閉穴〉は、できそう? なんか、すごい場所に、あるけど」

「場所は問題ありません。ただ、魔物の数が多すぎて、術を妨害される可能性が高いかと」

 混乱を極める戦場を駆け回りながら、ロレンスとフラムリーヴェは言葉を交わす。淡々とした推測に、息切れ寸前のロレンスは肩を落とした。

「やっぱ問題はそこだよなあ……今までと比べても、なんか異常だよ、今回」

 低くぼやいた、そのとき。不自然な湿気が肌を撫ぜる。ロレンスはとっさに杖を構えた。

「『フィエルタ・アーハ』」

 詠唱と同時、虹色の泡が視界を覆った。

 直後、光り輝く壁がロレンスたちを囲み、前方から放たれた水の刃をことごとくはじき返す。

 反射的に目を細めたロレンスは、防御結界越しに相手をにらんだ。透き通った体、尖った尾びれを持つ魚が空中を泳いでいる。その全身は濡れたように光っていて、時折雫らしきものが飛び散っていた。直接見たことはなかったが、ロレンスの知識にはある魔物である。それに気づいてか、大剣を構えかけたフラムリーヴェも顔をしかめた。

「……契約による繋がりを感じます」

「使い魔か」

 使役されているはずの魚は、しかし制約などないかのように二人を威嚇し続けている。どうしたものか、とロレンスが肩をすくめたとき、魔力がうねった。

「ロレンス、下がって!」

 切羽詰まった忠告をかき消すほどの轟音が響く。暴風が吹きつけ、防御結界にひびが入った。ロレンスがたたらを踏むと同時に光の壁は砕け散り、赤と黒が彼の前に躍り出た。

 炎と光線がぶつかり合う。路地のただ中で拮抗したのち、赤い激流が光を、そしてそれを放った魔物をのみこんだ。

 火だるまになった魔物を呆然と見つめたロレンスは、炎色の背中に声をかける。

「ごめん、ありがと」

「いえ。怪我がなければよいです」

「使い魔は無事?」

「無事ですよ。少々、錯乱しているようですが」

 透き通った魚は、高音と低音が混じった声を上げながら空中で乱舞している。まき散らされた水しぶきが、倒れた魔物の体にかかる。犬と牛を混ぜたような魔物は、ぴくりと尾を震わせて薄目を開けた。

「ちょっとまずいか」

 ロレンスは緩慢な動作で杖を構える。同時、戦いの音に混じって、足音が近づいてきた。

「ああっ、ここにいた――って、ロレンスさん?」

「あ。ミケーレさん」

 魔物たちのむこうから駆けてきた()()を見て、ロレンスは杖を下ろす。逆に、灰色ローブの精霊指揮士(コンダクター)は足もとの魔物が動いたのを見るや、すかさず杖を突きつけた。

「『グラッカ・ツア・ゼフス・クーヴ』」

 水が滴るような音を立てて、石や金属片が檻を形作る。魔物は不快そうにうなったが、檻に攻撃しはしなかった。

 やってきた精霊指揮士の一人、ミケーレと同じ年頃に見える女性が透明な魚に駆け寄る。ミケーレは、彼女の様子を気にしつつも、ロレンスたちを見た。

「よく出てこられましたね。副支部長と一緒だったのに」

「あー……出てこられたというか、無理やり飛び出したというか……」

 答えてから、ロレンスは軽く身震いする。副支部長との面会中に窓から飛び出すなど、無礼もいいところだ。フラムリーヴェが一言添えてくれていたとはいえ、後が怖い。

 その様子を見て諸々を察したのだろう。ミケーレも「ああー……なるほど」と引きつった笑みを浮かべた。

「まあ、僕らとしては人手が増えて助かります。フラムリーヴェさんも一緒ですしね」

 フラムリーヴェの名を聞いた女性が、ぎょっと振り返る。ロレンスは頬をかき、ミケーレは苦笑した。

「それで、ネリアさん。クリュスの様子はどう?」

「ええ……さっきよりは落ち着いているわ。まだちょっと混乱してるみたいだけど」

 宙に浮く魚を人差し指でなでながら、女性が言う。ロレンスがフラムリーヴェを見上げると、うなずきが返ってきた。彼らが何かをする必要はない、ということだ。

 その後、ミケーレがロレンスに状況を教えてくれる。ここは魔物の発生地点、加えて指定避難場所である王宮前広場に近いため、居合わせた精霊指揮士たちが必死で魔物を静めているところだという。ミケーレたちもそれに加わっていたが、途中で女性の使い魔の様子がおかしくなったため、一緒に追いかけていたというわけだ。

「指揮官みたいな人はいるんですか?」

「今のところ、いないですね。各個撃破でぎりぎり持たせてる感じです」

「そうですか……まいったなあ」

 ロレンスは呟いて、空中の裂け目を振り仰ぐ。フラムリーヴェも、周囲を警戒しながら難しい顔をしていた。魔物を一掃するのなら、〈穴〉をふさぐのが手っ取り早い。が、いくつか問題点があった。

「何かあったんですか?」

 二人の様子を見て、ミケーレが首をかしげる。ロレンスは逡巡したが、大人二人の視線に根負けして、自分の考えを打ち明けた。〈穴〉そのもののことは伏せて、フラムリーヴェが裂け目をふさぐ方法を知っているが、魔物の妨害が激しすぎて実行に移せないことだけを話す。

 ミケーレたちは驚いていたが、さほど動揺はしていない。精霊人(スピリヤ)ならそういう知識もあるのだろう、と受け止めているようだった。それよりも、問題は〈閉穴〉できない現状である。

「陣を使う指揮術か……。確かに、発動の間は無防備になるものね」

「まわりの精霊指揮士たちに協力を頼めればいいですけど、一人一人に説明して回るのは効率が悪すぎますね。みなさん、話を聞いている余裕もないでしょうし」

「それで、どうしようかなって思ってて……。説明している間に、路地に魔物があふれたら事ですし」

 ロレンスは、雨に濡れた犬のようにしょんぼりしてうなずく。フラムリーヴェを含む大人三人が腕組みしてうなったものの、現状をひっくり返すような案は出ない。魔物の咆哮を聞いて構えを取ったフラムリーヴェが「仕方ありません」と呟いた。

「とりあえず、行くだけ行ってみませんか、ロレンス。お二人にも手伝っていただいて」

「え、それって……」

「私はこれから〈穴〉めがけて飛び、術の発動を試みます。その間、ロレンスとお二方で魔物の対処をしていただきたいのです」

 人間三人は目をみはる。フラムリーヴェは、大剣を構えたまま胸を張った。

「確かに、精霊指揮士のみなさんに説明している余裕はありません。ならば……行動で示すしかないでしょう。我々はこの状況を打開できる、と」

 ロレンスは息をのむ。いつの間にか震え出した手で杖を握りしめ、精霊人を見つめた。

「俺……フラムリーヴェを守り切る自信、ないよ」

 契約者のくせに情けない。そう思いながらも、ロレンスは言葉を止められなかった。彼の期待に反して――あるいは、予想通り――フラムリーヴェの表情は一切揺らがない。

「大丈夫です。ロレンスならできます。私も、術の発動までは戦いますし」

「でも――」

「背中は任せます、ロレンス」

 ロレンスの反論をさえぎって、フラムリーヴェは背を向ける。かと思えば、あっという間に上昇した。

 空の魔物を蹴散らしはじめた精霊人を、大人たちが唖然として見上げている。

「ちょ……私たちまで拒否権なし!?」

「……まあ、さっきの話が本当なら、チマチマ戦っていても意味がないんだろうし。とりあえず乗ってみるしかないよ」

 眉をつり上げている女性の横で、ミケーレが杖を構える。

 ロレンスは、無意識のうちに唇を噛んでいた。

『未だ見習いのおまえに、〈浄化の戦乙女〉の契約者など務まらん』

『おまえごときが一体、何の役に立ったというのだ』

 父の言葉が耳の奥にこだまする。それは糊のようにべったりと、彼の喉元にへばりつく。

 やっぱり無理だ。ロレンスが去りゆく影に語り掛けそうになったとき――彼女が振り返ったように見えた。

 きっと、それは錯覚だ。戦いのさなか、たまたま顔が地上に向いただけである。だがその錯覚は、ほんの一時、ためらいを振り切る力を少年に与えた。

 深呼吸する。杖を片手で構える。凪いだ心で空を見て。魔物の影を捉えたロレンスは、口を開いた。

「『イロ・イロ・ニュール』!」

 魔力の糸が空に伸びて、魔物たちを絡めとる。もがいている彼らを、赤い大剣が叩き落とす。

 ロレンスが詠唱したのを見て、大人たちも動き出した。

「『ドルファーダ』!」

「『ヤーナ・ヤーナ・スピルード』、『ラー・ユカ・ユカ』」

 竜巻が路地に散らばったものを押し上げる。それを呼びかけに応じた精霊たちが魔力を使って魔物にぶつける、という具合だ。当然精霊の様子など人間たちにはわからないが、瓦礫やガラス片、どこかの扉の把手などの動きを見るに、相当張り切っているのがうかがえた。

 ロレンスは、大人たちの協力に感謝しつつも、周囲に目を走らせる。路地の隙間からのぞく、雲のような葉に気づいた。町を彩る緑として植えられているものだろうが、それは魔力をたくわえる性質のある植物であり、霊薬づくりなどにも使われる。つまり――ロレンスは使い方をよく知っていた。

 名も知らぬ植物の管理者に心の中で謝って、ロレンスは杖をそちらに向けた。

「『レーネン・レーネン・ニュール』、『フルス・ラフス』!」

 天地の魔力を吸った植物が急激に生長し、緑色の粉をまき散らす。

「『フィエルタ・アーハ』!」

 ロレンスの意図に気づいた女性が、フラムリーヴェに杖を向ける。陽の光を透かした水晶さながらに輝く小さな砦が、精霊人を囲った。

 緑の粉を浴びた魔物たちがよろめく。天地内界の魔物であれば一瞬で眠りに落ちるところだが、そこはさすがに他世界の魔物、ということだろう。

 輝ける砦が消える。フラムリーヴェは、魔物たちの合間を縫って空を駆けあがる。放たれる吐息ブレスや振りかざされる爪、怪鳥の羽ばたきや指揮術()()()もすべてかわして、〈穴〉を目指した。

 戦いの音が小さくなり、路地がざわめきに包まれる。

「お、おい。何かが裂け目に向かってないか?」

「あれ……人?」

「いや、待って。精霊人だよ、あれ!」

「うそ、なんでいんの!?」

「初めて見た」

 色鮮やかな髪や赤い大剣、燃え盛る炎は青い空によく映える。魔物の対処に熱中していた精霊指揮士たちも、少しずつ空に注目しはじめた。

 今なら自分たちの声が届くかもしれない。ロレンスは淡い期待を抱いた。しかし、何をどう発信すればいいのかは見当もつかない。

 色白の頬を冷たい汗が伝う。そのとき、魔力とともに声が流れてきた。

「ロレンス、〈穴〉の前に到達しました。魔物は未だ多いですが――」

 ロレンスは軽く目をみはる。だが、驚きはその程度だった。相槌を打ち、〈穴〉の方に目を凝らす。心臓が激しく脈打つのを感じながら、大きく口を開いた。

「まわりの奴らは、俺たちがなんとかする。だから、フラムリーヴェ――頼んだ!」

 あえて、まわりに聞こえる声で叫んだ。語尾が震えたが、それを嘲笑う者は誰もいない。驚いた様子のフラムリーヴェですら、やわらかい声を魔力に乗せてきた。

「かしこまりました」

 一言が終わった瞬間、ミケーレと同行者の女性が詠唱を始める。フラムリーヴェに襲いかからんとする魔物を撃ち落とし、あるいは遠ざける。

 数が多い。加えて〈穴〉から次々出てくる。実際のところ、二人だけですべてに対処するのは不可能だ。それでも、できるところまでやるしかない。精霊指揮士たちは決意を固めて――あるいは自暴自棄になって――いた。

 フラムリーヴェが空中で佇む。風に揺れる赤と暗紫色の炎を見据え、ロレンスは口を開いた。

「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ

 クランダーテ・イリューオ・デア――』」

 契約解除の詠唱。そのさなか。


「しかたねえなあ。いいよ、出て」


 どこからか、そんなささやきが聞こえた、気がした。ロレンスは目をみはり、つい口を止めてしまう。瞬間、世界が動く。

 魔力がうねる。風景が歪む。〈穴〉が奇妙に膨張した。

 異変を察した少年は、杖を振り上げた。

「『フィエルタ・アーハ』!」

 詠唱は、半ば絶叫だ。幸い、魔力はなめらかに動いた。宙に壁が築かれる。その瞬間、闇の天蓋が現れた。

 王都中の空を揺るがすほどの咆哮がとどろく。結界にひびが入り、フラムリーヴェが飛びのいた。炎と暴風が空中でぶつかり、空気が幾度も破裂する。精霊たちの悲鳴と動揺が、人々の意識を揺さぶった。

「なんだ、あれ」

 言葉がこぼれる。それが誰のものかは、誰にもわからない。みんなが同じことを思っていたからだ。

 空を覆う闇の正体は、生き物。毒々しい体色の巨大な蛇がうごめいている。巨大な両目が、人間たちを睥睨した。

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