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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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56 精霊指揮士の総力戦――風の節(2)

 エルメルアリアが空を駆る。当然、上空の魔物たちは彼に目をつけた。金切り声を上げ、あるいは大きく羽を広げて魔力をまとう。魔物たちの体が輝きだすと、地上の精霊指揮士(コンダクター)たちが一斉に杖を構えた。


「『フラーネ・ポド・ルデッサ』!」

「『グロート・シェレーシャ』!」


 詠唱が重なり合い、色とりどりの光が天地の狭間で瞬く。火の球が敵を撃ち、連なり細く変形した岩が鳥の翼を捕らえる。その後にも、風、氷、雷、光弾――様々な攻撃が上空の魔物たちに殺到した。


 攻撃された魔物側は激しくいかった。鬱陶しい攻撃をはたき落とし、あるいは魔力ごと食らう。まともに被弾したものもいたが、その両目から赤黒い炎が消えることはなかった。


「『ゼフス・ルデッソ』!」


 年かさの精霊指揮士が、杖を天に向けてささやく。どこからともなく集まった鉄の欠片が、空飛ぶ魔物たちに向かって飛んだ。大半はかわされてしまったが、問題ない。今、もっとも重要なのは、〈穴〉から魔物を遠ざけることだ。目的は達成している。


 ばらばらと落ちる鈍色の輝きを見たヒワは、とっさに杖を跳ね上げた。


「『万物の母にして子なるものらよ。大地の欠片は玩具(がんぐ)なり。さあさあお好きに遊びなさい』」


 ヒワは踊るように杖を振る。カトリーヌほど上手くはないが、精霊たちの反応はあった。魔力が温まってうねり、天へと昇る。鉄の欠片の落下が止まり、再び魔物たちの方へ向かっていった。しかも、今度は規則性も何もない動きだ。生き物のように動く鉄くずに翻弄される魔物を見て、年かさの精霊指揮士が口笛を吹いた。


「やるねえ」

「う、上手くいった……!」


 ヒワは杖を握ったまま荒い呼吸を繰り返す。それを見て、年の離れた先輩は、ひょいと片眉を上げた。


「上手くいく確証なしにやったのか。度胸あんな」

「あ……ありがとうございます……?」


 叱るような雰囲気はないが、素直に褒められている気もしない。ヒワは戸惑いながらも杖を構え直し、慣れた詠唱をした。



 ヒワは頼もしい先輩たちの支援をしつつも、契約相手の様子を見守っている。激しい攻防の中で、エルメルアリアは〈穴〉めがけて飛び続けていた。精霊指揮士たちが空中の魔物を引きつけているおかげか、今のところ派手な妨害は受けていない。魔物に襲いかかられたとしても、自力で蹴散らしていた。


 精霊人(スピリヤ)は上っていく。契約者は、彼に飛び掛からんとする魔物を見つけると、すぐさま指揮術を放つ。何度かそれを繰り返していると、空がひらけて、光と闇が渦巻く〈穴〉が見えた。


 やった、とヒワは顔をほころばせる。が、そばにいる年かさの精霊指揮士がすぐさま彼女を小突いた。


「油断すんなよ」

「あっ――はい! すみません!」


 そんなやり取りをした直後。精霊指揮士たちの中から悲鳴が上がった。大きな影が飛び出して、あたりに暴風が吹き荒れる。よろめいたヒワの腕を年かさの精霊指揮士が片手でつかむ。もう片方の手で杖を振るった。


「ちっ――『レヴレマ・シェレーシャ』!」


 鎖状に絡まった雷撃が、飛び出した黒い影――隼を思わせる見た目の魔物を追う。だが、悠々とかわされてしまった。青白い雷撃はついに、空中でほどけて消えてしまう。


 年かさの精霊指揮士は再び舌打ちする。が、すぐに人混みの中を振り返った。


「おい! あれの主人は無事か!」

「無事です! でも、使い魔の制御が利かないみたいで……」


 返答したのは、コノメと同じ年頃の少女だ。飛んでいった使い魔の主人ではないらしいが。それを聞いた年かさの精霊指揮士は「またか」とうめいた。


 呆然としていたヒワはしかし、はっとして空を仰ぐ。


「エラ!」


 案の定、使い魔はエルメルアリアめがけて飛んでいた。彼も当然気づいたが、逃げ回るだけで精いっぱいらしい。


 ――いや、下手に攻撃できないのだ。天地内界(てんちないかい)の魔物である上に、人間の精霊指揮士の使い魔だから。ナルーのように静めようにも、それをするだけの余裕がない。


 援護しようと杖を掲げたヒワの手も震えている。心情的には、フラムリーヴェに攻撃するようなものだ。フラムリーヴェ本人なら、人間の指揮術を多少浴びたところで平然としていそうだが、相手は能力も生態もわからない使い魔である。どうしてもこれまでのようにはいかない。


 それでもヒワは、腕を無理やり押さえつけて、息を吸った。


「『岩石の矢よ、撃ち落とせ』!」


 ユリアナ広場周辺から浮き上がった石の欠片が、いびつな矢の形に変形する。精霊たちの介添えによって、矢は隼めがけてなんとか飛んだ。ただし勢いが弱く、撃ち落とすまでには至らない。気をわずかに逸らすことはできたようだが、不自然な狂乱はおさまらなかった。


 エルメルアリアは、しつこい隼をやりにくそうにかわしている。そんな中、別の影が彼めがけて飛び出した。人に似た体と鋭い牙を持ち、背中から鷲の羽を生やしているモノだ。


「――後ろ!」


 誰かが叫ぶ。エルメルアリアが振り返る。同時、怪物がその足に食らいついた。人にそぐわぬ立派な牙が、細い脚に食い込む。


 ヒワの目の前が真っ白になった。考える前に杖を振る。


「『くすしき疾風(はやて)よ、魔を払え』!」


 悲鳴じみた詠唱が天を裂く。魔力の光を運んだ突風が怪物に襲いかかる。体が少し揺らいだだけで、獲物から口を離そうとはしなかった。しかし、ほんのわずかな隙をついて、エルメルアリアが怪物の頭をつかむ。手の中で魔力が弾け、それを突き飛ばした。余波を受けたのか、隼の使い魔も上空でふらつく。


「『イロ・イロ・ニュール』」


 年かさの精霊指揮士が使い魔を糸で縛る。「おら、こっちこい」と言いながら、暴れる隼を全力で引き寄せた。ヒワも加勢しようとしたが、自分が加わっても足手まといになると思い直して、空を見る。――緑の瞳と視線がぶつかった。


「悪い。油断した」

「ううん。それより、足、大丈夫?」

「おう。すぐ治る――お節介な精霊どもが集まってきてるからな」


 悪戯っぽく笑うエルメルアリアを、光が包んでいた。よく見なければ気づかないほどの、淡い輝き。それを見て、人間二人は杖を握ったまま固まる。


「すげえな。精霊の方から魔力を渡すなんて、聞いたことねえぞ」

「ふっふっふ。伊達に何百年と精霊人やってねえよ」


 調子よく言い放ち、エルメルアリアは再び飛び立つ。進路をふさぐ魔物たちを指揮術で薙ぎ払っていくが、包囲網から抜け出すことは叶わない。


 それに、援護していたヒワはすぐに気づいた。彼が噛みつかれた方の足をかばいながら飛んでいることに。


 それは年かさの精霊指揮士(コンダクター)も同じである。エルメルアリアに群がる魔物を地道に追い払いながら、舌打ちした。


「連中、血の気は多いが馬鹿じゃねえな。エルメルアリアの動きが鈍ったのを見つけやがった」

「そんな……」

「早く片をつけたいところだが。簡単にはいかねえわな」


 ヒワたちだけでなく、精霊指揮士全員が攻撃を続けているが、焼け石に水だった。他世界の魔物たちは容易に弱らない上に、〈穴〉からとめどなく援軍が飛び出してくる。手が付けられなくなるのも時間の問題だ。


 何か策を打たなければ。どうする、何ができる。詠唱を続けながらも必死で考えたヒワは、あることに思い至った。精霊人の契約者だけができること。与えられた権限。


 少し呼吸を整えたヒワは、半歩下がる。年かさの精霊指揮士に少しの間攻撃を任せて、杖を両手で握りしめた。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」

「『フィエルタ・アーハ』!」


 制限解除の詠唱を始める。しかし、年かさの精霊指揮士の詠唱が、それをかき消した。彼の杖が向いているのは、空ではなく、ヒワである。彼女が瞠目したとき、耳元で甲高い音が響いた。


 白く光る物が目の前をよぎって、落ちた。


 ぎょっとしたヒワは、詠唱を完全に止めて振り返る。年かさの精霊指揮士が、地上、群衆の外に杖を向けた。


「誰だ。魔物じゃねえな?」


 応えはない。ただ、少しして、裂帛(れっぱく)の叫びが喧騒を割った。


「ルートヴィヒ! 何してるの!」


 年かさの精霊指揮士が顎を落とす。ヒワも杖を取り落としそうになった。


「マール、さん? それに――」


 銀灰が揺れる。名前を呼ぼうとした人が、自分からヒワたちの前に現れた。彼はヒワをひとにらみした後、その視線を隣の人魚へ向ける。


「当てるつもりはなかった」

「なくても当たってたかもしれないでしょう。ヒワさんやまわりの人が怪我をしたらどうするの」


 不服そうな青年に、青い人魚――マーリナ・ルテリアが言い返す。(まなじり)が明らかにつり上がっていた。


 言いあう二人を呆然と見ていた年かさの精霊指揮士が、ぎこちなくヒワを振り返る。


「嬢ちゃん、知り合いか」

「一応……」

「そうか。何か恨みでも買ったのか?」

「心当たりはないです」


 正直に答えたヒワは、恐る恐る前を見る。


「あ、あの、ルートヴィヒさん」


 震える声で呼ぶと、二人はぴたりと口論を止めた。心配そうなマーリナ・ルテリアをよそに、ルートヴィヒが顔をしかめる。


「さっき、何か投げたんですよね?」

「投げナイフだ」


 端的な答えが返った。ヒワは息をのむ。心臓が縮んだ。


「どうして、そんな物を……」


 しぼり出すような問いに対する、青年の態度は冷ややかだ。吹雪を閉じ込めたような瞳を、まっすぐヒワに向ける。


「今、精霊人の制限を解除しようとしただろう」

「は、はい」

「なぜだ」

「なぜって……エラが、危ないと、思ったから……」


 精霊の様子に敏感らしい青年は、上空を一瞥する。それから、またヒワをにらんだ。


「エルメルアリアから要請があったわけではないな。そちらの独断か」


 淡々とした言葉はしかし、ヒワを容赦なく突き刺す。そこに責めるような色を感じ取ってしまったのは、精霊人が天地内界で力を振るうこと自体をルートヴィヒが快く思っていない、と知っているからだろう。


 ヒワがそろりとうなずくと、ルートヴィヒはため息をこぼした。


「俺からすれば、彼が『危ない』ようには見えない」


 直感を確信に変えられて、少女は今度こそ言葉に詰まる。


 マーリナ・ルテリアが咎めるように相方の名を呼ぶが、彼は珍しく黙らなかった。


「確かに負傷はしているようだが、それも彼にとっては些末事だろう。精霊たちもきちんと反応している。制限を解除しなければならないほどではないはずだ。冷静さを欠いた状態で、己の不安を解消するためだけに権力を振りかざすのは、愚か者のすることだ。――契約相手を信頼していない、とも言えるな」


 彼の説教――特に最後の一言は、ヒワに小さくない打撃を与えた。ぶるりと肩を震わせた彼女は、引き立てられた罪人のように沈黙する。


 そのとき、乾いた音が響いた。


「ルートヴィヒ!」

「……なぜ叩く。マール」

「言い方というものがあるでしょう」


 相方の頭をひっぱたいたマーリナ・ルテリアは、腰に手を当てて彼をにらむ。年かさの精霊指揮士が、それに便乗した。


()きご婦人の言う通り。俺みたいな、図太さが服を着て歩いているような奴相手ならともかく、嬢ちゃんに対してあれは言いすぎだ。それに、契約者と契約相手のやり取りに、外野が口出しするのは違うだろう」


 銀灰色の眉を寄せた青年は、飄々としている男をにらむ。


「だから止めなかったのか」

「いいや? 俺は、口で言うだけじゃ伝わらんこともあるだろうと思っただけだ」


 含みのある一言を聞いて、ヒワは彼を振り返った。ルートヴィヒも意外そうにまばたきしている。


「それ、って」

「制限を解除した結果、何かが起きたら『鎮火』を手伝って、嫌味な感じでちょこっと説教するつもりだった……って、こんなこと言わせんなよ。青二才」


 年かさの精霊指揮士は露骨にルートヴィヒをにらむ。にらまれた方も、拗ねた子供のような表情をした。


「なぜ俺に言う」

「おまえさんが割り込んできたせいで、柄にもない話する羽目になったんだろうが。あとでエルメルアリアに告げ口してやる」


 ったく、と呟いた彼は、杖を回して詠唱する。エルメルアリアが突き飛ばした魔物をまとめて縛り上げ、地上の方へ引き寄せた。ヒワは杖を抱きかかえたまま、そんな彼を見上げる。


「あ、あの。わたし――」

「あー。忘れろ。深く考えるな。そもそも、エルメルアリアに『何か』が起きるわけないんだからな。あんだけ精霊に好かれてる奴だぞ?」


 愚痴っぽく言った精霊指揮士は、空の一点に群がる魔物を次々と撃ち落とす。言葉を見失ったヒワは、しばし立ち尽くしていた。そんなとき、不自然な魔力が流れてくる。


「ヒワ!」

「うわ、エラ?」


 ヒワの耳元で響いたのは、遥か上空にいるはずのエルメルアリアの声だ。年かさの精霊指揮士やルートヴィヒも目をみはっている。


「〈閉穴〉できる地点に着いた……けど、うろついてる魔物が鬱陶しい!」

「そっか。どんどん湧き出てきてるから」

「ああ。ってわけで、まずはこいつらをどうにかする。手伝え」

「わ、わかった――」


 ヒワが答えた瞬間、地上で光と大声が弾ける。見れば、精霊指揮士たちを守っている結界や土壁に、ところどころ亀裂が走っていた。年かさの精霊指揮士が眉を寄せる。


「地上もそろそろ限界か」


 厳しい状況を見聞きしたヒワは、片手で杖を握った。目を細めている青年を振り返る。


「ルートヴィヒさん」

「なんだ」

「まだ制限は解除しません。その代わり、次は手出ししないでください。あの裂け目をふさぐには、エラの全力が必要なんです」


 不機嫌を装って言う。ルートヴィヒは一瞬黙ったが、その後は「承知した」と答えてくれた。ヒワは小さくうなずくと、表情を緩める。


「それと……お二人にお願いがあります」


 今度、ルートヴィヒは口を開かない。氷の視線は言葉なき催促をする。ヒワは彼らを見据えた。


「魔物を追い払うのを、手伝ってください」


 二人は顔を見合わせる。ヒワは、少し深めに頭を下げた。


 ややして、足音とかすかな金属音がする。泡が弾けて、ふわりと流れる。ヒワが頭を上げたとき、抜剣したルートヴィヒが彼女たちの横を通り過ぎた。


「元よりそのつもりだ」


 冬の風のような声が、ささやく。そのかたわらで、小さな人魚がほほ笑んだ。


「この子、あなたたちを心配してここに来たのよ」

「……マール」


 咎めるような一言を、しかし人魚は聞き流す。清らかな笑声を立てた後、小さな龍に変化して飛び上がった。ルートヴィヒは困ったようにしつつも、石畳を蹴る。


 二人に改めて頭を下げたヒワは、空をにらむ。白く輝く太陽に、つるりと光る若草色の石を向けた。


「『烈日よ、熱して焦がせ』!」

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