39 天外からの招集
翌日、宿を引き払ったヒワたちは、揃って駅に向かった。思いがけずパヴォーネ・コーダ観光ができたとあって、カトリーヌやフラムリーヴェはご機嫌だった。
「私は反対の列車に乗るから、このあたりでお別れね」
改札の前で、カトリーヌが優雅に礼をする。ヒワたちもぺこりと頭を下げた。
「色々ありがとう、カティ」
「まあ……お世話になりました」
「ありがとうございました。道中お気をつけて」
「どういたしまして! みんなも、気をつけて帰ってね。特に、エラちゃんはお大事に」
一人一人に手を振ったカトリーヌは、最後、ヒワの腕の中を見る。だいぶ顔色がよくなったエルメルアリアは「おう。世話になった」と笑った。
カトリーヌが背を向ける。そのとき、ロレンスが半歩踏み出して、彼女の名を呼んだ。ほんのり赤く染まった顔を、訝しげな先輩に向ける。
「あのさ。……最初、疑ってごめん」
カトリーヌは、しばし固まったのち、ああ、と目をみはった。
「いいのよ、気にしなくて。私が怪しい話しかけ方したのは確かだし。知らない人を疑うのは、身を守るうえで必要なことだわ」
「そ、そう……」
「そう! 今、信じてもらえているなら、それで十分!」
太陽のような笑みが咲く。それから逃れるように、ロレンスは顔を背ける。ヒワたちは、精霊指揮士たちのやり取りをほほ笑ましく見守っていた。
最後は互いに笑顔で、手を振って別れる。カトリーヌの姿が人混みの中に隠れてしまうと、ヒワたちも目的の列車が来る乗り場へ向かった。定刻から三十分近く遅れてきた列車に乗り、あとは身を委ねる。
帰りは随分と静かだった。というのも、エルメルアリアが早々に眠り込んでしまったのだ。穏やかな沈黙の中、それぞれに車窓の外をながめたり、本を開いたりして過ごす。ヒワは規則的な揺れを感じながら、様々なことに思いを巡らせていた。洞窟での冒険のこと。初めて出会ったフリーの精霊指揮士のこと。そして――相棒のこと。
しばらくしてエルメルアリアが目を覚まし、ぽつぽつと会話が発生したが、それも長くは続かなかった。静かなままジラソーレに到着し、宣言通りフラムリーヴェが天外界へと向かう。ヒワ、エルメルアリアとロレンスは、いつものように挨拶して、それぞれ帰路についた。
数日後。フラムリーヴェが戻ってきた。
ヒワたちはそれをロレンスからの連絡で知った。朝、また伝霊が飛んできたのである。
また集まって話したいという彼に、ヒワは「じゃあ、うちに来る?」と提案した。
『ありがたいけど……いいの? ご家族がいるんじゃ』
「大丈夫。今日は二人とも、夕方までいないんだ」
『なるほど。それならお邪魔しようかな』
「うん、待ってる」
会話が終わると同時、鳥も消える。ヒワは、軽く肩を回して気合を入れた。お客様を迎える準備をしなければならない。
掃除用具入れに足を向けたところで、ヒワの部屋の方から小さな少年が飛んできた。
「今、伝霊来てなかったか? ロレンス?」
エルメルアリアは、興味津々に顔を突き出す。数日の休息ですっかり回復して、いつも通りに飛び回っているのだった。
「そうそう。フラムリーヴェさんが帰ってきて……なんか、全員に話したいことがあるんだって」
「へえ。……〈塔〉で何を言われたんだか」
エルメルアリアは一転、渋い顔になった。答えを持たないヒワは、曖昧に笑って雑巾を手に取り、台所へ向かった。
玄関と居間を少し掃除して、お茶の用意をしたところで、呼び鈴が鳴った。グラスを運んでいたエルメルアリアがまっさきに気づいて、ヒワに知らせる。ヒワは、忙しない足音を立てて玄関に走った。扉を開けると、手提げ袋を持ったロレンスと、フラムリーヴェの姿がある。
「や、こんにちは」
「突然の訪問、失礼いたします」
友人はいつもの調子で片手を挙げて、精霊人は丁寧にお辞儀をする。ヒワは「どうぞ、上がって」と二人を招き入れた。そのとき、居間の方からエルメルアリアが顔を出す。
「おっ。報告任せて悪いな、フラムリーヴェ」
「私が言い出したことですから。それより、体調はいかがですか」
「おかげさまで、すっかり元通りだ」
「それはよかった」
精霊人同士の挨拶が済むと、四人はロレンスが持ってきた手土産――焼き菓子――を囲んだ。人心地ついたところで、フラムリーヴェが報告完了の旨を伝えてくれる。その上で、顔をしかめて続けた。
「今回、皆様にお知らせしなければならないことがあります。回復したばかりのエルメルアリアの前でこの話をするのは、気が引けるのですが……」
「なんだなんだ。面倒事か?」
エルメルアリアが同胞の方へ顔を突き出す。ヒワたちも、自然と背筋を伸ばしていた。戦乙女が苦々しげにうなずく。
「〈銀星の塔〉から招集がかかりました。――この場の全員に」
凛とした声が居間に響いて、消える。口を半開きにしていたヒワは、遅れて我を取り戻すと、自分の顔を指さした。
「全員……ってことは、わたしやロレンスにも?」
「はい。大陸西部で任務に当たっている精霊人と精霊指揮士を集めて、臨時の会合を開くのだそうです」
「か、会合」
何やら仰々しい響きに、ヒワは顔を引きつらせた。その向かいで眠そうにしていたロレンスが、そっと挙手する。
「ちょっと待った。確か、天外界って人間がいられる環境じゃないはずだよね」
それを聞いてヒワは、近いようで遠い記憶を思い出す。初めて〈穴〉を目にしたとき、エルメルアリアが言っていた。『〈穴〉の中は天外界と似た環境になっていて、人間やただの獣が入ると全身火傷しそう』だと。
こわごわと、精霊人たちを見比べる。次に口を開いたのはエルメルアリアだった。
「普通だったらそうだな。でも、今の二人は大丈夫だ。オレたちの契約者だから」
「そうなの?」
両目をしばたたいたヒワに、フラムリーヴェもうなずく。
「精霊人と契約した人間は、常に契約相手の魔力をまとっている状態なのです。よほど強く意識しないと感じ取れないほど、微量ではありますが。……ともかく、その状態であれば、天外界の濃い魔力の影響を受けることはありません」
「じゃあ、わたしたちが全身火傷する心配はないってことですね」
ヒワは胸をなでおろした。ロレンスも少し力を抜いて茶をすすっている。
エルメルアリアが焼き菓子をつまみながら同胞を見た。
「で、会合はいつやるんだ?」
「内界基準で、今日から三日後。日盛りの頃に始めるそうです」
ふうん、と彼は頬杖をつく。うかがうように視線を巡らせた。
「なら、少し早めに行きたいな。朝とか」
「何かあるんですか?」
「おう。ヒワを連れていきたいところがある」
突然名前を出されたヒワは、お茶を吹き出しそうになった。
「わたし? どこに行くの?」
エルメルアリアはにんまりと笑っただけで、答えない。だが、フラムリーヴェはそれで何かを察したらしい。うなずいてから、顎に指をかけた。
「それなら、できれば二日後の朝に出発したいですね。天外界の魔力に体を慣らす必要もありますから」
「二日後か……。俺は大丈夫だけど、ヒワのところは平気?」
ロレンスが心配そうにヒワをうかがう。彼女はちょっと顔をしかめた。
「うーん……わたし自身は大丈夫だけど、お母さんがなんて言うかなあ」
パヴォーネ・コーダから帰ってきたばかりのところでまた出かけるとなると、家族に心配される気がした。
「なんとか、理由つけて出る。シルヴィーのところに三人で泊まるとか。いや、それだとローザ家を巻き込んじゃうなあ」
「そうだね。正直に、俺と出かけるって言った方がいいかも。こっちの課題研究に付き合うとか、そんなことを適当に言ってくれていいから」
実際、ソーラス院の学生の中には研究のために数日寮を空ける生徒もいるらしい。親への言い訳を考える会議は思った以上に長引き、その間、お茶を一度淹れなおした。
※
幸い、母はヒワが思ったほど心配しなかった。上の娘が遊びや勉強のためにしょっちゅう家を空けるものだから、下の娘が動き回ってもそれほど気にならないらしい。安堵したヒワは、夏休みの課題を進めながら荷造りもした。そのさなか、エルメルアリアに不思議なことを言われる。
「ヒワ、壊れた杖も持ってっといてくれ」
「杖も? なんで?」
「いいから、いいから。向こうで使うかもしれない」
「使うって言ったって……」
サーレ洞窟で壊れた杖は、今も部屋で保管している。とはいえ、ばらばらになってしまっているので、何に使いようもない。天外界に持って行ってどうするのかヒワには見当がつかなかったが、相棒に考えがあるのなら、と布で包んだ杖の欠片を鞄に押し込んだ。
そして、出発の日。ヒワたちとロレンスたちは、町外れの開けた場所に集まった。ヒワが初めてヒダカ語の詠唱を披露した場所である。
周囲に誰もいないことを確かめると、ヒワとロレンスは精霊人たちを見た。彼らは彼らで、青天を見つめている。
「今日渡ることは〈塔〉に伝えてあります。……そろそろいいでしょう」
その言葉を受けてか、エルメルアリアが蝶のように舞った。
「オレが門を叩くのか?」
「お願いしてよろしいでしょうか。あなたに任せるのが一番安定しますので」
「よっしゃ、任された」
胸を叩いたエルメルアリアは、契約者たちを見下ろす。
「二人とも。今から天外界に渡るけど……構わないか?」
「う、うん。大丈夫」
「俺も行けるよ」
二人の返事を聞くと、エルメルアリアはしかつめらしくうなずいた。滞空して目を閉じると、三度手を叩く。ヒワは、目をみはった。
「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する。天と天、地と地を繋ぐ門をここに。我らを導く階を作りたまえ」
聞き慣れたものと少し違う文言が、朝の野に響き渡る。その余韻が消えると同時、彼らの周囲に風が吹いた。ヒワがとっさに顔をかばったとき、上から雪のようなものが降ってくる。それは白い光だった。降り積もり、集まった光は、瞬く間に白い門を形作った。魔物たちを吸い込むものと似ているようでいて、より神々しく、温かな雰囲気が感じられる。
「これが……世界を繋ぐ、門?」
ロレンスが呆然として呟いた。ヒワは友人にうなずくこともできず、ただただ巨大な門を見つめる。しかし、宙を舞うエルメルアリアに手を引かれ、我に返った。
「さ、行くぞ。いつまでも開けておけないからな」
「あ。う、うん。……あの、エラ」
「んあ? なんだ」
「つ、着くまで、手を繋いでてくれない?」
恐る恐る頼んだヒワに、エルメルアリアは意外そうなまなざしを向ける。しかし、すぐに「いいぜ」と笑った。ロレンスとフラムリーヴェもそばにいる。それを確かめて、ヒワは門の先へと飛び込んだ。