18 邂逅、あるいは再会
その夜は、ちょうど鐘が鳴ったところで寮の広間に入った。寮母に白い目を向けられたが、夕食にはなんとかありつけたのである。
翌日は、何事もなかったかのようにソーラス院で一日を終えた。放課後、すぐに建物を出て、ひと気のない庭へ移動する。そこでフラムリーヴェと落ち合った。
「お疲れ様です、ロレンス」
「……あ。ああ、うん、お疲れ様」
改めて、陽の光の下で彼女の姿を見たロレンスは、少しの間呆然としてしまった。
腰まで伸びた炎色の髪と、白い肌。上半身は黒い鎧に覆われている。その下から伸びるドレスのような衣は、裾が不規則に破れたような形をしていて、それもまた燃え盛る火炎を連想させた。すらりと伸びる脚にもまた、黒い金属の輝きが見える。
「どうされました、ロレンス?」
「いや。二つ名にふさわしい格好だな、と」
純粋な心配、あるいは疑問を向けられたロレンスは、とっさにそう答えた。言いたいことを察したらしいフラムリーヴェは、腕を掲げてみせる。やはり、金属のこすれる音が鳴った。
「いつ何時、魔物の襲撃があるかわかりませんので。すぐに戦えるよう、装備を整えております」
「それは…………どうもありがとう」
戦と無縁だった少年としては、ひとまず感謝を述べるほかにない。気まずくなったロレンスは、咳ばらいをして、強引に話題を変えた。
「で、だ。まずは何からすればいいかな。……町の案内とか?」
「ジラソーレの町は、昼間に一通り上空から巡りました。地形や建物の配置は把握しています」
「さいで」
〈浄化の戦乙女〉は行動派らしい。そして、おそらく、ロレンスよりもよほど頭が切れる。
縮こまる彼の前で、フラムリーヴェがふと表情を崩した。
「……しかし、人々の様子をじっくり見たわけではありません。もしお時間があれば、地上から町を巡る許可をいただきたく存じます」
ロレンスは数度まばたきした。思いがけず頬が緩む。
「いいよ。……目立たない格好に着替えられるなら」
「ありがとうございます」
頭を下げたフラムリーヴェは、一瞬後、いつもの無表情に戻った。
「話が逸れてしまいましたね。まず何をするか、ですが」
「うん」
「契約を済ませた精霊人か精霊指揮士に接触しましょう」
「……うん?」
相槌とも反問ともつかぬ声を漏らしたロレンスは、そのまましばし固まった。彼が庭の彫像と化している間に、フラムリーヴェが説明を付け足す。
「町を回っている最中、我々と同種の契約をしたと思われる人間の気配を捕捉しました。上手く近づけば、最新の情報を得られるかもしれません」
その声で我に返ったロレンスは、慎重に聞き返す。
「この町にいるってこと? 別の精霊人とその契約者が?」
「はい」
フラムリーヴェはあっさり肯定した。ロレンスは、足もとをにらんで考え込む。
そんな偶然があるものだろうか。何かの罠ではないか。罠でなくとも、相手が非協力的な可能性もあるだろう。いくらかの要素を並べ立て、検討して。その果てに、彼はくせのある黒髪をかき混ぜた。
「しょうがない。ほかにできることも思いつかないし、その人たちを見てみよう。ただし、刺激しないようにね」
「了解しました」
ロレンスがため息まじりに告げると、フラムリーヴェは恭しく頭を下げた。
「そういえば――ロレンスはエリゼオ卿のご子息なのですね」
ジラソーレの町に出てから、少し経った頃。ロレンスのサイズが合わなくなったローブを羽織ってついてきていたフラムリーヴェが、ふいにそんなことを言い出した。ロレンスは、震えた肩を抱いて振り返る。
「父さんのこと、知ってるの?」
「はい。二回ほどお会いしたことがございます。もっとも、そのときは事務的な会話しかしませんでしたが」
〈銀星の塔〉からの使者として、精霊指揮士協会アルクス王国支部を訪ねたことがある。そう語ったフラムリーヴェは、少し契約者の方へ近づいた。
一方のロレンスは、背中を丸め、青ざめた顔を足もとに向ける。
「うわあ。フラムリーヴェの顔を知ってるってことか。それじゃ、言い逃れできないじゃん……」
「……お父君と不仲なのですか?」
心底不思議そうに、それでいて少年を気遣うように、女性の声が問う。ロレンスは顔を上げて、少しの間宙をにらんだ。
「不仲というわけじゃ……。いやでも、仲良くはない、よなあ。優しくしてもらった思い出なんてほとんどないし。きっと、俺が出来損ないだから呆れてるんだろう」
「出来損ない? そうは思えませんが」
揺るぎのない声を聞いて、ロレンスは「ありがと」と笑う。へにゃりとした笑顔を消して、楽しそうに話しながら歩いている旅行客の方をまんじりと見た。
「グラネスタ家の人間から見て、って話だよ。父さんのことを知ってるなら、うちがどういう家かも多少は知ってるでしょ」
返答はない。ただ、少年の精霊指揮士としての感覚が、うなずいたのであろうことを感じ取っていた。
「ほとんど放置されてるんだよね、俺。まあ、それはいいんだけどさ。成績さえ維持してれば、好きなようにやらせてもらえるし。ただ……兄たちより目立つようなことをすると、嫌な顔をされるんだ。時には、ほんとにそれが理由で怒られることもある。『おまえが何をしても兄たちの足を引っ張るだけだ。余計なことはするな』ってね」
「ああ、それで……。精霊人との契約は、世界全体から見ても目立つことですものね」
ロレンスの態度にようやく合点がいったのだろう。フラムリーヴェはしみじみと呟く。ロレンスも、大きくうなずいた。
「しかし、適性者であることと人間の家庭の事情は関係ありません。エリゼオ卿なら、そのあたりのことはご理解くださるかと」
「だといいんだけどねえ」
そんな会話をしつつ、フラムリーヴェの導きに従って進む。そうしているうちに繁華街を抜けて、閑静な住宅街に入る。ロレンスは、眉を寄せた。――このあたりには、よく来る。
「近いですね」
やや低い声が響いた。それと同時にフラムリーヴェはローブを取り払って宙に放る。すると、丸めたローブが手品のように消えた。
ロレンスは、まじまじと彼女を見る。
「フラムリーヴェ?」
「私が先行します。見失ってはいけませんので。ロレンスは、無理のないように追いかけてきてください」
言うなり、彼女は地面を蹴って飛び出した。空中を滑る黒い鎧がみるみる遠ざかっていく。
ロレンスは、さすがに慌てて駆け出した。
「ちょ、ちょっと待って! 一人で行くな、フラムリーヴェ!」
※
学校から帰ってすぐ、ヒワは買い物に出かけた。今度〈穴〉をふさぎにいくときのために、レモンを仕入れたのである。今回はいらなくなった金属を集めて持っていくことも検討していた。
帰宅途中、ヒワはふと足を止める。道の端に寄って、周囲に人がいないことを確かめると、目を閉じた。周囲の音や風の感触に意識を向ける。
これは、精霊と魔力を感じるための訓練だ。指揮術を本格的に学ぶにあたり、まずは魔力を当たり前に認識できるようにならなければならない。なので、時折こうして感覚を研ぎ澄ませているのである。――とはいえ、今のところ魔力らしきものを感じ取れたことはない。一度、エルメルアリアに助言を求めたのだが、「オレにとっちゃ魔力や精霊がわかるのは当たり前だから、教え方がわかんねえ」と頭を抱えられてしまった。
目を開く。あきらめの境地でため息をつく。しかし、すぐにかぶりを振った。
「エラも、何か考えてくれてるみたいだし。わたしがあきらめちゃだめだよね」
背筋を伸ばして深呼吸。気合を入れ直して、再び目を閉じた。しばらく、にぎやかな暗闇に身を浸す。
そうしてどれくらい経った頃だろうか。ヒワはふいに、今までと違うものを感じ取った。世界の端で、バチン、と音が鳴る。熱が広がる。まるで、火にくべた薪が爆ぜるような――
ヒワは目を開き、振り向いた。
ほぼ同時、目の前に赤い光が灯る。色こそ違うが、見覚えのある光だった。
「えっ――」
「あなたが、同胞の契約者ですね」
紫色の宝石が、すぐそばできらめく。きらめきに気おされそうになったヒワは、とっさに飛びのいた。大きくよろめいたが、なんとか転ばずに済んだ。胸をさすりつつ、前方をうかがう。
宝石だと思ったものは、瞳だった。見知らぬ女性がヒワをにらんでいる。しかも、厳つい格好をしていた。
「どちらさま、でしょうか」
ヒワは、警戒しつつ尋ねる。自然と右手が買い物袋に伸びていた。わずかに震える問いを受けてか、女性は何度かまばたきした。鋭い視線が少し緩む。
「私は、〈真朱の里〉のフラムリーヴェと申します」
「その名乗り方……精霊人、なんですね」
確認すると、女性は「はい」と認める。ヒワは息をのんだ。状況が良いのか悪いのかわからない。とりあえず、レモンを投げても意味がないことだけは確かだ。
ヒワが態度を決めかねている間に、女性が口を開いた。
「ご安心を。あなたと敵対する気はありません。ただ情報を得たいだけです。世界と、我が契約者のために」
ヒワは、軽く目をみはった。
「あなたの契約者って」
「――フラムリーヴェ!」
ヒワが口を開いたとき、彼女のものでも女性のものでもない声が飛び込んでくる。記憶に新しい音だった。
「刺激、しないようにって、言ったじゃん……」
「そのつもりで隠れていましたが、気づかれてしまいましたので。さっさと姿を現して挨拶をした方がよいと判断しました」
「判断、早いな……さすが、戦乙女ってか……」
息を切らしながらよたよたと走ってきた人物が、鎧をまとった女性をにらむ。『彼』は息を整えて女性の隣に並んだ。顔を上げた瞬間、凍りつく。それは、ヒワも同じだった。
「ロレンス?」
「……え? ヒワ?」
お互いに名を呼んで、見つめ合う。汗だくの少年は、口をぱくぱくさせながら、ヒワを指さした。
「……なんで?」
「と、言われても……」
ヒワは、困惑の視線を男女に注ぐ。同じように戸惑っている少年の横で、女性が首をかしげた。
「お知り合いですか、ロレンス」
「えっと、友達」
「なんと」
赤い眉が跳ね上がる。
「ご友人がもう一人の契約者とは。それなら、円滑に連携できそうですね」
「いや。ちょ、ちょっと待って」
顔の前で手を振ったロレンスが、ヒワと女性を見比べる。
「なんの冗談? ヒワが契約者って、それじゃあ――」
契約者、の一語にヒワは肩を震わせる。嫌な予感がする一方、少しずつ状況が見えてきた。まずは、友人と謎の女性の関係をはっきりさせなければ。そう思って口を開いた瞬間、すっかり馴染んだ風が、ヒワの頭上を通り過ぎた。
「おい、フラムリーヴェ!」
高い少年の声が三人に降りかかる。ヒワは「あっ」と声を漏らし、ロレンスは心底驚いた様子で顔を上げた。女性は、軽く眉を動かしただけだ。
やわらかな光と共に現れた少年が、ヒワをかばうように下りてくる。
「エラ」
「オレに会いに来るのはいいけど、オレの契約者を困らせんな。こいつはまだ精霊人に慣れてねえんだ」
エルメルアリアは、相手に苦情を申し立てる。腰に手を当てた少年を見た女性は、感じ入ったように呟いた。
「まさか、こちらで最初に出会う同胞があなただとは思いませんでした。エルメルアリア」
「そりゃこっちの台詞だ」
ヒワは、相棒の背中を見つめてまばたきする。その向こうで、ロレンスが濁った叫び声を上げていた。