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春風のサーガ【第一部】  作者: 蒼井七海
第一章 春と風のプロローグ
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12 世界の穴

「間違いねえな。天外界で見たのと同じだ。あれよりは小ぶりだけど」


 エルメルアリアが〈穴〉の前を行き来しながら呟く。ヒワは、二の腕をさすりながら「これで小ぶりなの……?」と慄いた。そうしている間にも、寒気が体中を駆け巡る。


『おぞい、おぞい……いつからこぎゃんもんがあったんですかね』


 すでに逃げ腰になっているヒワとアルマジロをよそに、精霊人(スピリヤ)は〈穴〉をじろじろと観察していた。その瞳は鋭く、冷たい。


()()()()から見ると、色々わかるもんだな……」

「へ? わかる? 何が?」


 ヒワはじりじりと後ずさりしながら尋ねる。エルメルアリアはそちらを見ぬままうなずいた。


「例えば、そうだな。中が天外界によく似た環境になってて、人間やただの獣が入ると全身火傷しそうなこととか」

「ひぇっ」

「あとは――オレの知ってる指揮術でふさげそうな〈穴〉だってこととか」


 次はどんな恐ろしい言葉が来るか、と身構えていたヒワは、拍子抜けする。アルマジロと顔を見合わせ、ふたり揃って詰め寄った。


「本当!?」

『ほんとですか!?』

「おう。ただ、ちと大規模な術になるんでな。今のオレと渓谷の精霊の力だけじゃ厳しいかもしれない」


〈穴〉を見やって右肩を回したエルメルアリアは、まっすぐにヒワを見る。その表情は感情豊かなな少年のものではなく、彼女の何倍もの時を生きた精霊人のものだった。


「そんなわけなんで――制限を解いてくれ、ヒワ」


 静かに、まっすぐに頼まれたヒワは、絶句して彼を見つめた。ややあって、体が求めるままに息を吸う。そのおかげで我に返った。


「えっと……今、ここで?」

「今ここで。やり方は教えただろ」


 確かに、ヒワは昨日エルメルアリアから制限の解除とかけ直しのやり方を教わっていた。しかし、家で指揮術を使うわけにはいかず、口頭での説明だけだったので、当人の自信は皆無である。


 エルメルアリアは、ただ〈穴〉の前で浮いていた。ヒワを急かすこともなければ、小ばかにすることもない。日の当たらぬ谷底で紅く変じた瞳が、少女の不安げな顔を映す。


 ヒワは背筋を伸ばした。深呼吸して、頬を力いっぱい叩く。アルマジロが飛び上がったことには気づかなかったふりをして、顔の前で拳を握った。


「わかった。やってみる。――上手くいかなかったらごめん!」


 そんなことを言った少女に、エルメルアリアは歯を見せて笑った。


「ばーか。上手くいくに決まってんだろ」

「え?」

「なんてったって、このオレの契約者だからな。ヒワは」


 ヒワは小さく吹き出した。「何その自信」と笑ったのち、改めてエルメルアリアと向き合う。アルマジロの体を借りた精霊が自分の後ろへ逃げたのを確認すると、深呼吸して両手を合わせた。この動きは必須ではないが、「集中するのが大事」と教えられたので、心が静まりそうな動作を無意識に選んだのである。


 そして彼女は、口を開いた。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」


 渓谷に清らかな声が響き渡る。お世辞にも流暢とは言い難い詠唱を、しかしヒワは一生懸命繋いだ。


「『クランダーテ・イリューア・デア・ヒワ・スノハラ

 アリイネラ・イリュール・デア・エルメルアリア』」


 息継ぎしながらなんとか唱え切った、瞬間。


 大気が輝いた。少なくとも、この場にいる者たちは、そう感じていた。


 大きく息を吐いた少女の目の前で、小さな少年の髪と衣が舞い踊る。その体から、世界中の風と太陽光といかずちをかき集めたかのように膨大な力が放たれて、一帯を包み込んだ。


 あちこちから耳障りな咆哮が聞こえてくる。エルメルアリアが不敵にほほ笑み、アルマジロが飛びあがった。


『ひっ! エルメルアリア様、抑えて抑えて! お力に魔物どもが反応しとります』

「心配すんな。どうせ威嚇しかできねえ小物さ。それより――こりゃすごいな。天外界にいるときみたいだ」


 エルメルアリアが両腕を掲げる。同時、あちこちから精霊が集まってきて、歓喜の歌を歌う。人間のヒワには少しも聞こえないが、精霊人が何やら温かなものに包まれているのは感じ取れた。


「よし。この調子なら〈穴〉をふさぐ術も試せそうだ」

「う、上手くいった、ってことだよね?」

「もちろん。ありがとな、ヒワ」


 片目をつぶったエルメルアリアに、ヒワも笑ってみせる。緊張が残っているせいで顔が引きつっていたが、そんなことは誰も気にしなかった。


 魔物の吠え声がやむ。エルメルアリアが少し力を抑えたのか、魔物側が敵わないと踏んだのか。


 ともかく、静かになったのをいいことに、エルメルアリアは不思議な行動を始めた。手近な石を拾って、地面に何かを彫りはじめたのである。地面はかたいが、谷の岩壁ほどではない。精霊人の動きに合わせ、少しずつ黒い溝ができていった。


 やがて完成したのは、大人が二、三人乗れそうな大きさの図形だった。ベースとなるひし形の中に、花を思わせる複雑な模様が描かれ、中心に大きなバツ印が描かれている。


「あの……これ何?」

「人間風に言うと、『陣』だな。複雑な指揮術の発動を助けてくれるものだ。これは、世界と世界を繋ぐ門を修理するときに使う指揮術の陣――を、ちょっと改造した」


 改造した、などとあっさり口にした精霊人を見て、ヒワは口をあんぐりと開ける。当人は、球遊びか何かのように石を背後へ放り投げ、陣の中心、バツ印の上まで飛んだ。


 明らかに大ごとの気配がする。ぶるりと震えたヒワは、一応エルメルアリアに声をかけた。


「あの……これ、勝手にやって大丈夫? ナントカの塔ってとこに報告した方がいいんじゃない?」

「〈銀星の塔〉な。――心配すんな。〈穴〉に手を加える許可は貰ってる。事後報告で構わんとさ」

「な、なら、いいけど……」

「それより、ヒワと憑依精霊は下がってろ。ちょっと魔力が荒れるかもしれねえからな」


 不安がおさまらないヒワと、目の前の光景に呆然としているアルマジロへ向けて、少年が軽く手を振る。ヒワがよろめくように数歩下がると、アルマジロもすぐさまその隣へ走ってきた。


 ちなみに、〈銀星の塔〉への事前報告なしに〈穴〉へ手を加えることを許されているのは、今のところエルメルアリア一人だけである。もちろん、ヒワもアルマジロも、そんなことは知る由もなかった。ただ息をのんで、精霊人の為すことを見守るしかない。


 エルメルアリアは背筋を伸ばした。深呼吸して目を閉じる。そして、陣の上で直立したまま、口を小さく動かし始めた。ささやきが流れ出る。それは長大かつ複雑な詠唱だったが、あまりに小声だったので、ヒワたちには聞き取れない。ただ、言葉がひとつ重なるごとに、彼と陣を取り巻く魔力が高まるのは感じていた。


『ひえ、ひええっ』


 アルマジロが丸まって、激しく全身を震わせる。その隣で、ヒワも後ずさりしていた。呼吸も忘れて目の前の光景に見入る。彼女よりも小さいはずの背中が、今は何よりも大きく、神々しく映った。


 どうどうと暴風が吹き荒れ、砂礫が絶えず舞い上がる。静かな詠唱が続く中、別の音が空気を裂いた。


 まっさきに異変に気づいたのは、憑依精霊である。


『あらぁなんかいね!』


 風にさえぎられた悲鳴を辛うじて聞き取り、ヒワは視線を巡らせる。まずい、と呟きがこぼれた。


 視線の先には黒い影。ひとつどころに集まった魔物たちが、ヒワたちの方へ押し寄せてきていた。言うまでもなくみな興奮していて、全身から濃い魔力をたぎらせている。


『ど、どどどどげすーだ! どげすーだ!』

「えっと、えっと……エルメルアリアは動けないし……」


 混乱のあまり飛び上がったアルマジロを抱いて、ヒワも魔物たちの方を向いたまま後退する。


『ヒワ様! 魔力ならいくらでも出しますけん、あいつらを追っ払ってください!』

「も、申し出はありがたいけど無理なんです! わたし、指揮術使えないので!」

『ええ!? さっきエルメルアリア様の制限解いとらいたのに!?』

「あれしかできないんです! ごめんなさい!」


 半分泣きながら叫んだヒワは、それでもあたりを見回す。彼女が求めている物――すなわち金属や柑橘類は見当たらない。


「精霊さん、このあたりって、金属ないですか!?」

『でかい金属はないです! 地層や岩にちょんぼし混ざっとるかもしれませんけど』

「それはあるとは言いませんね! この状況では!」

『でしょ?』


 会話はほとんど悲鳴の応酬だ。そんなことをしている間にも、先頭の一団の顔かたちがはっきり見えるほど魔物たちが近づいてきた。必死に頭を回転させたヒワは、そこであることを思い出す。大慌てで鞄を下ろし、その中を探った。引っ張り出したのは――色の違う液体が入った小瓶が三つ。単身で魔物と遭遇したときのために持ってきていた『秘密兵器』だ。


 ヒワは瓶のふたに手をかけて、魔物たちをじっと見つめた。そして、彼らとの距離が縮まった瞬間、ふたを開ける。


「でえい!」


 渾身の力を振り絞って、瓶の中身をぶちまけた。爽やかなオレンジの香りがあたりに充満する。


 小瓶の中身は、オレンジとレモンの果汁だ。一人で絞れる量に限界があり、荷物が重くなってもいけないので、あまりたくさんは用意できなかった。それでも、魔物への一時的な対抗策としては有効である。低音と高音の入り混じった悲鳴が上がり、威嚇の声も高まった。


「お、怒ってる」

『時間稼ぎにはなっとります。どんどんやーましょ!』

「……はい!」


 魔力の高まりも、エルメルアリアのささやきも、止まっていない。ヒワは休む間もなく瓶のふたを開け、果汁を魔物たちめがけて振りまく。三つの瓶が(から)になる頃には、いくらかの魔物がその場で恐慌状態に陥って、ぐるぐる回ったり逃げ出したりしていた。しかし、柑橘の香りを耐えた魔物たちは、怒り狂って突進してくる。とてもヒワたちが退けられる相手ではない。


 ヒワは、とっさにアルマジロと鞄を抱えて走る。それも天外界の魔物相手では時間稼ぎにすらならないだろう。


「あああ足止めしきれなかった!」

『こ、こげなったらわしが――』


 ヒワの腕から飛び出したアルマジロが、背を丸める。


 そのとき――詠唱が、止まった。


 魔力がねじれて、うねる。めまいを感じたヒワはその場でうずくまり、頭を押さえた。


 このままでは食われる――むごい展開を覚悟して、体を固くする。だが、彼女の予想に反して、魔物たちは彼女にも憑依精霊にも襲ってこなかった。その場にいた魔物すべてが〈穴〉に吸い寄せられていたからである。


『す、吸い込まれとる!?』


 アルマジロの悲鳴を聞いて、ヒワは顔を上げる。穴の内側にある光と闇が渦を巻き、周囲の魔物たちを文字通り吸い込んでいた。もちろん、魔物たちはもがいているが、その抵抗は一切意味を為さない。禍々しい異形は次々と〈穴〉の先に消えて、見えなくなった。


 周辺にいた天外界の魔物をあらかたのみこむと、〈穴〉は急速に収縮する。原色の光も不気味な闇も、あっという間に手のひらほどの大きさとなって、最後には線香花火のように弾けて消えた。後には何も残らず、ただ渓谷の風景だけが続いている。


「これ、って」

「――無事にふさげたな。大仕事は、これで終わりだ」


 呆然としたヒワの言葉に応えるように、エルメルアリアが呟く。陣の真上で清々しそうに額をぬぐった少年は、それから契約者と憑依精霊を振り返り、悪戯っぽく笑った。


「よく持ちこたえたな、ふたりとも。お疲れ様」


 オレンジの残り香よりも爽やかに労われて、ヒワはつかの間立ち尽くす。遅れて言葉と表情の意味をのみこむと、満面の笑みを浮かべる。その足もとでは、アルマジロが恐縮したように丸まっていた。

アルマジロさんの言葉注

こぎゃん:こんな(「こげな」と同義?)

どげすーだ:どうしよう

~けん:~から、~ので

ちょんぼし:少し、ちょっぴり

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― 新着の感想 ―
穴を一つ塞ぐことが出来た!!お疲れ様です!!٩(*'ω'*)۶ 制限解除の儀式?詠唱がすごく素敵でロマンを感じました! けっこう長い呪文で、私だったら絶対に手に書いてたと思います。ちゃんと覚えたヒワ…
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