23 銀の剣士と泡の貴婦人
凍てついた視線が精霊人たちを射抜いた。二人とも、警戒はしても動揺はしない。フラムリーヴェが、動く魔物がいないことを確認し、大剣をしまった。
「誤解させてしまったのなら申し訳ありません。しかし、無秩序に暴れていたわけではありません。天外界より下りてきてしまった魔物を掃討していたのです」
「……何を考えている」
落ち着いた説明に、しかし男性は非難の声をぶつけた。精霊人二人が目を丸くする。フラムリーヴェの口から「は?」と力ない声が漏れた。
「貴様ほどの力を持つ精霊人が内界で術を使えば、精霊たちが過剰に活性化する。それを知らぬわけではないだろう」
「ですからそれは、魔物の掃討のためで――」
「貴様の目的が問題なのではない。貴様がここで術を使ったことが問題だ」
取り付く島もない。男性のまとう空気はすでに極限まで張りつめていた。すぐにでも剣を突き出しそうな勢いである。対するフラムリーヴェも、眉間にしわを刻んだ。二人の間に火花が散っているように、ヒワには見えた。
「何様のつもりだよ。だいたい、術を使った理由を訊いてきたのはそっちだろ」
刺々しい声が響く。ヒワは慌ててエルメルアリアを振り返った。しかし、彼女が止める前に、彼は男性をにらみつける。
「そこまで知ってるんなら、オレたちの力に制限がかかってることも知ってるだろ」
「制限がかかっていたとて、貴様らは強すぎる」
「んなことはわかってる。そんなに気に食わないんなら、〈銀星の塔〉か精霊指揮士協会に言え」
銀灰色の眉が跳ね上がった。その変化を見てか、エルメルアリアは傲然と胸を反らす。まさに一触即発。いつ敵意が爆発してもおかしくない中――男性の目の前で泡が弾けた。
「そこまでになさい、ルートヴィヒ」
清流のような声が響く。泡が次から次へと生まれては弾け、それは果たして生物の姿を取った。ヒワたち四人は唖然として『彼女』を見つめる。
「人魚……?」
ロレンスがうめくように呟いた。
男性の前に現れたのは、まさしく手のひらサイズの人魚であった。上半身は人間の女性、下半身は魚。魚の部分を覆う鱗は、目の覚めるような青色だ。
男性は彼女を見るや、ばつが悪そうに顔をしかめた。
「止めてくれるな、マール。彼らは――」
「めっ」
やはり青い髪を揺らし、人魚は男性の鼻先に人差し指を立てた。
「この子たちは恐らく、〈銀星の塔〉の指示で動いているのよ。正式なお仕事なの。それなのに、部外者のあたくしたちが口を出すのはよくないわ」
強い口調で言われて、男性はたじろいだ。しぶしぶ、といった様子で剣を収める。黙り込んだ彼の代わりに人魚が一礼した。
「ごめんなさいね。この子、精霊たちの変化に敏感なの。その上、近頃おかしなことがたくさん起こっているから、ちょっと神経質になっていて。お仕事の邪魔はしないから、許していただけないかしら」
「ええ……こちらに危害を加えなければ、問題はありません」
戸惑った様子でフラムリーヴェが答える。エルメルアリアは、黙ってうなずいた。人魚は「ありがとう」と顔をほころばせる。そして、胸に手を当てた。
「あたくしはマーリナ・ルテリア。生まれも育ちも『水底界』の水妖族よ。こちらは――」
マーリナ・ルテリアは、ちらりと男性の方を見る。彼はやはり無言だったが、彼女が視線を逸らさずにいると、観念したように口を開いた。
「……ルートヴィヒ」
ヒワたちにぎりぎり聞こえる程度の小声だった。それでもマーリナ・ルテリアは満足そうにほほ笑む。
「あたくしたちは二人で、大陸じゅうを旅しているの。お二人は天外界の方かしら?」
ガラス球を転がすような問いかけは、精霊人たちに向けられたものだ。フラムリーヴェがまっさきに応じる。
「はい。〈真朱の里〉のフラムリーヴェと申します」
「〈翠緑の里〉のエルメルアリアだ」
エルメルアリアもあっさりと名乗った。二人の名を聞いてマーリナ・ルテリアが「まあ」と目を丸くする。ルートヴィヒも驚いたような表情で彼らを見ていた。
「天外界の精鋭ね。お二人ともが内界にいらっしゃって、精霊指揮士と契約までしておいでだなんて、とっても大変なお仕事なのね」
相槌を打ちかけた精霊人たちはしかし、まじまじと人魚を見る。
「契約してるのがわかるのか?」
「ええ。あたくしは水妖族。精霊人ほどではなくとも精霊に近い存在だから、そういう匂いはわかるのよ。――後ろのお二人が契約者さんね?」
マーリナ・ルテリアはその場でくるりと回転し、得意げに笑う。
それまで蚊帳の外だった少年少女が、はっと目を見開いた。
「あー。えーと、そうです。フラムリーヴェの契約者、ロレンスです。エルメルアリアの契約者は、こっち」
「は、はい。ヒワです。よろしくお願いします」
二人とも、うろたえながらなんとか名乗る。姓を伏せたのは、まだこの男女を信用しきれていないからだ。精霊指揮士と関わりのないスノハラ家はまだしも、グラネスタ家は特定されれば間違いなく面倒なことになる。
彼らが肝を冷やしていることなど知る由もないマーリナ・ルテリアは「まあかわいらしい」と笑っていた。悪意や敵意は感じられない。しかめっ面のルートヴィヒもそれは同じだった。
ヒワたちが態度を決めかねている間に、マーリナ・ルテリアが手を振った。
「引き留める形になってごめんなさい。あたくしたちはもう行くので、お仕事頑張ってね」
軽やかに飛んで、ルートヴィヒの肩の上に収まった人魚は彼に向けて名をささやく。ルートヴィヒは、重いため息をついて、踵を返した。
「……指揮術の使用はくれぐれも慎重に頼む。あまりに精霊を乱すようであれば、今度こそ、斬るぞ」
「承知しました」
脅迫まがいの言葉に答えたのは、やはりフラムリーヴェだ。エルメルアリアは不満そうに鼻を鳴らしただけである。
別れの言葉はない。突然現れた男性は、水妖族の女性に咎められながらも去っていった。
後ろ姿は、すぐ枝葉に隠れてしまう。呆然と見送っていたヒワは、足音が聞こえなくなると、思わず呟いた。
「な、なんだったんだろ」
「さあな」
ため息をついたエルメルアリアが、ヒワのそばに飛んでくる。
「まあ、殺し合いにならなかっただけよしとしよう」
「そ、そう……だね?」
なぜそう物騒な想定をするのか。文句を言いたくなったのを、ヒワはぐっと堪える。ロレンスも物言いたげな表情だったが、黙ってフラムリーヴェのもとに歩いていった。
「ひとまず、先に進もうか。魔物の気配もなさそうだし」
「そうしましょう」
二人はヒワたちの方を振り返る。前に立ってくれ、と視線で訴えられたヒワは、慌てて友人の方へ走った。
※
「精霊たちが落ち着かないのは、彼らが原因ではないのか」
奇妙な四人組と別れた後、ルートヴィヒは呟くように問いかけた。かたわらを飛んでいたマーリナ・ルテリアが彼に顔を向ける。
「ええ。彼らの影響も多少はあるでしょうけれど、それだけではないわね。きっと、一番の原因は、あの子たちのお仕事に関わるモノよ」
「仕事、か」
ルートヴィヒはつかの間瞑目する。胸の奥から苦味がこみ上げた。
「仕事なんてする年齢ではないだろう。精霊人はともかく、あの子供たちは」
「あら。あなたがそれを言うの?」
「……だからこそ、だ」
笑い含みの問いかけに素っ気なく返す。自然と、剣に手が伸びた。
「少年の方はソーラス院の学生のようだったからまだ理解できるが……少女の方は、それですらない。契約に指揮術の腕は関係ないとはいえ、無茶だ」
それを聞いて、マーリナ・ルテリアが顔を曇らせる。
「そうね。あたくしも、少し心配だわ。でも、きっと大丈夫よ。あのエルメルアリアが認めた娘ですもの」
尾ひれを揺らした彼女は、いつものようにほほ笑んだ。ルートヴィヒは、やわらかな笑顔から目を逸らす。精霊に縁ある者たちの感覚は、ただの人間である彼には理解できないことがある。マーリナ・ルテリアが彼らに何を見出したのか。エルメルアリアがあの少女の何に引きつけられたのか。ルートヴィヒには見当がつかない。――きっと、本人たちもはっきりとはわかっていないのだろう。それでも信じている『何か』を、ルートヴィヒも信じるしかない。
「そうなれば、俺たちに今できることはひとつ、か」
「ええ。他世界からのお客人をおもてなしすることね」
笑声を立てたマーリナ・ルテリアが宙返りする。と、その姿は泡に変わった。ほどなくして、泡は小さな龍を形作る。人魚も龍も、数ある姿のひとつに過ぎなかった。
「近くに魔物の気配があるわ。行くのでしょう?」
「ああ」
ルートヴィヒはうなずいて、進む。
この程度のお節介は見逃してほしいものだ、と胸中で呟いて。