38 血の夢から覚めて(裏)
話し合いが済むと、少年少女はそれぞれに部屋を出ていった。今、大部屋にはエルメルアリア一人が残っている。ヒワは最後まで部屋に残るか迷っていたが、彼があえて送り出した。昨日、散々迷惑をかけたのだ。これ以上縛り付けるのは申し訳ない。
エルメルアリアは毛布にくるまり、目を閉じる。しばらくそうしていたが、頭の痛みは引かなかった。多少弱まりはしたものの、しつこく残り続けている。
静かな部屋で、一人うずくまっていると、耳の奥にいつかの嘲笑がよみがえった。エルメルアリアはぶるりと震え、さらに毛布を引き寄せる。
「エルメルアリア」
ふいに、澄んだ声が降ってくる。エルメルアリアは、毛布の下から顔を半分だけ出して、目を瞬いた。
やはり、そこにいたのはフラムリーヴェだ。彼から一番近いベッドの縁に腰かけて、じっと見つめている。
「ロレンスについてったんじゃなかったのか」
「ええ。ですが、一旦戻ってきました。預かり物もあるので」
「預かり物?」
エルメルアリアが完全に顔を出すと、フラムリーヴェは彼の真上に小瓶を掲げた。
「魔物からの精神攻撃に効く霊薬だそうですが、一般的なストレスにも多少効果があるそうです。精霊人に効くかはわからない……とのことでしたが」
「ロレンスが?」
「はい。感謝してくださいね」
誇らしげに言って、フラムリーヴェは小瓶と水の入ったグラスをエルメルアリアに手渡す。
「起きて飲めますか」という言葉にうなずいて、エルメルアリアは霊薬を水に垂らした。それを一気に飲み干すと、薄荷と似て非なる不思議な香りが鼻を抜ける。
「甘い……けど、なんか変な後味だな」
「霊薬というのは、大抵そうでしょう」
「まあ、そうだな」
あっさりうなずいて、エルメルアリアは小瓶を返した。受け取った方はどういうわけか立ち去らず、再び彼の方を見る。
「……ところで。なぜ私にまで黙っていたんですか」
「何の話だ?」
察してはいたが、しらを切る。するとフラムリーヴェは、彼の手をつねった。
「いでででで」
「『暗くて狭い場所が怖い』という話です。普段の仕事にだって、関係はあるでしょう」
「そういう場所で一緒に仕事することなかっただろ!」
「ステアルティード様が手を回してくださっているからでしょう? とぼけないでください」
エルメルアリアは声を詰まらせた。図星である。つねり攻撃がやんだところで、再び毛布をかぶった。顔は同胞に向けたままで。
「……こんなこと話したら、怒るだろ」
「私がですか?」
フラムリーヴェは目を丸くする。
「怒りませんよ。あなたの苦手な場所をひとつ知ったくらいで、なぜ怒らなければならないんですか」
心底不思議そうな彼女に、エルメルアリアはかぶりを振った。ためらいと恐れを抱えたまま、口をもぞもぞ動かす。
「オレにじゃなくて。……〈塔〉に」
紫水晶の瞳が、さらに見開かれた。エルメルアリアは、たまらず毛布に顔をうずめる。しかし、フラムリーヴェは容赦なくそれをめくり上げた。
「どういう意味です」
「いきなり近づくな怖い!」
「私が怒るような『事案』があったのですか? 洗いざらい吐きなさい」
「いやだよ! そういう反応するから!」
エルメルアリアはたまらず怒鳴る。すると、フラムリーヴェは納得いかないとばかりに唇を尖らせた。そうしていると少女のようである。
彼女を押しのけたエルメルアリアは、目をすがめた。
「あんた、前にオレ絡みのことで〈塔〉に喧嘩売っただろ」
「喧嘩など売っていませんよ。ただ、規定と常識に反すると直訴しただけです」
「よく言う。やりすぎて〈主〉への反逆疑われたくせに。同じことを繰り返されたら堪ったもんじゃない。これ以上ステアの胃を痛めつける気か」
「あなたにだけは言われたくありません」
二人とも、がみがみと言いあった上に、一歩も退かない。しまいにはお互いに深いため息をついた。フラムリーヴェが顔を離すと、エルメルアリアはうつむいた。
「……嫌なんだよ、そういうの。オレなんかのために、あんたたちが傷つくのは、いやだ」
か細い声はしかし、静かな部屋によく響く。
「あなたらしくない物言いですね」
フラムリーヴェがちくりと言ったが、エルメルアリアは黙ったままだ。しばし、無言の時が流れた。遠くの方から笛と弦楽器の音色が響く。町の喧騒、その一端を感じたところで、フラムリーヴェがベッドから下りた。
「長居しすぎました。私はそろそろロレンスたちを追いかけます」
「……そうかよ」
「ですが、その前に二つほど言わせてください」
エルメルアリアは顔を上げる。戦乙女の相貌が、陽の光を浴びて輝いた。
「仰る通り、かつて私はあなたのことがきっかけで、〈塔〉の者たちと衝突しました。ですが、それは私がやりたくてやったことです。あなたが背負うことではありません」
強い口調で言い切った彼女はしかし、そこで表情をやわらげた。
「ただ……そのせいで、あなたをかえって傷つけ、委縮させていたのだとしたら、申し訳ないことをしました」
フラムリーヴェが頭を下げる。赤から黄色へ緩やかに移ろう長髪が、風にそよぐ木の葉のように揺れた。エルメルアリアは少しの間、その姿に見入る。
彼が絶句している間に、彼女はきりりとして頭を上げた。
「次はもっと上手く立ち回ります。あらぬ疑いなどかける余地もないほどに完璧な証拠と資料を揃えて」
「やめろと言うのに!」
思わず叫んだエルメルアリアは、ぶり返した頭痛に悶絶する羽目になった。
心の中に猪を飼っているこの友達予備軍に、何を打ち明けて何を秘しておくべきか――その答えは、当分出そうにない。