46 縁(えにし)の先
結局、ヒワたちは会合当日を含めてさらに三日ほど〈銀星の都〉に滞在することとなった。その間、エルメルアリアは何度か出かけていた。ヒワが行き先を尋ねると、必ず「ガンコ爺の工房」と返ってくる。長くても数時間ほどで帰ってくる上、エルメルアリアが工房をのぞきに行く理由も想像できたので、ヒワはそれ以上詮索しなかった。
そして、〈銀星の塔〉から門の調整ができたと連絡が入った日。一行は朝早くに一度〈都〉を出て、ガルネンコルドの元を訪ねた。今回はロレンスとフラムリーヴェも一緒である。小さな職人は二人を見ても大した反応を示さなかった。フラムリーヴェに短く挨拶した程度である。
「ヒワ。絨毯のところで待ってろ」
そう言うと、彼は一度奥の部屋へ引っ込んだ。おずおずと絨毯の前まで行ったヒワが靴を脱いだときに戻ってくる。その手には、棒状の物が握られていた。さらに、紙束を脇に抱えている。
「あれ、それって」
興味深そうにあたりを見回していたロレンスが、棒に気づいて声を漏らす。ガルネンコルドは、誰にともなくうなずいた。
「ヒワの杖だ」
名を呼ばれたヒワは、はっと顔を上げた。満足げなエルメルアリアと目が合う。
ガルネンコルドは、多くを語らず杖を手渡した。両手で受け取ったヒワは、まじまじとそれを見つめる。真新しい杖。前に使っていたものよりやや細く、長い。表面は磨かれてつるりとしているようにも見えるが、よく目を凝らすと、文字と文様を組み合わせたような装飾が彫られている。先端で、見慣れた若草色の石がみずみずしい輝きを放っていた。
「里の向こうのフウレイハシバミを使った」
ガルネンコルドは、窓の外を指さして語る。エルメルアリアが得心した様子でうなずいた。
「確かに、あれならヒワとの相性もよさそうだ。丈夫だし」
精霊人の言葉に、職人は小さく顎を動かす。続けて紙束をめくり、表面に指を滑らせた。
「いくつかの指揮術もかけてある。杖本体の強化は基本として、魔力感度の上昇、精神保護、外からの魔力に対する防護」
「盛りだくさんだな」
「〈穴〉と対峙するとなると、相当な負荷がかかるだろうからな」
目を丸くしたエルメルアリアに、ガルネンコルドは当然のように返す。ヒワには彼の言葉のすごさがいまいちわからなかったが、杖から強い力のようなものを感じてはいた。先ほどから、電流が流れるかのように、手のひらがぴりぴりしている。落ち着きのなさを見て取ったのか、ガルネンコルドがヒワの方に瞳を動かす。
「構えてみろ」
「あ、はい」
ヒワは慌てて杖を右手に持つ。かつてロレンスに言われたことを思い出しながら、指の位置を何度か調整した。しっくりくるところを見つけた後、精霊の様子を少し探ってみる。襟を正しているような空気が感じられた。ロレンスとフラムリーヴェも表情を引き締めている。一方、エルメルアリアとガルネンコルドは平然としていた。
「違和感や握りにくさはあるか」
「……今のところは、大丈夫です」
ヒワは慎重に答えて、杖からガルネンコルドに視線を移す。
「あの。指揮術を使っていい場所はありますか」
ガルネンコルドは、少し考えた後、太い親指を戸口に向けた。
「外だな」
一同は工房を出た。ガルネンコルドが、出入口を封鎖するように仁王立ちする。ロレンスは壁際にかがみこみ、フラムリーヴェが隣に並んだ。
ヒワは、なるべく建物とも木々とも距離を取れる場所を探って、立った。彼女のそばにいるのはエルメルアリアだけだ。万が一のことがあったときに、精霊と魔力を制御するためだろう。
風が吹き抜け、さわさわと木々を揺らす。
ヒワは静かに口を開いた。あえて、基本に立ち返る。
「『フィエルタ・アーハ』」
詠唱すると同時、滑らかに結界が顕現し、ヒワを囲った。やや揺らぎはあるものの、半透明の壁の形を保っている。心の中で十秒数えて、軽く杖を一振りすると、結界は跡形もなく消えた。ヒワはそれでも身構えたままだ。魔力が薄らぎ、精霊たちが散ったのを確認して、エルメルアリアが手を叩く。
「いい感じだ。魔力の集束と霧散が前より早い」
相棒の言葉を受けて、ヒワはようやく肩の力を抜く。場の空気も一気に緩んだ。ロレンスたちが嬉しそうに歩み寄ってくる。
「すごいな。前より断然安定してる」
「天外界だからというのもあるでしょうが……杖の質と、ヒワ様の積み重ねの成果が出ているのでしょうね」
少年の瞳は爛々と輝き、戦乙女の相貌にはかすかに感心の色が浮かぶ。照れ臭くなったヒワは、ふにゃりと笑って頭をかいた。そのそばで、エルメルアリアが腕を組んでしきりにうなずく。
「やっぱ、職人が作った杖は違うな」
「金は払えよ、クソガキ」
いつの間にか近くにいたガルネンコルドがぼそりと言う。エルメルアリアは、眉を上げて振り返った。
「わかってるっての。この杖だと、白貨八枚くらいか?」
「それに加えて、アルラ花梨の酒。瓶一本だ」
「げっ。そいつはぼったくりじゃねえか?」
「どうせ仕込んでんだろ。飲まねえくせに」
ガルネンコルドが口の端を持ち上げる。エルメルアリアは眉根を寄せたが、ややして大仰に両手を挙げた。
「わかった、わかった。持って来ればいいんだろ」
「次の報告のときで構わん」
「へいへい」
手を振ったエルメルアリアは、職人から逃れるようにヒワの背後へ飛ぶ。二人のやり取りを見ていた少年少女は苦笑した。
「ヒワ。杖を使ってて少しでも違和感を覚えたら、そこのクソガキに伝えろ」
「は、はい。わかりました」
低い声をかけられて、ヒワは反射的に敬礼する。ガルネンコルドは表情を変えぬまま、小さくうなずいた。それから、一行にたくましい背を向ける。
「ほかに用がないならもう行け。ルスとエストが待ちくたびれてんだろ」
突き放すようなことを言い、工房へと入っていく。虚を突かれたヒワは、扉代わりの布をめくる音で我に返った。慌てて頭を下げる。
「ありがとうございます。大切に使います」
職人は、ただ右手を挙げた。
※
〈銀星の塔〉へ戻ると、予想通り、精霊人たちが待っていた。そして、ノクスとヘルミも待っていた。
「や。用事は済んだ?」
「遅ぇんだよ、見習いども」
愛想よく片手を挙げた女性の隣で青年が悪態をつく。すぐに頭を小突かれた。二人を見て、ヒワたちは目を丸くする。
「待っててくださったんですか?」
「てっきり、先に帰ったものとばかり」
少なからず驚いた二人に、ヘルミが片目をつぶってみせる。
「いやあ。挨拶くらいはしておきたいと思ってね」
「ヘルミはエルメルアリアを見たかったんでしょ。ちっこいから」
楽しげなヘルミのそばを、リリアレフィルネが踊るように飛び回る。そのまま、我が物顔で隣の精霊人の頭上にとまった。
「ゼンたちも同じ理由?」
「そうだな! 愛い契約者たちを見ておきたかった!」
ゼンドラングは、頭を止まり木にされたことを気にもせず、豪快に笑う。相棒を見上げたノクスが舌打ちした。
「てめえらと一緒にすんな。俺はゼンが待ちたいっていうから付き合っただけだ」
彼を見下ろしたリリアレフィルネは、ゼンドラングからひょいと離れる。ノクスの目の前で停止して、腰に手を当てた。
「そんなこと言って、一番そわそわしてたの、あなたじゃん。嘘はよくないよ?」
「るっせえ白チビ!」
「あー。そんな口の利き方しちゃいけないんだー。あんまりひどいと目つぶししちゃうぞ?」
親指と人差し指で、小さな物を潰すしぐさをするリリアレフィルネ。ヘルミが「リリ」と鋭く咎めると、わざとらしく唇を尖らせて彼女のもとに戻った。ゼンドラングに背中をどつかれている――本人は軽く叩いているつもりだろう――ノクスを一瞥したヘルミは、視線をそのままヒワたちに向ける。
「とにかく、みんなに会って話ができてよかったよ。もしレグン王国まわりに来ることがあったら、遠慮なく頼ってね。その代わり、アタシもアルクスに行くことになったら頼るから!」
「ありがとうございます」と、ヒワとロレンスの声が揃う。緊張気味の後輩に、ヘルミは快活に笑ってみせた。
「あ、そうだ。二人とも伝霊持ってる? 識別番号交換しとこうよ」
「わたしは持ってないです。すみません」
「俺は持ってますけど……」
ロレンスがためらいがちに鳥型の伝霊を呼び出す。無意識に半歩下がったヒワは、番号を教え合う二人を見て縮こまった。そのとき、目の前に白と薄紅が舞う。
「気にすることないよー」
「わっ、リリさん!?」
ヒワは、驚きすぎて相手を愛称で呼んでしまう。しまった、と思ったが、リリアレフィルネは満足そうに笑った。
「現役の精霊指揮士でも、伝霊持たずに活動している人は多いみたいだからさ。必要だと思ったら、作ってもらえばいいんじゃない?」
「そ、そうですね」
「詳しいな。精霊指揮士とよく会うのか?」
うなずいたヒワの頭上から、エルメルアリアが顔をのぞかせる。リリアレフィルネは一瞬眉をひそめたが、すぐに傲然と顎を突き出した。
「まあね。ボクはあなたと違っていばらないから、精霊指揮士の人たちとちゃんとお話できるし」
「……急に刺々しいな、おい。オレ、あんたになんかしたっけ?」
「さあね。まわりをよく見てみたら?」
リリアレフィルネは口の端を持ち上げる。ただし、目は笑っていなかった。彼女が飛んでいくと、ヒワたちは顔を見合わせる。
「……エラ、何やらかしたの?」
「だから知らねえって。なんだあいつ」
そんなことを言っている間に、識別番号の交換が済んだらしい。挨拶が一段落したと見たのか、門の前に立っていたルスが踏み出した。
「それでは、開門しますね。まずはノクス様とゼンドラング様からでよろしいでしょうか」
「おう!」
「やっと帰れるぜ――っておい! 担ぐなゼン!」
ゼンドラングが契約者を軽々持ち上げて、意気揚々と踏み出す。彼の動きに呼応するように、白い門が開いた。その中へ足を踏み入れる寸前、ゼンドラングが一同を振り返る。
「それではな! ステアとはまた報告で顔を合わせると思うが」
「そうですね。引き続きよろしくお願いします」
人間たちの交流を黙って見守っていたステアルティードが、初めて口を開く。豪快に笑ったゼンドラングは、ヒワたちにも手を振った。
「契約者たちも達者でな! 共闘することがあれば、よろしく頼む」
「俺らの足引っ張んじゃねえぞ。特にそこの見習いども」
担がれたままのノクスが、ヒワとロレンスをにらみつける。二人は思わず背筋を伸ばしたが、張りつめかけた空気をゼンドラングが吹き飛ばした。
「『くれぐれも気をつけて』という意味だ!」
「ちげーし! ……って、いきなり飛び出すな!」
二人の姿が門の向こうへ消えた。大男の高笑いと、文句を言う青年の声があっという間に遠ざかって、聞こえなくなる。残された者たちは、そっと苦笑した。
「まったく。騒がしい人たちだね」
かぶりを振ったヘルミが、半歩踏み出す。
「それじゃあ、門番さん。レグン王国につないでもらえる?」
「かしこまりました」
ルスとエストが声を揃えた。二人が門をいじっている間に、ヘルミはヒワたちを振り返る。
「じゃあね、二人とも。ロレンスは、何かあったらいつでも連絡して」
「あ、はい」
ロレンスが遠慮がちに返事をし、フラムリーヴェが小さくうなずいた。わずかに口角を上げたヘルミは、そのままヒワたちを見る。
「ヒワ、機会があったらゆっくり話そうね」
「は、はい」
「あと……今度はエルメルアリアをもっとよく見たいなあ、なんて」
「なんだそれ。オレは見世物じゃねえぞ」
目を瞬くヒワの上で、エルメルアリアが顔をしかめる。ヘルミは爽やかに笑って「厳しそうだね、こりゃ」と言った。ヒワは、リリアレフィルネが頬をふくらませたことに気づいたが、触れないでおいた。
門のつなぎ直しが済むと、ヘルミたちも躊躇なくそこへ飛び込んだ。青と白の後ろ姿が見えなくなると、それまで端に寄っていた精霊人たち――ステアルティードとクロードシャリスが近づいてくる。
「みんなともそろそろお別れだね」
「また当分、クロに会えねえんだろうな」
エルメルアリアが不満げに呟く。クロードシャリスは「そうとも限らないよ」とほほ笑んだ。
「この先、僕がみんなの任務に関わることもあるかもしれない。そのときはよろしくね」
少年少女は、はい、とうなずく。フラムリーヴェは物言いたげな表情だったが、静かに一礼した。
「今度はクロさんの手作りお菓子も食べてみたいです」
「おや、それは嬉しい。何を作るか考えておかないと」
クロードシャリスは、悪だくみをする少年のように笑う。ヒワとエルメルアリアは「やった!」と言って互いの両手を合わせた。そこで、ルスとエストから声がかかる。
「アルクス王国、ジラソーレ近郊との接続が完了しました」
ヒワとロレンスは表情を引き締めた。クロードシャリスが半歩下がり、ステアルティードが前へ出る。
「それでは、みなさんも引き続き〈穴〉と魔物への対応をよろしくお願いします。またお会いできることを楽しみにしております」
「はい。色々ありがとうございました」
ヒワが言うと、ロレンスとフラムリーヴェがぺこりと頭を下げる。一方、エルメルアリアは気安く手を振った。
「徹夜はほどほどにな、ステア」
ステアルティードは、それまでとは打って変わって、厳しい表情で同胞を見上げる。
「貴様こそ、あまり無茶はするなよ。それと、ヒワ殿を困らせるような行動は慎め。わがままを言ったり、向こうの精霊指揮士に突っかかったりは――」
「はいはいわかりました! 最後まで口うるさい奴だな!」
エルメルアリアは、耳をふさぐ仕草をして、ヒワの後ろに隠れる。ヒワが苦笑していると、ステアルティードが近づいてきた。
「ヒワ殿、少しよろしいでしょうか」
「はい?」
ステアルティードは無言で手招きする。ヒワがそちらへ顔を近づけると、耳打ちしてきた。
「エルメルアリアをよろしくお願いします。――貴殿にならば、きっと心を開くでしょうから」
ヒワは目をみはる。ステアルティードの方を見る。彼はほほ笑んで、唇に人差し指を当てていた。ヒワも目を細めて、力強くうなずく。それだけで十分だった。
「では、行きましょう。念のため、ロレンスは私につかまってください」
「あ、うん」
フラムリーヴェの呼びかけを受けて、他の三人は門のそばへ駆け寄る。エルメルアリアが当然のように手を差し出してきたので、ヒワは安堵してそれを握った。
「なあヒワ。ステアになに言われたんだ?」
「えーっとね……秘密」
「はあ? なんだそれ、気になるじゃねえか」
顔を寄せたエルメルアリアに、ヒワは歯を見せて笑う。不服そうな彼をなだめて、門の方へ踏み出した。
「お気をつけて、いってらっしゃいませ」
「――はい!」
二人の門番の呼びかけに、ヒワとロレンスは同時に答える。そして、白と虹色の空間に飛び込んだ。