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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第四章 決意と想いのフリクション
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56 精霊指揮士の総力戦――風の節(1)

 協会支部の前は、人でごった返していた。誰もかれもが不安そうに空を仰ぎ、あるいは町の様子をうかがっている。その間を忙しなく駆け回るのは、軍人か精霊指揮士(コンダクター)だ。


 カトリーヌも、忙しなく駆けている一人だった。つい先刻、丸め込んだ――もとい合流した精霊指揮士とともに、一組の親子をここまで連れてきたばかりだ。親子と別れ、魔物が跋扈(ばっこ)する町へ戻ろうとしていたとき、後ろが騒がしくなった。


「包帯が足りません!」

「消毒用の薬草酒も」

「薬草酒は在庫があったはず。ああでも、足りるかな……」


 傷を癒せる精霊指揮士と派遣されてきた医師たちで構成されている医療班が、緊張した様子で動き回っている。幸い、今のところ死者や重傷者はいないが、怪我人ゼロとはいかない。避難中に転んだ人や、魔物に襲われかけて逃げ延びた人が絶えない中で、人手も物も足りなくなっていた。


 そんな中、医療班に一人の男性が近づく。


「あの。よろしければこれ、使ってください」


 精霊指揮士の一人に声をかけた男性は、携えていた鞄を開く。中身をのぞいた精霊指揮士が目を丸くしていた。


「これって……」

「包帯とガーゼと……この痛み止めも人間に使えるはずです。ああでも、薬は使う前に現場の医師に確認とってください」


 男性はてきぱきと道具類を精霊指揮士に渡している。彼女は、恐縮した様子で礼を言った。


 その様子を見ていたカトリーヌは、医者だろうか、と首をかしげたが、その推測をすぐに否定した。医者ならばあのような言い方はしないはずだ。なんにせよ、親切な人はいるものである。カトリーヌがほほ笑んだとき、ざわめきを打ち消すような激しい足音が響いた。


「スノハラ先生!」


 切羽詰まった叫び声。それを聞いて、カトリーヌは目をみはった。逸らしかけた視線を、先ほどの男性に戻す。彼もまた、驚いた様子で振り返っていた。


「あれ、ヴェルテ先生。何かありましたか」

「さっき……町で、先生の娘さんを見かけて……」

「へっ?」


 落ち着いていた男性の声がひっくり返った。


「上の子ですか、下の子ですか。まさか両方?」

「ええと、あれは多分、妹さんの方ですね」

「レナは一緒でしたか」

「いえ。ただ、知らない人と走ってて――」


 男性二人が慌てふためき言葉を交わす。耳をそばだてていたカトリーヌは、杖を弄びながら苦笑した。


「なんだか、ややこしくなってきたわね」



     ※



 広場を覆う無数の影と、対峙する精霊指揮士(コンダクター)たち。非現実的な光景は、まるで一枚の絵画かのように動かない。その様子を見守っていた三人と一頭は、仲間と広場を交互に見た。


「何、この数……」

「〈穴〉――空中の裂け目から出てきた奴が、ここに集まってんだろうな。守り人気取ってんのかなんだか知らねえけど」


 精霊人(スピリヤ)の発言に、人間たちが表情を引き締める。石畳に座ったエルメルアリアがヒワを見上げた。


「ヒワ。〈穴〉はあの向こうにある」

「ってことは」

「ああ。あの群れを突破しなきゃなんねえ」


 黒く染まった空を緑の瞳がにらんだ。そのとき、耳をつんざくような鳴き声が響き渡る。


「来るぞ!」


 誰かの忠告に従って、精霊指揮士たちが一斉に杖を構えた。数多(あまた)の光の壁、あるいは砦が展開される。そこに炎が撃ち込まれ、いくつかの結界が破られたが、炎は人間のもとまで到達しなかった。


 この応酬がきっかけだった。魔物たちが次々と指揮術まがいの攻撃を繰り出し、あるいは牙を剥き、爪を振りかざして人間たちに襲いかかる。人間も負けじと応戦し、ユリアナ広場はたちまち光と怒号と轟音に満たされた。


 こうなると、ヒワたちも隠れている場合ではない。自ら広場に身を投じ、なだれ込む魔物たちを押し返す。


「『グラッカ・フラーヴ』、『ザクラド・ルデッサ』!」

「『息吹の雨よ、降り注げ』!」


 散らばっていた石の破片が詠唱と杖に制御され、魔物たちを撃つ弾丸に変わる。さらに、空中に凝っていた魔力が光を放って凝縮し、地上の獲物に食らいつかんとしていた魔物たちを一掃した。それを見てか、無節操に氷の息を吐いていた真っ青な鳥が、ぎょろりと眼を動かした。


 破壊力を持った白い息が吐き出される。ヒワの目がそれを捉えた瞬間、彼女の前にエルメルアリアが躍り出た。彼が宙に両手をかざすと、薄い光の膜が張る。それは氷の吐息をすべて受け止め、()()()()()


「いい加減、大人しく帰りやがれ!」


 怒号に合わせて光の膜が消え、その内から氷雪の塊が生まれた。エルメルアリアは両腕を高く振り上げ、下ろす。白い塊が、まるで彼に放り投げられたかのように前へ飛んだ。『持ち主』だけでなく周辺の魔物をも巻き込んで落下し、転がり、砕ける。


 派手な反撃を見ていた精霊指揮士の中から歓声が沸き起こった。人間側の士気が上がり、攻撃の勢いが増す。際限なく湧き出てくる魔物はだが、徐々に押されはじめた。


「おっしゃ、いける!」

「でも、まだ気は抜かないで。こいつら、内界の魔物じゃない」

「殺す気でいかなきゃこっちがやられるな」


 性別も年齢も様々な精霊指揮士たちが、時に言葉を交わし、時に詠唱する。顔見知りばかりではない。それでも彼らは、この窮状にあって団結していた。


 そして、ついに一部の魔物がまとまって人間たちに背を向けた。集っている精霊指揮士のいくらかが、安堵の表情を浮かべる。しかし、ヒワは杖を構えたままでいた。何かがおかしい。頭の奥で、自身の直感がそうささやく。


「ナルー?」


 獣のうなりとカルロの声。ヒワはその方を振り返る。狼に似た魔物が、背を丸めてうなっていた。彼の両目が見ているのは敵の魔物ではない。周囲の人間たちだ。


 気づいたヒワが行動するより早く、ナルーの前で乾いた音が響く。エルメルアリアが思いっきり手を叩いたのだ。軽く飛び上がったナルーは、小さな少年をまじまじと見た後、頭を振る。


 そのとき、人混みの中からいくつかの悲鳴が上がった。


「ルファ、落ち着いて!」

「うわっ、このイカズチフクロウ誰の使い魔!?」

「ぼ、僕のです! どうしちゃったんだ、急に」


 鳥獣の鳴き声と人間たちの騒ぐ声が混ざり合う。近くにいたヒワとカルロは、思わず顔を見合わせた。そのとき、風に乗って嫌な魔力が流れてきたのを感じ取り、二人揃って杖を構えた。


 大地が震動する。女性の悲鳴にも似た風の音がこだまする。先ほどまで逃げ腰になっていた魔物たちが、反転して押し寄せてきた。


「『フィエルタ・アーハ』!」

「『あからしま風、吹き散らせ』!」


 比較的冷静だった精霊指揮士たちが、各所で防御結界を展開する。ヒワは逆に、魔物たちを押し返そうと試みた。彼女の指揮術が届く範囲では、暴風が吹き荒れ、天地の魔物たちがじりじりと下がる。ただ、それも一時的なものでしかなかった。


 あらゆる攻撃が降り注ぎ、大型の魔物の突進が結界を揺らす。当然人間たちも応戦したが、先ほどまでより明らかに精彩を欠いていた。


「逃げるように見せかけて油断を誘い、使い魔の暴走でさらに動揺させて、そこへ一気に攻撃を仕掛ける、か。魔物だけで考えた作戦とは思えねえな」


 エルメルアリアの呟きが、ヒワの耳をかすめる。彼女が思い出すのは当然、サーレ洞窟で見た魔物たちの様子だ。顔を曇らせたヒワのそばで、カルロも「妙に役割分担ができてるしね」と同意した。


 エルメルアリアが再び飛び出す。彼は今、広場中を駆け回り、危なそうな精霊指揮士の補助に入っていた。おかげで致命的な怪我を負った人はいなさそうだが、たった一人の精霊人が対応できる規模ではない。ぎりぎり持たせている彼の相貌にも、さすがに疲労の色が見えていた。おまけに、他世界の魔物は〈穴〉から次々やってくる。


「吹っ飛ばしても撃ち落としても全然減らない!」

「あの不気味な裂け目をどうにかしなきゃだめだろう。連中、あそこから湧いてきてるんだから」

「けどさ、あれに指揮術ぶち込むのはだめなんでしょ?」

「そうなんだよなあ。ま、何が起きるかわかんねえしな」


 攻防の合間のやり取りすら、もはや絶叫じみている。眼前の敵だけでなく、味方であるはずの使い魔にまで対応しなければならなくなり、誰もが余裕をなくしていた。おかげで、自我を保って魔物たちを蹴散らすナルーがまわりから称賛されてはいるが、大勢をひっくり返すほどの要素にはなりえない。


「『(たけ)(ほむら)よ、天の敵を焼き焦がせ』!」


 ヒワは、基礎の翻訳詠唱に少しの工夫を加えたものを唱える。空を払うように杖を振ると、炎の帯が扇状に広がり、彼女たちを狙っていた巨大な蝙蝠(こうもり)と蛾をのみこんだ。


 追撃が来ないことを確かめて、ヒワはエルメルアリアを呼び戻す。肩で息をしている彼の手を握って、軽く引いた。


「エラ、無理しないで」

「つってもよ……オレが抜けたら戦線崩壊しかねないぜ、ここ」

「けど、〈閉穴〉のために体力温存しとかないと」


 言いながらも、ヒワは己を傷つけるかのように拳を握る。せめて、自分がもっと上手く立ち回れれば――侵食してきた考えを、かぶりを振って追い出した。


 一方、エルメルアリアは、未だに黒い空をにらむ。


「そこなんだよ。〈穴〉がすぐそばにあるんだから、ふさいじまうのが手っ取り早いんだけど……」

「あれじゃ近づけないよなあ。せめて、魔物がもう少しどいてくれるといいんだけど」


 打開策はないものか。ヒワは周囲に視線を巡らせる。といっても、見えるのはところどころが壊れた町と、魔物の影と、すでに力を振り絞っている精霊指揮士たちだけだ。〈穴〉のことを知らないであろう彼らに協力を頼むわけにもいかない。――と、そこまで考えて、ヒワは目をみはった。


「違う――そうじゃない」


 今までは、自分たちしかいなかった。


 しかし今回は、すぐそばにこれだけの人がいる。しかも、経験や実力に差があるとはいえ、全員が精霊指揮士だ。ならば、やるべきことは決まっている。


 息を吸う。夏雲のように湧き出る不安と恐怖をかみ殺し、叫んだ。


「あの、みなさん! 聞いてほしいことがあります!」


 腹から声を出したとはいえ、ヒワの声量では広場全てには届かない。振り向いたのはせいぜい、彼女の周囲にいた七、八人ばかりだ。だが――それでも十分だった。


「どうしたの、ヒワさん」

「悪いが手短に済ませてくれよ。こっちもぎりぎりなんだ」


 カルロが首をひねり、そのそばで杖を振っていた年かさの精霊指揮士が続く。ヒワはうなずいて、空を指さした。


「わたしたちは、空中の裂け目をふさぐ方法を知っています」


 彼女の話を聞いていた人々が目を剥いた。カルロがずいと身を乗り出す。


「本当に?」

「はい。しかも、あれをふさげば、魔物の大半は元いた場所に帰ってくれます」

「そりゃ最高じゃねえか。で? どうやるんだ」


 年かさの精霊指揮士がからかうように尋ねる。ヒワは、あくまで真面目にうなずいた。


「とっても難しい術を使います。この場でそれができるのは、彼――エラだけだと思います」


 ヒワが愛称で呼ぶと、エルメルアリアは目を丸くして「おい、ヒワ」とささやく。しかし、人数分の視線を受けると、あきらめたように両手を挙げた。子供のような体躯でありながらそれらしさを感じない佇まいを見て、何人かが興味深げに顔を寄せる。


「さっきから飛び回ってる精霊人――」

「もしや。あんた、契約者か」


 年かさの精霊指揮士が、ヒワを見て目を細めた。ヒワは早鐘を打つ心臓の音を聞きながら、うなずいた。周囲から驚きと戸惑いの吐息が漏れる。ヒワの頬を冷や汗が伝った。震える手足をなだめながら、なんとか話を続ける。


「エラがあ――の裂け目の前に行く。わたしが彼にかかっている制限を解除する。エラが術を発動させてあれをふさぐ。これが対処法の手順です」


 最初の質問に答えて、先ほどの精霊指揮士とカルロを見やる。彼らは、小さく顎を動かした。それを了解だと解釈して、ヒワはさらに続ける。


「裂け目の前に行くためにも、術を発動させるためにも、空にいる魔物を遠ざけないといけません。それを、みなさんに手伝っていただきたいんです」


 話を聞いていた精霊指揮士たちが顔を見合わせる。未だ、魔物は空を埋め尽くさんばかりだ。それをすべて追い払えというのか――と、彼らの瞳が語っていた。ナルーに近くの魔物を追い払わせたカルロが、首をかしげる。


「ここから術をかけることはできないの?」


 これには、エルメルアリアが答えた。


「無理だな。多少改良したとはいえ、基本的には陣を使う術だ。遠くから飛ばせるもんじゃねえ」

「なるほど、固定型か。ってこたぁ、陣描いてから発動までにも時間がかかるな」


 年かさの精霊指揮士が薄い顎髭をなでる。エルメルアリアは「わかってんじゃねえか」と彼に不敵な笑みを向けた。


 ヒワはハラハラしつつも、改めて皆を見回す。


「とにかく、今からしばらくの間、空の魔物だけを攻撃してほしいんです」

「そうすると、地上が手薄になるじゃん。どうするの?」


 挙手して問うたのは、カルロと共に行動していた女性だ。当然の疑問に、ヒワはまっすぐ答えた。


「防御結界で守りましょう。攻撃する人と防御する人に分かれて、防御する人は結界の維持に集中する感じで」


 人々の表情が翳る。それだけでこの数の魔物を押しとどめられるのか――彼らの不安は、ヒワにも理解できた。だから、強く言うのは気が引ける。それでも彼女は、言い募った。


「これだけたくさんの精霊指揮士がいれば、できると思うんです。色んな指揮術が使えて、経験豊富な方も多いでしょうし。――どうか、手伝ってください。お願いします」


 視界がぼやける。声はみっともなく震えている。それでもヒワは言い切って、深々と頭を下げた。


 戸惑いと不信感はぬぐわれない。こうしている間にも、攻防が続いている。ヒワが焦りを覚えたとき、誰かが手を叩いた。


「やってやるよ。頭上げな、嬢ちゃん」


 ヒワは恐る恐る前を見る。今までずっとしかめっ面だった年かさの精霊指揮士が、ほほ笑んでいた。


「エルメルアリアの契約者にここまで言わせて断ったとありゃ、精霊指揮士の名が廃る。全力で乗ってやらぁ」

「えっ……!?」


 ヒワのささやきと、周囲の引きつった声が重なる。本名を看破された精霊人は、まじまじと年かさの精霊指揮士を見つめた。


「んー……? あんたとは初対面な気がするけど」

「初対面だよ。けど、俺のじいさんがあんたとユース共和国に行ったってんで、よく話を聞かされてたんだ。思ってたのとはだいぶ違うが……本人なんだろ」


 ふむ、と呟いたエルメルアリアは、その場で軽やかに宙返りする。そして、にやりと笑った。


「ああ、本人だ。戦友の孫に会えるとは、嬉しいもんだな」

「こちらこそ、お会いできて光栄だ。〈天地(あめつち)の繋ぎ手〉よ」


 小さな手と大きな手が握手する。大半の精霊指揮士たちは呆然としてそれを見ている。一方のヒワは、涙をぬぐって杖を握り直した。彼らの様子に気づいた年かさの精霊指揮士が、太い音を立てて手を叩く。


「おらおら、ぼさっとすんな。俺が現場指揮とっちまうぞ。結界術と『土木』が得意な奴は、地上の防衛。それ以外は空の魔物に集中攻撃。遠くの連中にも伝えろ、急げ!」


 活を入れられた精霊指揮士たちは、困惑の色を残したままで散っていく。それを見送ったヒワは、隣に残った彼を振り仰いだ。


「あの、ありがとうございます」

「礼はいらねえよ。こういうのは慣れた大人の仕事だ。それより、嬢ちゃんは前に出すぎるなよ」

「はい。でも――できる限りのことはします。言い出しっぺなので」


 ヒワが杖を空に向けると、年かさの精霊指揮士は「そうかい」と笑う。二人の間で、エルメルアリアが空を駆けあがった。さっそく襲ってきた魔物を、片手の一振りで生み出した氷の刃で撃ち落とす。緑の瞳が、地上に連なる光の壁と砦を捉えた。


「よし、始まったな。――行くぜ、ヒワ」

「うん。気をつけてね、エラ」

「契約者殿はこっちに任せろ」


 拳を握ったヒワの隣で、年かさの精霊指揮士が顔を指さす。エルメルアリアは、口の()を持ち上げて――一気に飛び上がった。

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