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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第二章 風と炎のコンチェルト
22/67

22 風と炎の協奏曲

 現れたのは背の高い男性だった。ロレンスたちのものよりも華やかなローブをまとっているが、その下からは丈夫そうな上着とズボン、大きな金具がついた白いベルトがのぞいていた。似たような服を見たことがある、とヒワは考えて、すぐに思い出す。王族のパレードを先導していた王室警備隊の制服だ。ただ、この男性からは軍人めいた硬質な空気は感じない。焦りをにじませた顔で四人を見て、全員が無事とわかると目もとを緩める。


「間に合ったようで、よかった。怪我などしていませんか」

「は、はい。ありがとうございます」


 慌てて頭を下げたのは、ヒワだ。精霊人(スピリヤ)たちは口をつぐんでいる。ロレンスは、ほっとした様子の男性と、光の壁とを見比べていた。


「ええと……これは、あなたの術ですか?」

「はい。この魔物は死霊の性質を持っているようだったので、とっさに……。効いているようでよかったです」


 男性も神妙な顔でそちらを仰ぎ見る。中では、まだ骨の魔物がもがいていた。


「……みなさん。危険ですので、引き返してください。どのみち、ここから先は立入禁止になっております」


 魔物から視線を外した男性が、かたい口調で言う。ヒワとロレンスは思わず顔を見合わせた。肩をすぼめつつ、ロレンスが前へ出る。


「それは精霊指揮士(コンダクター)でも、ですか」

「はい。立ち入りが認められているのは、実務経験三年以上の精霊指揮士のみです。君は見たところ、ソーラス院の学生ですね?」


 ロレンスがいつもの眠そうな表情でうなずく。男性は、「学生の立ち入りは全面禁止でして」と申し訳なさそうに続けた。


「こういう魔物が出るからですね」

「そうです。近頃、天外界にしか生息していないはずの魔物が、数多く目撃されています。この区域に()()のは今日が初めてですが……」


 ロレンスは、ますます眉を下げて振り返った。青い瞳に見られたヒワも、目を細める。魔物の行動範囲が広がっている――そんな憶測が、頭をよぎった。


「――失礼。よろしいでしょうか」


 張りつめた空気を、凛とした声が揺らした。


 戸惑う少年少女をよそに、フラムリーヴェが前へ出る。彼女を見た男性が、軽く目をみはった。


「あなたは、精霊人? それに、その紋章は〈真朱(しんしゅ)〉の――」

「はい。〈真朱の里〉の者です」


 フラムリーヴェは、自らの鎧をちらりと見てからうなずいた。


「我々は、天外界の魔物の送還と、彼らの発生原因特定のために参りました。この先へ立ち入る許可をいただけないでしょうか」


 無風の夜に置かれた灯火のような声が、事実を告げる。男性は何度もまばたきして、フラムリーヴェとロレンスを見比べた。


「いえ、その。精霊人は問題ないですが、学生さんは……」

「彼は私の契約者です。任務遂行のために、同行は必須です」

「け、契約!?」


 青ざめた男性を見て、ロレンスがすまなさそうに頭を下げる。絶句した男性は、しばらくしてから少年の斜め後ろを見た。


「もしかして……そちらの君も?」

「あ、はい。一応」

「契約相手はオレだ」


 会釈したヒワの後ろから、エルメルアリアが飛び出す。瞬間、男性の顔からさらに血の気が引いた。


「ま、まままさか……え、え――」


 そこから先は言葉にならない。怯えているようですらある。どう答えるべきかと、ヒワは困り果てていた。一方、フラムリーヴェがあっけらかんと同胞を見上げる。


「お知り合いですか、エルメルアリア」

「いや。面識はない、はず。ただまあ、何かの弾みで顔を知られた可能性はあるな」


 なぜか嬉しそうに答えたエルメルアリアに、いくつかの冷たい視線が注がれた。


「手間が省けたと喜ぶべきなのかどうか……」


 フラムリーヴェがため息まじりに呟く。そのときになって、やっと男性が正気に戻った。


「そ、そ、そういうことでしたら、許可が下りるかもしれません。確認してみますね」

「ありがとうございます」


 ヒワたちは、男性に深々と頭を下げる。歩き出そうとした彼らを、しかしエルメルアリアが呼び止めた。


「待った。その前に――あいつを送還させてくれねーかな」


 細い指が示したのは、少し元気がなくなった骨の魔物だ。男性は、緊張に全身をこわばらせつつも、首を縦に振った。



     ※



 男性に案内された先には、三人の精霊指揮士がいた。男性一人、女性二人で、いずれも年齢は三十歳前後であろうと思われる。男性からの説明を受けた彼らは、立入禁止区域へ入ることを認めてくれた。――疑るような視線を、ずっと四人に向けてはいたが。


 一行は、ロレンスを先頭にして精霊指揮士たちの横を通り過ぎた。ここまで案内してくれた男性は「お気をつけて」と言ってくれたが、あとの三人は無言で会釈だけをした。


 木の根や草花をまたぎながら進む。精霊指揮士たちの姿が木々に隠され、細い川が見えたところで、ロレンスが振り返った。


「あのさ。俺、後ろに下がっていい? 足遅いから、多分みんなに迷惑かける……」

「あ、うん。いいよ」

「そんじゃーオレが前に出るぞ」


 ヒワはどぎまぎと答える。その後ろからエルメルアリアが飛び出して、あっさり先頭に収まった。もともと、先ほどロレンスを前に立てたのは大人たちの目を気にしてのことだったので、誰も反対しない。


 ロレンスが木の枝にぶつかりながら後ろに下がったとき、森がざわざわと揺れた。肌寒いくらいであった森の小径に不自然な熱が流れ込み、あたりが急激に暗くなる。何事かと考える間もなく、そこらじゅうから低い羽音が響き渡った。


 エルメルアリアが飛び上がり、フラムリーヴェが大剣を取り出す。それと同時、木々の間から無数の黒い影が飛び出した。


「うわ来た」


 事実上の殿しんがりであるロレンスが、杖を取り出して腰を落とす。彼を狙った――わけではなかろうが、黒い影たちが一斉になだれこんできた。


 影の正体は、蜻蛉(とんぼ)。ただし、カント森林に元から棲んでいる蜻蛉ではない。体がやたら大きい上に、桃色や金色など鮮やかな色である。体が大きいのだから当然、複眼や羽も大きい。羽と体を合わせると、大人の顔ほどにもなりそうだ。その体からは絶えず金属をこすり合わせるような音が響いているが、それが鳴き声なのか羽音の一種なのかは判然としない。


 ともあれ、異様な蜻蛉たちは、新たにやってきた人間たちの方へ突進した。ヒワがヒヨドリの鳴き声ような悲鳴を上げてロレンスのローブの端を握ったとき、精霊人たちが飛び出した。


 エルメルアリアが先頭の一団に小さな竜巻をぶつけると、吹き飛ばされた蜻蛉たちは大半がそのまま逃げ出そうとした。エルメルアリアはすぐさま腕を振り上げる。浮き上がった小石が弾丸のように飛び、蜻蛉の羽をかすめた。二対の羽を傷つけられたものたちは、よろよろと飛行速度を落とす。


 逃げ出さずに突進してきた蜻蛉たちは、炎の鞭で撃ち落とされた。それすらもかいくぐったものたちは、フラムリーヴェの手刀で強引に叩き落とされる。そこから逃れたものは、エルメルアリアが起こした風や氷刃の嵐に巻き込まれて、もみくちゃにされた。


「間違っても焼き払うなよ、フラムリーヴェ!」

「わかっていますよ。だから剣をしまったんじゃないですか」


 エルメルアリアが木の葉を飛ばして蜻蛉の一匹を落とす。彼の言葉を聞いたフラムリーヴェが、眉を寄せつつ別の一匹を払いのけた。飛び散った火の粉が羽の端を焦がす。ただの蜻蛉であればそれだけで絶命しそうな熱であったが、天外界(てんがいかい)の魔力をふんだんに蓄えたこの蜻蛉は、弱る程度に留まっていた。


「しかし、どんな大所帯で〈穴〉を潜ってきたんだ? 多すぎだろ」

「これが人里に出たら大惨事になりますね」


 エルメルアリアの不意打ちを受けた最初の一団以外は、指揮術を向けられてもしつこく突進してくる。それ以上の攻撃の隙を与えずに無力化できているのは、二人が戦慣れした精霊人だからだ。


 一向に数を減らさない蜻蛉を、エルメルアリアがしかめっ面で見回す。一方フラムリーヴェは、紫色の瞳をきらめかせた。


「……が、倒し甲斐はありそうです」

「おっと。フラムリーヴェがやる気になった」

「実は、群れとの戦闘は久々なもので。『慣らし』に付き合っていただけませんか、エルメルアリア」


 フラムリーヴェが炎の球を飛ばしながら問う。問われた方は、それを避けた蜻蛉の一匹を両手で捕らえた。彼が短くささやきかけると、蜻蛉がぐったりと力を失う。動かなくなった蜻蛉を放したエルメルアリアは、戦乙女に湿っぽい視線を送った。


「そりゃ、あれか? 一時期やってた勝負みたいなことか?」

「ええ。より多く仕留めた方が勝ち、ということでいかがでしょう」

「いいぜ。再会記念につきあってやるよ」


 口の端を持ち上げたエルメルアリアが高く飛ぶ。彼はついでのように振り返って、叫んだ。


「ヒワ、ロレンス! できるだけこっちで倒すけど、取りこぼした奴らはそっちで仕留めてくれよ!」



 ――そんな呼びかけを受けて、ヒワは杖を握る手に力をこめる。一方、ゆるゆると構えたロレンスは眉間にしわを寄せていた。


「まったく、簡単に言ってくれる。……俺の契約相手も、なんか妙なこと言い出したし」

「ま、まあまあ。それで魔物の大半を引き受けてくれるんだし、いいんじゃないかな」


 ロレンスは寝不足の朝のように目を細めていたが、やがて表情を緩める。茫洋とした青い瞳が宙を見た。


「ま、それもそうだね。ぶつくさ言ってる暇もなさそうだし」


 さっそく、三匹ほどの蜻蛉が飛んできた。肩をこわばらせたヒワをよそに、ロレンスが杖をそばの木に向ける。上から蔓のような植物が垂れ下がって、枝にからみついていた。


「『レーネン・レーネン・ニュール』」


 呟くように詠唱し、杖の先を蔓に触れさせる。すると、蔓がひとりでに伸びた。


「『ピッテル・グローワース』」


 詠唱がつながる。伸びた蔓が跳ね上がり、意志を持っているかのように動いた。蜻蛉たちの体に巻き付き、暴れる彼らを押さえ込む。


 ヒワは唖然とする。彼女を一瞥したロレンスが、吐息をこぼした。


「俺にできるのはせいぜいこんなところだ。戦闘向きの指揮術は苦手なんだよ」


 そのぼやきが誰に向けられたものかは、定かではない。ぼんやりとした顔は、先ほどの蜻蛉に向けられていた。蔓で捕らえられたところをエルメルアリアに叩き落とされた。


 精霊指揮士()()()であってもここまでできるのか。ヒワが友人の術に感嘆していたとき、次なる蜻蛉が突っ込んできた。ヒワは杖の先を彼らに向ける。意識して右手から力を抜いた。


「よ、よし。わたしも――『ドード・ルフ』!」


 息を整え、乱れ飛ぶ魔力に意識を向けて。先の練習と同じ詠唱をした。


 ――しかし、想像していた暴風は吹かない。杖の先で、ぽひゅっ、と気の抜けた音が鳴っただけである。


「…………あれ?」


 少年少女の声が重なり、むなしく響く。


 そうしている間にも、蜻蛉たちが迫っていた。彼らの口にあたる部分から黄土色の液体が飛び出す。ヒワは、ぎょっと顔を引きつらせた。


「あ、わ……『フィエルタ・アーハ』!」


 とっさに叫ぶ。と、杖の先の石が輝きだした。精霊たちが吐き出した魔力が、熱を帯びてヒワのまわりを渦巻く。半透明の壁が四方を覆い、黄土色の液体と蜻蛉を弾き飛ばした。


 ヒワは、杖を突きだしたまま前方をにらむ。知らず呼吸が荒くなっていた。膝の震えを自覚したところで、すぐ隣から力の抜けた拍手が届く。


「結界張れたじゃん。おめでとう」


 ヒワの隣にいたために防御結界へ入ることとなったロレンスが、しかし動じずそんなことを言う。ヒワは一度大きく呼吸をすると、膝に手をついた。


「ま、ま、間に合ったああああ」


 遅れて、寒気が背中を這いあがる。一瞬とはいえ、巨大蜻蛉を間近で見てしまったせいだ。


 蜻蛉の拡大映像を思い出して頭を抱える。彼女の頭をなでたロレンスは、全く別のことを口にした。


「よかったね。あの液体を浴びてたら顔が溶けてたと思う。臭いし」

「ぎゃああああ! 恐ろしい情報を後出ししないで!」

「ええ……? 知っておかないと危険じゃん」

「それはそうだけど!」


 恐怖に恐怖を上書きされて、ヒワは涙目になった。そうこうしているうちに結界が薄らいでいく。精霊の魔力放出が止まったようだ。ヒワはとっさに後ろへ下がった。それに気づいたのか、ロレンスが入れ替わりで半歩前に出る。


「それにしても、あの指揮術が不発とはね」


 彼が何を指してそう言ったのか、ヒワにはすぐわかった。気の抜けた音を思い出してうなだれる。


「エラに助けてもらわなかったら、あんなものかあ」

「……いや。そういうわけでもないと思う」


 ロレンスが考え込むような表情で呟いた。ヒワは弾かれたように顔を上げる。


「どういうこと?」

「うーん。まだ確証が持ててないから、なんとも」


 曖昧に答えた少年は、杖を持ち上げた。


「もうちょっとデータ取りたいけど、今はそれどころじゃないか」


 鮮やかな桃色の体を持った蜻蛉が数匹飛んでくる。弱ってはいたが、ヒワたちに確かな敵意を向けていた。


「『グラッカ・ピッテル』」


 ロレンスが楽団の指揮者のように杖を振る。小石がいくつも浮き上がって、蜻蛉めがけて飛んだ。


「まずはここを切り抜けよう。ヒワはしばらく結界担当ね」

「わ、わかった」


 ヒワは何度もうなずく。視線の先で、紅蓮の炎が細く渦を巻いていた。



     ※



 ほどなくして、色とりどりの蜻蛉はすべて倒された。エルメルアリアがまとめて天外界に送還する。静まり返った森の中、一行は安堵して先へ進んだが、これで一件落着とはいかなかった。その後も立て続けに魔物が襲ってきたのだ。


 巨大なねずみが口を開ける。青白い炎が吐き出された。エルメルアリアがすぐさま水の壁を作り出し、炎の吐息をすべて防いだ。白い湯気が立ち込める中、ねずみは不快そうに頭を揺らす。頭上に咲いた大量の花が揺れて、色鮮やかな花びらが舞い落ちた。そのどれもが天外界の花だ。


「『グラッカ・フラーヴ』!」


 いつもより少し鋭いロレンスの声が湯気を割る。詠唱とともに振られた杖の動きに合わせ、小石や岩が浮き上がった。瞬間、剣を握ったフラムリーヴェが飛び出す。岩の空中階段を軽やかに蹴りつけた。蹴られた石や岩は、ねずみの方へ飛んでいく。そのたびに、ぱしぱしと乾いた音がした。


 フラムリーヴェは、最後の一段を蹴ると同時、大剣を振り上げた。紅い刃が炎をまとう。ねずみが甲高い声を上げる。彼女はそれを無視して、剣を打ち下ろす。斬撃よりも殴打に近い一撃が、頭上の花もろともねずみを焼いた。花の中心部から弾け飛んだ黒い粒が、火の粉とともに飛び散る。実――ではなく、高濃度の魔力が薄皮に包まれたものだ。


「『フィエルタ・アーハ』!」


 ロレンスの背後に控えていたヒワは、杖をロレンスに向けた。自分と彼のまわりに魔力が集まるのを感じて、ほっと息を吐く。半透明の壁は、飛んできたものをすべて弾き飛ばしてもなお、残り続けた。


 ヒワの視線の先で、エルメルアリアが三度手を叩く。


「〈銀星の塔〉の名の下に、権限を行使する――」


 そのささやきに反応してか、魔力がぐうっと動いたように、ヒワは感じた。実際は、精霊たちが動いたのだろう。彼のまわりに魔力が集う代わりに、何も手を加えていない防御結界が薄らいで消えていく。


「――門よ開け、魔の者を彼方あなたへ還したまえ」


 透明なことばが、波紋のように広がった。船べりから見る町の夜景を思わせる光の粒とともに、白い門が現れる。


 ねずみがより激しく威嚇の声を上げ、門に向かって突進した。しかし門はこゆるぎもせず、開く。開き切ると同時、ねずみは光となって崩れ落ち、そのまま門の先へと吸い込まれていった。


 役目を終えた門は、やはり音もなく消えていく。それを見届けて、エルメルアリアが手を払った。


「送還はお早めに、と。花の種やら花粉やらがこっちに残ったら、何が起きるかわからないからな」


 ロレンスが顔をしかめて何度もうなずく。フラムリーヴェもひとつうなずいて剣を下ろした。


「さて……今のでちょうど七十体目ですか」


 彼女が呟いたのは、『勝負』を持ち出してから今までに倒した魔物の数だ。それを聞いたエルメルアリアが、かぶりを振る。


「今のはヌシ級の個体だったから、一体で二体扱いだぜ。てわけで七十一体だ」

「そうでしたね。ちなみにそちらは何体ですか?」

「さっきのねずみと鉢合わせる前に、子分を一掃したから……ざっと八十三体ってところだな」


 指折り数えたエルメルアリアを見て、フラムリーヴェが「むう」と顔をしかめる。


「やはり手際がいいですね」

「そうか? でかいのを倒してる回数はそっちの方が多いから、手際の良さは同じくらいだろ」

「なんですかその余裕。さすがの私も怒りますよ」

「なんでだよ」


 腰に手を当てたフラムリーヴェに対し、エルメルアリアが唇を尖らせる。


「というか、その勝負いつまで続けるの……?」


 ロレンスがうっそりと呟いた。声が小さかったせいで精霊人(スピリヤ)たちには届いていない。聞き取ってしまったヒワは、まあまあ、とでも言うように苦笑して手を振った。


 そのとき、再び森がざわめく。寒気を覚えたヒワは、とっさにエルメルアリアを見た。彼も表情を引き締めている。


「ま、また来た?」

「来たな。ったく、こんな調子じゃ先に進めやしない」


 いらだたしげに呟いて前へ飛ぶ。ロレンスとフラムリーヴェも、それぞれに得物を構えた。


 刃物を研ぐような音とともに、前方を黒い影が埋め尽くす。今度現れた魔物は――蛇の形をしていた。


 ヒワはかつてないほどの悲鳴を上げて杖を突きだす。その声に驚いたロレンスが、ローブに覆われた肩を跳ねさせた。


「うわっ、どうしたのいきなり」

「むりむりむりむり! あれは無理!」

「え。ヒワって虫以外は割と平気じゃなかったっけ」

「大群で来られるのは無理! 気持ち悪い!」


 杖を構えたままじりじりと後ずさる。それをちらと見たエルメルアリアが、さりげなくヒワの前へ移動した。契約者が落ち着いているからか、フラムリーヴェは位置を変えない。


「ロレンスは平気なのですか」

「ああ。俺は慣れてる。ほら、霊薬学の講義や試験で、解剖したり体の一部を薬に漬けたりするから」

「なるほど」

「気持ち悪いとは思うけどね。普通の蛇じゃないし」


 木陰から現れた魔物たちは、大まかな形こそ蛇だが、一般的な蛇とひとくくりにするにはあまりに異質だった。まずもって、体の幅が大きい。エルメルアリアを一飲みにできそうな大きさだ。そして、長い体のあちこちに目らしきものがついている。瞳にあたる部分がきょろきょろと動いているので、模様でないのは確かだ。ヒワたちを威嚇するように開かれた口からは、立派な牙と細い舌がのぞいていた。


「あれは多少焼いても構いませんよね」


 フラムリーヴェが大剣に炎をまとわせながら言う。そばにいたロレンスが「いい、んじゃないかな」と曖昧に答えた。


「ちょっとくらい焼いたところで、死なないだろうしな」


 付け足すように言ったエルメルアリアが高度を上げる。その動きに反応したのか、蛇たちは一斉に飛びかかってきた。


 さっそくエルメルアリアが大風を起こす。それは蛇の群れを文字通りまっすぐに切り裂いた。風の進路上にいた蛇たちが細切れになる。体はすぐにくっついたが、体力までは戻らないらしく、動きは大きく鈍った。


 風の勢いが収まらぬうちにフラムリーヴェが切り込んだ。彼女が大剣を振るうたびに火が蛇たちの上に降りかかる。それは風を受けて大きく燃え上がった。しかし、決して魔物の群れの外にまでは広がらない。


 精霊人たちの猛攻によって、魔物の群れはだんだんと無力化されていく。ロレンスが合間を縫うようにして、森を利用した指揮術を振るった。


 ヒワは、彼に言われた通り防御結界を張ることに専念している。何度か同じ詠唱を続けているうち、あることに気づいた。


 結界が現れている時間にばらつきがあるのだ。一発の指揮術を防いだだけで消えてしまうこともあれば、数度防いでも消えないこともあった。


 もしかしたら、少し前にロレンスが言いかけたのはこのことかもしれない。ヒワが思い至ったとき、再び炎が蛇の群れを焼いた。


 フラムリーヴェが倒れた蛇たちを飛び越えて、最後の一匹に迫る。執拗な噛みつき攻撃や不気味な光線を軽々とかわして、得物を構えた。


 そのとき、彼女に追いついたエルメルアリアが目をみはる。


「フラムリーヴェ、避けろ!」


 彼が言い終わる前に、フラムリーヴェは跳んだ。


 ――刹那、白い光が宙を走る。雷撃のような音とともに、蛇の首が落とされた。


 少年少女は言葉を失い、精霊人たちは身構える。左側の木立をにらんだフラムリーヴェが大剣を持ち上げた。


「何者ですか」

「――それはこちらの台詞だ」


 誰何(すいか)の声に、答えにならない答えが返る。


 草を踏む音がして、木立の先から人が現れた。暗い銀髪が目を引く男性だった。北風のような魔力の残滓をまとう彼は、抜き身の剣をフラムリーヴェに突き付ける。


「貴様のような精霊人が、なぜこちらの世界で暴れている?」


 問いかける声もまた、北風のようだった。

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― 新着の感想 ―
蜻蛉に続いてネズミや蛇も……つぎつぎ魔物がでてきてキリがないですね(;´・ω・) 早く穴をみつけて塞いでしまいたい!! 北風さんはエラさんやフラムリーヴェさんを見て、天外界から悪さしに来たくらいに思…
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