41 里の外れのガンコ爺
2025.10.11:名称変更
「月光苺」→「メムル苺」
雰囲気統一のための変更です。
「やっぱり空飛ぶんだね!」
「当たり前だろ。〈都〉からガンコ爺のところまで、どんだけあると思ってんだ」
「知らないよ!?」
〈銀星の都〉に着いてから一時間後。ヒワとエルメルアリアは空を飛んでいた。ヒワはエルメルアリアの手を全力で握っている。半ばしがみつかれている彼は、まったく動じていなかった。
天外界の空は、天地内界と違って色彩豊かだ。しかも、刻一刻と色が移ろっている。水を含ませた紙に絵の具を落として、ゆっくり広げたかのようだった。
地上のことはよくわからない。見える限りでは、緑や湖が多い印象だ。そのどれもが天地内界とよく似ていながら、何かが違う。
どれほど飛んだだろう。ヒワの感覚がすっかり麻痺した頃、広大な森の上を通り過ぎた。その先に、人家らしきものがぽつぽつと見える。
「おっ。〈翠緑の里〉に着いたな」
「へ? それって、エラの……」
「一応、オレの所属する里だ。ちなみに家は端の方にある」
「へええ」
二人は里の外れに降り立った。不思議な形の木が間隔をあけて生えている。木々の間を縫うようにして進むと、ぽつんと佇む建物が見えてきた。
「こんなとこに、家……?」
「あれが目的地だ」
近づいてみると、建物は思ったより大きかった。家というより、店か事務所のようである。出入口と思しき開口部に扉はなく、分厚い布が吊るされていた。軽々と飛んだエルメルアリアは、その布をためらいなくめくる。ヒワは慌てて追いついた。
「おーい。ガンコ爺、いるか?」
呼び声が反響する。中は薄暗く、どうなっているのかわかりづらい。ただ、いくつもの台が並んでいるように見えた。
「――戻ってたのか、クソガキ」
ややあって、低い声が返る。奥の方で影が動いたかと思えば、のしのしとヒワたちの方へやってきた。布を押さえる手はごつごつしていて、小さい。
出てきたのは男性だった。茶色い巻き毛の下の顔はいかつく、体格もよい。肩は筋肉で盛り上がっていて胸板も厚そうだ。鍛え抜いた戦士のようだが、まとっているのは鎧ではなく、薄汚れた作業着である。そして――ヒワの腰ほどの位置に頭があった。
彼はエルメルアリアをにらんだ後、流れるようにヒワを見る。
「……おい、そっちの娘さんは何者だ。精霊人じゃねえな?」
ヒワは思わず身を縮める。その前で、エルメルアリアが当然のように答えた。
「オレの契約者。ご要望通り、直接連れてきたぞ」
「……わざわざそのために戻ってきたのか? 人間連れて?」
「まさか。〈銀星の塔〉で契約者も呼んで会合するってんで、しかたなく来てやったんだ。ついでにここに来れば、ちょうどいいだろうと思ってな」
小さな男性は、しばし黙っていた。かと思えば「娘さんよ」と呼ぶ。ヒワは悲鳴をなんとか堪え、彼を見た。
「俺ぁガルネンコルド。しがない職人だ。あんた、名は?」
「あっ。ヒ、ヒワです」
ヒワは慌てて目線を合わせる。すると、ガルネンコルドは目を細めた。
「変わった響きだな。だが、いい名だ」
「あ……どうも……」
顔は厳ついが、怖い人ではないのかもしれない。そんなことを思いながら、ヒワは頭を下げる。小さく顎を動かしたガルネンコルドが、くるりと体の向きを変えた。
「入りな」
中に入って、ようやく物の形が鮮明になる。ヒワが台だと思っていたものは棚や長机で、その上にはいくつもの彫像や木製の小物が置いてあった。さらに、壁にはもっと大きな物も立てかけてある。その中に戦斧を見つけて、ヒワはぎょっとした。
「これ……全部ガルネンコルドさんが作ったんですか?」
「ああ。専門は木だが、それ以外の素材も多少扱える。……うかつに触るなよ。指揮術をかけてるものばかりだからな」
ぼそぼそと低い声で言いながら、ガルネンコルドが歩いていく。ここは彼の自宅兼工房というところだろう。話をなんとなく聞いていたヒワは、そこでぴんと来た。
「あの。もしかして、杖も作れます? 精霊指揮士が使うための」
「一応な。そもそも、あんたらはそのために来たんだろう」
答えてから、ガルネンコルドが振り返る。緑色の瞳は空を飛ぶ精霊人をにらんでいた。
「クソガキ。さては説明せずに連れてきたな」
「あんたのことを話すのが面倒くさかったんで。それに、天外界で杖を作ってもらう、なんて言ったらびっくりするだろ」
「……ったく」
舌打ちしたガルネンコルドが、ひらりと手を振る。
「悪いな、ヒワ。こいつの相手をするのは大変だろう」
「いえ、まあ……慣れました……」
「おいヒワ。なんか含みがないか?」
ヒワが正直に答えると、相棒は唇を尖らせた。
部屋の奥に、大きな絨毯が敷かれた場所がある。ガルネンコルドはそこにヒワたちを招いて、自らも腰かけた。
「さて。エルメルアリアからは『仮の杖』を貸すと聞いてるが……今、持ってるか?」
「は、はい」
ヒワは慌てて布に包まれた『それ』を取り出す。結び目をほどいて広げると、ガルネンコルドが固まった。
「どうしてこうなった?」
十秒近く経ってから、うめくような問いが落ちた。
「えと……この間、戦いの最中に壊れちゃったんです……」
「ふむ」
ガルネンコルドは顎をなでる。握りの部分を持ち上げて、矯めつ眇めつながめた。
「ま、強化加工もしてない杖が今まで持ったのが奇跡か」
そう呟くと、にわかに杖の欠片を並べはじめた。石を上端に置き、木の棒を下に。その他木くずをああでもないこうでもないと並べ替えながら、エルメルアリアに杖の元々の長さを尋ねる。
それが済むとヒワを呼んだ。
「今から始める。少し待て」
「へ?」
戸惑う少女をよそに立ち上がったガルネンコルドは、のしのしと奥の方へ歩いていった。かと思えば、大量の道具を持って戻ってくる。よく見れば、その多くが長さを測定するための物だった。
彼はそれらを使って、ヒワの手の大きさ、指の長さ、腕の長さに肩幅まで測る。そのすべてを紙の切れ端に書き留めると、ヒワに様々な長さ、太さの木の棒を持たせて振らせた。その間、ガルネンコルドは彼女のまわりを歩いてにらんでいた。ただヒワをにらみつけているのではない。瞳がきょろきょろと動いている。
すべてが済むと、ガルネンコルドはヒワに座るよう言った。そして、紙の切れ端を人差し指で叩く。
「これで下準備は終わりだ。今日から作業を始める」
「は、はい。ありがとうございます」
「あと、クソガキ」
「なんだ?」
「この石、もらうぞ」
そう言ってガルネンコルドが指さしたのは、元の杖についていた若草色の石である。
「いいけど……使い物になるか、それ?」
「とぼけんじゃねえ。触媒の中じゃ最上級の品だ。あと数百年は使える」
職人の言葉にヒワはすくみあがる。思わず相棒の方を見たが、彼はわかっているようないないような顔で「それならいいけど」と言っていた。
石をつまんで薄布で包んだガルネンコルドは、残ったものをエルメルアリアに渡す。
「こっちはもう素材にならん。薪にでもしろ」
「そうだな。持って帰って処理するか」
「――えっ」
呆然と成り行きを見守っていたヒワは、そこで思わず声を上げる。精霊人たちの視線が集中した。短い時間の中で迷ったすえに、彼女は言葉をのみこんだ。
「あっ、ごめんなさい。気にしないでください」
彼女が顔の前で手を振ると、ガルネンコルドは何事もなかったかのように目を逸らす。道具をまとめ、石を丁重に持って、立ち上がった。そのまま奥へ行くかと思われたが、肩越しに振り返る。
「クソガキ。倉庫から五の四八とアールムの図面三番を持ってこい。場所はわかんだろ」
「はあ? 客に仕事させんのかよ」
いきなりの指示に、エルメルアリアは当然難色を示した。しかし、ガルネンコルドは歯牙にもかけない。
「今日の客はヒワだ。どこぞのクソガキじゃねえ」
「お代払うのはオレなんですけど」
「言う通りにしたらメムル苺のケーキ出してやる」
「……仕込んでやがったな、ガンコ爺」
舌打ちしたエルメルアリアが「わかりましたよ」と言って建物の外へと飛んでいく。ガルネンコルドは変わらぬ調子で奥の方へ歩いていった。――その際、笑ったように見えたのは、ヒワの錯覚かもしれない。
ヒワが戸惑いながら待っていると、ガルネンコルドが戻ってきた。
「ヒワ。こっち来い」
彼は無愛想に少女を手招いた。招かれた側は立ち上がって靴を履き、言われるがままについていく。
案内されたのは、奥の小さな部屋だった。先ほどガルネンコルドが歩いていったのとは、また別の場所だ。清潔なテーブルとソファ、それから台所らしき設備がある。表の部屋よりもやわらかな雰囲気があった。
「座ってな。今、茶を淹れる」
「へ? あ、ありがとう……ございます」
ヒワがおずおずとソファに腰かけると、ガルネンコルドは流し台の方にのしのし歩いていった。手を洗った後、茶葉らしきものが入った瓶とやかん、茶こしなどを調理台に並べ、慣れた手つきで作業する。ヒワは我知らず、その姿を目で追っていた。
「どうした」
視線を感じたのだろう。ガルネンコルドが、作業の手を止めないまま尋ねてきた。ヒワは黄緑色の目を瞬く。
「え、と……大したことではないんですが」
沈黙が返る。ヒワは、言葉を選んで続けた。
「エラとは、長い付き合いなんですか」
「……どうだろうな」
赤い光がチカチカ瞬く。次の時、勢いよく火の点く音がした。
「クロードシャリスの奴に比べりゃ浅い仲だが。知り合ってから六十年経つか経たないか、ってところだな」
「六十、年……」
思ったより大きな数字が出てきた。ヒワが言葉を詰まらせると、ガルネンコルドが振り向いて、口の端を持ち上げる。
「ああ。人間からしてみれば、十分長い時間だわな」
ヒワが曖昧に笑い返すと、彼はまた調理場に向き直る。
茶葉の香りが部屋を包んだ。ほんのりと林檎に似た香りが混ざっている。
「その頃から、今みたいな感じですか」
「そうだな。お調子者でやかましいクソガキだ」
少しの間、沈黙が続く。そのうちにやかんが騒ぎはじめた。
「もっと前は、別人のようだったがね」
「……別人?」
音にまぎれてこぼれた呟きは、しかし確かにヒワのもとへ届く。彼女が反射的に聞き返すと、ガルネンコルドはちらと振り向いた。
「俺も詳しくは知らん」
彼はそう言ったきり、黙って手を動かす。お茶が入り、大荷物を抱えたエルメルアリアが戻るまで、一言も話さなかった。
※
素朴なケーキとお茶をご馳走になった後、ヒワたちは工房を辞することにする。ガルネンコルドはむっつりとした表情のまま、表まで出てきて二人を見送った。
「杖は、あんたらが帰るまでには完成させる」
職人の宣言に、ヒワとエルメルアリアは目を丸くした。
「帰るまでって……会合は明日だぜ?」
「どうせ、終わってすぐ帰る、なんてことにはならんだろう」
低い言葉には含みがある。当然、エルメルアリアは追及するようにガンコ爺をにらんだ。が、彼は口をつぐんでいるだけだ。これ以上話す気はないらしい。
あきらめたエルメルアリアがため息をついて飛び上がる。
「そういうことなら、帰る前にまた来るぜ」
「ああ」
ガルネンコルドは短く答える。彼をまっすぐに見て、ヒワは頭を下げた。
「あの。杖、よろしくお願いします」
彼は小さく顎を動かして、少女の言葉に応えた。
二人は工房から離れようとする。が、直前になってエルメルアリアが空中で飛び跳ねた。
「あ。――ヒワ、先に行っててくれ。降りたところは覚えてるよな」
「覚えてるけど……どうしたの、急に」
ヒワは振り返って首をかしげる。エルメルアリアは慌てた様子で反転した。
「ガンコ爺に話があるんだ。すぐ追いつく」
「……? わかった」
ヒワは不思議に思いつつも、とんぼ返りした相棒を見送る。気になることは気になるが、詳細を明かさないということは個人的な話なのだろう。そう結論付けて、ヒワは草木が茂る道へ足を向けた。
「ガルネンコルド」
「どうした、エルメルアリア」
「ちょっと相談したいことがあるんだけどさ――」