43 〈銀星臨時会合〉
精霊指揮士とその契約相手、計八人は、会合を開くという会議室に案内された。〈銀星の都〉を通ってきた後だったこともあり、どんな不可思議な部屋に通されるのかとヒワは冷や冷やしていた。が、扉をくぐって拍子抜けする。
そこは、壁と天井が真っ白で、円卓が置かれているだけの部屋だった。天井付近に細かな装飾がほどこされていたり、照明器具もなく精霊指揮士もいないのに丸い明かりが六つ浮かんでいたりするが、〈都〉ほど異質な雰囲気はない。
「あーよかった。『小会議室』の方か。『大会議室』は声が反響するから苦手なんだよね」
入室するなり、リリアレフィルネがそんなふうに言う。彼女とヘルミに先んじて円卓の方へ歩いていたゼンドラングが豪快に笑った。
「人間がいるのに大会議室は使えんだろう。ここに飛べないのが一人いるしな!」
「ああ、なるほどー」
リリアレフィルネがぽんと手を叩く。二人のやり取りを聞いていたヘルミが「飛べないと使えない会議室って何さ」と呟いたが、答えは返らない。その代わり、やわらかな言葉が彼らを出迎える。
「ようこそ、みなさん。席順などは決まっておりませんので、お好きなようにお座りください」
聞き覚えのない声に吸い寄せられて、ヒワたちは奥を見る。
――最初からいたのだろうか。長身の人がそこに立っていた。精霊人であろう。霜を思わせる冷たい魔力をまとっている。つややかな黒髪を背中の半ばまで伸ばしていて、肌は雪のように白い。性別は、見た目からはわからなかった。彼は、来訪者たちに穏やかなほほ笑みを向ける。
ヒワは思わず足を止めた。彼の笑顔が作り物めいて見えたせいだ。ロレンスに背中をつつかれて我に返り、相棒の後をついていく。その相棒はひるむことなく口を開いた。
「よう、議長。今回の進行役もあんたか」
「ええ。議長ですので」
彼のほほ笑みは崩れない。エルメルアリアも、何事もなかったかのように適当な席へ腰かけた。――いや、適当に選んだように見えて、明確に『議長』から距離を取っている。
色とりどりの感情を抱えつつ、ヒワも彼の左隣に座った。ほかの参加者たちも、めいめい好きなところに着席している。ヘルミが自分の近くに座ったのに気づき、ヒワは知らず肩をこわばらせる。
小会議室にもう一人の参加者が現れたのは、そのときだ。
「みなさん集まっておられますね。遅れて申し訳ない」
「問題ありませんよ、クロードシャリス。まだ始まっていませんから」
書類の束を抱えている青年に、議長が変わらぬほほ笑みを向ける。会釈した彼は、議長の近くに着席した。ちなみに、ステアルティードは彼の向かいの席にいる。
会議室全体を見回した議長が口を開く。
「――全員揃ったようですね。予定より少し早いですが、始めても構いませんか」
問いかけに全員がうなずいた。それを確かめて、議長が淡々と宣言する。
「それでは、これより〈銀星臨時会合〉を始めます」
※
「まずは、世界の境目に開いた〈穴〉の現状を確認しておきましょう。――クロードシャリス」
「はい」
議長に呼びかけられた巡視官が、淡々と説明した。
今まで天地内界の大陸西部で観測され、天外界と繋がっていた〈穴〉は十四か所。そのすべてをここにいる四組でふさぎ、漏れ出た魔物も送還済みだ。ただし、〈穴〉は日々観測され続けているため、安心はできない。
「エルメルアリアから報告があったのが五件、フラムリーヴェから報告があったのが四件。ただしこのうち二件は連名での報告でしたね。ゼンドラングが四件で、リリアレフィルネが三件。間違いないでしょうか?」
クロードシャリスからの確認に、精霊人たちが返事をしたりうなずいたりして応えた。退屈そうにしていたノクスが顔をしかめる。
「杖無しの素人が一番多いのかよ」
鋭い呟きを聞いてしまい、ヒワは身を固くする。エルメルアリアも顔をしかめたが、彼が口を開く前に、ゼンドラングがなだめた。
「落ち込むことはないぞ、ノクス! 活動を始めた時期が違うのだから、差が出るのは当然のことだ」
「落ち込んでなんかねえよ」
「ていうか、そもそも数を競ってるわけじゃないし」
ヘルミが刺々しく口を挟む。ノクスの眉間のしわが増えたが、彼が爆発する前にクロードシャリスが続けた。
「次に、〈穴〉の分布ですが……天地内界のフロンシア大陸西部においては、現状アルクス王国が最多。ただ、レグン王国やユース共和国、ヒューゲル王国においても観測されています。天外界だと、〈藤黄の里〉や〈群青の里〉近辺が多いですね。先日は、〈彩雲連山〉とアルクス王国が繋がっていました」
このあたりでステアルティードが立ち上がり、人間たちに分厚い紙を配る。それは、簡易の地図だった。頭がこんがらがりつつあったヒワは、心から感謝してそれを受け取る。
「特に法則性はなさそう……かな」
「そうだねえ。強いて言えばアルクスの事例が多いくらいだけど……まだよその〈穴〉が観測されてないだけかもしれないし、何とも言えない」
ロレンスの呟きに、額をつついているヘルミが答えた。ノクスはそもそも地図を見ておらず、代わりにゼンドラングがそれをのぞきこんでいる。
「それと、天外界と天地内界以外が繋がる事例もあります。確認されているのは天外界と水底界、天地内界と熱砂界ですね。――ただし、後者は大陸東部で報告された事例です」
「……地下魔界と繋がった〈穴〉はないのか?」
エルメルアリアが考え込みながら問う。フラムリーヴェもやや身を乗り出した。二人を怪訝そうに見たクロードシャリスは、かぶりを振る。
「今のところ、確認されてはいない。気になることがあった?」
「カント森林周辺の〈穴〉をふさぎにいったとき、天外界でも見た覚えのない魔物に遭遇したんだ」
「鹿の骨の魔物だね」
ロレンスが思い出したように呟く。「鹿の骨?」と何人かが異口同音に尋ねた。数人から見られた少年は、視線と手をさまよわせる。
「ええと……誰か、書くもの持ってます……?」
「アタシのペンとメモ帳、使う?」
ヘルミが席を立ち、筆記用具をロレンスに渡した。お礼と共に受け取った彼は、メモ用紙にペンを走らせる。
「こういうのがいたんです。最初は小さな鹿だったんだけど、豹変して、この姿に」
言いながら、ロレンスはペンとメモ帳をヘルミに返す。ついでに、自分が描いた物も渡した。席に戻りながらそれを見たヘルミは眉を寄せる。
「んん……? なんだい、これ。気色悪いね」
「ヘルミ。わしらにも見せてくれんか」
「ああ、もちろん」
そこから、順番にメモ紙を回していった。骨の魔物を知らない面々の反応は、ヘルミと大差ない。すでに姿を知っているヒワは流すようにステアルティードへ回したが、そのとき、ちらりと描かれた物を見た。色んな意味で思い出深い魔物の絵だった。
「ロレンス……絵、上手だったんだ」
「そ、そう? よかった。ソーラス院で植物や魔物の絵図を描かされるから、そのノリで描いたんだけど」
はにかんだロレンスをノクスが不機嫌そうに見る。一方、紙が回ってきた〈銀星の塔〉の面々は揃ってかぶりを振った。
「これは……見たことがないな」
「確かに、地下魔界にいそうな雰囲気ですが。記録を当たらないと何とも言えないですね」
クロードシャリスの言葉に、議長がうなずく。
「後ほど、過去の討伐や巡回の記録を見てみましょう。情報提供ありがとうございます」
「い、いえ」とロレンスが頬をかく。エルメルアリアとフラムリーヴェが軽く息を吐いた。
議長が、彼ら四人を順繰りに見やる。――両目は三日月のように細められたままだが、ヒワはなぜか「見られた」とわかった。
「そうそう、ヒワ様、ロレンス様。お二人は見習いということもあって、これまではアルクス王国内の案件のみをお願いしておりました。しかし、今後の状況次第では国外に出向いていただくこともあると思います。その点、ご承知おきください」
ヒワは、驚きつつもうなずいた。一方、ロレンスは眉を寄せる。
「国外での活動となると、国や協会に話を通さないといけませんよね」
「そうですね。最低でも、精霊指揮士協会とは連携していただくことになるでしょう。我々〈銀星の塔〉からも話はしておきますが、細かいことは内界の皆様で決めていただけると助かります」
「……わかりました」
ロレンスは渋面のままうなずいた。心の内を推し量れるのは、ヒワとフラムリーヴェだけである。もちろん何も知らない議長は、人形のような笑みを深めた。
「では、次の話題に移りましょう。同胞たちに確認したいのですが、〈閉穴〉は問題なく行えていますか?」
議長の淡々とした声が、白い部屋に響く。ゼンドラングが猛獣のごとく鼻を鳴らし、リリアレフィルネがなぜか不満げに唇を尖らせた。
「おうよ! 問題ない!」
「こっちも問題はないよ。ただ、あの陣を毎回描くのはちょっと手間かなあ」
「そう思ったんで、この間改良案を提出した。……って、実際に出したのはフラムリーヴェだけど」
同胞からの言葉に、エルメルアリアが腕組みする。
「もし、そっちにも案があったら言ってくれ」
「がははは! ないな! というより、おぬしが手を加えた術に、さらに手を入れられるだけの知識がない!」
ゼンドラングが笑い飛ばす。契約相手を見上げたノクスが「いっそ清々しいな」と呆れていた。一方、リリアレフィルネは静かに挙手する。
「それなら、ボクからひとつ提案があるんだけど」
桃色の瞳がエルメルアリアを見る。彼はさらに、議長へ目配せした。
「構いませんよ。教えてください」
議長にうながされ、リリアレフィルネが意見を述べる。だが、ヒワには何を言っているのかさっぱり理解できなかった。まわりを見ると、ロレンスやノクスも目を回している。ヘルミは辛うじてついていけているようだが、顔が引きつっていた。
〈閉穴〉の術の話が一段落すると、やや身を乗り出していた精霊人たちは元の通りに着席した。それを確かめた議長が小会議室を見渡す。
「そのほか、質問や気になることなどございますか?」
淡々とした問いが、静寂の中を揺蕩う。その響きが消えた時、ヘルミがすっと手を挙げた。無言の許可を得た彼女は、〈塔〉の精霊人たちに鋭い視線を向ける。
「〈穴〉が開いた原因については、何もわかってないの?」
クロードシャリスが目を瞬き、ステアルティードが口もとに指をかける。そして、議長はやはり淡白に答えた。
「明確な原因は特定できていません。現在、調査中です。――ステアルティード、観測室から何か報告は上がっていたでしょうか」
「はっ……」
名指しされた事務官が、話の内容を書き留める手を止めて、別の書類を引き寄せた。
「発生原因については、議長の仰る通り不明です。ただ、〈穴〉は『世界の境目の揺らぎ』の一種だという仮説が立っています」
「まあ、妥当なとこだよね」とヘルミが呟く。ヒワはそれらを聞きながら、いつかロレンスがしてくれた話を思い出していた。世界と世界を隔てる壁のずれ。境目が揺らぐこと。
「でもよ、揺らぎ程度でこんな大ごとになるか? せいぜい、精霊が言うこと聞かなくなって、術が使いづらくなる程度だろ」
「だから今回は普通じゃないって話でしょ」
顔をしかめたノクスにヘルミが返す。ステアルティードがうなずいた。
「通常の『揺らぎ』で世界が完全に繋がることはあり得ません。――過去には何度か、世界が繋がるほどの大きな揺らぎが観測されたこともあります。各世界で強力かつ大規模な指揮術が使われたときや、魔物の異常発生、異常繁殖が起きたときなどです」
現役の精霊指揮士や精霊人たちは、事務官の話を落ち着いて聞いている。一方のヒワは、叫び出したくなるのを必死で堪えていた。知らない情報ばかりが飛び込んできて、思考回路が焼き切れそうだ。
それでも、ステアルティードの話は続いた。
「ただ、この揺らぎの影響は短期的かつ限定的でした。いくら世界が繋がると言っても、魔物が直接出ていけるほどの通路ができたわけではなかったのです。
〈穴〉のはじまりも、おそらくはその程度の揺らぎだった。しかし、何らかの力が加わったことにより揺らぎが強くなり、最終的に〈穴〉と呼べる規模にまで拡大したのではないか。それが、現在観測室が立てている仮説です」
そう締めくくったステアルティードが一礼し、書類を置く。会議室に張りつめた空気が満ちた。
ヒワは音を立てることも憚り、白い卓をにらんで縮こまる。しかし、何の気遣いもなくこの沈黙を破る者もいた。
「つまり、どういうことだよ。境目の揺らぎがどうして〈穴〉になるんだ?」
ノクスだ。素朴な疑問を呈した彼は、全員の視線を一身に浴びると居心地悪そうに身じろぎした。
リリアレフィルネなどは呆れたようにため息をついたが、真摯に向き合う者もいる。契約相手のゼンドラングがそうだった。彼は、太い指で虚空を示した。
「ノクスよ。ここに薄い布があると想像してみろ。紙でもよいぞ」
「はあ……? なんだよ、急に」
「まあ聞け。その布には、ちっさい穴が開いておる。おおよそ、何か尖った物を引っかけたのであろうな」
ゼンドラングは、親指と人差し指を使って、ごく細い隙間をつくって見せた。それを見たノクスは、しかめっ面のまま身を乗り出す。
「では、このちっさい穴に爪を引っかけて、こう、動かしたら、どうなる?」
宙に浮かせた指を下に動かすゼンドラング。それを目で追いながらノクスは頬杖をついた。
「そりゃあ、布が裂けるに決まってんだろ。何を当たり前の――」
言いかけた彼は、しかしそのまま固まった。ややして体を起こし、右の拳で左の手のひらを打つ。
「ああ。境目の揺らぎと〈穴〉もおんなじってことか」
「そういうことだ!」
「つまり、ちっさい穴に爪引っかけた馬鹿がいるんだな?」
ゼンドラングはつかの間、虚を突かれたように黙り込む。それから豪快に笑いだした。まわりで聞いていた人々も顔を見合わせる。ヒワたちもつい、ヘルミたちの方を見た。
「人が引き起こした現象とは限りませんが……その可能性も考えておいた方がいいですね」
クロードシャリスがささやく。彼を見て、ゼンドラングがにやりと笑った。
「そうだな。ま、案外、風に飛ばされた木の枝が引っかかっただけかもしれんが」
薄い布の例えが継続している。それを聞いて、議長とヘルミがふっと笑みをこぼした。
小会議室の空気が緩む。何気なく円卓を見回していたヒワは、細く息をのんだ。
ほんの一瞬、クロードシャリスがノクスをにらんだように見えたのだ。――二人の様子をうかがいかけて、しかしヒワは首を振る。きっと気のせいだ、神経質になりすぎているだけ。そう結論付けたとき、議長の淡々とした声が響く。
「ほかに質問等ございますか?」
その問いに「ない!」とゼンドラングが答える。ほかの面々もかぶりを振るなどして同じ答えを示す。
議長はうなずいて、宣言した。
「――それでは。これにて〈銀星臨時会合〉を終了いたします。お疲れ様でした」