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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第二章 風と炎のコンチェルト
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25 肩を並べて歩くきみ

 夜のソーラス院は、点々と灯る照明で神秘的に彩られる。ただ、内部には一部の研究者や教師が残っているだけなので、ぞっとするほどの静けさに包まれるのだった。


 一方、学生たちが戻ってきた寮は、昼間の町のようににぎやかだ。


 寮の一階。広い食堂の一角で、ロレンス・グラネスタはよろめきながら席についた。幽鬼のような彼を見て、同部屋のトビアスがわずかに身を引く。


「どうしたのさ、ロレンス。すごい顔だけど」

「…………ああ。ちょっと疲れちゃって……」


 辛うじて答えたロレンスは、本能に任せてパンをつかむ。いつ落とすかわからない、頼りない手つきであった。


「一体何してたの。指揮術の練習? 調薬? また根を詰めた?」

「うーん……野外活動、的な」

「野外活動ぉ? ロレンスが?」


 トビアスは、わかりやすく頬を引きつらせる。予想通りの反応をされた少年は「別にいいだろ」とぼやきながらパンをむしった。()()を出したくない、という思いもある。彼の態度から何を読み取ったのか、トビアスはそれ以上追及してこなかった。



 ロレンスは早めに食事を終え、部屋に戻った。トビアスには断ってある。部屋に入るなり窮屈な服を脱ぎ捨て、ベッドに飛び込む。そのまま白い海に沈んだ。


「あー……どっと来た……」


 疲労の原因はわかっている。カント森林での冒険だ。慣れない飛行に森歩き、魔物との戦闘。さらには敵か味方かわからない人々との遭遇。一年上の先輩たちでも顔をしかめそうな内容だ。疲れて当然である。


 ロレンスは、うつ伏せになって少しも動かなかった。睡魔が忍び寄ってくる。心地よい波に身を委ねかけたところで、頬に不自然なぬくもりを感じた。


「ロレンス」

「――へぁ?」


 頭上で誰かがささやく。のろのろと顔を上げたロレンスは、炎色の髪を見るや、飛び起きた。


「フラムリーヴェ!? どっから入ってきたの?」

「どこから、と言われましても。契約によるつながりがありますので、どこからでもあなたのもとに参上できるのです」

「それもそっか……てか、誰にも見られてない!?」

「大丈夫です」


 〈浄化の戦乙女〉は、昼間と同じ鎧姿だ。気の抜けた格好の契約者を見ても顔色ひとつ変えない。同胞との『勝負』に僅差で負けて悔しがっていた女性とは別人のようだった。


「お休みのところ申し訳ございません。話をしておきたかったもので」

「ああ、うん……いいよ。トビーもまだ戻らないだろうし」


 ロレンスはベッドに座って、できるだけ背筋を伸ばした。フラムリーヴェは一礼して、彼の前に立つ。


「今回の任務は、いかがでしたか。不安なことなどございますか」

「いやあ、もう不安だらけだ。何が不安かわからないくらい」


 ロレンスは、へらりと笑って頭をかく。目を伏せる精霊人(スピリヤ)を見て、自分まで申し訳ない気分になった。


「でもまあ、〈穴〉をふさぐまでの流れはわかった。要は天外界から来た魔物たちを倒しまくって、あの……〈閉穴〉の術を使うってことだね」

「そうなりますね。……やはり、続行は厳しいでしょうか」


 ロレンスは、しばし宙をにらむ。それから小さく息を吐いた。


「あくまで、俺の気持ち的な話だけど」

「はい」

「契約は続行したい」


 フラムリーヴェが目をみはる。ロレンスはあくびをかみ殺して続けた。


「魔物との戦いとか技術的な部分とかは、場数踏んだらどうにかなるかなって思ってさ。っていうか、どうにかしていくしかないでしょ。フラムリーヴェもいるし、絶対無理ではないと思うんだよ」

「それは、ええ。私も全身全霊で任務を遂行しますので。ですが、その……目立つ、という話については……」


 フラムリーヴェが言いにくそうに切り出す。ロレンスは、あー、と低い声を上げた。


「カント森林で、協会の精霊指揮士(コンダクター)に会ったでしょ」

「はい」

「あの人たちに見られた時点で、あきらめるしかないかなあと」

「……言いたいことはわかりました」


 協会所属の精霊指揮士に二人の顔を見られた以上、何らかの形で家族に伝わるだろう。エリゼオ・グラネスタはそのような報告を受け取る立場にいるのだ。


「いずれ父さんや兄貴たちには知られる。まああれだ、殺されなければよし、って気持ちでいるよ」


 ロレンスが下手な冗談を言うと、フラムリーヴェは表情を引き締めて胸に拳を当てた。


「万が一そのような事態になりましたら、私が全力でお守りします」

「わははー。頼もしい。そのときは、ごめんけど、よろしくね」


 乾いた笑いとともに紡いだ言葉は、決してお世辞などではない。〈浄化の戦乙女〉が味方でいてくれるのは、非常に心強かった。


「あと。契約を続ける一番の理由は……」


 言葉を続けようとしたロレンスは、しかし口ごもる。形にして、彼女に伝えてよいのかどうか。そんな迷いが声を阻んだ。


 しかし、フラムリーヴェは少年の葛藤をあっさり見抜く。


「ヒワ様ですね」

「……うん」


 ロレンスは、観念してうなずいた。膝の上で両手を組む。


「ヒワはもう心を決めてるんだ。それで、彼女なりに頑張ってる。それなのに、曲がりなりにも精霊指揮士である俺が逃げるのは、ちょっと違うよなって思って」


 思いを言葉にしてみると、体が少しむずむずする。ロレンスはぎこちなく笑って、頬をかいた。


「なんか、自分の理由じゃなくてあれだけどさ」


「いえ」と、フラムリーヴェが否定し――肯定した。


「その想いは、間違いなくあなた自身のものです。恥じることはありません。それに……私も、似たようなことを考えているのです」

「フラムリーヴェも、ヒワを気にしてたの?」

「ヒワ様のことももちろんですが、それ以上に、エルメルアリアが気がかりでして」

「エルメルアリアが?」


 ロレンスは驚いて、精霊人の口から出た名を繰り返した。他の精霊指揮士の追随を許さぬほどの力を持つ彼の、何が気になるというのか。ロレンスが尋ねると、フラムリーヴェは目を伏せた。


「確かに、エルメルアリアは精霊指揮士としては一流です。ヒワ様とも良好な関係を築けている様子ですし、魔物の送還や〈穴〉をふさぐことは問題なくやってのけるでしょう。ただ、だからこそ、彼は――」


 懺悔をするような口調で語ったフラムリーヴェ。ただ、彼女はそこで言葉を切った。息をのみ、激しくかぶりを振る。


「いえ、やめておきましょう。知らずに済むならその方がよい」


 ロレンスは眉をひそめる。さすがに釈然としなかった。


 フラムリーヴェが気にしていること。エルメルアリアの子供じみた言動のことだろうか、と最初は思った。しかし、それならば言葉を濁す意味はない。戦乙女が憂えているのは、もっと深い、何か。


 その何かがなんなのか、ロレンスにはわからない。情報が少なすぎるのだ。しかたなく、考えることをあきらめた。


「とにかく、我々の思いは一致しています。気に病む必要はありません」

「……そうみたいだね。よかったよ」


 心の底からそう言って、ロレンスは頬を緩める。気になることはあれど、焦って考える必要はない。今はとにかく、目の前の相手に向き合う。


「それじゃ、とりあえず。引き続きよろしくお願いします」

「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 二人揃ってお辞儀をする。指揮術仕掛けの照明の暖かな光が、照れくさそうな彼らの顔を照らしていた。



     ※



「それじゃあ、ロレンスも〈穴〉をふさいで回るんだね」


 ヒワが目を輝かせて問うと、ロレンスはゆっくりうなずいた。


「お試し期間はまだあるから、その間に心変わりするかもしれないけど」


 慎重な態度を装っているが、少年の表情はやわらかい。心変わりしそうには見えなかった。ヒワは長々と息を吐く。


「よ、よかったあ……」

「ヒワが安心するんだ」


 ロレンスは、心底不思議そうに首をかしげて、手元のグラスを持ち上げた。


 二人がいるのはヒワの自宅だ。その一隅、故郷の伝統的な様式を再現した部屋でくつろいでいる。精霊人(スピリヤ)の二人はいない。カント森林での出来事を報告するため、天外界に戻っているのだ。


 果汁入りの冷水を一口飲んだロレンスが、ヒワに青い瞳を向けた。


「俺がいなくたってどうにかなりそうだけど。エルメルアリアがついてるし」

「いやいや。確かにエラはすごいけど、二人だけじゃ限界あるよ。身近に仲間がいるってだけで安心するし」

「なるほど。確かに、俺も協力者がいなかったら、ちょっと考えたかもしれない」


 ロレンスは神妙な顔でうなずく。そんな彼に、ヒワは畳みかけた。


「それに、指揮術の話、まだまだ聞かなきゃだしね」

「……見違えたなあ。ちょっと前までは『指揮術なんてわたしには無理』が常套句だったのに」

「そ、それはそうでしょ。やったことなかったし、精霊指揮士(コンダクター)の親戚もいないし」


 唇を尖らせつつも、ヒワは友人の言葉を噛みしめる。


 本当に、この短期間でずいぶんと変わったものだ。


 あの日、商店街で魔物に襲われなければ。誰にも助けを請わなければ。エルメルアリアに出会わなければ、始まらなかったことばかり。二度としたくないような怖い経験もしたが、それさえも、過ぎてしまえば得難い宝物である。


 まだ何一つ終わっていない。これからも、信じられないようなことが起きるだろう。それでもヒワは、この任務を降りようとは思っていなかった。


「これからは、学んでいくしかないからさ。色々教えてくれると助かります」


 そう言って、ヒワは顔の前で手を合わせる。ロレンスは、どこか楽しげな様子で「もちろん。よろしくね」と答えた。


 そのとき、ふすまのむこうから声がする。


『ヒワち~。ロレンスくん。シルヴィーさん来たよ~』


 コノメの声だった。ヒワはすぐさま立ち上がる。ロレンスも、腰を浮かせた。


「わかった。今行く!」


 ヒワは襖に駆け寄る。引き手に指をかけ、友人を振り返った。


「ロレンスは準備しててね」

「はいよー。ぼちぼちやりますか」


 のんびり答えたロレンスが、足もとの鞄から教科書テクストとノートを取り出す。変わらぬ戦友ともに背を向けて、ヒワは襖を開けた。



(第二章 風と炎のコンチェルト・完)

(第二章裏話)

18でヒワが買ったけど使う機会がなかったレモンは、水に入れたりお料理に使ったりしたようです。


「どしたの、ヒワち。お菓子作りの本なんか見て」

「いやあ……レモンを使ったお菓子がないかなあ、と思って……」

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― 新着の感想 ―
第二章完結おめでとうございます!! 一ヶ月の試用期間とか言ってましたが、もうすっかりロレンスさんとフラムリーヴェさんは本契約だと思います!!(*'ω'*) エラさんヒワさんとはまたちょっと違うタイプの…
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