42 親友と同志たち
翌日。ヒワたちは朝早くから〈銀星の塔〉に呼び出された。もちろん会合までにはまだ時間がある。首をかしげあいながらも宿を出た一行は、ステアルティードと合流した。
「おはようございます。早くからお呼び立てして申し訳ありません」
〈塔〉の事務官は相変わらずの態度で彼らを出迎える。〈銀星の都〉から〈塔〉まで案内する道すがら、呼び出しの理由を教えてくれた。
「実は、皆様にお会いしたいという者がおりまして」
「あ、会いたい? 俺たちに?」
ロレンスが聞き返す。早くも腰が引けた様子だった。ステアルティードが、そちらを見て苦笑する。
「正確には、エルメルアリアと……ヒワ殿のお顔を見たいのでしょうがね」
「ん? わざわざオレたちを見に来た奴がいるのか? 誰だ?」
エルメルアリアが飛びながら問う。ヒワも緊張してその答えを待っていた。ステアルティードは考え込むように黙った後、つかの間足を止める。
「クロードシャリス」
彼が発したのは、ヒワたちの知らない名前だった。だが、ヒワは妙な感覚に襲われる。つい最近、どこかでその名を聞いた気がした。
ロレンスは首をかしげ、フラムリーヴェは「なるほど」と呟いている。そして、エルメルアリアは、目を輝かせて前へ飛んだ。
「クロが来てるのか!?」
「ああ。会合にも参加する」
「本当か!」
「本当だ。〈穴〉の件は、巡視官の彼にも関係があるからな」
勢いのいい質問に、ステアルティードは淡々と答える。ただ、その声色は今までよりもやわらかかった。彼の答えを受け取ったエルメルアリアは、いっそう高く飛びあがった後、ヒワの元へ戻ってぐるぐる旋回する。ヒワは目を回しそうになりながらも、その姿を追った。
「エラ、嬉しそうだね。その人とは仲いいの?」
「いいも何も!」
エルメルアリアはヒワの正面で止まると、その手を握った。
「クロはオレの親友だ!」
太陽のような一言に、ヒワとロレンスが目を丸くした。
しばらく歩くと白銀の塔が見えてくる。はしゃぎたいのを堪えている様子のエルメルアリアとともに、ヒワは案内役のすぐ後ろを歩いた。
途中、目をしばたたく。ひやりとした風と、それに運ばれてきた雫が鼻先を撫でた。――魔力だ、と気づいたのは、知らぬ声を聞いたときのこと。
「使い走りのようなことをさせてすみません、ステアルティード」
「構いませんよ。元より、彼らへの対応を〈主〉より仰せつかった身ですので」
澄み切った水のような言葉に、ステアルティードが柔らかい物腰で答えている。興味をそそられたヒワは、失礼にならない程度に、青年の陰から顔をのぞかせた。
塔の前に立っている『彼』は、不思議な空気をまとっていた。ステアルティードより小柄で、顔立ちは若い男性のそれに見えるが、彼よりずっと年上ではないかと思わせるところがある。日光を浴びたことがあるのかと言いたくなるほどの白皙を、人好きのする笑みが彩っていた。
「クロ!」
エルメルアリアの声が、ひときわ弾んだ。彼は溜まりに溜まったエネルギーを弾けさせて飛び出す。普段なら落ち着きのなさを咎めるであろうステアルティードも、今は黙っていた。
小さな少年を見て、彼――クロードシャリスは藍玉の瞳を輝かせる。
「エラ、久しぶり! 会いたかったよ」
「オレも!」
対面した二人は、しばし少年のようにじゃれ合った。
「巡視も最近忙しいんだろ。〈会合〉があるとはいえ、よく来られたな」
「エラに会える、せっかくの機会だからね。多少無理を言って、枠を作ってもらったんだ」
「さては、相当ごねたな?」
「ふふ、どうだろうね。エラこそ、内界はどう? 君は有名人だし、何かと苦労するだろう」
「魔物の送還は大変だけど、それより楽しいことの方が多いぜ。今回は協会支部のまわりだけじゃなくて、あちこち行ってて――」
近況報告に花が咲く。放っておいたら二人だけでいつまでも話していそうな勢いだ。ヒワたちが呆気にとられていたところで、エルメルアリアが思い出したようにそちらを見た。
「オレの契約者も紹介しなきゃな。それこそ、せっかくの機会だし」
「ああ、そうそう。僕も気になっていたんだよ」
二人の意識が自分に向いたことに気づき、ヒワは肩をこわばらせる。軽々と飛んだエルメルアリアが、友を振り返って無邪気に笑った。
「彼女がオレの契約者」
「あっ、と――ヒワです。えと、ヒダカ出身アルクス王国住です。よろしくお願いします」
ヒワはおずおずと進み出て、頭を下げる。クロードシャリスは、へえ、と軽く目をみはった。すぐに驚きを引っ込めて、物柔らかにほほ笑む。
「はじめまして。〈群青の里〉のクロードシャリスです。エラがお世話になっているみたいで」
「い、いえいえ! むしろわたしの方がお世話になってるっていうか――」
「それならよかった。共に戦う精霊指揮士としては、彼以上の人はいないでしょうから」
クロードシャリスはくすりと笑う。銀色の中に青色が混ざった髪がさらりと流れた。その後、自然な所作で右手を差し出してくる。ヒワはぎくしゃくしながらも握手に応じた。彼の手は冷たかった。しかし、心地よい冷たさだった。
挨拶が済むと、クロードシャリスの視線が後ろへ流れる。
「フラムリーヴェも一緒でしたか。てっきり、エラとは別の場所で任務に当たっていると思っていましたが」
「私も、契約するまではそのつもりでしたよ」
にこやかな青年に、戦乙女が一礼する。穏やかではあるが、先ほどまでよりいくらか冷めているふうでもあった。
「そちらの方がフラムリーヴェ殿の契約者で?」
「そうです」
青と紫の視線を受け止めたロレンスが、仕方なしとばかりに口を開く。
「あー……ロレンス、です」
「クロードシャリスです。よろしくお願いします」
「どうも」
こちらも握手を交わす。ロレンスもまた、緊張しているようだった。少年から離れたクロードシャリスは、遠巻きに見ていたステアルティードと一言二言交わす。塔の方に足を向けた彼を見て、エルメルアリアが声をかけた。
「仕事か、クロ?」
「うん。会合の準備をしなきゃ」
小さな少年にほほ笑みかけた青年は、軽く手を振る。
「また後でね、エラ」
「――ああ! また後で!」
クロードシャリスが塔の壁際まで歩き、そこで地を蹴った。体がふわりと浮き上がって、一気に上昇する。全身を使って彼を見送っていたエルメルアリアは、しばらくするとヒワのもとへ舞い戻った。
「あの人がエラの親友かあ。優しそうな人だね」
「実際、優しいんだ。それに頭もいい! 巡視やってて、天外界の色んな場所のことも知ってるしな」
目を輝かせているエルメルアリアを見て、ヒワは自分まで嬉しくなってきた。思わず笑声を立てたところで、ふと疑問が湧いてくる。
「そういえば、巡視……? ってどういう仕事なの? 色んなところを巡るっていうのは想像できるんだけど」
「あー。正式には巡視官っていってな。天外界各地にある精霊人の里を巡って、生活の様子や作物の出来なんかを〈銀星の塔〉に報告する仕事だ。クロを含めて十人くらいいるんだったか?」
「現在は九人だな。エルメルアリアたちが内界に行っている間に、一人引退した」
ステアルティードが補足する。巡視官がいなくなったからか、また一行のそばに歩み寄ってきていた。
「へえ。そうだったのか」
「私も初めて知りました」
「知らせる機会がなかったのでな……申し訳ない」
目を丸くしたエルメルアリアたちを、事務官が気まずそうに見る。短く息を吐いた彼は、塔の向かって左――銀色の卵がある方へ足を向けた。
「さて、我々も塔の中へ向かうとしましょう。そろそろ他の精霊指揮士たちが到着しているかもしれません」
彼の言葉にロレンスが驚きの声を上げる。
「ほかにも精霊指揮士が来るんですか?」
「ええ。あと二名いらっしゃると聞いています。契約した精霊人も含めれば四名ですね」
ヒワとエルメルアリアが契約したばかりの頃――つまり、ロレンスが事情を知る前には、ほかの契約者はまだいないという話だった。だが、あれからそれなりの時間が経っている。新たな契約が成立していても不思議ではない。むしろ自然なことだろう。
「……どんな人たちかな」
ヒワの呟きに、ロレンスがおびえたように肩をすくめる。大きな不安とわずかな期待を抱えて、彼らは〈銀星の塔〉の事務官についていった。
卵型の物体に乗って上昇することしばし。昨日よりもひとつ下の階に降り立ったヒワたちは、ステアルティードについて歩いていた。その途中、彼が怪訝そうに足を止めたので、ヒワたちも慌てて立ち止まる。
一行とは反対の方向から人が歩いてきていた。精霊たちが少し反応を示しているが、魔力は感じられない。――人間である。
「失礼。貴殿はもしや、会合に参加される精霊指揮士でしょうか」
ステアルティードがかしこまって話しかける。人間の青年が、ちらとそちらに顔を向けた。榛色の瞳が鋭い光を帯びる。
「あ? ……ああ、ここの精霊人か」
「はい。ステアルティードと申します」
ふうん、と言った彼は、わかりやすく目を細める。その視線はステアルティードを飛び越して、ヒワたちを射抜いていた。
「そっちの二人は人間だな。ってことは、同志ってわけか」
「そうなりますね。ちょうどよかった、自己紹介など――」
穏やかな提案を、鋭い音がさえぎった。青年の舌打ちである。
「冗談じゃねえ。どっからどう見ても見習いじゃねえか。なんで役立たず共と仲良く自己紹介なんかしなきゃなんねえんだ」
青年の言動に、ステアルティードを含む五人はそれぞれ違う意味で目をみはった。
「ええと、ちょっと怖い、かも」
「エルメルアリアより態度が悪い……」
「一緒にすんなよ、フラムリーヴェ」
「何あの人……一目で見習いって見抜いた……。こわ……」
四人がささやき合っている間にも、青年は大股で歩いてくる。ちょうどステアルティードの後ろにいたヒワをにらんできた。ヒワは思わず後ずさる。身長はほとんど変わらない――むしろヒワの方が高いようなのだが、なぜか上から見下ろされている感覚になった。
「特に、てめえ。杖すら持ってねえじゃねえか。ふざけてんのか」
「あ、え、えと……杖は、作り直し中、で」
「は? 修理じゃなくて作り直し? どんだけ無茶苦茶な術の使い方したんだ。それとも、アホみたいにボロい杖使ってたのか?」
名前も知らない青年の言葉は、次々とヒワの胸に突き刺さる。
無茶な術の使い方をした自覚はあった。杖もヒワ専用に作られたものではなかった。しかし、杖は相棒が贈ってくれたものだ。使ってくれてありがとう、と言ってくれたものだ。それを悪しざまに言われたことが、何より少女の心を傷つけた。
唇を噛みしめ、見えないところで両手を握る。
感情が漏れ出るより早く、彼女の前に精霊人が躍り出た。
「おい、おまえ。いきなり現れたくせして、何好き勝手言ってんだ」
エルメルアリアが、ヒワのすぐ前に浮いていた。両腕をめいっぱい広げて青年をにらんでいる。その青年は瞠目したが、すぐに顔をしかめた。
「俺がそいつに話を聞いてるんだよ。どけ、チビ」
「嫌だね。今のは『話を聞いてる』とは言わねえ。ただの威圧だ」
「あぁ?」
茶色の眉が大きく跳ねた。青年の目つきがより剣呑になる。
「チビのくせして、俺に喧嘩売ってんのか? その細い体、ひねりつぶしてやろうか」
「喧嘩売ってんのはそっちだろ。やれるもんならやってみろ」
精霊人と人間の青年が、至近距離でにらみ合う。火花を散らすどころではない。今にも指揮術の撃ち合いを始めそうだった。うろたえたヒワは周囲に視線を走らせる。そこで、事務官の青年が肩を震わせていることに気が付いた。眉間に深いしわが刻まれている。先生が生徒たちを怒鳴りつける前の表情そのものだ。彼が口を開きかけたとき――すぐそばに、影が差す。
「よせよせ、ノクス。天外界でエルメルアリアに喧嘩を売るなぞ、『殺してくれ』と言っているようなものだぞ」
太い腕がぬうっと伸びて、青年の襟首をつかまえる。軽々持ち上げられた青年は、声を上げて手足をばたつかせた。
「あっ、おい! 離せ、ゼン!」
「がははは! すまんが、断る! いっぺんに三人の同胞を敵に回したくはないのでな」
突如現れた大男は、暴れる青年を軽々と肩に担ぐ。ステアルティードが気の抜けた表情で彼を見上げた。
「ゼンドラング殿。貴殿の契約者でしたか」
「おう! 騒がせたな、ステア。白門の間でもう一組と挨拶しておる間に主人の姿が見えなくなったもので、探し回っておったところよ」
「なるほど……」
ステアルティードはやれやれとばかりにため息をつく。豪快に笑った大男、ゼンドラングは、そのそばにいる四人を見下ろした。
「おいゼン! 契約者ならちゃんと見張っとけよ!」
「おお、すまんなエルメルアリア。なかなか足の速い主人で、わしも追いつくのに苦労しておるのだよ」
エルメルアリアの苦情に、ゼンドラングは頭をかきながら答える。そのとき、担がれたままの青年が上半身をひねって振り返った。
「おい、今エルメルアリアっつったか? そのチビが? やたら強そうな精霊人だとは思ったが……」
「強者とわかって喧嘩を売ろうとしておったのか。相変わらずよの、ノクス」
説教臭い言葉を放った張本人は、むしろ楽しそうに笑っている。一方の青年は、ますます顔をしかめて一行をにらみつける。その視線は主にヒワへと向いていた。先ほどの青年の言動と大男の登場ですっかり委縮してしまった彼女は、思わずエルメルアリアにしがみつく――というより、彼を抱きしめる。
「ずいぶんと愛い契約者だな。怖がらせてしまったか」
それを見たゼンドラングが身をかがめる。元々が巨体なのでそうしていても目線は高いが、少しばかり愛嬌もあった。
「すまんかったな。わしは〈藤黄の里〉のゼンドラングだ。ゼンと呼んでくれて構わんぞ」
「…………ヒ、ヒワです」
「ほお。不思議な響きだな。穹の言葉か、あるいはヒダカか?――まあ、そういう話は追々、だな」
どこかの職人と似たようなことを言ったゼンドラングは、左の指で右の肩に担いだ青年を示す。
「こっちがわしの契約者、ノクスだ。ちとでりかしいに欠けるところはあるが、悪い奴ではないのでな。仲良くとまではいかずとも、敵視せんでくれると嬉しい」
ヒワは、はっきりと答えられなかった。うなずくような首を振るような、曖昧な動作をしてしまう。それでもゼンドラングは嫌な顔をしなかった。代わりに、肩の上のノクスが反抗する。
「勝手なこと言うんじゃねえ! 俺はそんなのが同志だなんて、認めねえからな!」
「こうは言うが、本心では気になって仕方がないのだよ。何しろ、あのエルメルアリアの契約者だからな」
「ゼンてめぇコラ!」
荒々しい怒鳴り声を浴びても、そよ風が吹いたほどにも動じない。そんなゼンドラングを、炎色の髪の女性が見上げた。
「なんと言いますか……ずいぶん個性的な方と契約しましたね、ゼン」
「おう、フラムリーヴェ。おぬしとは何かと縁があるな」
「そのようで」
頭を下げるフラムリーヴェの表情はやわらかい。ゼンドラングも豪快に笑った。彼はすぐ、戦乙女の後ろに隠れている少年に気づく。
「で、そちらがおぬしの契約者か。これまた愛い……いや、初々しいな」
「はい。ソーラス院の学生ではありますが、私の契約者にはもったいないほどの才と器の持ち主です」
「ほほう。〈浄化の戦乙女〉が随分と褒めるではないか。いや、おぬしが自身を過小評価しているのだよなあ」
ゼンドラングが声高く笑う。ひるんでいたロレンスが、そこでなんとかフラムリーヴェの前に出た。
「ロレンス・グラネスタです。よろしくお願いします……えーと、ゼンさん?」
「おう! よろしく頼む!」
愛称で呼ばれたのが嬉しかったのか、ゼンドラングは歯を見せて笑う。ロレンスの黒髪をぐしゃぐしゃとなでたところで、ようやく自身の契約者を下ろした。ノクスは不満そうではあるが、さすがに大人しくなっている。
安堵した様子のステアルティードが、同郷の男を見上げた。
「ところで、ゼンドラング殿。先ほど『もう一組』と仰っていましたが、その方々はどちらに?」
「わしと同じ時に白門の間を出たぞ。ノクスを探してくれておったが――」
ゼンドラングが首をかしげたとき、甲高い靴音が近づいてきた。それとともに、溌溂とした声が響く。
「あらま。なんだかにぎやかなことになってるね」
「おう、来たぞ。もう一組だ」
ヒワたちの――より正確に言うならば、ロレンスの背後から、紺藍の髪の女性が現れた。そのかたわらに小さな精霊人がいる。エルメルアリア同様、宙に浮いていた。
ゼンドラングがそちらに手を振ると、女性も気安く応える。
「やんちゃ坊主は見つかったかい、ゼンさん?」
「無事見つけた! 世話をかけたな。ついでに、残りの二組とも合流できたぞ」
「そりゃ望外の幸運だ」
女性は笑声を立てながら歩いてくる。ステアルティードに気づくと、大きな目を瞬いた。
「そちらの方はもしや、〈銀星の塔〉の事務官さん?」
「ああ、はい」
「やっぱりそうか。勝手に出てきてしまって申し訳ない」
「大丈夫ですよ。事情は聞いていますので」
穏やかに対応したステアルティードに、女性は見本のような礼をした。優雅というより、清廉、という言葉が似あう振る舞いだ。
彼女はそのまま灰青色の瞳をヒワたちに向ける。「君たちが残る二組か」と声をかけられたので、ロレンス、フラムリーヴェ、エルメルアリアの順で名乗った。女性は気さくに応対していたが、エルメルアリアの名を聞くと、彼を穴が開くほど見つめる。
「へええ……君が噂の〈天地の繋ぎ手〉。想像してたのとだいぶ違うね」
「悪かったな。威厳のないチビで」
エルメルアリアはいつものように胸を張ったが、その顔はややこわばっている。自虐的な言葉に「いや――」と返した女性の瞳が、無邪気な子供のような光を宿した。
「ちっちゃくてかわいい!」
「は、はあ?」
「やたら大仰な二つ名ばっかり聞くから、もっとでかいの想像してたんだけど! 大外れ――いや、大当たり? ねえねえ握手しようよ握手!」
「なんだいきなり! その握手って挨拶以外の意味も含まれてるだろ嫌だよ!」
はしゃぎだした女性を見て、エルメルアリアが目を白黒させる。そばのロレンスとフラムリーヴェも呆気にとられて固まっていた。なので、女性のそばにいる精霊人が頬をふくらませたことに、誰も気づいていなかった。
エルメルアリアは女性から逃げるように身をよじる。
「気安く触ろうとすんな。オレはあんたの契約者じゃねえ」
「ああ、それもそうだね。まずは契約者に許可を取らなきゃ」
「いや、許可とかそういう問題ではなく」
つい顔をしかめた。が、女性はその変化に気づかぬまま、ヒワに声をかけようとして、眉を上げる。
ヒワは、挨拶どころではなくなっていた。真冬の散歩後の犬のように震えて、エルメルアリアを抱きしめている。それに気づいたロレンスが、軽く彼女の頭を叩いて、表情を曇らせた。
「あ、やばい。ヒワが限界だ」
「まあ、しょうがねえよな。知らない奴からガン飛ばされて、知らない大男がいきなり出てきて、また人が増えたんだ。混乱しない方がおかしい。それはそれとして……くるしいから、ちょっと力抜け……」
ぬいぐるみのように抱かれているエルメルアリアはぐいぐいとヒワの腕を押す。しかし、びくともしなかった。
彼らのやり取りを聞いていた女性が、松の実形の目を見開く。かと思えば、つかつかとノクスのもとへ歩いていき――その頭をひっぱたいた。傍で見ていた精霊人たちが目を丸くする。
「いっ……きなり何すんだよババア!」
「あんた! 初対面の、それも年下の女の子を泣かせたね!?」
頭を押さえたノクスが怒鳴る。が、それを上回る声量で女性が怒鳴り返した。ノクスが一瞬ひるんだその隙に、襟首をつかんで引き寄せる。
「これから助け合おうってときに、なんてことをしてんだ! 今すぐ謝んなさい!」
「はあ? なんで俺が謝んなきゃなんねえんだよ! 別に間違ったこと言ってねえし!」
「そういう問題じゃない!」
二人はその後も怒鳴り合ったが、ノクスは折れなかった。いったんあきらめた女性が戻ってきて、ヒワに詫びの仕草をする。
「ほんとごめんね、怖がらせて。ノクスの奴をちゃんと止めてやるべきだった」
「……あ、の。いえ、わたしの方こそ、すみません。挨拶できなくて」
なんとか持ち直したヒワは、天外界に来てから何度目になるかわからない挨拶をした。女性は、初夏の空のような笑みを返す。
「ヒワね。アタシはヘルミ。ヘルミ・ライネ。精霊指揮士協会レグン王国支部所属の精霊指揮士だ。よろしく」
さっぱり名乗ったヘルミは、すぐそばの精霊人を振り仰ぐ。
「そんで、こっちが――」
「〈雪白の里〉のリリアレフィルネと申します。皆様とはじめましてのはずなので……どうぞお見知りおきを」
白と薄紅色が入り混じった髪と、桃色の瞳を持つ精霊人が、ドレスのような衣をつまんで礼をする。見た目は少女のようだが、その枠に当てはめきれない不思議な空気を醸し出していた。
顔を上げたリリアレフィルネを見て、ヘルミが意外そうな表情をする。
「おや、今回はちゃんと名乗ったね、リリ」
「この方々は、あっちの粗暴な人間よりは話が通じると思ったから」
ノクスを一瞥した精霊人は、さらりとそんなふうに言う。噛みつこうとしたノクスをゼンドラングが止めた。もちろん、腕力にものを言わせて。
さすがにヘルミも苦笑する。
「リリもね……初対面の人にそういうこと言わないの」
「まともな対応をしてくれれば言わないよ、もちろん」
リリアレフィルネは悪びれない。かと思えば、ひらりと契約者から離れて、ヒワたち四人を順繰りに見た。最後に、エルメルアリアをじっと見つめる。当然、見られた方は不信感と不満をあらわにした。
「……なんだよ」
「いや。あなた、不思議なことをしてるなあって思って」
「不思議なこと?」
言われた当人だけでなく、そばにいたヒワもきょとんとする。
そのとき、桃色の瞳が妖しく光った。
「――星の魂、なんで隠すの? もったいない」
エルメルアリアが身を固くした。同胞の少女は表情を変えない。
ヒワは、困惑して二人を交互に見る。そうしているうちに、リリアレフィルネの方が離れていった。彼女がヘルミの隣についたところで、ステアルティードが声を上げる。
「まあ……とにかく。顔合わせも済んだようだし、会議室へ向かいましょう。あちらもそろそろ準備が整っているはずです」
案内役の事務官に、ほとんどの者がよい返事を返す。ヒワたちは、皆の後ろを控えめに歩いていた。そこへ、ロレンスがさりげなくやってくる。
「ヒワ。今、あの子となんの話してたの?」
「よくわかんない。エラに向かって、不思議なことを言ってた。星の魂がどうのって」
友人は眠そうな顔で首をかしげる。彼も知らない言葉のようだ。
「妙な奴が多いな、同志とやらは」
エルメルアリアがため息まじりに呟く。ヒワは苦笑したが、心の中では力強く同意していた。