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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第三章 回想と混沌のアドベンチャー
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36 混戦の果て

 一か所に固まった魔物を蹴散らすエルメルアリア。彼を見て、ヒワも気合を入れ直した。戦いはまだ終わっていないのだ。


「『バム・バム』!」


 そんなとき、底抜けに明るい詠唱が響く。精霊人(スピリヤ)たちが飛びのくと同時、魔物たちの中心で三度、爆発が起きる。あたりを覆った砂煙を、エルメルアリアが吹き飛ばした。


「カティ!」


 爆発の仕掛け人を呼ぶ声は二重である。ヒワとロレンスの視線を受け止めたカトリーヌが、満面の笑みで杖を掲げた。


「はぁい! 加勢に来たわ。横穴の魔物は、あらかた気絶させたわよ」

「ありがとうございます」


 羽耳の狼と取っ組み合いをしているフラムリーヴェが振り返る。


「ただ、引き続き横穴の警戒も続けていただけると助かります。〈穴〉から魔物が出てくるかもしれませんので」

「それもそうね。わかったわ」


 カトリーヌが応じると同時、狼の方が組み伏せられた。フラムリーヴェが指揮術でも仕込んでいたのか、それきり起き上がろうともしない。


 ロレンスとカトリーヌがひときわ大きな魔物に狙いを定めた。岩のような体の下から、赤く光る目がふたつ、のぞいている。


「『グラッカ・ピッテル』」

「『ミーレル・バンデ』!」


 石の嵐と光の球とがその体にぶつかった。大抵の生物は無事では済まないだろう。そう思わせる轟音が響く。しかし、砂煙の向こうで、その魔物は立っていた。痛みすら感じた様子がない。低いうなり声が聞こえ、体の下からぬうっと首が伸びる。――いや、体だと思われたものは、巨大な甲羅だった。


「あらま、硬い亀さんね」

「ウミガメ? リクガメ? 前者だったら水底界の魔物だけど」

「どっち、だろうね……?」


 四本足と首を伸ばした亀は、最初の印象よりもいま少し大きかった。三人を順繰りに見るなり、口を大きく開ける。その状態で、俊敏に頭突きをした。


「『フィエルタ・アーハ』」


 ロレンスが張った結界に、亀の頭が跳ね返される。亀はいらだたしげに首を振った。


「『イロ・イロ・ニュール』」

「『糸紡ぎ、巻いて縛って縫い留めろ』!」


 少女たちの詠唱は、奇しくも同じ結果をもたらすものだ。魔力で紡がれた細い糸が、それぞれ亀の首と右前足に巻き付く。亀が怒りの声を上げた瞬間、紅い剣が叩き込まれた。首の糸をも焼き切った一撃は、亀の動きを鈍らせる。


 思わぬ痛手を負った亀は、体を揺すって暴れ出す。足の糸をほどきたいというのもあったのだろう。その衝撃は魔力をも揺らし、周囲の魔物たちが四方八方へ吹き飛ぶ。


 そしてとうとう、足の糸が切れた。衝撃でよろめいたヒワは、そのまま尻餅をつく。前足を持ち上げた亀に、カトリーヌが火花を、ロレンスが石の刃をぶつけた。さらにフラムリーヴェが追撃する。


 紅い剣が亀にぶつかったとき、ヒワはようやっと立ち上がった。何気なく亀の足もとを見て、息をのむ。


 亀の陰から甲虫のようなものが二匹、歩いてきていた。もちろんただの虫ではなく、大量の毒々しい魔力を体内に蓄えている。彼らは亀に隠れながら動くと――息を切らせている少年めがけて、飛び出した。


 名を呼ぶ。ロレンスが目をみはる。しかし、遅い。ヒワはとっさに杖を両手で握った。


「『ドード・ルフ』!」


 口をついて出たのは、ヒダカ語ではなかった。そのことばは、術は、初めての実戦で紡いだもの。


 精霊たちが歓喜する。魔力が膨れて満ち溢れる。どこからか大風が吹いて、周囲の魔物もろとも甲虫を吹き飛ばした。遠くの方で、雷鳴に似た音がする。


 ヒワは杖を構えたまま、肩で息をする。間に合った。そう思ったとき、手元で何かが軋む音がした。直後、手と腕に衝撃が走る。乾いた音を立てて、手の中の物が弾け飛んだ。


 黄緑色の目が見開かれる。


 木くずが飛び散り、石が舞う。


 杖が壊れた。その事実をのみこむのに、ひどく長い時間を要する。若草色の石が足もとに落ちても、その輝きを見てもなお、ヒワは呆然としていた。


「『フィエルタ・アーハ』!」


 ヒワが我に返ったのは、少年の詠唱を聞いたときだ。顔を上げると、赤い目と視線がぶつかる。半透明の壁を隔てたすぐそばに、亀の頭があった。


 亀が咆える。結界に無数の罅が入る。


「ヒワ!」


 誰のものかわからぬ悲鳴を聞いて。ヒワがぎゅっと目を閉じたとき――光が瞼を貫いた。


 目を開く。亀が悶絶していた。彼を苦しめているのは、エメラルド色の輝きを乗せた風である。風の衝撃が体を揺らし、それに乗ってきた輝きが亀の横っ面と甲羅を傷つける。


 それを操っている張本人がヒワの前に躍り出た。


「オレの目の前で契約者を噛もうとはいい度胸だな、亀野郎。覚悟はできてんだろうな?」


 エルメルアリアは、うなっている亀をにらみつける。赤い目が自分を捉えると、魔力の刃を生み出した。純白に輝くそれを、真正面から亀に叩きつける。頭を切り裂かれた亀が大きくのけぞった。そこへ、フラムリーヴェがだめ押しの一撃を叩きこむ。とうとう亀の体が傾き、横倒しになった。


 洞窟が一度揺れ、静寂が戻る。ロレンスとカトリーヌがしばらく天井をにらみ、それからほっと息を吐いた。今のところ崩落の気配がないことを確かめたからである。


 亀が沈黙すると、周囲の魔物も急に大人しくなった。身を縮めるものもいれば、逃げ出そうとするものもいる。そういった魔物たちは、エルメルアリアが片っ端から魔力の糸で縛り上げた。


「ようやく終わった……のかしら?」

「そのようですね」


 カトリーヌの呟きに、剣をしまったフラムリーヴェが答える。彼女たちは、気絶した亀をまんじりと見た。


「結局、この亀さんが魔物たちの指揮官だったのかしら」

「どうでしょう。ヌシ級の個体とはいえ、種類の違う魔物を従える力はなさそうですが……」


 フラムリーヴェは、そこでかぶりを振る。「そのあたりは〈銀星の塔〉で調べてもらいましょう」と締めくくって、顔を上げた。紫水晶の瞳が映すのは、いま一人の少女である。


 ヒワは、黙々と杖だったものを拾っていた。


 石は無事だ。両手で握っていた部分も辛うじて形を保っている。だが、ほかは粉々になってしまっており、とてもではないがすべてを集めることはできない。


 しかし、そうとわかっていても、手を止めることができなかった。


 そんなヒワのもとに、ロレンスが歩み寄る。視線をさ迷わせたのち、ためらいがちに屈んだ。


「ヒワ。その……ごめん。俺が虫に気づかなかったばっかりに」


 ヒワは弾かれたように顔を上げる。脆い笑みが浮かんだ。


「ロレンスのせいじゃない。不安定な術を使ったわたしが悪い」

「そんな……」

「――おわっ。派手に吹っ飛んだなあ」


 気まずい雰囲気のヒワとロレンス。二人の上にエルメルアリアが飛んできた。杖を見つけた彼は、暗がりの中で赤紫の両目を見開く。


「エ、ラ」


 彼を仰ぎ見たヒワは、うろたえた。言うべき言葉を舌に乗せ、しかし発することができない。空気を吸って吐いているうちに、涙が視界をにじませた。


 それを見たエルメルアリアが、ぎょっと目をみはる。


「おい? 大丈夫か、ヒワ?」

「あーっ! エラちゃんがヒワを泣かせた!」

「なんですって。精霊人の風上にも置けませんね」


 騒ぎを嗅ぎつけたカトリーヌたちが飛んでくる。濡れ衣を着せられたエルメルアリアが両腕を振り乱した。


「何もしてねえよ、勝手なこと言うな!――あー、ヒワ? さっきのはただの感想であって、あんたに文句を言ったわけではなくてだな」


 かしましい野次も、エルメルアリアの弁解も、ヒワはほとんど聞いていなかった。頭の中で渦巻く言葉を吐き出すことに必死になっていた。相棒はすでに限界まで気を張りつめている。動揺させてはいけない。そう思うのに、感情の歯止めが利かない。


「ごめん……ごめん、なさい。せっかく……エラがくれた……エラが作った、杖、だったのに……!」


 ヒワはしゃくりあげた。彼女の中に満ちた悲しみの泡が、言葉という言葉を包んで消えていく。それは、雫に形を変えて頬を伝い、地面を濡らした。


 さすがに誰もが口をつぐんだ。話の中心にいるエルメルアリアは、耳元に垂れている髪を気まずそうにいじくる。何度かそれを繰り返した後で、地面に下りた。杖の残骸を握りしめる手に、冷たい手を重ねる。


「謝ることじゃねえよ。もともと古い杖だし、精霊指揮士(コンダクター)用に作ったものでもないんだし。むしろ、よく今日まで持ちこたえたもんだって、我が作品ながら感心してるとこだ」


 いつものように、得意げに胸を張って、彼は語る。しかし、その声は心なしかやわらかい。ヒワは濡れた瞳を見開いて、小さな少年の笑顔を見つめた。


「いっぱい使ってくれてありがとな。ヒワがいなかったら、一生うちの隅に転がってたと思うぜ、こいつ」


 ヒワは唇を噛みしめた。返す言葉が浮かばない。一番よい言葉を、今の彼女は持っていない。だから、ただうなずいた。強く、強く。


 安堵したように眉間の力を抜いたエルメルアリアが、飛び上がってヒワの肩を叩いた。


「さて。まだ仕事は終わってないだろ。顔拭いて、行こうぜ。もちろん、そいつも一緒に」


 ヒワは洟をすすって「うん」と答える。それを聞いたエルメルアリアは、うなずいてから仲間のもとへ飛んでいった。


「誰か、袋かでっかい布持ってないか?」

「えっと、これ使う? 持って帰ってもらって構わないから」


 少年たちのやり取りを聞きながら、ヒワはやっと立ち上がる。もう一度杖だったものを見下ろすと、若草色の石が濡れたように輝いていた。

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