44 紳士と戦士の休息
会合が終わってすぐに帰還、とはいかなかった。人間たちの帰る場所がかなりばらけているため、少しばかり門を調整する必要があるのだという。白門の間の門番たちによれば、一日から数日はかかるらしい。調整が終わるまでの間、〈銀星の塔〉か〈都〉にいるよう言われた精霊指揮士たちは、各々好きな場所へ散っていった。と言っても、特にあてのないヒワとロレンスは〈塔〉の通路で困り顔を見合わせていたのだが。
「どうしよっか」
「どうしようね……。〈都〉を歩くのもありかもしんないけど、ちょっと落ち着かないんだよなあ」
そんな話をしている間にも、〈塔〉に出入りする精霊人たちとよくすれ違う。ほとんどの人たちは笑顔で手を振ってくれたり、愛想よく話しかけてくれたりする。そのたび、エルメルアリアとフラムリーヴェが応対した。
そんな中、新たに二人の精霊人がやってくる。どちらも、背中まである銀髪をゆるやかにまとめていて、まとっている長衣も同じだ。ルスとエストを彷彿とさせるが、彼らほど顔立ちが似ているわけではなかった。その二人は、エルメルアリアたちを見つけると、足を止める。フラムリーヴェが低頭し、エルメルアリアは彼女の背後に身を隠した。
「フラムリーヴェ。〈銀星臨時会合〉が終わったのですね」
「はい。つつがなく終了いたしました」
やってきた精霊人うちの一人、右側の者が口を開く。それに対し、フラムリーヴェはかたい声で答えた。彼女の様子から何かを感じ取ったのか、ロレンスが顔を引きつらせる。
「今は〈穴〉の発生が比較的落ち着いていますが、完全に収まったわけではありません。油断せず、引き続き役目を全うしなさい」
彼は、抑揚のない声でそう言う。フラムリーヴェの返事は短く、何かを押し殺したようだった。
その後も緊張感のあるやり取りが続く。ヒワとロレンスは、飛んできたエルメルアリアを見上げた。
「ねえ。あの人たち、誰?」
「今話してる奴が筆頭事務官。ステアたちの上司だ。その隣の奴が〈主〉の側近」
ロレンスの問いに、エルメルアリアが苦い顔で答えた。「〈主〉?」と、ヒワたちは耳慣れない単語を繰り返す。
「〈銀星の主〉だよ。この塔のてっぺんで天外界を見守ってて、精霊人たちを取りまとめてる人だ」
「つまり、天外界の王様ってこと?」
ヒワは首をかしげる。エルメルアリアは、「いや」と言った。
「王様とはちょっと違うな。オレたちに指示を出してるわけじゃないし、各里のやり方に口を出すこともない。そういうことをやっているのはあそこにいる二人で、〈主〉は基本方針を決めてるだけだ」
彼のささやきを聞き、ロレンスが口もとに指をかける。
「……アルクス王の権力をさらに弱めた感じかな?」
アルクス王国も王制だが、国王の権力は昔ほど強くない。法案や予算などを決めるのは議会であり、王の仕事はそれを通すか否かの最終決定を下すことだけだ。一方で、それらにおかしな部分があれば、問題点を指摘したり審議のやり直しを求めたりはできる。
「――エルメルアリア。そなたにも訊いているのだが」
ややこしい内緒話をしていたところに、鋭く低い声が刺さる。文字通り飛び上がったエルメルアリアは、フラムリーヴェの後ろからしかめっ面をのぞかせた。声の主は、〈主〉の側近だ。
「なんだよ」
エルメルアリアが刺々しく言うと、側近は髪と似た色の目で精霊人たちをまとめてにらみつける。
「〈穴〉への対処にずいぶんと時間がかかったようだな。そなたら二人が天地内界に下りていながらこの体たらくとは、どうしたことか」
「は? 時間がかかったって……むしろ早い方だろ」
口を開きかけたフラムリーヴェに先んじて、エルメルアリアが反論する。対面の二人がわずかに眉を寄せた。
「いいや。そなたら四人なら、ひと月もあればこれまで観測された〈穴〉をすべてふさぐことができたはずだ。これでは遅すぎる。こうしている間にも、新たな〈穴〉は観測され続けているというのに」
「天外界基準で語るなよ。今は制限がかかる内界で動いてる上に、人間と組んでるんだぜ。その人間を探すのにも時間がかかったんだ。多少効率が落ちるのは当たり前――」
「甘い」
〈主〉の側近が冷たい声で切り捨てる。フラムリーヴェが肩をこわばらせ、エルメルアリアは絶句した。その間にも、側近が半歩踏み出す。
「甘すぎる。人間なぞと足並みを揃えようとするからこうなるのだ」
刃のような言葉が、その場に沈黙をもたらした。しかし、すぐにフラムリーヴェが言い返す。
「お言葉ですが、契約者と足並みを揃えるのは当然です。世を乱しかねない力を振るう許可をいただくのですから、こちらも誠意をもって接するべきでしょう」
「普段であればそうでしょう。しかし、今は非常時です」
これに返したのは、筆頭事務官である。彼のまなざしもやはり、冷たい。
「重大な使命を背負ったそなたらと契約した以上、契約者にはその身命を賭して働く義務があります。子供だろうと、見習いだろうと、関係ありません」
精霊人たちに語りかけているようでありながら、その言葉は後ろの少年少女に向けられていた。二人は思わず身を寄せ合う。顔をしかめたフラムリーヴェの隣で、エルメルアリアが顔をゆがめた。
「だからって、任務だけに集中しろってのは無茶だろ。契約者たちにだって生活がある。その中で、命がけでやってくれてるんだぞ」
「この程度で命がけとは、笑わせる」
側近が、にこりともせず言い放つ。瞬間、空気が爆ぜた。
「――本気で言ってんのか、じじい」
エルメルアリアの声が、凪ぐ。窓が開いているわけでもないのに風が吹いて、渦を巻いた。彼の魔力と周囲の精霊たちが高まっているのが、ヒワの身にも伝わってくる。
当然、精霊人たちはより鮮明に感じ取っている。フラムリーヴェが、彼を制するように手を挙げた。
「抑えてください、エルメルアリア」
「止めるな、フラムリーヴェ。こいつら、ヒワもロレンスも道具扱いしてんだぞ」
エルメルアリアは、声をひそめつつも鋭く言い返す。フラムリーヴェは、苦々しく押し黙った。
二人を睥睨した〈主〉の側近が腕を組む。
「変わったな、エルメルアリア。長年天外界のために尽くし、〈幽闇隧道〉の守護者などと讃えられた者の態度とは思えぬ」
ヒワはその言葉に違和感を覚えた。正確には、彼が口にした地名らしきものに対してだ。周囲をうかがうと、ロレンスやフラムリーヴェも訝しげに銀髪の精霊人たちを見ている。
エルメルアリアの態度は変わらないように見えた。が、にじみ出る魔力が鋭さを増したようである。
「そんなの知らねえよ。勝手に――」
「筆頭事務官殿。こちらにいらっしゃいましたか」
彼が静かに反論したとき、涼やかな声が割って入る。ヒワたちの後ろから、クロードシャリスがやってきた。銀髪の精霊人たちの視線がそちらに流れた。
「クロードシャリス。何用ですか」
「議長がお呼びですよ。魔物討伐の記録をさかのぼるのに、協力していただきたいと」
「……そうですか。すぐに参りましょう。この先の資料室ですか?」
「ええ」
クロードシャリスがほほ笑むと、筆頭事務官は長衣をひるがえし、人々の横をすり抜けていく。誰もが反射的に道を開けていた。呆然としているヒワの前を、続けて〈主〉の側近が通り過ぎた。
「そなたらもまた、使命を負っている。努々忘れるな」
温かみの欠片もない声が、耳を撫ぜ、体の芯を冷やす。ヒワは思わず身を縮めた。
二人の背中が見えなくなると、クロードシャリスを除く四人は全身から力を抜いた。
「な、なんだったんだ、あれ……」
「すみません。お二人を巻き込んでしまって」
今にも倒れそうなロレンスを、フラムリーヴェが支える。そんな彼女自身、うなだれているようにも見えた。クロードシャリスが「災難でしたね」と苦笑する。かぶりを振ったフラムリーヴェは、ロレンスが立ち直ったと見るや、ヒワの隣に立った。前を見たまま動かないエルメルアリアを見据え――その頭に手刀を叩きこむ。
「いって!」
通路中に響かんばかりの悲鳴が上がった。ヒワとロレンスはたまげたが、巡視官の青年は平然としている。
エルメルアリアは、頭を押さえて振り向いた。
「何すんだよ!」
「それはこちらの台詞です。抑えろと言ったのに、聞かなかったでしょう。クロードシャリス様がいらっしゃらなかったら、どうするつもりだったんです」
「どうって――」
勢い込んで言い返しかけたエルメルアリアは、しかしぴたりと口をつぐんだ。むくれてそっぽを向く。――あのまま言い返すつもりだったのだろう。
フラムリーヴェがため息をついた。やや険悪になった二人を、クロードシャリスがなだめる。
「そのあたりにしましょう。どちらの言い分も間違ってはないんですから」
「……そうですね」
フラムリーヴェが答えたが、納得しているようには見えない。クロードシャリスは意に介さず、人間たちを振り返った。
「お二人も、どうか気に病まないでくださいね。相手がゼンやリリでも、あの方々は同じ対応をなさったでしょうから」
ヒワとロレンスは互いの顔とクロードシャリスを見比べ、気の抜けた返事をする。混乱していて、ほかに何を言えばよいのかわからなくなっていたのだ。
居心地の悪い空気を払うように、クロードシャリスが手を叩く。
「そうだ。みなさん、この後は何か予定がありますか?」
「いえ……ないから困ってたところです」
ロレンスが正直に打ち明けると、青年は藍玉の瞳をきらめかせる。
「でしたら、僕と一緒にお茶しません? いい場所を知っていますよ」
不機嫌そうだったエルメルアリアが、みるみる笑顔になる。そのそばで、残る三人は目をみはった。
突然の提案に驚きはしたものの、予定がないのは事実である。ヒワたちはクロードシャリスのお誘いを受けることにした。
彼に連れられて訪れたのは、〈銀星の都〉の南にある喫茶店らしき店だ。店の後ろに広い庭があって、そこで飲食ができるようになっている。色とりどりの花が植えられ、庭の端には噴水まである。噴水には、精霊人の祖先の恋物語を表現した彫刻がほどこされていた。
「本当は、我らが〈群青の里〉にご招待したいところですが、勝手に連れ出したら門番さんたちに怒られそうですからね。ここなら里の雰囲気を少し味わえるんじゃないか――ということで」
庭に見入っているヒワたちに、クロードシャリスはそう語る。いっとう大きな花壇から視線を外したフラムリーヴェが、しみじみと呟いた。
「お店があるのは知っていましたが、これほど立派な庭がついているとは……」
「報告に来るだけだと、店に入る機会なんてないですもんね。みなさん、ひゅーんっと飛んで帰ってしまいますし」
「クロードシャリス様は、そうではないので?」
「僕は町歩きが好きなので。〈都〉に来たときは、必ず少し歩いて回るんですよ」
そんな話をしているうちに、飲み物とお菓子が運ばれてくる。クッキーなどの焼き菓子に、クリーム――らしきものをたっぷり使った一口大のケーキ。それに、このあたりで採れるという果物を使ったお茶。いずれも、ヒワたちから見ると少し不思議な色や見た目をしている。
「すっごく今さらなんだけど……これって、食べても大丈夫なんだろうか。俺たち、帰れなくなったりしない……?」
皿をながめていたロレンスがそんなことを言いだしたので、ヒワはポルメ林檎のお茶を吹き出しかけた。クロードシャリスが失笑する。
「あははっ! 大丈夫ですよ、心配しないで」
相当おかしかったのか、その後しばらく彼は腹を抱えて笑っていた。顔を赤らめたロレンスを、フラムリーヴェが気づかわしげに見やる。
「確か、内界の神話や民話にそんなお話がありますよね」
「う、うん。それを思い出してさ」
「食べ物食べただけで帰れなくなるなら、〈都〉で食べ歩きしたっていう精霊指揮士の話は広まらないよな」
「そんな人いるんだ……」
エルメルアリアがさっそくクッキーらしき焼き菓子をつまんでいる。彼に倣って、ヒワもそろりと焼き菓子に手を伸ばした。星空を閉じ込めたようなジャムが上に乗っている。恐る恐る口に運んで、驚いた。
「あ、優しい味」
「うん。なかなか美味いな。クロの手作り菓子には敵わないけど」
ヒワは、得意げな相棒と、ようやく笑いが収まったクロードシャリスを見比べる。
「クロードシャリスさん、お菓子作りをされるんですか?」
「クロで構いませんよ」と言って、彼はお茶に口をつける。
「趣味の範囲ですが、よく作ります。エラがすごく喜んでくれるものですから、ついつい凝ってしまって」
「へえ……」
ヒワはなんとなく相棒を振り返る。彼は少々照れ臭そうに髪をいじくっていた。
「初めて会ったときに、たまたま前日に仕込んでいたお菓子を出したんです。そうしたら、目を輝かせて食べてくれて。それが嬉しくて余計にはまったところはありますね」
親友だという彼の口から語られる話は温かく、聞いている方が不思議と懐かしさを覚える。ヒワたちがつい身を乗り出すと、クロードシャリスは饒舌になった。
「あの頃のエラは本当にかわいかったなあ。誰もが見とれるような笑顔で、礼儀正しく挨拶して。その姿があまりに神々しいから、当時は〈銀星の主〉の後継者とまで――」
「クロ! その話はいいって」
「ああ、ごめん。もちろん、今のエラも素敵だよ。よく笑うし、色々なものに興味を持つし、僕の話も楽しそうに聞いてくれるし」
「そっちはそっちで恥ずかしいわ!」
顔を真っ赤にしたエルメルアリアが両手を突き出す。ヒワたち三人は、思わず互いを見た。
「なんと。エルメルアリアにそんな時代があったとは……」
感動したように呟くフラムリーヴェの横で、ロレンスも「ちょっと想像つかないな」とエルメルアリアを凝視する。見られた当人は、つんと顔を背けた。
「そんなに礼儀正しかった人が、どうしてこうなったのでしょうか」
「さあな? ぶっちゃけ、そんな昔のこと覚えてねえし」
探るような視線を向ける友達予備軍に、エルメルアリアは突き放すような答えを投げた。にこにこ見守っていたクロードシャリスが、それに乗っかって親友の昔話を続けようとしたが、本人が全力で止めたのでお流れになる。代わりに、ロレンスのソーラス院での生活の話や、精霊人の文化の話でしばし盛り上がった。
そうして、不思議な菓子とお茶を堪能した後、近くの緑地で少し休むことになった。同郷の者に声をかけられたフラムリーヴェが一行から離れる。ロレンスも吸い寄せられるようにしてついていった。便乗してか、エルメルアリアまでどこかへ飛んでいってしまう。といっても、爽やかな風は、ヒワからさほど離れてはいない。
少し考えたヒワは、近くの切り株に腰かけているクロードシャリスを振り返る。
「あの、クロさん。ひとつ訊きたいんですけど、いいですか?」
「おや。なんでしょう」
「〈幽闇隧道〉って、どんなところなんでしょう」
クロードシャリスの眉が動いた。ヒワはつい身構えたが、青年のほほ笑みは崩れない。彼はいつもの調子で答えた。
「『暗くて狭いところ』ですよ」
ヒワは息をのむ。
何もかもを見透かしたような回答。それを口にした青年は、彼女の方に体を向けた。
「〈主〉の側近のお言葉が、気になったんですね」
「……はい。でも、それだけじゃなくて……天地内界で、洞窟に行くことがあったんです。エラも一緒に」
クロードシャリスが目をみはる。驚きの表情は、すぐに切なげな微笑へと変わった。そう、と呟いた彼は、人差し指を口もとに立てる。
「それなら、僕の口からこれ以上語ることはできないな」
「え――」
目を見開いたヒワの前で、青年は人差し指を遠くへ向けた。エルメルアリアが去った方角へ。
「あの子に直接訊いたらいいよ。『そのこと』を知っているあなたになら、きっと話せると思う」
ヒワは、指さされた方とクロードシャリスの顔を何度も見比べた。彼の口調が砕けていることを気にする余裕もないほどに、相棒への思いが思考を支配する。その場で勢いよく頭を下げると、示された方へ駆け出した。