54 守るための戦い
宿から飛び出したヒワたちが見た光景は、ロレンスが目撃したそれと大差ない。
空から次々と魔物が降ってくる。そのたびに轟音がとどろき、煙が上がった。さらに、上空では色とりどりの光をまとった鳥が巨大なくちばしを開く。
「『フィエルタ・アーハ』!」
カトリーヌが遠くに杖を向けると、通りの一角が、光り輝く砦に覆われる。鉄壁の防御結界は、鳥による白い吐息を防ぎ切った。ついでに、便乗して突撃してきた他の鳥型魔物も跳ね飛ばす。それを見て、ヒワも杖を抜き放ち、振った。
「『石の疾風よ、吹き抜けろ』!」
詠唱が終わると同時、町を駆けた風が周囲に散っていた瓦礫の粉をさらう。それは針のように尖り、通りに降りてきた魔物たちをまとめて叩いた。彼らが悲鳴を上げると、エルメルアリアが飛び出して、市街に結界らしきものを張る。それから鋭く手を叩くと、悶えている魔物たちの上に光弾が降り注いだ。
「ヒワ。それ、素敵ね」
町の様子を見ていたカトリーヌが、ヒワを一瞥する。何に対する言葉なのかを察したヒワは、腰に提げているものに触れた。簡素な革帯と、剣の鞘にも似た細長い袋。杖を収納するためのものだ。
「エラが用意してくれたんだ」
「へええ。最初の杖もエラちゃんが作ったものだったのよね。器用なのねえ」
感心したようにうなずいたカトリーヌは、直後に再び杖を振る。また遠くに結界が張られた。
「まあ、その話はあとでたっぷり伺うとして……なんなのかしらね、この魔物たちは」
「部屋からは〈穴〉っぽいものが見えたけど……」
「間違いねえな。空にがっつり〈穴〉が開いてやがる」
苦々しげな言葉とともに、小さな少年が舞い戻ってくる。ヒワが名を呼ぶと、彼は彼女の肩の真上で滞空した。
「しかも、多分ひとつじゃねえ。すでに王都全体に魔物が散らばってやがる」
「やだ、大変じゃない」
カトリーヌが眉を跳ね上げる。みずみずしい輝きを湛えた瞳が、わずかにのぞく鮮やかな青空を映し出した。
「王都の結界がほころんでる。ほかの世界の魔物ってそんなものまで壊しちゃうのね」
「いや、魔物どもじゃなくて、〈穴〉から漏れ出した魔力のせいだろ。〈穴〉が開いたのは結界の内側だ」
「なるほど。これじゃ内界の元気な魔物も入り放題ね」
先輩と精霊人の応酬は軽快だ。ただし、内容は深刻である。ヒワは思わず杖を握りしめた。
「ロレンスたちは気づいてるかな」
「さすがに気づいてるだろ。支部の連中だって、指くわえて見てるわけもねえ」
エルメルアリアは宙を蹴る。舞い踊るように旋回し、少女たちの前に出た。
「なんにせよ、オレたちの仕事は変わらない。魔物の送還と〈閉穴〉――やるぜ」
にやりと笑ったエルメルアリアを見て、ヒワとカトリーヌは拳を握る。「おおっ!」と応じるやいなや、駆け出した。
町ではすでに魔物と精霊指揮士の攻防が始まっているようである。そこかしこで光が弾け、あるいは熱風や石などが飛び交っていた。
「『ラズィ・シルール』!」
「『光華の砦、ここに建て』!」
カトリーヌもまた、器用に火花を操って数体の魔物を昏倒させる。ヒワはひとまず、飛びかかってくる魔物たちを防御結界で弾き返すこことにした。不安定な術で市街地を無駄に破壊しないためである。
その間からエルメルアリアが飛び出した。襲い来る怪鳥を吹き飛ばしながら、上へ上へと駆ける。その目が見つめるのは、遥か高みにある裂け目。しかし、そこへ到達する前に、ひときわ大きな鳥型の魔物が立ちふさがり、耳障りな声を上げる。魔力をまとった鳥の突撃をエルメルアリアは危なげなくかわし、逆に暴風で撃ち落としてやった。その代わり、〈穴〉との距離は開いてしまう。
「制限付きで一人で突破は厳しいか、こりゃ」
「かといって、お空に戦力集中したら、後ろから噛みつかれそうよね」
「結界で守りながら……いやだめか、この魔物の数だと、いつまで維持できるかわかんない」
言葉を交わしながら、三人は次々と魔物を無力化していく。ただ、数が多すぎて、送還している暇がない。誰もが歯がゆい思いをしていたとき、突然空が輝いた。
何事かとヒワは顔を上げ、そして言葉を失った。〈穴〉より少し低いところを、鳥の形をした光が飛んでいる。ロレンスの伝霊よりも大きく、より精巧に鳥をかたどっていた。その光が空を横切るたびに、声が響き渡る。
『王都全域の精霊指揮士の皆様へ。魔物の大量発生を確認しております。市民の皆様の避難誘導と、魔物への対処をお願いいたします。指定避難所は、精霊指揮士協会アルクス王国支部、王宮前広場、警察本部前です。なお、安全のため、以下のことを守ってください。必ず二人一組で行動してください。上空の裂け目に指揮術を当てないようにしてください。繰り返します――』
それから、何度も同じことを言って回った。しかも、その声はひとつではない。ヒワたちのそばでは女性の声が響いているが、耳を澄ますと男性の声も聞こえる。
「協会支部が動き出したわね」
カトリーヌが安堵した様子で呟く。エルメルアリアも、「やっとか」と腕を組んだ。
それまで激しく響いていた戦闘の音が、途切れがちになる。精霊指揮士たちが指示に従って動き出したのだろう。
「『ミーレル・バンデ』!」
にじり寄ってきた豹のような魔物を光弾で仕留めたカトリーヌが、一度杖を引っ込めた。
「よし! それじゃあ私は、市民の皆様の避難を手伝おうかしらね。――ヒワとエラちゃんで、すでに二人一組だし」
笑顔でそんなことを言ったカトリーヌを、ヒワはまじまじと見つめる。
「それだと、カトリーヌが一人になっちゃうんじゃ」
「大丈夫。だって、ほら――『フラーネ・ファラック』!」
杖が拍子を刻み、花の貴石が陽光を弾く。その先から放出された炎の帯が、何かに襲いかかろうとしていた魔物を包んだ。ヤマネコに似たその魔物は、太い尾で炎を振り払い、逃げようとする。エルメルアリアが飛ばした魔力の糸が、その後ろ足を縛った。
石畳に叩きつけられた魔物。そのむこうには、杖を構えて呆然としている青年がいた。
「はぁい、そこのあなた! よければ一緒に行きましょ」
カトリーヌは、孤立していたらしいその青年に向かって駆けだす。持ち前の勢いの良さで彼を丸め込むと、ヒワたちを振り返った。
「それじゃあね! 〈閉穴〉と魔物の送還はあなたたちに任せたわ」
明るく告げると、青年を引っ張って去っていく。唖然として彼女を見送ったヒワたちは、苦笑して互いを見た。
「やってることが逆ナンだよ、カティ……」
「嵐みてーな奴だな」
自分を棚に上げて、肩をすくめるエルメルアリア。曖昧に笑ってそれに応えたヒワは、迫りくる魔物たちに杖を向ける。
「二人っきりで魔物と向き合うの、なんか久しぶりだね」
ふと思いついて、呟く。両手を軽く振って精霊を呼び集めたエルメルアリアがほほ笑んだ。
「そうだな。モルテ・テステ渓谷を思い出す」
「憑依精霊さん、元気かな」
「地元の魔物に襲われてないといいな」
独特の話し方をするアルマジロを思い出して、つかの間和む。
あのときとよく似た状況。しかし、変わったこともある。
人間の姿を見つけたのか、白い野犬のような魔物が市街地へと駆けていく。ヒワは、フウレイハシバミの杖の感触を確かめて、息を吸った。
「『光華の砦、ここに建て』!」
野犬の周囲を光り輝く壁が囲む。それにぶつかった魔物は、もんどりうって倒れた。すぐさまエルメルアリアが上へ行き、瓦礫を操って魔物を拘束する。そして、三度手を叩いた。
「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方へ還したまえ」
広い通りに白い門が現れて、その内側に弱った魔物たちをのみこんでいく。元気と魔力が有り余っている魔物たちは、それに対して威嚇行動を取ったが、門には何の影響もない。
役目を果たし、音もなく消えゆく門を見ていたヒワは、視線をそのまま相棒に向けた。
「エラ。町の人たちの避難が終わるまでは、魔物の送還を頑張る感じでいいかな?」
「いいぜ。どのみち、ちっとは数を減らさねえと〈穴〉に近づけないからな」
声を張った応酬ののち、エルメルアリアは軽やかにヒワの元へと舞い戻る。感謝の言葉を投げかけたヒワは、始まりの日を思い出しながら石畳を蹴った。
獣の声に金属音を混ぜたような音。爆音に、怒声。そして、風の逆巻く音。非日常的な音の数々が、王都の天地を荒々しく彩っている。人々にまぎれて暮らしていた精霊指揮士たちは、混乱の中でどうにか相方を見つけ、魔物への対処に奔走していた。
彼らの間を縫って、ヒワとエルメルアリアは駆ける。町を荒らそうとする魔物を見つけては追い払い、折り重なって倒れる魔物を見つけては人目を忍んで送還する。そんなことを繰り返しているうち、ひと気のない路地に入った。奇妙に静まり返った道には、しかし確かに魔物の通った痕跡がある。家の壁に穴が開けられ、窓を覆っていた板戸の一部が壊されて、破片が道に散らばっていた。
「ひどい……」
「人がいなさそうなのが、不幸中の幸いか」
ヒワたちは、時折屋内をのぞきこみながら進んだ。見た限り人影はなく、血の臭いなどもしない。ここにいた全員が無事に非難できているよう、祈るしかなかった。
植木鉢やガラス片などが散乱している様は、ヒワに否応なくあの日を思い出させる。青ざめた彼女を気遣ってか、エルメルアリアはすぐ隣を飛んで、離れなかった。
特に荒されていた区域を抜ける。ヒワが倒れた看板をまたいだとき、行く手から悲鳴が聞こえた。息をのんだヒワは、すぐさま駆け出す。エルメルアリアも、彼女の前へ出た。
行き着いたのは青果店だった。ここも魔物に荒されたのか、籠や商品が道端にまで散らばっている。そして、店のすぐ前に魔物がいた。やはり野犬を思わせる見た目だが、稲妻に似た七色の光が全身を覆っている。不自然に大きく、白眼に当たる部分が真っ赤な目は、店内に向いていた。
「ひっ――く、くるな、化物」
店の奥から男性の声がする。ヒワはとっさに杖を構えたが、詠唱は思いとどまった。うかつに指揮術を放って人を巻き込んでは目も当てられない。
周囲に視線を走らせる。爽やかな香りが漂うのに気づいて、足もとを見た。レモンがいくらか転がっている。傷だらけだが、厚い皮に守られたのか、潰れたり中身が出たりはしていない。ヒワはとっさにそのうちの一個を拾うと、力いっぱい魔物に投げつけた。
いびつな弧を描いて飛んだレモンは、魔物の背中に直撃する。魔物は不快な鳴き声を上げて飛びのいた。
「エラ!」
「おう」
ヒワが名を呼ぶと同時、エルメルアリアは右手を振り上げる。輝きをまとった風が、そこらじゅうに散らばった石の粉や木の破片を舞い上げた。それらは槍のように細い竜巻と化して魔物を貫く。魔物は突き当たりまで吹き飛ばされ、むき出しの水道管にぶつかった。
「逃がすなよ、精霊ども」
エルメルアリアが叫ぶと同時、魔物を淡い光が覆う。精霊たちのさざめきは、人間にはかすかな震動として伝わった。それを感じ取るなり、ヒワは青果店に駆け込む。陳列棚のすぐそばで座り込んでいる男性を見つけた。
「あの。ご無事ですか」
ヒワがそっと声をかけると、男性はしきりにまばたきした。
「娘さん――精霊指揮士、か?」
「はい」
こわばった顔はヒワの手もとに向いている。ヒワは肯って、杖をよく見えるように掲げた。ややあって、男性は顔を覆った。
「あ――ああ……助かった……」
うずくまり、か細い声を上げる男性。その姿に戸惑いつつも、ヒワは彼の前にかがみこんだ。後ろからエルメルアリアがやってきて、下半身を隠すようにヒワの肩に寄りかかる。
男性はしばらくそうしていたが、やがて緩慢な動作で体を起こした。顔色は悪いものの、先ほどまでより落ち着いている。
「はは……すまんな娘さん。情けないところを見せちまった」
「いえ」
ヒワは短く答えて笑顔をつくる。ここで気の利いた言葉のひとつでもかけられればよかったが、身心が張り詰めているからか、何も思い浮かばない。しかたなく、言うべきことだけを言った。
「また魔物が来るかもしれません。避難してください。ここからだと……ええと、どこが近いんだろう?」
後半はささやきである。目を泳がせたヒワの方へ、エルメルアリアが顔を突き出した。赤紫色に変じた瞳をくりくりさせている。
「警察本部じゃねえか? つっても、結構距離あるけど」
小さな少年を見て、男性が目をみはった。ヒワはそれに気づかず、顔をしかめる。現在地と目的地の位置関係がまったくわからない。
驚きをのみこんだ男性が、低くうなる。
「警察本部か……距離的には行けるが、この足ではちと厳しいな」
「もしかして、どこか怪我を?」
「ああ」とうなずいた男性は、顔を曇らせたヒワに向かって手を振る。
「いや、さっきのわんこにやられたんじゃなくてな。逃げようとして、ちと足をひねっちまったんだ」
「あ、なるほど……」
見たところ、男性に目立った外傷はない。肝心の足もズボンに覆われているので、外からでは気づけなかったのだ。
それにしても、自力で歩けないのは問題だ。ヒワでは男性を抱えていくことはできない。どうしたものか、と悩んでいた彼女に、エルメルアリアが声をかけた。
「痛みを和らげるくらいならできるぜ」
「え、ほんと?」
ヒワは驚いて相棒を振り返る。自信満々に答えた彼は、人間たちの間に飛び出した。それを見た男性は、口をあんぐりと開ける。
「こ、子供が飛んで――」
「ひねったのはどっちだ?」
「え、あ……み、右足……」
男性の様子を気にもせず、エルメルアリアはズボンをまくって右足首を見る。それから軽く手を振った。
「精霊ども、手伝え」
ささやくと同時、彼を淡い光が覆う。エルメルアリアは患部を包み込むように両手をかざし、しばらくじっとしていた。少しして、何か変化があったのか、男性がこわごわとそれを見つめる。エルメルアリアは動かなかった。最後に小さく何かを唱えると、足首から手を離す。
「さて。どうだ?」
「お――おお、痛くねえ」
男性は、感激した様子で足をさする。両目に浮かぶ怯えの色は、崇敬の輝きに変わっていた。
「すげえな、坊主も精霊指揮士だったのか。いや、むしろおとぎ話の精霊使いみたいだ」
「ふふん。崇め奉ってくれてもいいぜ」
ふんぞり返ったエルメルアリアはしかし、すぐに冷静な表情であたりを見回す。
「あとは――包帯か何かがあるといいんだけど」
「救急箱の中にあったはずだが……ああ、しまった、奥だな」
店内を振り返って男性が顔をしかめる。ヒワはすぐさま立ち上がった。
「あの、よければ取ってきますよ」
「頼んでいいかい、娘さん。ええと、置き場所は――」
男性から救急箱の場所を聞いたヒワは、店の奥へと分け入ってそれを探し出す。ヒワでも手の届く、低い棚に置かれていたのは幸いだった。
救急箱を抱えて戻り、エルメルアリアに手渡す。精霊人は包帯を取り出すと、慣れた手つきで男性の右足首に巻いた。さらに、その上から何か指揮術をかけたようである。
「これでよし。応急処置だから、無理すんなよ」
「ああ。何から何まですまんな、二人とも」
笑った男性は、ゆっくりと立ち上がった。
そのとき、耳障りな鳴き声が流れてくる。三人ともが、自然と表情を引き締めた。周囲の魔力を探り、獰猛な魔物がうろついていることを察したヒワは、男性に向き直る。
「避難場所まで一緒に行きましょう。多分、道中にも魔物がいるので」
「重ね重ねすまねえな。頼むよ」
三人は連れだって青果店を出る。ふと思い立って、ヒワは男性を振り仰いだ。
「ところで、ここにある野菜や果物って、この店のですよね」
「ああ。でも、これはもう売り物にならんよ」
男性は道に散らばった商品を見て口惜しそうに呟く。ヒワは少し考えてから、レモンを拾い集めた。
「何してんだ?」
「これ、持っていきましょう。柑橘は魔除けになるので」
「魔除け? 魔物に効くのか?」
「はい。投げつけたり、果汁を浴びせたりしたら、少しの間ひるんでくれます」
ヒワはレモンを両手に持って不敵にほほ笑む。それを見た男性も、釣られたように笑った。
「そりゃいい。かき集めるか!」
ひととき笑い合った三人は、目につく柑橘を拾い集め、男性が普段買い物に使っているという籠に詰める。そして、警察本部を目指して歩き出した。