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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第三章 回想と混沌のアドベンチャー
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37 一寸先は闇

 カトリーヌ・フィオローネの〈穴〉に対する反応は、おおむねヒワの予想通りだった。


「きらきらしてるのねえ! こういう色合いもありかしら!」


〈穴〉を輝きに満ちた目でのぞきこみ、頬を紅潮させている。心配そうに彼女の衣の端をつかんでいるロレンスが、「ありって何……なんの話……?」と引いていた。


 フラムリーヴェが咳払いする。少しわざとらしい。


「カティ様。危険ですので、もう少し離れてください」

「あ。ごめんなさいね。思っていたのと違ったから、興奮しちゃった」


 ぴしゃりと注意されたカトリーヌは、素直に立ち上がって後ろへ下がる。どういうものを想像していたんだろう、という疑問をヒワはのみこんだ。訊かない方がいい気がする。


「今回は奇襲もなさそうですし、仕事に取り掛かりましょうか」

「そうだな。――ってわけで二人とも、頼む」


 エルメルアリアが深呼吸して振り返る。精霊人(スピリヤ)の契約者たちは、互いを見てうなずいた。


 杖を天に向けて構えたロレンスの横で、ヒワは静かに両手を組む。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』」


「『クランダーテ・イリューア・デア・ヒワ・スノハラ

 アリイネラ・イリュール・デア・エルメルアリア』」

「『クランダーテ・イリューオ・デア・ロレンス・グラネスタ

 アリイネラ・イリューア・デア・フラムリーヴェ』」


 天地万物の精霊ではなく、精霊人と人間とのつながりを揺さぶる二重奏。それは、沈殿した闇の中に清らかな波紋を生む。


 カトリーヌが息をのんで見守っていることを知らぬまま、二人は詠唱を終える。瞬間、魔力の嵐が吹き荒れて、洞窟中を駆け抜けた。精霊人たちのまわりで星のごとき光が瞬き、風と炎熱を生み出す。そして、それは波が引くように収まった。ただし、最初の放出が終わったというだけだ。あたりには肌を突き刺すほどの魔力が変わらず漂っている。


 なんとか踏みとどまったヒワたちの隣で、カトリーヌが詰めていた息を吐きだした。


「『天外界(てんがいかい)で精霊人を怒らすな』なーんて言葉があるけど、こういうことなのね」


 呟く声は、少しかすれている。ヒワとロレンスは顔を見合わせ、苦笑を交わした。一方で、精霊人たちは何事もなかったかのように穴へ近づく。


「では、始めましょうか」

「ああ。……っと、ひとついいか、フラムリーヴェ」

「なんでしょう」

「〈閉穴(へいけつ)〉の術をもう少し簡略化できないかと、ここしばらく考えてたんだ。せっかくだし実験に付き合ってほしい」

「……確かに、あの陣を毎回描くのは非効率的ですね。わかりました、手伝いましょう」


 その後も何やら難しい会話をしながら準備を進めていく。ヒワには何をしているのかよくわからなかったが、ロレンスとカトリーヌが引きつった笑みを浮かべているのを見て、わからない方がいいかもしれない、などと思い直す。


 ほどなくして、すっかり耳慣れた詠唱が響いた。そのとき、カトリーヌが振り返る。黒々とした通路を見つめ、首をひねっていた。


「どうしたの、カティ」

「うーん。誰かに見られている気がしたんだけど……気のせいかしらね」


 えっ、と肩を抱いたヒワは、慌てて周囲を見回す。しかし、怪しい影は見当たらなかった。ぎゅっと目を細めた後輩に、カトリーヌが困ったような微笑を向ける。


「怖がらせてごめんなさい。きっと、私の勘違いよ」

「それならいいんだけどね……」


 身震いしたヒワは、正面を向きなおす。寒々しい恐怖をごまかすように、相棒の背中を見つめた。



     ※



 かすかな歌声が響く。一瞬後、イソギンチャクの魔物がくたりと力を失った。ヒワたちが遭遇したものよりも一回り小さい個体だが、ここにいる二人――ルートヴィヒとマーリナ・ルテリアはそれを知らない。


 ルートヴィヒは、一連の出来事を静かに見届けた。冷淡に、と言ってもよいかもしれない。イソギンチャクがぴくりとも動かないことを確かめると、剣を目の前に持ってくる。刃についた粘液を落とし、鞘に収めた。


「〈穴〉、ね。世界を揺るがす大ごとだわ。〈銀星の塔〉が動くのも当然ね」


 マーリナ・ルテリアが、先ほど横穴から漏れ聞こえた言葉を繰り返す。ルートヴィヒはうなずいて、横穴を振り返った。もちろん、あの先に誰がいるのかは二人とも把握している。


 盗み聞きをするつもりはなかった。あの少年少女と精霊人(スピリヤ)を追っていたわけでもない。異様な魔力の濁りを感じてサーレ洞窟を訪れたら、天外界の魔物が暴れていた。それを淡々と叩き伏せていたところ、後から彼ら――と、見知らぬ精霊指揮士(コンダクター)がやってきたのだ。「ご挨拶する?」とマーリナ・ルテリアに言われたが、やめておいた。変に勘繰られても面倒だ。


「……なぜ、そんな現象が発生しているんだ」

「わからないわ」


 口を突いてこぼれた疑問に対して、青き人魚はかぶりを振る。


「そもそも、世界と世界の狭間がどうなっているのかすら、ほとんどの人が知らないもの」

「精霊人でも、か」

「ええ。知っている者がいるとしたら、それは肉の身を持たない精霊か――彼らにもっとも近い〈銀星のあるじ〉くらいでしょうね」


〈銀星の主〉。〈銀星の塔〉の最上階に座し、天外界を見守る者。彼が世界の狭間を知っているとすれば、〈穴〉が開いた原因もすぐにわかりそうなものだ。が、〈塔〉が対処に苦慮しているところを見ると、そう単純な話でもないのだろう。


「……水底界は放っておいていいのか、マール」

「あちらのことはあちらのみんなに任せるわ。あたくし一人が焦ったところで、しかたがないから」


 でも、様子を見にいくくらいはしようかしら――そんなふうに語ったマーリナ・ルテリアに、ルートヴィヒはうなずいてみせる。いつも旅に付き合ってもらっているのだ。たまにはこちらが融通を利かせるべきだろう。


 あたりを見回す。敵意ある魔物がいないか確かめる。その途中、ルートヴィヒは鋭く目を細めた。


「ルートヴィヒ?」


 目ざとく変化を見つけたマーリナ・ルテリアが名を呼ぶ。暗闇をにらんだ青年は、ややして小さく息を吐いた。


「視線を……感じなかったか。マール」

「視線? あたくしは気が付かなかったわ」

「……そうか」

「周辺を探ってみる?」

「いや、いい」


 ルートヴィヒはかぶりを振る。彼の何倍も敏感なマーリナ・ルテリアが気づかなかったということは、思い違いの可能性が高い。


 気を取り直して洞窟に目を配る。――そのとき、先ほど倒したイソギンチャクが横穴に吸い込まれていった。



     ※



「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・カータラ』」


 無事〈閉穴〉が終わった後。少し時間を置いてから、ヒワたちは契約相手の制限をかけ直した。二人ともに表面上大きな異常がないことを確かめてから、来た道を戻る。


 復路は怖いほどに静かだった。時折、先住の動物や魔物と遭遇することもあったが、大きな戦闘には発展しない。威嚇してくる魔物がいても、フラムリーヴェやカトリーヌが脅かせばすごすごと去っていく。ヒワはその後ろ姿を見送るたび、そっと両手を合わせた。


「何してるの、ヒワ」

「いや……縄張りを通過させてもらうから、感謝と謝罪をと思って」

「……魔物相手にそんなことする精霊指揮士は初めて見たよ」


 眠そうな表情で語るロレンスに、ヒワは首をかしげる。後輩たちのやり取りを見て、他の女性陣がそれぞれに笑みをのぞかせた。――エルメルアリアだけは、無言の無表情である。


 特に大きな問題もなく、一行はサーレ洞窟を出た。数時間ぶりの外の空気と()の光を取り入れたところで、カトリーヌがヒワたちに尋ねる。


「みんなはこれからどうするの?」

「とりあえず、宿に戻るかな。一泊して明日帰る予定」


 答えたロレンスは、その場に座り込んでいた。洞窟から出られたことで、蓄積していた疲労が押し寄せたらしい。時折うめき声を発しながら足をさすっていた。


 彼ほどではないにせよ、ヒワも疲れてはいる。岩にもたれかかった状態で、先輩を見た。


「カティは?」

「私? 私は、今夜か明日の早朝には出発するつもりよ。依頼人に報告しにいかなきゃいけないからね」

「ああ、そっか。依頼を受けてきたんだもんね」


 報告するまでが仕事、ということだろう。ヒワはひとり感心していた。その横で、フラムリーヴェがロレンスに声をかけている。


「立てますか、ロレンス」

「立てはするけど、町まで歩ける自信がない……」

「ゆっくり行きましょう。休むにしても、屋根がある場所の方がよいですから」

「うう……仰る通りです……」


 しぶしぶ立ち上がったロレンスを見て、カトリーヌがくすりと笑う。


「じゃあ、町に向かいましょうか。たっぷり休憩を取りながら、ね」

「うん」


 岩から上半身を起こしたヒワは、何気なく上を見る。


「行こっか、エラ」


 浮いたまま空を見ている相棒に、普段と同じように呼びかけて。いつまでも返事がないことを訝しく思い、もう一度口を開く。


「……エラ?」


 そのとき、彼の体がぐらりと傾いた。支える物は何もない。ゆらゆらと、木の葉のように、落ちていく。


 ヒワはとっさに腕を伸ばした。小さくて軽い体をなんとか抱きとめる。その瞬間、彼女自身が大きく傾いた。


「ヒワ様!」


 フラムリーヴェが飛んできて、とっさに上体を抱える。ヒワが慌ててお礼を言うと、静かに一礼した。が、少女の腕に抱かれた同胞を見ると、顔をこわばらせる。


「エルメルアリア? 何があったのですか」

「わ、わかりません。返事がないと思ったら、いきなり落ちて……」


 言いながらエルメルアリアの顔を見たヒワは、思わず息をのんだ。顔色が悪い、どころではない。生気を感じさせないほど白くなっている。手足は人形のようにだらりとしていて、呼吸は弱く、不規則だった。


「エラ。エラ、しっかり」

「エルメルアリア。聞こえますか?」


 ヒワが頬を叩いてみても、フラムリーヴェが大声で呼んでも、彼は反応を示さない。


「まずいな。意識がない」


 騒ぎを聞きつけたロレンスが、エルメルアリアをのぞきこんで眉をひそめる。


 ヒワは、血の気が引く音を聞いた気がした。


 彼がサーレ洞窟で無理をしていることは知っていた。過呼吸になるほど恐れている『暗くて狭い場所』で、任務だからと恐怖を押し殺して戦っていたのだ。


 それなのに。知っていたのに、こんなことになるまで何もできなかった。


「怪我はなさそうだし、魔力も問題なさそうだけど……」

「なんにせよ、ここではどうしようもないわ。町に戻りましょう」

「了解。フラムリーヴェ、俺がぶっ倒れたら……」

「ご安心を。私が背負っていきます」


 仲間の声が遠い。足の感覚がない。


 呆然としているヒワの肩を、カトリーヌが叩く。優しく声をかけられたが、具体的に何を言われたのかはまったくわからなかった。


 どうにかしないと。そればかりを考えて、よたよたと歩き出す。


 腕の中の少年は、やはり少しも動かなかった。



(第三章 回想と混沌のアドベンチャー・完)

これにて第三章完結です。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

5月11日は、17時の投稿はお休みします。その代わり、翌12日は3話公開予定です。第四章……の前の間章かんしょうが始まります。よろしくお願いします。

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