52 戦いに臨む
そして、出発の日。人間三人と精霊人二人の一行は、揃って列車に乗り込んだ。途中、二度ほど乗り換えをし、時には夜通し列車に揺られて、やっと王都へ辿り着く。
王都中央駅のにぎわいは、ジラソーレやパヴォーネ・コーダのそれとは比較にもならなかった。列車を下りてすぐ人の多さに圧倒され、ヒワとロレンスは立ちすくんでしまう。
「さあさあ二人とも、行くわよ! ぼーっとしてたらぶつかられちゃうわ」
そんな二人を励ますのは、慣れた様子のカトリーヌ・フィオローネだ。底抜けに明るい声掛けで我に返った二人は、すでに歩き出していた彼女を追う。黒いワンピースと大きな帽子を身に着けた女性、つまりフラムリーヴェが落ち着き払った様子で彼らの背後を守っていた。
駅を出てすぐ目に入るのは、林立する建物。そして行き交う人と車。馬蹄の響きと人の声が入り混じり、何が何かわからないほどの音の嵐が吹き荒れる。
ここからどう行けば協会支部に辿り着けるのか、ヒワには見当もつかない。カトリーヌがいなければ途方に暮れていただろう。
「とりあえず、乗合馬車なり魔動車なり、捕まえないとね。えーと、ここは北三番出口だから、乗り場は――」
そのカトリーヌは、慣れた様子で何かを探している。
ヒワたちはその様子をひとまず見守っていたが、あるときエルメルアリアが顔を上げる。
「カトリーヌさん?」
低いながらも優しい声が少女の名を呼ぶ。呼ばれた方は、きょとんとして振り返った。あら、と口もとを手で覆う。
「ミケーレさん。駅にいらっしゃるなんて珍しいわね」
人混みの中から現れたのは、赤い髪の男性だ。シルヴィーのそれよりは茶色がかって見えるが、それがかえって落ち着いた雰囲気を醸し出しているようでもある。灰色のローブを揺らしながらやってきた彼は、丁寧にお辞儀をする。
「副支部長からお願いされて、ある精霊指揮士をお迎えにきたんです」
「グラネスタ副支部長から、って」
まばたきしたカトリーヌは、そばにいる後輩たちを振り返る。見られた二人も、思わず己の顔を指さした。
「お探しの方は、どちらかしらね?」
「え?」と反応した彼は、カトリーヌのそばにいる少年少女と精霊人を順繰りに見る。ロレンスの前で目を留めて、気の毒なほどに顔を引きつらせた。
「あっ! ええと……実質お二人とも、だと思います。女性の方だと聞いていましたけど、副支部長のご子息がいらっしゃることも、うかがっていたので」
「それなら、ちょうどよかった。お迎えってことは、移動手段があるのよね。目的地まで連れていってくださる?」
カトリーヌは、可憐とすらいえる笑みを浮かべる。ただ、ミケーレを射抜く視線には、有無を言わさぬ圧力があった。ミケーレは露骨に顔を背ける。カトリーヌがそちらを見ようとするたび、視線から逃げた。
「当然、ご案内しますけど……なぜカトリーヌさんが一緒なんですか」
「付添よ。未成年の見習いさんに現役の精霊指揮士が付き添うのは、おかしなことじゃないでしょう?」
「いやまあ、おかしくはないですが……支部長や副支部長がなんて言うか……」
「そもそも、この子に手紙を届けるよう依頼してきたのは副支部長よ。今回ばかりは文句なんて言わせないわ」
そんなやり取りの末、ミケーレが折れた。カトリーヌを含む全員を馬車乗り場まで案内してくれる。馬がたくさんいる、と思いながらついていったヒワは、ミケーレが示した馬車を見てぎょっとした。四、五人が余裕で乗れる箱型のものだ。富裕層らしき人々がたまに乗っているところしか見たことがない。そろりと周りを見てみたが、ヒワ以外の面々は落ち着いている。御者の案内に従って乗り込むと、ほどなくして馬車が動き出した。
窓の外を見ながら、カトリーヌが口を尖らせる。
「精霊指揮士協会なのに馬車なのね」
「協会所有の魔動車もありますけどね。それ使ったら、協会が動いてますよ! って喧伝するようなものです。今回ばかりは、それではまずいでしょう」
「うーん……あなたがローブを着ている時点で、同じだと思うけど」
カトリーヌが釈然としない様子で呟く。
ヒワは、そんなやり取りを聞いているようで聞いていなかった。彼女の視線は窓の外に釘付けである。所用で王都を訪れたことはあるが、町をじっくり観察する機会はこれまでなかった。建物も、飾り物や広告も、人々の装いですら新鮮に映る。ぼうっと観察していたヒワは、ふと視線を上げて、違和感に気づいた。
「あれ……? なんか、空の色が……」
列車から見た空と、王都の空の色が違う。よく晴れた青空のはずなのだが、今は少しばかり白っぽく見えた。エルメルアリアが、それを聞いて嬉しそうにする。
「おっ。ヒワ、わかるのか。そいつは多分、防御結界だぜ」
「防御結界? まさか、町に張ってあるの?」
ヒワの素っ頓狂な声に、今度はミケーレが答える。
「はい。王都全体を覆う防御結界ですね。魔物などを入れないようにするためのものです。あまりに巨大で維持するのが大変なので、よそではあまり取り入れられていませんが……王都では、百年近くも結界が維持されているんですよ」
「す、すごい」
ヒワはやや前のめりになって話を聞いていた。その反応が嬉しかったのか、ミケーレは先ほどまでよりご機嫌な様子であった。
馬車は大通りをゆっくりと進む。目的地までは少しかかるというので、その間にミケーレと自己紹介をした。精霊人の情報を一切与えられていなかった彼が、エルメルアリアとフラムリーヴェの名を聞いて凍りついていたのは、言うまでもない。
そのミケーレが立ち直った頃に、馬車が止まった。協会支部の建物を臨む、大きな通りの一角である。
「まずは、指定の宿にご案内しますね。その後、ロレンスさんは僕と一緒に協会支部へ行きましょう」
「え、俺だけですか?」
張り切るミケーレに、ロレンスが問いかける。ヒワたちも、疑念を込めて協会からの使者を見た。彼は予想通りとばかりにほほ笑む。
「副支部長に、あなたに会ったら支部までご案内するよう言われているんです。定例会議は明日ですから、ヒワさんたちは宿でお待ちいただいて問題ありません」
それを聞いて、ロレンスは、明らかに気落ちしていた。顔じゅうから力が抜けて、背中が丸まる。気の毒になったヒワは、友人をのぞきこんだ。
「えーと。気をつけて、ね……?」
「…………うん」
消え入りそうな声で答えた彼は、ようやっと体を起こした。まだ、背中は若干曲がっている。
やはり哀れみに満ちた表情をしていたミケーレを、フラムリーヴェが見下ろした。
「私も同行して構いませんよね」
「はい。契約に関わる話をすると聞いておりますので、大丈夫かと」
それを聞いて、ようやくロレンスの背筋が伸びた。深呼吸して、ヒワたちを振り返る。
「まあ、しかたがない。先に戦ってくるよ」
「うん。健闘を祈る」
ヒワがあえて太い声を作って言うと、ロレンスは小さく吹き出した。
宿でロレンス、フラムリーヴェ、ミケーレと別れたヒワたちは、案内されるままに部屋へ入った。その際、宿代が協会持ちだと聞いて安堵したり喜んだりした――というのは、余談である。
ヒワとカトリーヌが同室で、精霊人は数に入れられていないらしい。不思議に思ったヒワだったが、エルメルアリアは「いつものことだ」と気にも留めなかった。
それからは、部屋で静かに体を休める。王都観光でもするかと、カトリーヌに冗談交じりの提案をされたが、ヒワはやんわりと断った。明日のことを思うと、とても観光気分にはなれない。
早くロレンスが戻ってこないだろうか、と思いながら過ごしていたあるとき。エルメルアリアが弾かれたように振り返る。
「エラ?」
みんなでまとめた『聴き取り対策資料』を読み込んでいたヒワは、ふと顔を上げる。そんな彼女をよそに、エルメルアリアは窓に飛びついた。光が灯って消え、次の瞬間、彼の姿は窓の外にあった。
ヒワは慌てて立ち上がる。瞬間――腹の底から、殴りつけられるような衝撃が走った。
「う、わ!」
よろけて、とっさに絨毯に手をつく。そのとき、部屋の外に出ていたカトリーヌが戻ってきた。
「ヒワ!? どうしたの、大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫。なんか変な衝撃が――」
答えかけて、凍りつく。動かない体とは逆に、頭は勢いよく回転を始めた。
前にもこんなことがなかったか。
あれは、そう。今に繋がる、すべてが始まった日の――
ある日の記憶を探り当てると同時、ヒワは跳ね起きて走った。慣れない鍵を動かして、なんとか窓を開ける。
「エラ!」
「ヒワ、カティ! 杖持て!」
手すりから身を乗り出しているエルメルアリアが、叫ぶ。その視線を追いかけて、ヒワは息を詰めた。
青く晴れ渡った空に、不自然な白い線が見える。それは、見る間に太く長くなっていき――果たして、闇と原色の光が渦を巻く〈穴〉となった。