19 友達と、友達予備軍
「エ、エラ。この人と、知り合い?」
ヒワは、恐る恐る問いかける。すると、ようやくエルメルアリアが振り返った。
「おう。友達予備軍だ」
「……はい?」
返ったのは、冗談か本気かわからぬ答え。それを受け止め損ねたヒワは、素っ頓狂な声で聞き返した。が、エルメルアリアは訂正も繰り返しもしない。
少女はそうっと相手の方をうかがった。彼女――フラムリーヴェは、深くうなずいている。
「そういうことになっていますね」
ヒワはいよいよ返答に窮した。彼女の困惑を察してか、エルメルアリアがまじめくさって付け足す。
「警戒しなくていいぜ。あいつは味方だ。オレと同じで、世界の〈穴〉と魔物どもに対処するために派遣されているからな。ジラソーレで契約者を見つけたから、同じ町にいるオレたちの様子を見にきた……ってところだろ」
なめらかな解説を聞いて、フラムリーヴェが目を細める。
「相変わらず理解が早いですね。そういうところは頼もしいのですが」
「おうおう、なんか含みのある言い方だな」
「そうでしょうか。気にしすぎでは?」
「……相変わらず、いい性格してやがる」
淡白なフラムリーヴェに、エルメルアリアが引きつった笑みを向ける。険悪なようでいて、どこか気安さも感じられた。そのことに安堵しつつ、ヒワは女性の隣に目を向ける。
「それで、フラムリーヴェさんの契約者が……ロレンス?」
その言葉に誘われて少年の方を見たエルメルアリアが、首をかしげる。
「契約者の方はヒワの知り合いか?」
「うん。友達」
「そりゃまた、妙なことになったな」
エルメルアリアが、やれやれとかぶりを振る。彼の一言は間違いなく、この場の全員の胸中を代弁していた。
「まったくです」と同意したフラムリーヴェが、人間たちを順繰りに見た。
「ひとまず、落ち着ける場所で情報交換をしませんか。双方混乱しているようですので」
「賛成だ。――ヒワもそれでいいか?」
「うん」
エルメルアリアが、宙に浮いたままヒワを振り返る。ヒワは、友人の様子を気にしつつもうなずいた。
四人はひとまず近くの公園へ移動した。無人というわけではない。犬を連れた男女が三人ほど、ベンチに腰かけてくつろいでいる。人がまったくいない場所を探す方が難しいので、妥協するしかないだろう。
小さなエルメルアリアには上手く隠れてもらい、どうしても目立つフラムリーヴェは、ソーラス院のローブをまとって鎧を隠してもらうことにした。彼女が虚空からローブを取り出すのを見て、ヒワはたまげた。その横でロレンスが複雑そうな表情をしていたが、その理由をヒワは知らない。
公園の隅に固まったところで、フラムリーヴェがヒワを見た。
「先ほどはお騒がせしました。改めて、フラムリーヴェと申します。よろしくお願いいたします」
「い、いえ。ヒワ・スノハラです。よろしくお願いします」
見本のような礼を披露した精霊人に、ヒワは慌てて返礼する。顔を上げたところで、表情をやわらげた彼女と目が合い、さらにどぎまぎした。
ぎこちないながらも和やかな二人のそばでは、エルメルアリアとロレンスが対面していた。
「ひゃ、わ……あ、あなたがエルメルアリアさん、ですか? あ、あの……?」
「そうだ。よろしくな。えっと――」
ロレンスは気の毒なほどに目を回している。エルメルアリアはまったく気にしていなかったが、名前を呼ぼうとして小首をかしげた。当然、それに気づいた方は、さらに動揺した。
「あ、ロ、ロレンス・グラネスタです! よよ、よろしくお願いします!」
「ロレンスか。ヒワの友達なら、敬語はいらないぜ」
「へぁ!? いやそんな、恐れ多い……」
「……親しくなりたいのか、そうでないのか。あなたの距離感が未だによくわかりませんよ、私は」
正気を失いかけている契約者を見かねてか、単純に呆れてか。フラムリーヴェがため息まじりに割って入る。エルメルアリアは彼女を見て、わざとらしく頬をふくらませた。
「喧嘩を売ってこない相手となら親しくしたいさ。おかしなことか?」
「それ自体はおかしくないですよ。ただ、だったら普段の言動はなんなのかという話で……」
「事実を言ってるだけだ」
彼は、ふんぞり返ってそっぽを向く。
「…………なんか、思ってたのとだいぶ違うんだけど……」
呆けていたロレンスが、呟く。ヒワは、なんとも言えず、乾いた笑い声を漏らした。
自己紹介とロレンスの動揺が落ち着いたところで、互いの事情を打ち明けた。まずはロレンスとフラムリーヴェが話し、それが済んだらヒワとエルメルアリアが今日に至るまでの経緯を説明した。
ひと通り事情を把握すると――ロレンスたちが頭を抱える。
「一般人相手に契約するなんて……。あなたという人は、本当に……」
フラムリーヴェが眉間にしわを寄せる。明らかに説教したそうな同胞を見て、エルメルアリアが反論した。
「しょうがないだろ。オレは何もしてねえ。ヒワの言葉が契約の詠唱になったから、それを受諾しただけだ。あの状況で、受諾する以外の選択肢があるか?」
「まあ、ないでしょうね。あなたの場合は特に」
一応はエルメルアリアの言い分を認めたフラムリーヴェ。しかし、まだ何か言いたそうな顔をしている。一方ロレンスは、力ない視線をヒワに向けた。
「『魔力が宿り、精霊たちを引きつけることができれば、簡単な文言でも詠唱になる』……それを証明した人が、こんな身近にいたとはね」
彼とフラムリーヴェのやり取りを知らないヒワは、曖昧に笑うしかなかった。
「あーでも、納得。だからいきなりエルメルアリアのことを訊いてきたんだ」
「そういうわけなのです。黙っててごめん」
「いや、ヒワは正しいよ。精霊人と契約したなんて話、うかつにしない方がいい。精霊指揮士相手なら、なおさらだ」
ひらひらと手を振ったロレンスは、いつもより背筋を伸ばしてヒワを見つめた。
「それはそれとして、いいの? 彼との契約を続行するってことは、『こちら側』に来るってことだ。しかも、前代未聞の危険な仕事をしなくちゃならない」
「うん。危険だってことは、嫌と言うほど実感した」
苦笑して認めたヒワは、でも、と小さな少年を見やる。
「わたし、やりたいんだ。〈穴〉は――あれは、放っておいちゃいけないって思ったから。いっぱい助けてもらった分、エラのお手伝いをしたいしね」
決意の言葉は、穏やかでありながら揺るぎない。それを語った張本人は、少しばかり照れ臭くなってほほ笑んだ。それを見たロレンスは、感情が映らぬ顔を彼女に向ける。一拍の間の後に「そっか」と呟いた。
「なら、俺も協力するよ」
「え、いいの?」
「もちろん。っていうか、俺もフラムリーヴェと契約しちゃったし。お試し期間とはいえ、やることはやらなきゃね。それに――」
ロレンスは、ふいに口の端を持ち上げる。瞳が一番星のように輝いた。
「ヒワに指揮術語りをする口実ができた」
「うわっ。私欲出してきたよ、この人」
ヒワは思わずのけぞる。対するロレンスは、にやにやして言い募った。
「指揮術のこと、ちゃんと学びたいんでしょう? 俺はソーラス院の教科書も、精霊学の専門書も持ってるよ。魔力感知も詠唱も、偉大な先人たちの教え通りに学んできた。君に話せることは多いと思うけどなあ?」
「うぐぐぐっ。や、やらしい……!」
ロレンスは、知り合った当初から「ヒワは精霊指揮士に向いてる」としょっちゅう言っていた。ヒワは、それがきわめて遠回しな勧誘だとわかりながらも、のらりくらりとかわしていたのである。思いがけない形で数年分の仕返しをされたヒワは、頭を抱えてうめいた。
それを見ていた精霊人たちの反応は、それぞれである。「なんだ、楽しそうだな」と顔を突き出すエルメルアリアの前で、フラムリーヴェが吐息を漏らした。
「……まあ、いいでしょう。ご本人が契約続行を認めていらっしゃるのなら、私にとやかく言う権利はありませんね」
それに、と呟いて、ヒワとエルメルアリアを順繰りに見る。
「我が契約者の案には、私も賛成です」
契約相手に呼ばれたロレンスは、きょとんとして彼女を見返した。「なんのこと――」と言いかけてすぐ、納得する。
「協力の話か」
「そうです。お互い、まだ契約をしたばかりですから、助け合った方がよいでしょう」
「ま、もっともだな。フラムリーヴェなら協力相手として申し分ない」
エルメルアリアが神妙にうなずく。ヒワも、彼にならった。気心の知れた相手、しかも――見習いとはいえ――精霊指揮士がそばにいてくれるのは心強い。
ひとまず、共に活動する方向で話がまとまった。肩の力を抜いた少年少女のかたわらで、フラムリーヴェがエルメルアリアに尋ねる。
「ところで、次に行く場所は決めているのですか?」
「ああ。比較的危険が少なそうで、かつヒワが経験を積めそうな場所で、って考えてたけど――」
エルメリアリアは、いったん言葉を切る。茶目っ気たっぷりに、片目をつぶった。
「二人が力を貸してくれるなら、もう少し緊急性の高い場所にしてもよさそうだな」
彼はぶらぶらと足を動かしながら、いくつかの地名を挙げる。うなずきながら聞いていたフラムリーヴェが、そのうちのひとつを拾った。
「でしたら、カント森林はいかがでしょう。周辺で魔物の目撃情報が増えているようですし、早く対処した方がよいと思いますが」
「あー……」
宙をにらんで考え込んだエルメルアリアが、その視線をヒワの方へ滑らせる。
「ヒワはいいか? 予定してた場所と変わっちまうけど」
「……カント森林って、確か平地の森だよね。なら、大丈夫」
少なくとも、谷底に落ちる危険はない。そんな理由で変更を受け入れたヒワの隣では、もう一組が似たようなやり取りをしていた。
「ロレンスはいかがでしょう」
「いかがも何も、ほかの場所のことがわからないからなあ……。とりあえずは、それでいいよ。ただ――」
「はい」
「カント森林って、東部国境の近くじゃないっけ。遠くない?」
「距離についてはご心配なく。飛んでいきますので」
えっ、とロレンスが顔を引きつらせる。フラムリーヴェは、得意満面で拳を握っていた。
「結局、飛ぶのは変わらないんだ……」
二人の会話を聞いていたヒワは、うなだれた。
※
出発日は四日後、次の休日に決まった。話を詰めたところで、公園での情報交換会はお開きとなる。精霊人二人は、揃って町の中へ繰り出していった。人から隠れるついでに、カント森林まわりの情報を集めるという。
一方、ヒワとロレンスは二人で歩いていた。せっかくなのでスノハラ家の近くまで一緒に行こう、という話になったのだ。
「そういえば、ヒワ。指揮術の習得を目指すのはいいとして……何か練習してるの?」
学校生活の話をするときとまったく同じ調子で、ロレンスが話し出す。ヒワは、言葉を選びながら答えた。
「えーっと。今やってるのは、簡単な詠唱の暗記と、魔力とか精霊とかを感じ取る練習。瞑想みたいなやつ」
「魔力感知か。まあ、そこからだよね」
「まだ上手くできないんだけど……」
ぎこちなく笑ったヒワはしかし、「あっ」と目を見開く。
「でも、フラムリーヴェさんが来たときには、ちょっと感じ取れたかも」
「……へえ」
いつも通りのぼんやりとした表情で聞いていたロレンスが、ぴたりと足を止める。変なことを言っただろうか、と身構えたヒワに、彼は興味深そうな視線を注いだ。
「ひょっとして、なんだけど。エルメルアリアが君のところに来るときも、何か感じ取っているんじゃない?」
「え? ああ、そういえば……いつも風が吹く気がする。あったかくて、爽やかな風」
「やっぱり」
ロレンスは指を鳴らし、「ちょっと、止まっていい?」と言う。ヒワは、怪訝に思いながらも立ち止まった。道の端に寄ると、ロレンスが鞄の中から何かを取り出す。指揮棒より少し長く太い、黒い棒。よく見れば凝った装飾がほどこされており、先端に夕焼けを思わせる色合いの石がついている。――精霊指揮士の杖だ。気づいたヒワは、目を剥いた。
「ちょ、何するの?」
「ちょっとした実験。いつものように、魔力を感じる練習、やってみて」
「い、いつものようにって……」
戸惑いつつも、背筋を伸ばす。目を閉じて、呼吸を整える。世界の中に己を投げ出して、耳を澄ます。
広がるのは暗闇だ。フラムリーヴェと遭遇したときのような、異質な感覚はない。ヒワが顔をしかめたとき、声が響いた。
「『ミーレル・フィーア』」
瞬間、周囲で光が舞った。小さくて、優しくて、温かな光。それはふわふわと飛び交って、黒い宙に吸い込まれるようにして消えてゆく。ぬくもりが完全に感じられなくなってから、ヒワはそっと目を開いた。杖を下ろしている友人を見つめる。
「今の、何? 何か指揮術使ったよね」
「うん。杖の先に光を灯す術」
あっさり答えたロレンスは、杖を持ち上げて左右に振る。
「やっぱりだ。ヒワ、君はもう魔力の流れを感じ取ることができる。まだ慣れていないだけで」
「慣れていないだけ……?」
「そう。スタートラインには立ててるんだよ」
ヒワはぽかんと口を開けて友人を見る。ふらふらと歩き出した彼を、慌てて追った。
「しばらくは指揮術を使ったときの魔力の流れを追いかけるのがいいと思う。慣れてきたら、普段そこらへんに漂っている精霊のこともわかるようになるよ」
「な、なるほど……。でも、誰に指揮術を使ってもらえばいいかな。エラ?」
「エルメルアリアはなしで。多分、彼の術は強烈すぎて酔う」
そういうものか、とヒワは考え込んだ。そこで振り返ったロレンスが、己の顔を指さす。
「俺が手伝うよ」
「え。ありがたいけど……ロレンスだって色々忙しいでしょ?」
「今までだって放課後に君らと駄弁ってただろ。大して変わんないよ」
駄弁るのと指揮術の練習をするのとは大分違う。そう思ったが、ヒワは口に出さなかった。ただ、「ありがとう」と、深く頭を下げる。ロレンスは、飼い主を見つめる犬のような表情で頭を傾けた。
「どういたしまして……? 俺が好きでやってることなんだし、気にしなくていいのに」
「それを言うなら、わたしだって好きでお礼を言ってるからね」
「ふむ。それならまあ、いいか?」
少年は、釈然としない様子で頭を揺らす。ヒワは力強くうなずくと、弾むように歩いて彼に追いついた。
「とりあえず、出発まで毎日練習したいな。お手伝い、頼める?」
「任された。……ま、三、四日でどこまでできるかって感じだけどね」
「でも、何もしないよりはいいでしょ?」
「そうだね。じゃあ、明日からよろしく」
「よろしく、先輩」
ヒワはすっと右手を握って持ち上げる。ロレンスは苦笑しつつも、左の拳でそれを軽く叩いた。