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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第二章 風と炎のコンチェルト
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14 ロレンス・グラネスタの憂鬱

 アルクス王国南東部の町、ジラソーレ。夏の終わりに咲く花を名前の由来に持つこの町は、古くからの交通の要衝である。過ごしやすい気候のおかげもあり、年中人の行き来が盛んだ。旅の途中、少し羽を休めるのにちょうどよい場所。少なくとも、一般人にとってはそのくらいの認識だろう。


 しかし、精霊指揮士コンダクターにとっては、羽を休める以上の価値がある町である。その理由はずばり、『ソーラス(いん)』があるからだ。


 大陸最高峰の精霊指揮士の学び舎にして、研究機関。多くの精霊指揮士見習いたちは、その場所に憧れる。ソーラス院で学びたい。あるいは、将来研究に携わりたい。そう夢見て勉学と鍛錬に励む見習いは少なくない。そして、実際にソーラス院へ入った者たちの熱意は、言うまでもなく。立派な精霊指揮士となるために、修行の日々を送っていた。


 ――中には、一見してその熱意がわかりにくい生徒もいるのだが。



 ソーラス院の敷地の西側にそびえる学生寮は、石と木材を組み合わせた昔ながらの建物だ。男女で棟が分かれていて、いずれも四階建てである。


 男子寮の広間は落ち着いた色調で統一されていた。装飾の少ない壁に、等間隔に並んだ指揮術仕掛けの照明が彩りを添える。その下では、チョコレート色の床板がつやつやと輝いていた。生徒たちがよく通る場所には、深みのある青色の絨毯が敷かれている。


 その絨毯の上を、一人の少年が歩いていた。肩から足元までをすっぽりと覆うローブは、彼がここの生徒であることを示している。


 その足取りは重く、表情にも覇気がない。手元の封筒を見ているようだったが、目の焦点が合っていなかった。もっとも、彼はいつもぼんやりしているので、外から機嫌や機微を推し量るのは難しい。


 ただ――彼の今の気分は、間違いなく最悪だった。


「あっ。ロレンス」


 広間に元気な声が響き渡る。少年は眠そうな顔を上げて、声の方を見た。同じくローブを羽織った金髪の少年が手を振っている。彼のそばには別の男子生徒も二人いた。


「これから昼飯食いにいくんだけど。おまえも来ないか?」


 今日は休日だ。よって、昼食を外でとったり、遊びのために出かけたりする生徒も多い。


 ロレンスは考え込んだのち、黒い頭を横に振った。


「いや。俺はいいよ」

「そっか。じゃ、また今度な」


 変わらず元気な少年へ曖昧にうなずいて、ロレンスは部屋の方へ足を向ける。


「なあ。なんでいっつもロレンス誘うん? あいつ、まじで指揮術以外に興味ねえじゃん」

「えー? やっぱ繋がっときたいじゃん」

「ないわ。無理無理。何に誘っても来ないし」

「どうせ繋がるなら兄貴たちの方がいいよな」

「でもあいつ、幼馴染とか外の女子とかとはよく会ってるらしいぜ」

「そりゃあ、幼馴染からの誘いは断んねえだろ」


 笑い声に彩られた内緒話には、悪意はないが棘はある。


 ほぼ聞こえてるんだけどな、と胸中で呟きつつ、ロレンスは足を止めなかった。何くれとささやかれるのはいつものことだ。右耳から左耳へ、流してしまえばいい。


 それよりも、今は、手に持っている封筒のことで頭がいっぱいだった。


 昼食もとらずに部屋へ戻ったロレンスは、二段ベッドの下側に腰かける。同居人に対して「転げ落ちたら嫌だから下がいい」と言って、珍獣を見るようなまなざしを向けられたことを、未だに時折思い出す。


 ともかく、ベッドでしばし体を伸ばしたロレンスは、ようやく手紙の封を切る。相変わらず、便箋(びんせん)が一枚だけだ。


 これは、実家からの――正確に言えば、父からの手紙だ。ソーラス院で学ぶ子供たちは、試験の成績や生活ぶりを綴った手紙を定期的に出している。それに対する返信だった。


 便箋に目を通す。と言っても、ロレンスの手紙に書いてある内容はいつも同じだ。


此度(こたび)の定期試験、魔物生態学の点数がやや低いようだが、まあ許容範囲と言っていいだろう。引き続き、勉学に励むように』


 短すぎる手紙を読み終えたロレンスは、ため息をつく。


「もうちょっと書くことあんだろ、クソ親父」


 悪態をつきながら便箋を封筒に戻して、ベッドの端に投げた。そのまま寝転ぶと、ぼす、とくぐもった音がする。


「手紙出さなかったら怒って催促するくせに、出したら出したで返事がこれだよ。なんのためにやってんだろうな。あーもう、面倒くさい」


 天井をながめながら、誰にともなく呟く。これもまた、いつものこと。


 両親はロレンスに期待していない。彼に求められるのは、ソーラス院で恥をかかない程度の成績を収めることだけだ。それが兄たちの面子(めんつ)を立てることにも繋がる、というのが親の弁である。


 優秀な精霊指揮士として国中を駆け回る一番目の兄と、すでにソーラス院で優等生と名高く、附属研究所から声がかかっている二番目の兄。彼らに比べて、ロレンスはあまりに平凡だった。得意科目は霊薬学(れいやくがく)。炎や雷の指揮術を得意とする兄たちとは方向性がまるで違う。そのことも、両親としては気に入らないらしい。


 精霊指揮士の名家・グラネスタ家において、心配やねぎらい、家族らしい愛情を求める方がおかしいのだ。ロレンス自身、とうにあきらめたつもりでいた。しかし、形あるもので現実を突きつけられると、途端に虚しくなる。


「あーあ」


 ロレンスが意味もなく呟いたとき、部屋の扉が開いた。


「あ。ロレンス、部屋にいたんだ」


 顔をのぞかせたのは、こげ茶色の髪をうなじのあたりでまとめた少年だった。覚えのある声に反応して体を起こしたロレンスは、青い瞳を『同居人』に向ける。


「トビー、俺に用事?」

「うん」


 尋ねると、トビーことトビアスは丸顔に悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「正門前に、おまえの彼女が来てたよ」

「は?」


 ロレンスは、やはりぼんやりとした顔でトビアスを見た。


「彼女? なんのこと?」

「何って。しょっちゅう会ってるじゃないか。髪の短い、菜の花畑みたいな女の子」


 トビアスは、時折不思議なたとえを用いることがある。今回のたとえは、面積の広い髪色の方ではなく、瞳の色の方を言っているのだ。そこまで考えて、ロレンスは人と会う約束をしていたことを思い出した。


「ヒワだ」


 呟くと同時にベッドから飛び降りて、バタバタと支度をする。トビアスは、その様子をながめながら、のんびりと部屋に入ってきた。


「言っとくけど、彼女じゃないからな」

「えー。でもあの子、ジラソーレ高等学校の生徒だろ?」

「他の学校の女子イコール彼女って、それなんの法則だよ。ただの友達。幼馴染経由で知り合っただけ」

「じゃあその幼馴染が彼女か」

「……シルヴィーに聞かれたら殺されるよ」


 自分も一緒に絞め殺されるから勘弁してくれ、などと思いながら、ロレンスは(かばん)を持ち上げる。


「じゃあ、ちょっと出てくる。夕方の鐘までには戻るから」

「はいはい。いってらっしゃい」


 トビアスはにこにこ笑って手を振っている。そちらを見ないようにしながら、ロレンスは廊下を小走りで駆けた。


 黒い雲に覆われていた心が、ほんの少し晴れた気がする。知らず、笑みをこぼしていた。

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― 新着の感想 ―
ロレンスさんはきっと真面目に勉強も頑張っているのだと思います。特別落ちこぼれというわけでもなさそう。 ただ一族の中では、ぱっとしない存在……ということなのかな(;´・ω・) 父からのお手紙があまりに素…
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