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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第三章 回想と混沌のアドベンチャー
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31 花の精霊指揮士

 ヒワはとっさに杖を握りしめる。同時、ロレンスが半歩踏み出した。


「目的は何? 返答次第では……」


 杖を構える。少女を見据える青い瞳には、彼らしからぬ剣呑な光が宿っていた。一方の少女は、大げさに両手を挙げる。


「どーう、どう! 怖いことはしないわよ。ただの知的好奇心!」

「信じられるもんか。そっちだって精霊指揮士(コンダクター)だろ」

「でも、杖を持ってないでしょ! 後輩とやり合う気なんて、これっぽっちもないわよ」


 ヒワは目をみはった。自分たちを「後輩」と呼んだ。つまり、彼女は先輩――自分たちよりも早くから、精霊指揮士として活動しているということだ。


 ロレンスも気づいたのだろう。わずかに杖を引いた。が、引っ込めたわけではない。少女は困り顔をつくって、唇に指を添える。


「私はお仕事でパヴォーネに来ているの。たまたま一階であなたたちを見かけて、気になっちゃっただけ。怖がらせたなら謝るわ」


 言うなり、少女は顔の前で手を合わせる。仕草は大げさだが、嘘を言っている雰囲気はない。ヒワは、友人の肩を控えめに叩いた。


「ねえ、ロレンス。この人、悪い人じゃなさそうだよ」

「んー……俺も調子狂ってきた」


 ロレンスも、わずかに頭を傾ける。剣呑な雰囲気はかなり薄らいでいた。彼はため息をついて、しかし再び杖を突きだす。


「でも、信用しきるのは危険だ。――俺たちを害する気がないと証明できる?」

「ええ?」


 少女は、大きな両目を見開いた。


「難しいわねえ。ほら、『ない』ことの証明は『ある』ことの証明よりも難しいって言うでしょ?」


 腕を組んで考え込んだ彼女は、数秒後、ぱっと顔を上げる。


「そうだ! この後、全員でお食事をしましょう。そこで私は、私のことをちゃんと話すわ。これなら、万が一私が何かしようとしても、あなたたちは全然危なくないでしょう」


 ヒワとロレンスは、困惑の視線を交わし合う。


 彼女の言うことには一理ある。そばにエルメルアリアやフラムリーヴェがいれば、彼女一人が何をしようとも押さえ込めるだろう。しかし、ヒワたちだけが得をするわけではない。


 全員で集まることにより、彼女は精霊人(スピリヤ)を間近で見ることができる。事と次第によっては、彼らの詳しい情報まで得られるのだ。


「先輩、怖い……」

「あー……苦手なタイプだ……」

「どうかしら? ねえ、ねえ」


 げんなりしている二人に、少女は明るく迫ってくる。のけぞったロレンスが顔の前に杖をかざした。


「ああもう、しかたがないな。それでいい。ただし、話すのはそっちから。信用できるまで、こっちの話はしないからな」

「よかったあ! ありがとう!」


 わざとらしく両手を叩いた少女は、それから数歩下がった。かと思えば、両手を挙げて背後を振り返る。


「――と、いうわけなので。その熱そうな剣をしまってくださると嬉しいわ、お姉さん」


 黒茶の視線の先には、フラムリーヴェが立っていた。赤い波型の刃が少女を狙っている。


 フラムリーヴェは無言でロレンスを見る。彼がひとつうなずくと、ため息をついて大剣をしまった。



     ※



 そんなわけで、少し早い夕食を摂ることになった。一階の食堂に集まり、窓際の席を陣取る。途中から一人で荷物番を引き受けていたエルメルアリアは、いきなり現れた少女に探るような視線を向けた。


 いくつかの料理を注文し、給仕を見送った後、さっそく少女が話し出した。


「それじゃあ、さくっと自己紹介! 私の名前はカトリーヌ・フィオローネ。フリーの精霊指揮士(コンダクター)よ。気軽にカティって呼んでね!」


 ぱちりと片目をつぶったカトリーヌに、ヒワは曖昧な笑みを返す。隣ではエルメルアリアが目をしばたたく。さらにその先で、ロレンスが顔をしかめた。


 そこで、ふと引っかかりを覚えて、ヒワはカトリーヌを見つめた。


「あの……フリーの精霊指揮士って、どういうことですか?」


 そう尋ねると、彼女もまた不思議そうにまばたきする。


「あら? あなたひょっとして、なりたてちゃん?」


 しまった、とヒワは頬を引きつらせる。いきなりこちらの情報を与えてしまった。うろたえていた彼女に、ロレンスが助け舟を出す。


「つまるところ、『公務員でもなく、精霊指揮士協会に所属もしていない』ってことだよ。一般の人や民間企業から直接依頼をもらって仕事をする人だね」

「そうそう。協会に指図されなくて済むけど、仕事中に問題が起きたときは全部自分で解決しなきゃいけないのよ。まあ、私には合ってるわ」


 カトリーヌが明るく追随する。自分の疑問が流されてしまったことは、露ほども気にしていないようだ。


 ロレンスがそんな彼女に湿っぽい視線を向ける。


「それより、あなた今、フィオローネって……」


 ええ、と相槌を打ったカトリーヌは、それから瞳を輝かせた。


「あらやだ、もしかしてご存知? きゃー! 今の若い子にまで知られているなんて、ほんと罪な家ね!」

「若い子って……そんなに歳離れてないでしょ……」


 指摘するロレンスの横顔からは、すでに疲労の色がにじみ出ている。ヒワは彼を気遣いつつも、そっと話しかけた。


「えっと、有名なの? グラネスタ家と同じくらい?」

「知名度で言えば向こうが上かも。ただし、悪い意味で」

「えっ」


 ヒワは、ぎこちなくカトリーヌを振り返る。ばっちり目が合った。


「あー。えっとー」

「だーいじょうぶよ。お姉さんは怖くないわ。うちの人たちが()()()()()のは事実だけど」


 フィオローネ家は元々、グラネスタ家に劣らない精霊指揮士の名家だったという。指揮術を用いた道具の発明と研究に力を入れていて、その成果は人々の生活に大きな影響を与えた。


 しかし、カトリーヌが十歳の頃、親族――年の離れた兄と叔父、そしてその息子たち――が倫理的な理由で規制されていた指揮術に手を染めていたことが発覚した。これがきっかけで家は凋落ちょうらくし、精霊指揮士協会の理事であったカトリーヌの父もその地位を追われた。


「私がフリーの精霊指揮士になったのは、家のあれこれに巻き込まれないようにお父様が手を回したから、っていうのもあるのよね。一般の人にはそんなに知られてないから仕事には困らないけど、同業者には白い目で見られることが多くて。参っちゃうわよねえ」


 なかなかに重たい身の上話を、カトリーヌはあっけらかんと締めくくる。ヒワは、テーブルの上で両手を握った。


「なんというか……ご苦労なさってるんですね……」

「やだ、気を遣わせちゃったかしら。でも、ありがと。同業者に労われるのなんて、初めてかもしれないわ」


 カトリーヌがにこりとほほ笑む。ちょうどそのとき、料理が運ばれはじめた。大皿に盛られたサラダを、彼女は率先して取り分けた。全員に行き渡ってから、続ける。


「今の話に戻りましょうか。さっき、後輩たちには言ったけど、私はお仕事のためにこの町へ来たの。やましいことは何もないわ」

「なんのお仕事なんですか?」


 ヒワが尋ねると、カトリーヌは野菜を口もとに運びながら答えた。


「生態調査のようなものね。最近、パヴォーネ・コーダ近辺で見たことのない魔物が目撃されているから、実態を探ってきてほしいって」


 ヒワたちは、思わず顔を見合わせた。きっと、誰もが同じことを思っている。


 見たことのない魔物。それは、他世界の魔物ではないのか。


「そ――それで、これから調査を?」


 ロレンスが続けて問う。動揺を抑えようとはしているが、声は震えていた。対するカトリーヌは、野菜を食べてから「いいえ」と言う。


「今日までのところで、パヴォーネ周辺をおおよそ見て回ったわ。確かに、見たことない魔物――というか、明らかに内界のしゅじゃない魔物がいた。『発生源』の目星はついたから、明日はそこに行ってみるつもり」

「発生源……」


 うめくように呟く声が、重なる。ヒワとロレンスのものだった。


 取り分けたサラダを平らげたところで、カトリーヌが目を光らせる。


「ねえ。ひょっとして、なんだけど。……あなたたちの調査も、あの魔物と関係があるの?」


 ロレンスが声を詰まらせる。ヒワはとっさにうつむいた。ふうん、とおもしろそうに呟いたカトリーヌが、皿の縁に指を滑らせる。


「私が見かけた魔物の中には、ね。書物の中でなら見たことがあるものもいたわ。それって、天外界にいるとされている魔物なのよね。ちょうど、ジラソーレや東部の町で魔物が現れて騒ぎになったこともあったし……そんなことになってるなら、精霊人(スピリヤ)が出張ってきていてもおかしくないわね」


 まるで独り言のように語るカトリーヌ。彼女の視線は、精霊人たちに向いていた。フラムリーヴェが細く息を吐き、エルメルアリアが腕を組む。


「ロレンス」


 紫の瞳が少年を見た。見られた側は、無言で頭をかく。


 その隣で、エルメルアリアが少女を見上げる。


「ヒワ、どう思う。……伸るか反るか」


 小さくうなったヒワは――正直な思いを、口に出した。


「カトリーヌさんは、危険な人じゃないと思う。色んな人から依頼を受けているんだし、わたしたちの事情を知っても、言いふらすことはないんじゃないかな」


 エルメルアリアは、身にまとっている風のように爽やかな笑みで、それに応えた。


「ヒワがそう言うのなら、オレは信じるぜ。さっきの話も、お嬢さんのことも」

「……エラ」


 ヒワは口の端を持ち上げる。鼻の奥が、つんとした。


 二人揃って視線を滑らせる。その先にいるのは、ロレンスだ。目を閉じて考え込んでいた彼は、ちょうどそのとき、瞼を持ち上げた。


「しかたない、腹をくくるか」


 いつものぼんやりとした声でそう言って。ロレンスはカトリーヌに向き合った。


「――お察しの通り、俺たちもその魔物のことを調べにきた。いや、正確には、その魔物たちの発生源を潰しにきたんだ」


 そういう語り出しで、〈穴〉のことや精霊人との契約のことを打ち明ける。カトリーヌはそれを、身を乗り出して聞いていた。一言一句聞き逃すまいとばかりに。


「――というわけで、今回はパヴォーネ・コーダ周辺にあるという〈穴〉を探しにきたんだ。天外界の魔物は〈穴〉から出てきているから、あなたが見つけたっていう発生源にある可能性が高い」


 ロレンスが淡々と締めくくる。


 そのときになってやっと、一同はサラダ以外の料理に手をつけた。カトリーヌは、鹿肉の香草焼きを切り分けながらひとりごちている。


「世界の境目に開いた穴、〈銀星(ぎんせい)の塔〉と協会が手を組んだ、内界にいる選りすぐりの精霊人――」


 そうかと思えば、くわっと目を開いて、顔を上げた。


「なんてこと! 知らない間に、そんな大事件が起きていたのね!」

「しーっ! 声が大きい」


 ロレンスが唇に人差し指を当てる。カトリーヌはすぐ「ああ、ごめんなさい」と口を押さえた。少年少女に向き合ってささやく。


「大事件といえば、あなたたちのこともよ。見習いが精霊人と契約するなんて、前代未聞だわ」

「ええっと。実は、わたしは元々指揮術すら習ってなくて……」


 ヒワがそろりと告白すると、カトリーヌは一瞬固まった。それから、「協会の人たちが知ったら、泡を吹いて卒倒するわね」と真顔で呟いた。


 少しの間、ぎこちない空気が流れる。しかし、カトリーヌが指を鳴らしたことで、それは払われた。


「ともかく。〈穴〉の件、ぜひとも協力させて頂戴。天外界の魔物の発生源に、あなたたちを案内するわ」

「い、いいんですか!」

「もちろん! どのみち、私の仕事にも関係があるのだしね」


 願ってもない提案に、ヒワとエルメルアリアは顔を輝かせる。ロレンスは気が進まなそうだったが、強く反対もしなかった。フラムリーヴェは淡白に、しかしはっきりと「ありがとうございます」とだけ言った。


「よろしくね! ええと――そういえば、まだ名前を聞いてなかったわね」


 カトリーヌの困り顔を見て、少年少女は姿勢を正す。


「あっ、すみません。ヒワ・スノハラと申します」

「ロレンス・グラネスタです」


 少年の名乗りを聞いて、カトリーヌは蜂蜜色の眉を上げた。


「グラネスタ副支部長の息子さん? ここのご主人が仰っていた『お得意様』って、そういうことだったのね」

「……ええ、まあ」


 ロレンスは、眉間にしわを寄せる。カトリーヌはそれ以上追及せず、残る二人を見た。二人ともが、すかさず名乗る。


「〈真朱の里〉のフラムリーヴェです。ロレンスと契約しております。ヒワ様の契約相手は――」

「オレな。〈翠緑の里〉のエルメルアリアだ」


 小さな少年が、ひょいと手を挙げる。瞬間、カトリーヌの手からナイフが滑り落ちた。金属音が響いて、消えて。数秒後に、桃色の唇が震えた。


「…………協会に知れたら、何人か死者が出るんじゃないかしら」


 驚きを通り越して乾ききった視線と言葉は、主にヒワへと向けられている。ヒワは顔を背け、ぎこちなくパスタの皿に手を伸ばした。

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