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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第三章 回想と混沌のアドベンチャー
34/67

34 魔物の軍隊

 横穴から戻ってきた二人を、ロレンスたちは穏やかに迎えた。一人の顔色が悪いことに気づいたはずだが、誰も指摘しない。唯一、フラムリーヴェが彼を一瞥したのみだった。


 休憩を終えて、進む。天外界の魔物には何度か遭遇したが、前ほどの勢いはない。精霊指揮士(コンダクター)が三人、精霊人(スピリヤ)が二人もいれば、恐れることはなかった。


「『砂礫(されき)(たま)よ、撃ち落とせ』!」


 ヒワは、杖を蝙蝠(こうもり)の魔物にしかと向ける。円錐形に圧縮された砂礫の雨が彼らに降りかかった。道を覆い尽くしていた彼らの多くが悲鳴を上げて落ちていく。乾いた驟雨(しゅうう)を避けたものたちも、無事では済まなかった。


「『カレーラ・ルフ』」

「『ラズィ・シルール』!」


 ロレンスがあたりを温風で満たし、そこにカトリーヌが火花を投げ込む。凄まじい光と熱が、殺気立っていた魔物の群れを蹂躙した。進路上に魔力をまとった蝙蝠たちが積み上がると、乾いた音が三度、響く。


「〈銀星の塔〉の名のもとに、権限を行使する。門よ開け、魔の者どもを彼方あなたへ還したまえ」


 エルメルアリアの声に応えて、白く輝く門が現出する。それは、動けなくなった魔物たちの体を静かに吸い込んだ。魔物が光となって消えていく様を、カトリーヌが惚れ惚れとして見つめる。


 送還が終わり、門が消える。同時、フラムリーヴェが顎を上げた。


「妙ですね」

「妙だな」


 エルメルアリアも同意する。人間たちは足を止めて、彼らに視線を集中させた。


「どうしたのさ、二人とも」


 ロレンスが頭を傾ける。剣を下ろしたフラムリーヴェが、彼を振り返った。


「おかしいと思いませんか。魔物が大人しすぎます」

「そうなんだよな。今まで行った場所と比べても、()()()()()


 精霊人二人が口を揃えると、さすがに人間たちの顔にも不安の色が差す。


「そうなの?」

「むむ……言われてみれば……」

「今までは、〈穴〉に近づくほど魔物の数が増えてたもんね」


 二人の証言を聞き、カトリーヌが桃色の唇を尖らせた。


「あなたたちがそう言うなら、間違いないでしょうね。何かある、と思っておくべきかしら」


 こと〈穴〉をふさぐ活動に限って言えば、ヒワとエルメルアリアがもっとも経験豊富だ。遅れて加わったロレンスにしても、いくつかの〈穴〉を見てきている。彼らの反応がフリーの精霊指揮士の警戒心を掻き起こしたようだった。


 一行の中でもっとも陽気なカトリーヌが、つかの間とはいえ神妙な顔になったことで、全体の空気もより引き締まる。他の動物や内界の魔物たちの気配を肌身に感じながら、彼らは洞窟を進んでいった。


 道行は、やはり静かだ。しばらく押し殺した足音ばかりが響いていた。大きな動きをする者もいない。強いて言えば、エルメルアリアとフラムリーヴェが時折空中を見やる程度だ。明かりを維持する精霊たちのささやきが聞こえているらしい。


 そんな中、ヒワはこっそり息を吐いた。さすがに体が重くなってきたのである。最近鍛えているとはいえ、体力的にはシルヴィーに遠く及ばない。変化に乏しい洞窟を延々と歩いていれば、疲労も溜まる。とはいえ、エルメルアリアやロレンスが弱音を吐かずに進んでいるので、ヒワから「疲れた」とも言い出しづらい。


 もうひと踏ん張り。彼女がそう、己に活を入れたとき。冷たいものが頭に触れて、かすかな水音が響いた。ヒワは、頭を触りながら上をうかがう。指先がぬるりとしたものに触れるのと、その目が異形の影を捉えるのは、ほぼ同時だった。


「ひっ――」


 引きつった悲鳴が、一行の間を駆け抜ける。ヒワはとっさに杖を構えたが、詠唱するよりも早く相手が飛び出してきた。


 まるい体に小さな羽。大きな一つ目と口を持つモノ。その口が開き、剣山のような歯がのぞくと同時、それを小さな足が蹴り飛ばした。魔物が吹っ飛んだ後に吹き抜けた強風が、花の香りを運ぶ。ヒワは顔をほころばせた。


「エラ!」

「やらせるわけねえだろ」


 エルメルアリアが荒々しく鼻を鳴らした。普段と比べると明らかに緊張しているが、軽口を叩く余裕は戻ってきたようである。


 ヒワが安堵したのもつかの間、今度はすぐそばで叫び声が上がった。


「うわ、なんだこれ」

「あらら。見事に挟まれちゃったわね」


 カトリーヌの言う通り、一行の前後を数多の魔物が埋め尽くしている。見た目に統一性はない。共通しているのは、洞窟に元からいる魔物ではないことと、強い敵意を表しているということだけだ。


「頑張って切り抜けましょう。――『セレア・ミーレル・シェレーシャ』!」


 不敵にほほ笑んだカトリーヌが、手元で軽やかに杖を回す。勢いのまま、それを大きく左右に振った。杖の先から光が伸びて、魔物たちを薙ぎ払う。暗き壁が揺らいだところへ、フラムリーヴェが切り込んだ。魔物の方からも威嚇の声やまばゆい光線が飛んでくる。


 衝突の始まりは、限界ぎりぎりまで膨らんだ風船が割れるようであった。たった一発の指揮術が、積もりに積もった魔物たちの敵意を爆発させる。彼らは波のように動き出して、人間と精霊人に襲いかかった。


 もちろん、爆発させた側も、この変化は承知の上だ。


「『グラッカ・ピッテル』!」


 数度のハミングの後、どこか陽気な詠唱が響く。術者はもちろんカトリーヌだ。浮き上がった石が魔物たちへと向かっていく。彼女の意図を察したヒワは、暴れる心臓をなだめて杖を構えた。


「『あからしま風、壁を裂け』!」


 凛とした詠唱とともに、若草色の貴石が輝く。ほとんど同時、暴風が一直線に駆け抜けた。それは、前方の魔物の群れをはるか遠くまで切り裂く。そして、風に乗った石の欠片が群れの上へと降り注いだ。


 カトリーヌが口笛を吹く。


「やるう! 私も負けてられないわ。もう一度、『グラッカ・ピッテル』!」

「『ザクル・ザクル』」


 今度、カトリーヌの詠唱に続いたのはロレンスだ。彼が杖を振った瞬間、高く跳ねた石がすべて粉々に砕ける。ヒワは慌てて、杖を高く振り上げた。


「『あからしま風、吹き散らせ』!」


 精霊たちが沸き立つ。それによりもたらされた暴風は、石の欠片を魔物の群れの前へ押しやった。茶色い幕が、人間と彼らとを隔てる。


「おお。お見事」

「とっさの対応もばっちり!」


 ロレンスがまったりと拍手して、カトリーヌが杖で花丸を描く。左手で胸を押さえたヒワは、そんな先輩たちをにらんだ。


「ふ、二人とも……試すような真似、やめて……」


 まだ心臓が早鐘を打っている。げっそりとしているヒワに、カトリーヌが苦笑した。


「ごめんごめん。――と、『ミーレル・シルーリャ』」


 会話の中の手振りのように杖を振る。宙で弾けた銀色の光が、飛びかかってきた魔物を弾き飛ばした。しかし、その魔物の後ろに隠れていたものたちが勢いよく飛び出してくる。


 黒茶の目が見開かれる。桃色の唇が開きかけたとき、半透明の盾が現れた。それに勢いよく激突した魔物たちは、かたい地面に叩きつけられ、沈黙する。電撃でも浴びたかのように痙攣していた。


「油断すんなよ、オジョーサマ」

「エラちゃん! お手間をおかけしました」


 ひらりと飛んできたエルメルアリアを見て、カトリーヌが顔を輝かせた。小さな少年は一瞬得意げにしたが、すぐに顔をしかめる。


「おいこら。その呼び方を許可したのは『あいつ』とヒワだけだぞ」

「まあまあ。ちっちゃいこと言わないの」

「ちっちゃくねえよ!」


 カトリーヌはこれっぽっちも動じない。再び魔物に杖を向けた彼女に、エルメルアリアが眉をつり上げる。ただし、彼は彼で、怒りながらも魔物の光線を打ち消したり鳥型の個体を叩き落としたりと、戦果を挙げていた。


 奇妙になごんだ戦場を見渡して、ヒワは笑みをこぼした。


 しかし、その笑顔はすぐにかすむ。相棒の息が上がっていることに気づいたのだ。


「エラ……!」


 魔物の方へ杖を向けつつ、呼びかけた。紅玉のような瞳が、不安げな少女の相貌を映す。


「ようヒワ。詠唱、いい感じじゃねえか。このまま突っ切っちまおうぜ」


 彼は、笑っていた。血色の悪い顔に、いつもの彼を思わせる不敵な笑みを乗せている。


 どう応えるべきかと、ヒワは逡巡した。その果てに、口の端を持ち上げ、目を細める。


「うん!」


 力強くうなずいて、目の前の敵に向き直った。



     ※



 進路と退路を塞ぐ魔物たちを相手しているうち、前面の魔物をヒワとカトリーヌが、後背の魔物をロレンスとフラムリーヴェが相手どる形に落ち着いた。エルメルアリアは、状況を見て両方の援護に回っている。無力化した魔物の送還も、ほとんど彼の担当だ。


「『ソーリュ・ルフ』、『エフナ・バラーディア』」

「『炎熱よ、爆ぜろ』!」


 ぽんぽんと音を立てている空気に、魔力の熱が流れ込む。空気が大きく渦巻いて、魔物の群れの中で小規模の爆発が起きた。最前列の魔物がうなりながら後退し、その影から飛ぶことのできる魔物たちが湧き出す。ヒワたちも負けじと石つぶてや光弾を撃ち込んだ。ヒワが大きく息継ぎをしたとき、背後で熱風が渦を巻く。


「『グラッカ・コード』!」


 ロレンスが岩を使って捕らえた魔物たちを、フラムリーヴェが次々と切り伏せる。拘束しきれない魔物には、目くらましやその他攻撃で対応していく。半年にも満たない付き合いながら息の合った立ち回りを見せていた。


「いいわね、二人とも! これで見習いだなんて信じられない!」


 やはり歌い踊るように指揮術を放っていたカトリーヌが、ふいに称賛する。照れながらも感謝を述べたヒワの背後で、ロレンスが、どうも、と呟いた。彼の隣に着地したフラムリーヴェがわずかに口角を上げる。しかし、戦乙女の表情はすぐ険しくなった。


「……やはり奇妙ですね、この魔物たち」

「だな」


 エルメルアリアが、天井のくぼみに潜んでいた毛玉のような魔物を気絶させながらうなずく。さらに、カトリーヌも笑みをのぞかせた。


「さすが。フラムさんもエラちゃんも、気づいていたのね」


 何やら三人だけでわかりあっている。ヒワとロレンスは、それぞれの相棒を見た。二人の疑問を拾ったのは、魔物を牽制(けんせい)しているフラムリーヴェだ。


「彼らと戦っていて、気になる点がありませんでしたか」

「ええ……?」と視線をさまよわせたロレンスが、頭を傾ける。

「強いて言うなら、天外界の魔物にしては大人しいというか……理性的だとは思うけど……」


 それを聞いて、ヒワは魔物の群れに目を凝らす。確かに、彼らはかなり慎重に行動している印象を受ける。今も即座に襲いかからず、こちらの動きをうかがっているようなのだ。一方で、的確に隙をついてくるため、勢いで突破するのも難しい。


 ひとつうなずいたフラムリーヴェが、答えを口にした。


「彼らは()()()()()()()()()()んです。むやみやたらに襲ってこない。それでいて我々に恐れをなさない。多種多様な魔物が集まっているのに、習性の違いでぶつかり合わない。野生の魔物の動きではありません」

「あっ……」


 ヒワとロレンスは目をみはる。瞬間、前面から火炎が、背後から光線が飛んできた。人間たちがとっさに結界を張って防ぐ。火炎と光が壁にぶつかった瞬間、エルメルアリアが力いっぱい腕を振る。すると、飛び散った火の粉と火花が異様に膨れ上がり、魔物たちの方へ跳ね返った。


 轟音が洞窟を揺らす。同時、カトリーヌが杖を高く掲げた。


「そーれ、『バム・バム』!」


 さらに爆発が連鎖する。思わず耳をふさいだ少年少女を、精霊人たちが引っ張った。煙の立ち込める道を走りながら、今の攻撃でもなお倒れない魔物たちを仕留めていく。


「いやあな感じよねえ。どこかに指揮官が隠れているのかしら。精霊人? 精霊指揮士?」

「そうだとしたらまずくない? 他世界の魔物を操って内界に侵入させてるとか、もう侵略行為じゃん」


 詠唱の狭間に、カトリーヌとロレンスがそんなやり取りをしている。急に話が大きくなって、ヒワにはついていけなかった。


 耳障りな悲鳴が勢いを減じたところで、エルメルアリアが白い門を呼び出す。多くの魔物が還ったことで、目に見える敵の数はずいぶん減った。その一方、送還に抵抗したしぶとい魔物たちの怒りも急激に膨れ上がった。彼らを半ば殴り飛ばしながら、フラムリーヴェが周囲を見渡す。


「今のところ、魔物と〈穴〉以外の気配は感じませんが……」


 思案するような呟きは、途中で止まった。普段より小さな剣を勢いよく薙ぐ。()()()()()()()影に刃が食い込んだ瞬間、彼女は目をみはった。


 ヒワのかたわらを飛んでいたエルメルアリアも、息をのむ。


「まずい、そいつは――!」


 彼が宙を蹴ったとき、影の方から水の刃が飛び出した。それはフラムリーヴェのもとに殺到し、盛大な水しぶきを上げる。


「フラムリーヴェ!」


 ロレンスの悲鳴が暗闇を切り裂いた。その余韻が消えぬうちに、影の方から氷が割れるような音が響く。音を拾ったヒワは、考えるより先に杖を構えていた。


「『光華(こうか)の砦、ここに建て』!」

「『フィエルタ・アーハ』!」


 二人の少女が、それぞれの言語で詠唱する。五人を二重の結界が覆い、冷水の刃を防ぎ切った。


「フラムさん、無事!?」


 ずぶ濡れの赤い髪を見て、カトリーヌが身を乗り出す。さすがに切羽詰まった様子であった。


「……ええ、なんとか。エルメルアリアが水の勢いを殺してくれたおかげで、この程度で済みました」


 少しの間を置いて、答えが返る。振り返ったフラムリーヴェは、顔に小さな傷を作ってはいたものの、それほど堪えた様子はない。ヒワたち三人は、揃って安堵の息を吐いた。


 熱風をまとって体中の水滴を払ったフラムリーヴェは、仲間たちを見回す。


「申し訳ありません、油断しました。精霊の様子で気づくべきでした」

「まあ、しかたねえだろ。オレだって直前まで気づけなかったんだ」


 フラムリーヴェの隣に舞い下りたエルメルアリアが背後を見やる。残る面子も、彼の視線を追って、息をのんだ。


 結界の向こう側にいたのは、無数の触手を持つ奇妙な生き物。ヒワは、その姿に遠い記憶を刺激された。魔物特有の毒々しい色合いや、本来ならばあり得ない場所についている複数の口らしきもののせいで完全には符合しないが、原型といえる生き物を図鑑で見たことがある。それは――


「イソギンチャク……?」

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