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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第三章 回想と混沌のアドベンチャー
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35 光、未だ遠く

 なぜ、水気のない洞窟にイソギンチャクがいるのか。そんな疑問はすぐに氷解した。旅立ちの前の記憶が、ヒワたちに答えをくれる。


水底界(すいていかい)の魔物……」

「最悪の展開、来たね」


 ヒワとロレンスは杖を構える。どちらも青ざめていたが、その理由は少しずつ違っていた。ロレンスの理由を察しつつも、ヒワは言及しない。している余裕もないのだった。


「海の生き物がこんな場所でまともに動けるなんて。魔物は不思議でいっぱいね」

「不思議で片付けていい状況じゃないでしょ」


 軽口を叩いている間にも結界は薄れていく。イソギンチャクの口らしきものが一斉に開いた。


 精霊人(スピリヤ)たちが同時に動く。フラムリーヴェが横に跳び、エルメルアリアが前へ出た。彼がイソギンチャクに迫った瞬間、その表面で水が渦巻く。勢いよく噴射された水を前にして、しかしエルメルアリアはまったく退かなかった。それどころか、両腕を突き出す。


「そら、お返しだ!」


 凶悪な水流が彼の前でぴたりと止まる。かと思えば突然軌道を変え、イソギンチャクと周囲の魔物にぶつかった。耳が痛くなるほどの高音と腹の底を揺さぶる低音が、混ざり合って響く。


 ヒワが思わず耳をふさいだ一方、エルメルアリアは素早く振り返った。


「カティ!」

「了解!『ミティ・レヴレント』!」


 カトリーヌが空を切るように杖を振る。すると、貴石の先で白い光が弾けて、落ちた。それは細い稲妻となってイソギンチャクの方へ流れる。電撃を浴びたイソギンチャクがおぞましい悲鳴を上げた。濡れた魔物たちも巻き添えを食らい、全身を痙攣させて崩れ落ちる。


「おお……。やった?」

「いえ。来ます」


 感嘆したロレンスの斜め前で、フラムリーヴェが剣を構えた。


 弱々しく触手を動かしたイソギンチャクが、一瞬、ぴたりと固まる。次の時、触手のいくつかが()()()

 エルメルアリアはひらりと飛んでそれをかわす。フラムリーヴェがロレンスを抱えて鞭のような触手から逃げ回った。そしてヒワは、杖を胸の前で構えて叫ぶ。


「いっ――『光華の砦』!」


 無我夢中での詠唱だった。おかげで後半のことばが出てこなかった。しかし、精霊たちは彼女に応えた。正面に現れた壁が、襲い来る触手を弾く。それがすべて引っ込むと、壁も消えた。


「危なかった……見た目通りのイソギンチャクなら、毒があるはずだからな……」


 フラムリーヴェに下ろしてもらったロレンスが、ぼそりと恐ろしいことを呟く。彼はそれから、ヒワに拳を向けた。


「でかした、ヒワ」

「ど、どういたしまして」


 カトリーヌも「さすが!」と飛びついてきた。ヒワは曖昧に笑う。


 平和な放課後を思わせるやり取りができたのも、つかの間のことだった。イソギンチャクがもぞもぞと動くのを見て、全員が表情を引き締める。


「しぶといな」


 エルメルアリアが舌打ちする。さらに、周囲を見たフラムリーヴェが顔をしかめた。


()()()も湧いてきましたよ」


 痺れて動けなくなった魔物の向こうから、いくつもの影が忍び寄ってくる。幸い、今度は退路を断たれてはいないものの、獲物を逃がすまいとする空気がひしひしと伝わってきた。


「……これ、あんまし使いたくなかったんだけどな。しょうがない」


 突然ロレンスがため息をつく。鞄を軽くあさったかと思えば、小さな瓶を取り出した。中には濃い緑色の液体が入っている。


「あら。なあに、それ?」

「はいはい。みんな、ちょっと近寄って」


 ヒワとカトリーヌは顔を見合わせる。戸惑いながらも、言われた通りにした。エルメルアリアも周囲の魔物をけん制しながら飛んでくる。


 ロレンスは、瓶の蓋を開けると、その中身をぶちまけた。液体が全員の体に降りかかる。やや遅れて、野草に酢と牛舎の臭いを混ぜたような、強烈な臭気が漂った。


「うっ……な、なにこれ……!」

「魔物の毒を中和する霊薬。本当は飲んだ方が効くんだけど、全員に行き渡る量がないから、これで」

「……の、飲む勇気はないわね」


 カトリーヌが顔を引きつらせる。ヒワも無言でうなずいた。顔をしかめたまま様子をうかがってみると、精霊人の二人もさすがに目もとをゆがめていた。


 空気が動く。身もだえした――ように見える――イソギンチャクが、再び水を噴射した。エルメルアリアとカトリーヌが同時に動く。


「『セレア・ミーレル・ゼスタ』!」


 光で形作られた刃が、水を次々と散らした。その隙にエルメルアリアがイソギンチャクの頭上に躍り出て、両腕を振り上げる。寸暇を置かず、彼の真上で雷が生まれた。イソギンチャクはすぐさま触手を伸ばした。いくつかが足をかすめるが、エルメルアリアは動じない。気合の声とともに腕を振り下ろすと、雷が落ちた。


 稲光が暗闇を引き裂き、轟音が洞窟を揺らす。たたらを踏んだヒワたちをカトリーヌが支えた。


 震動が収まったとき、イソギンチャクは沈黙していた。吐息をこぼしたエルメルアリアが、満足そうに下りてくる。


「本当に何も起きなかった。効くな、その霊薬」

「よかった。あと三十分は効果が続くけど、まあ、過信は禁物ね」


 少年たちがそんなやり取りをしている横で、フラムリーヴェが踏み込む。最初の雷撃と霊薬の臭気とで多くの魔物が動けなくなっていたが、それを耐え忍んだ猛者もいた。そういったものたちが飛びかかってきたのだ。フラムリーヴェが剣を薙ぐと、強靭な魔物たちも体の端を焼かれて吹き飛ぶ。


 歓声を上げたカトリーヌが、それからロレンスを見た。


「そんな便利な物を持ってるなら、早く言ってくれればよかったのに」


 小瓶をしまったロレンスが、ひらひらと手を振る。


「言っただろ、使いたくなかったって。作るの大変なんだよ。材料集めも面倒だし。発明者の正気を疑うほど臭くてまずいし」

「あら、ロレンスが作ったの?」


 自作の薬だと知って、カトリーヌは声を弾ませる。その横で、ヒワは思わず「まずいって断言した」と突っ込む。しかし、ロレンスは眠そうな表情のままだった。


 少年少女が霊薬の話をしている間に、〈浄化の戦乙女〉が魔物たちを一掃する。火の粉をまとって着地した彼女は、じっと暗闇を見つめた後、うなずいた。


「伏兵などはいないようです」


 契約者とその仲間たちに報告した上で、静かに三度、手を叩く。白く輝く門を呼び出し、魔物たちを還した。異質なイソギンチャクもまた、彼らと共に吸い込まれていく。


 門が消えると、あたりはがらんとした印象になった。


「やっと先に進めるな」


 エルメルアリアが顔ににじんだ汗をぬぐう。フラムリーヴェは、そんな彼をじっと見つつも、表面上はいつも通りに対応した。


「ええ。ですが、何が起きるかわかりません。注意して進みましょう」


 戦乙女の忠告に、全員がうなずく。統率が取れすぎている魔物たち――先の話を忘れている者は、一人もいなかった。



 空気がよどんでいる。洞窟という環境のせいだけではない。〈穴〉からこぼれた魔力が、空気を黒く染め上げているかのようだった。


「魔力に酔うなんていつ以来かしらね……」


 先頭を歩くカトリーヌが、そんなふうに呟く。燦燦(さんさん)と輝いていた太陽に薄い雲がかかったかのようだ。ヒワは、杖の感触を確かめつつ、そっと話しかける。


「大丈夫、カティ?」

「ええ、ちょっと驚いただけ。足手まといにはならないから、安心して」


 振り返ったカトリーヌが片目をつぶってみせる。ヒワは、そういう問題ではない、という言葉をのみこんで、笑い返した。――エルメルアリアがうつむいたことには、誰も気づいていない。


「魔力の感じからすると、〈穴〉は近そうなのですが……」

「それらしいものはないね」


 ロレンスがあたりを見回す。といっても、通路はさほど広くない。今までと同じく、ごつごつとした岩に囲まれているだけだ。


「みんなの話を聞いた感じだと、すぐにわかりそうなものだけど……あら?」


 杖で前方を照らしていたカトリーヌが、足を止める。左を向いた彼女は、そちらへ姿を消す。ぎょっとして身を乗り出したヒワは、横穴があることに気が付いた。数秒後、その横穴からカトリーヌが顔を出す。


「みんな、来てちょうだい!」


 興奮している彼女に誘われ、ヒワたちも横穴をのぞきこむ。そして、思わず声を上げた。


 横穴の先に、ひときわ濃い魔力が渦巻いている場所がある。その下、地面のある箇所が、ぼんやりと輝いていた。


「あれって……」

「〈穴〉でしょうね。地面に開いているもののようです」


 眉をひそめたロレンスに、フラムリーヴェが答えを授ける。発見者のカトリーヌは「やっぱり!」と顔を輝かせた。


「あれをふさげばヒワたちのお仕事は完了なのね」

「うん。一応、そうだね」


 ヒワは、先輩の勢いにたじろぎつつもうべなった。


「じゃあさっそく――と、言いたいところだけど」


 はしゃいでいたカトリーヌが、ふと目を細めた。杖の先に灯していた明かりを消し、先端を横穴の先へ向ける。


「『ミーレル・バンデ』」


 軽やかな詠唱の直後、焚火のような音を立てながら、金色の光が球形に膨れ上がる。


「――『デラ・ピッテル』!」


 それを投げるかのように、カトリーヌが杖を振り抜いた。すると、光の球は横穴の先の空間へと飛び、右向きにカーブする。一瞬後、犬の吠え声と金属音が混ざったような悲鳴が響いた。


 ヒワが思わず杖を抱きしめたとき、闇の中から魔物の気配がにじみ出す。


「……ま、いるよな」

「出てきてくれて助かりました」


 精霊人たちが、横穴から視線を逸らして身構えた。〈穴〉の周囲だけでなく、元の通路にも魔物の姿があった。中には、水かきやひれを持つものもいる。


 彼らは威嚇もなしに飛びかかってきた。エルメルアリアとフラムリーヴェがひるむことなく応戦する。天井から襲ってきた蝙蝠たちが吹き飛ばされるや、フラムリーヴェが踏み込んだ。鋭い突きと斬撃で、あっという間に五体を叩き伏せる。


「『シフィシエ・コーディア』」

「『石の剣よ、貫け』!」


 彼らのかたわらで、ヒワたちも詠唱した。ロレンスがその場に縫い留めた魔物たちに、ヒワが鋭利な岩石を浴びせかける。小柄な穴熊を思わせる魔物たちが、身をよじって吠えた後、動かなくなった。その後ろでは、カトリーヌの歌――もとい詠唱が絶えず響いている。


 今日何度目かの混戦。魔物と指揮術がぶつかり合い、閃光が弾け、火炎や水が飛び交う。死と隣り合わせの環境に身を置いた少年少女と精霊人は、対応力を身に着けた一方、疲労を実感してもいた。淡々と魔物を殴り飛ばすフラムリーヴェの顔すらも、少しばかり曇っている。


 そんな中、ひときわ大きな咆哮がとどろいた。ヒワは思わず顔をしかめた。狭まる視界の中に相棒を見つけ、はっとする。


 蝶のように動き回っていたはずの彼が、浮いたまま固まっていた。狼のような魔物――ただし、頭についているのは耳ではなく羽のようなもの――が数体、飛び込んでくる。彼らはエルメルアリアの隙を見逃さなかった。暗闇でも目立つ体に爪を立てる。小さな少年のうめき声は、戦場の音にかき消された。


 ヒワは夢中で口を開く。なんでもいい。何か唱えろ!


「――っ、『閃光、弾けろ』!」


 数発の光が狼たちの頭上で閃く。同時、紅蓮の炎が彼らを焼いた。熱さのあまりに飛びのいた狼たちを、波形の刃が斬る。倒れた同胞を隠すように、戦乙女が舞い降りた。


「怪我はありませんか、エルメルアリア」


 静かな声が呼びかける。――いらえは、ない。


 フラムリーヴェは、眉を寄せて振り向いた。


「エルメルアリア?」


 うずくまっていた彼が、のろのろと顔を上げる。青ざめてはいたが、目立った傷はなかった。


「……お、う。平気」

「……本当ですか? 顔色が悪いですよ? 先ほどのものたちは、毒を持つしゅではないはずですが……」

「平気だっての! いきなりだったんで、驚いただけだ!」


 かがみこもうとするフラムリーヴェを、エルメルアリアは手で制す。これ以上詰め寄られてたまるか、とばかりに素早く飛びあがった。紫色の視線が、それを怪訝そうに追う。


「不意を突かれるとは、らしくありませんね」

「はいはい。すみませんね、油断してて」


 エルメルアリアはそっぽを向く。が、すぐに同胞へと向き直って頭を下げた。


「手間かけて悪かったな。助かった」

「いえ」


 フラムリーヴェは、ほんのわずかに口もとをほころばせて、剣を構え直す。


 エルメルアリアは、ヒワの方へ飛んできて背を向けた。一連のやり取りを見ていたヒワは、安堵するよりも先に異変を見つける。


 エルメルアリアが震えていた。右腕を左手で押さえつけながら、それを必死に隠そうとしている。フラムリーヴェに見つかりたくないのだろう。


 ヒワは、大きく息を吸った。


「――エラ!」


 彼は振り向かない。それでも構わず、続けた。


「右腕はついてるよ。きみの腕は、ちゃんとついてる」


 噛みしめるように、言葉を重ねる。すると、エルメルアリアの顔が彼女の方を向いた。


 不安定に揺らいでいた瞳が、定まる。徐々に明瞭な光が戻ってきた。彼は、細く息を吐きだして、思いっきり吸う。


「……おう!」


 いつものように契約者へ笑いかけたエルメルアリアは、軽やかに宙を蹴った。

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