51 ひとつずつ、一歩ずつ
翌日、ヒワ、ロレンス、カトリーヌの三人は駅で合流した。列車に乗るためではなく、切符を買うためである。時期が時期であるため厳しい戦いになったが、なんとか期日に間に合う列車に乗れることとなった。
駅を出たところで精霊人の二人と合流し、カトリーヌが泊っている宿の方へ行く。その近くの飲食店に入り、隅の席を陣取ると、ロレンスが切り出した。
「それじゃあ、情報整理も兼ねて、定例会議で質問されそうなことをまとめておこう」
「う、うん」
彼の向かいに座ったヒワは、小さくうなずく。
今日の外出の目的は二つ。切符を買うことと、聴き取り調査の対策を立てることである。どうしても不安がぬぐい切れないヒワのために、カトリーヌが提案したのだった。
紙とペンも使いながら、商店街の魔物襲撃事件から〈銀星臨時会合〉に至るまでを整理していく。ヒワたちにとっては振り返りとなり、最近知り合ったカトリーヌにとっては新鮮な話となったようだ。
「そういえば……ロレンスはこの任務、課題扱いにはしてもらってないの?」
ヒワとロレンスが携わった任務の概要を聞いたカトリーヌが、目をしばたたく。ヒワも、出会った当初にエルメルアリアがぼやいていたことを思い出した。
二人の少女の視線を受けたロレンスは、気まずそうに黒髪をかき混ぜる。
「してない。それやると、院長に話さなきゃいけなくなって、そこから噂が広がる可能性があったから。欠席が増えると目立つし」
人の口に戸は立てられぬ、というわけだ。ぶれない少年の回答に、ヒワたちは苦笑した。
ひと通りの流れを書き出すと、ロレンスがペンを置く。書き出された内容をじっと読んでいたカトリーヌが、突然挙手した。
「ねえ。せっかくだから、実際の会議を想定した練習もしておかない?」
フラムリーヴェを除く三人が、えっ、と顔を引きつらせる。ロレンスが逃げるようにのけぞった。
「そんな、入試対策みたいな……」
「あら。ヒワにとってはある意味入試みたいなものじゃない? だったら少しくらいは練習しておかなきゃ」
「学校の試験官と協会の理事を一緒にするのはどうかと思う」
「私が理事その一としていくつか質問するから、ヒワは答えてみて!」
ロレンスの指摘を華麗に聞き流して、カトリーヌが話を進めてしまう。それを見ていたフラムリーヴェが静かに右手を挙げた。
「では、私は理事その二で」
「フラムリーヴェまで!」
「あ。こりゃだめだ。目が輝いてる」
少年少女が悲鳴を上げ、エルメルアリアが頬杖をつく。乗りに乗った女性陣は誰も止められない。ヒワがうろたえている間に、カトリーヌが手を叩いて『模擬会議』を始めてしまった。
「えー。それでは、こちらからいくつか質問させていただく。正直に答えるように」
「ひぇっ!? あ、はいっ!」
不自然に低められた声が響く。物音に驚いた小動物のように背筋を伸ばしたヒワは、全力で頭を働かせた。
彼女たちのやり取りを見ていたロレンスが「ああ、こんな感じだよな」と呟いたが、近くで響いた子供たちの声にかき消された。
※
ヒワは、すっかりなりきった『理事』の二人に詰められた。五回ほど問答をし、ついでにやたら再現度の高いお小言をもらったところで、カトリーヌが模擬会議を締めくくる。その瞬間、ヒワはテーブルに突っ伏した。
「怖いよう……二人とも怖い……」
「うふふ。お疲れ様、ヒワ」
先ほどまでとは打って変わって、カトリーヌは笑顔である。半泣きのヒワの頭を優しくなでて、口をつけられていないアイスカフェオレのグラスを彼女の方に滑らせた。グラスを受け取ったヒワは、のろのろと頭を上げる。そのそばでは、精霊人たちがじゃれあっていた。
「おいフラムリーヴェ。あんたが張り切りすぎたせいで、ヒワがかえって委縮しちまっただろうが」
「そう言いつつ、あなたもノリノリだったじゃないですか。普段の〈銀星会合〉のときと変わりなかったですよ」
「そうかそうか。んじゃ、本番もこの調子で行くわ」
「ステアルティード様の言いつけ、忘れないでくださいね」
いつになく上機嫌な彼らを見て、契約者たちは苦笑する。満足げなカトリーヌは。紅茶を飲みながらヒワを見た。
「まあ、今のはあくまで練習だから。実際の定例会議でおじさまたちが何を仰るかは、わからないわよ。案外、とっても優しいかもしれないし」
「あはは……。だといいなあ」
ヒワはそう言ったものの、その実ほとんど期待していない。カトリーヌたちの演技が過去の経験から生み出されたものであることくらいは、察していた。
その後は、先ほどの模擬会議をもとに、不足している情報を出し合った。全員の飲み物がなくなったところで切り上げ、店を出る。
ロレンスとフラムリーヴェと別れ、ヒワたちも家へ帰ろうとしたが、その前に呼び止められた。
「ヒワ。ちょっといいかしら」
「ん? 何?」
エルメルアリアを抱いたヒワは、傘を差したカトリーヌを振り返る。先輩精霊指揮士のほほ笑みが、いつもより儚く見えた。
「何かあった?」
短い問いは、しかしヒワの胸に深く突き刺さる。エルメルアリアも、腕の中でわずかに目を逸らした。
「ど、どうしたの。急に」
「今朝会ったときに、元気がないような気がしたから。勘違いだったらごめんね」
カトリーヌはお調子者ぶって片目をつぶる。しかし、その瞳はすべてを見通しているかのように澄んでいた。ヒワはしばし逡巡し、エルメルアリアと目を合わせる。
「実は――」
そして、昨夜の出来事を打ち明けた。どちらからともなく、歩き出す。
カトリーヌは静かにうなずきながら聞いてくれた。ヒワがすべてを話し終ると、そう、と優しい声を返す。
「お母様にはお見通しだったのねえ」
「そう、みたい」
ヒワはぎこちなく笑みを返す。カトリーヌは、そっと彼女の方に傘を動かした。
「家族って、不思議よね。私のことぜーんぜんわかってない! って思うようなこともあれば、びっくりするくらい見通されてたこともある。相手にとっても、きっとおんなじ」
「そうだね」
自分よりもうんと複雑な家庭事情を抱えている彼女にも、思い当たる節があるのだろうか。ヒワは、お世辞にも上手とは言えない相槌を打ちながら、そんなことを思った。
強い日差しが降り注ぐ道に、足音ばかりが響き渡る。いつもよくしゃべる精霊人は、今は一言も発さない。それがヒワの不安を掻き立てた。つい、両腕に力をこめる。
「わたし……元々は、二人に傷ついてほしくなくて、〈穴〉の件に関わることにしたんだ」
エルメルアリアが眉を上げて驚きを露わにする。カトリーヌも、ちらと振り返った。
「〈穴〉自体が放っておけないっていうのも、もちろん本音だけど。それだって、商店街でのことがあって、大事な人たちにこんな思いをしてほしくないって思ったのがきっかけで。なのに……その任務の話で、お母さんに余計な心配かけちゃって」
あれから一夜明けた今朝も、二人とはなんとなくぎくしゃくしたままだった。ヒワは、帰宅時間もろくに告げず、逃げるようにして家を出てきたのだ。
「もう、どうしたらいいのか、わかんないや」
こぼれた言葉は、熱された石畳に吸い込まれていく。町の喧騒が、妙に遠く感じた。
少しの沈黙の後、カトリーヌが指を鳴らす。
「今はとにかく、協会支部に行くことだけを考えましょ」
明るく言った先輩を、ヒワはじっと見上げた。その視線に応えるように、彼女は目を細める。
「ヒワ、色々考えすぎて混乱しちゃってるのよ。そういうときは、ひとつずつ片付けるの。ご家族への対応について支部長や副支部長から何か指示があるかもしれないし、聴き取りの結果でヒワの立場も変わるかもしれない。ご家族に何をどこまで伝えるかを考えるのは、それがはっきりしてからでも遅くないわ。――帰りの列車の中で、なんて話すか一緒に考えてあげるから」
今日みたいにね、とカトリーヌはおどけてみせる。気負いの影など少しもない。その明るさが、耳と目を通して、少女の中に染み込んでくる。感情ごと声をのみこんだヒワは、力強くうなずいた。そして、また一歩を踏み出す。
腕の中でエルメルアリアがほほ笑んだことには、二人とも気づかなかった。