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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第二章 風と炎のコンチェルト
21/67

21 骨の魔物とはじめての指揮術

 骨の魔物は叫びながら頭を振った。体にまとわりついていた泥のような物体が四方八方に飛び散る。勢いよく飛んできたそれを、エルメルアリアは宙を駆けて回避した。ヒワたちのまわりに飛んできたものは、フラムリーヴェが叩き落とす。――彼女の動作に合わせて炎が舞うのを見て、ロレンスが目をみはった。


「おらっ!」


 エルメルアリアが両腕を振る。風が起こる。成分不明の泥が、一瞬にして払拭された。風を受けて少しだけ後退した魔物が、鬱陶しそうに頭を振る。どこから湧き出してきたのか、先ほど飛んだぶんだけの物体がまた骨にへばりついていた。


「エ、エラ! 無理しないでね!」


 退避したヒワは叫んだ。がくがく震える膝からは意識を逸らしている。下草を指揮術で伸ばして魔物を足止めしたエルメルアリアが、肩越しに振り返った。


「心配すんな、今から全力は出さねえよ。こいつにはヒワの練習台になってもらうんだからな」

「そ、そういう意味ではないんだけど……ありが、とう?」


 ヒワは一応お礼を言う。この後自分があの魔物の相手をしなければならないらしい、というおぞましい現実については、考えないことにした。


 楽しげなエルメルアリアは一気に上昇し、腕を振った。空気中の水分が集まってひとりでに凍りつく。そうして生まれた氷の刃が、骨と骨の境目に突き刺さった。耳をつんざくような悲鳴が響くが、魔物の体に傷らしきものは見当たらない。再び飛ばされた泥を風の壁が弾いた。


 それを見ていたフラムリーヴェが、一歩下がる。


「ロレンス。よろしければ、指示を」

「えっ」


 水を向けられたロレンスが硬直する。精霊指揮士(コンダクター)見習いが指示に慣れていようはずもない。しばらく考え込んだ彼は、前方の戦場を指さした。


「ひとまず、エルメルアリアを手伝ってあげて。……ただし、深追いはしないように」


 フラムリーヴェは、ひっそりと付け足された言葉まで余さず聞き届けた。


「了解しました」


 端的に答えると、地を蹴って飛び出す。黒い背中を見送ったロレンスが、疲労のにじんだ吐息をこぼした。


 一方、エルメルアリアは少し距離を取って敵の挙動を観察していた。


 そんな彼をにらみつけた魔物が、足に絡みつく草を引きちぎり、声を上げて突進してくる。頭突きを飛んでかわしたエルメルアリアは、その脳天に指揮術を叩きこんだ。刃と化した木の葉が頭蓋骨に降りかかる。間髪入れず、土の弾丸が体の骨を叩いた。いらだたしげに足踏みした魔物は、その場で上下に頭を振り、体をくねらせる。再び飛んできた泥を、今度、エルメルアリアは風をまとった手で打ち払った。しかし、払ったそばからいっとう大きな塊が飛んできて、細い手首にへばりつく。


「いっ……てえな!」


 エルメルアリアは顔をゆがめた。叫びに呼応して、頭上に水の球が現れて、弾けた。魔力が生み出した水は、手首の泥を残らず流してさらっていった。しかし、一息つく暇もない。次々と泥が飛んでくる。


 そのとき、空が紅く輝いた。宙を走った炎が、泥を残らず焼き払う。炭化した泥の間を黒い影が飛び、鹿の頭蓋骨に強烈な打撃を叩きこんだ。


 轟音が天を揺らし、木々をしならせる。


 その中にあって冷静なエルメルアリアのもとに、戦乙女が舞い降りた。


「無事ですか、エルメルアリア」

「ぴんぴんしてるぜ。援護どうもな」


 ドレスをなびかせ飛びのいたフラムリーヴェは、ひとつうなずき、得物を構え直す。――柄が黒く、刃が紅い大剣だ。美しい波型の刃のまわりに細く火がまとわりついて、熱と光を放っている。


「あの骨、硬いですね。本気で殴ったのですが」

「あんたの本気で罅も入らねえのは相当だな」


 エルメルアリアは手首をさする。


「硬いだけじゃない。あの()()()()も危ないぜ。さっき、電撃みたいな痛みが来た」

「……酸でも入っているんでしょうかね」

「嫌な想像するんじゃねえよ」


 真剣そのものの顔で呟くフラムリーヴェに、エルメルアリアは湿っぽい視線を向ける。骨は、二人をにらんで動かない。大剣の一撃を警戒しているのだろうか。


 一方、精霊人(スピリヤ)たちの契約者はというと、一連の戦いを呆然として見ていた。


「これが精霊人か……無詠唱であんなぽんぽん術使う人、初めて見た……」


 ロレンスがうめくように呟いている。ヒワは相槌を打つことすらできなかった。黒い泥がエルメルアリアの体に付着したあたりから、目が離せずにいるのだ。


 二人が自分たちの方へ下がってくると、ヒワはすぐさま半歩前に出る。


「エラ、大丈夫?」

「平気。ご覧の通り、すぐ流したからな」


 振り返って笑う彼は、いつもと変わらない。ヒワはほっと息を吐いた。一方、ロレンスはフラムリーヴェの大剣をしげしげと見てる。


「……その剣、どこから出したの?」

「いつもそばに置いていますよ。目立つので、普段は存在を隠しているのです」


 フラムリーヴェが大剣を握り直す。ロレンスは「あ、そうなの」と棒読みで返事をした。明らかに顔が引きつっている。


「……にしても。なんだ、あいつは? 明らかに森の魔物じゃねえだろ」


 エルメルアリアが、骨の魔物をちらとにらむ。フラムリーヴェも、紅い刃をそちらに向けた。


「あんなもの、天外界(てんがいかい)でも見たことありませんよ」

「まじで地下魔界の方にも〈穴〉が開いたのかな」

「そんなことになれば、〈銀星の塔〉から通達があると思いますが……」


 重たいやり取りを聞き、人間たちも顔を見合わせる。予想以上に深刻な事態になっているようだった。


「あの……これ、わたしの練習がどうとか言ってる場合じゃないんじゃ……?」

「いや。練習はしようぜ。妙ではあるけど、倒せない相手じゃないからな」


 おずおずと踏み出したヒワの言葉を、エルメルアリアがあっさり切り捨てる。雨に濡れた子犬のように縮こまった彼女の背中をロレンスがさすった。


 消極的な人間たちをよそに、やる気になったのがフラムリーヴェである。無表情な顔にしかし熱意をたぎらせて、大剣を構えた。


「そういうことでしたら、足止めは私が引き受けましょう」

「お、助かる。けど、無理はすんなよ」

「心配ありません。未知の魔物との戦い方は、十分心得ております」


 力強く言い切ったフラムリーヴェに、エルメルアリアは肩をすくめてみせる。〈浄化の戦乙女〉などと呼ばれるくらいだ。戦闘に関していえば、エルメルアリアよりも慣れているかもしれなかった。


「では――向かってもよろしいでしょうか、ロレンス」

「あ、はい。気をつけてね」


 ロレンスがどぎまぎと手を振ると、フラムリーヴェはうなずいて飛び出していった。すぐさま紅蓮の炎と黒い泥がぶつかり合う。


「さて、と」と呟いたエルメルアリアが、ヒワの耳元で止まった。

「ヒワ。まずはいつものように、魔力の流れを意識してみろ」

「わかった」


 ヒワは上ずった声で返事をして、目を閉じる。ほどなくして、ふたつの大きな流れを拾うことができた。濁った灰色の渦と、花火のように弾ける熱くて赤い花。そのことを伝えると、エルメルアリアは満足げにうなずいた。


「自力でそこまで追えるなら十分。それじゃあ――ここからは、力業だ」

「力業?」


 エルメルアリアは答えず、ヒワの首筋に手を当てる。


「目ぇ閉じてろ」


 ヒワは言われた通りにした。全身がこわばっている。緊張のせいか、手足がしびれてきたような気がした。


「……よし。目、開けていいぜ」


 再びの声に従い、ヒワは瞼を上げる。そして、言葉を失った。


 ――知らない世界が広がっている。


 先ほどまでうっすらと感じていた渦と花の色が、はっきりと目に見えていた。それだけでなく、枝の一本一本、葉の一枚一枚から『何か』のさざめきが聞こえてくる。あらゆる生命がひとつの音楽を奏でているようで。その圧倒的な力を前に、膝をついてしまいそうだった。


「こ、これ……なに、これ」

「オレの感覚を一部ヒワに共有した。長くは続けられないから、手早く済ませるぞ」


 立っているのがやっとのヒワを、横からエルメルアリアが支える。ヒワ自身は返事もままならず、口を開閉させていた。


「あのう、エルメルアリア。始める前にちょっといい? 手早く済ませるから」

「おっ。どうした、ロレンス」


 おどおどとエルメルアリアに声をかけたロレンスが、ヒワのすぐ隣に歩み寄る。


「ヒワ。杖についてだけど」


 それまで遠く聞こえていた声が急激に近づいた。ヒワはしきりにまばたきして、精霊指揮士見習いの少年を振り返る。


「つ、杖?」

「うん。まずは、まっすぐ立って」


 以外にも大きな手が背中を叩く。軽い衝撃を受けて、ヒワは自然と背筋を伸ばした。


「杖は利き手で、先の方――自分の体側を持つ。この杖の太さなら、そうだな。三本の指で支えて、薬指と小指は添えるだけ。そう、いい感じ」


 淡々と言いながら、彼はヒワの手の位置を調整していった。ヒワがなんとか言われた通りの形を作ると、ロレンスは「よくできました」と言って半歩下がった。


「あと、今回の場合、杖は標的に向けて、なるべくブレさせないこと。今は色々()()()()と思うけど、惑わされないように」

「は、はいっ」


 つい敬語で返事をしたヒワは、杖を骨の魔物の方へ向けた。濁った渦はまだ見える。恐怖と生理的な嫌悪感が湧き上がってくるのを、口を閉じて耐える。


 それを見守っていたロレンスが、途端に情けない表情になって頭を下げた。


「――えー。口出し失礼しました」

「いや、オレも勉強になった。こちとら杖なんて使わないからな」


 二人から少し距離を取っていたエルメルアリアが、再び戻ってきた。


「さて、ヒワ。魔物の魔力は()()()か? 精霊どもの声は聞こえるな?」


 耳元でささやく声は、知らない音のようだった。ヒワは深く考えることなくうなずく。


「あんたは今、精霊どもの指揮者だ。好き勝手にしゃべっている奴らに魔力を吐き出させて、魔物にぶつけてやる。それがあんたの仕事だ」


 いきなり言われても困る。できるわけがない。そう叫びたかったが、ヒワの思いは声にならない。呼吸と精霊たちの声に気を取られて、自分の声が出ない。


 しかし、表情には出ていたらしい。エルメルアリアの語気が強くなった。


「臆するな。怯えるな。精霊どもはすぐ見抜く。精いっぱい、虚勢を張れ」


 その言葉には、妙な実感がこもっている。ヒワは反発することなく、魔物に視線を固定した。


 小さな手が、肩に触れる。


「さあ、やれ、ヒワ。風も木も水も、今はあんたの思うままだ。詠唱ひとつであんたがすべてを動かすんだ」


 号令を。


 そうささやかれた瞬間に、ヒワは息を吸った。頭の中にひらめいた言葉を、力いっぱい吐き出す。


「『ドード・ルフ』!」


 精霊たちの声が、ひとつになった。一斉に吐き出された熱がまとまり、限界まで膨らむと、弾けて大気に溶けてゆく。それと同時に吹いた突風が、木々を激しく揺らした。


 ロレンスが杖を振って何かを叫ぶ。赤い貴石が輝いて、彼らのまわりを半透明の壁が囲った。風がさえぎられ、木の葉や枝が壁に弾かれる。


「フラムリーヴェ!」


 ヒワの体を支えたまま、エルメルアリアが呼びかけた。壁――防御結界のむこうで魔物と殴り合っていたフラムリーヴェがすぐさま高く飛ぶ。エメラルド色の輝きを運んだ風が、彼女の下をすり抜けた。風は鋭い刃となって、魔物のほねを切り刻む。切断された個所に泥がまとわりついて修復していくが、風の猛攻にそれが追いついていなかった。


 絶叫する。体が揺らぐ。倒れこそしなかったが、魔物の動きは明らかに鈍った。切り刻まれた骨の粉が、ばらばらと落ちる。


 風はすぐに収まった。同時、すさまじい疲労感を覚えて、ヒワはいよいよ膝をつく。


「お疲れ」


 そう言って、エルメルアリアがヒワの肩を叩いた。そこらじゅうから聞こえていた声が波のように遠ざかる。恐る恐る顔を上げてみると、魔力の色彩も見えなくなっていた。


 ヒワは、杖を両手で握りしめる。


「いま――今の、わたしが、やったの?」

「そう。ヒワがやったんだぜ」


 エルメルアリアがなんでもないことのように答えた。


 あの風を起こした。指揮術を使った。その実感が胸に迫って、ヒワは唇を噛む。


「一発目で()()はすごいな。俺なんて、最初はおならみたいな煙しか出せなかったのに」


 しみじみとした呟きが降ってくる。ロレンスが、少し屈んで手を差し伸べた。ヒワは、お礼とともにその手を取って立ち上がる。照れたように笑う彼女に、ロレンスが微笑を返す。


 二人を見ていたエルメルアリアが、そこで指を鳴らした。


「記念すべき一発目をぶちかましたことだし……あとはあいつを倒すか。二人も手伝え」


 一転して、ロレンスがうなだれた。


「うっ……しかたない……」

「えっ。わたしも?」

「当たり前だろ。あんたも立派に精霊指揮士だ」


 たった一回の指揮術でへとへとになっていたヒワは、精霊人に恨みがましい目を向ける。隣では、ロレンスが嫌そうに杖を握り直していた。ヒワも仕方なく杖を片手で持ち、魔物たちの方へ目を向ける。


 気の進まない人間たちをよそに、戦場は動き出していた。魔物をけん制するように大剣を突きつけていたフラムリーヴェが、あるとき素早く飛びのく。一瞬前まで彼女がいた場所に、頭蓋骨が突っ込んできた。


「まだ動きますか。しぶといですね」


 言いながら、フラムリーヴェは宙を蹴る。黒い泥を片っ端から切り裂き、焼き払った。いらだたしげな声を上げた魔物は、やたらと長い尾骨を振り回す。鞭のようにしなったそれを、フラムリーヴェは容赦なく蹴飛ばした。相手が頭蓋骨を振ろうとするのを見つけ、大剣を消す。魔物の眼前まで飛ぶと、頭を容赦なく押さえつける。


 数秒の力比べののち、魔物が拘束から抜け出した。さすがに敵を警戒したのか、緩慢な動作で距離を取ろうとする。しかし、フラムリーヴェは容赦なく距離を詰めた。背骨の真上に躍り出ると、再び取り出した大剣を叩きつける。


 悲鳴が上がる。それでも魔物は止まらない。全身を使った攻撃を、フラムリーヴェは何度も得物で防いだ。そのたび、轟音が木々を揺らす。


 くうを滑って魔物の足もとに潜り込んだフラムリーヴェは今度、片手を挙げた。あかあかと燃える炎が動きに合わせて揺らぐ。それを太い骨同士の境目に投げつけようとして――動きを止めた。


「むっ」


 炎を消して、大きく飛びのく。精霊たちが、一斉に魔力を吐き出した。


「『セレア・ミーレル・コーディア』」


 この場の誰のものでもない声が、詠唱を紡ぐ。


 精霊の歌に合わせて、四方八方で光が灯った。その光は魔物の方へと伸びて、薄くも巨大な壁を作り上げる。


 光の壁に囲まれた魔物は、途端、もがき苦しみだした。その様子を見ながら、フラムリーヴェがヒワたちの方へじりじりと戻ってくる。ロレンスがすぐさま踏み出した。


「フラムリーヴェ、無事?」

「はい。私は問題ありません」


 恭しく応じたフラムリーヴェは「しかし」と光の壁を見上げる。


「これはあなたやエルメルアリアの術ではありませんね?」

「うん。こんなどでかい術、俺使えない」


 ロレンスはきっぱりと言う。その影から、小さな少年が顔を出した。


「オレは使えるけど、使ってない。この手の術は加減を間違えると魔物が消滅するからな。――もちろん、ヒワでもない」


 つまりは、第三者の指揮術だ。


 精霊人たちが顔をしかめる。それまで呆然としていたヒワも、ようやく状況をのみこんだ。


「えーと。それって……まずくない?」


 ヒワが、エルメルアリアを見上げたとき。


「ご無事ですか!」


 魔物のむこうから、見知らぬ人物が駆けてきた。

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― 新着の感想 ―
地下魔界とも穴ができてしまっている可能性!?これは心配です(;´・ω・) 精霊術を使う練習がとても素敵でした! 精霊の力を感じて使わせてもらうのが本当に指揮をするような感覚なのだなと思ったし、杖の持…
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