101 銀の風は突然に
ひとまず、シルヴィーがさりげないふうを装って家へ戻った。次に、フラムリーヴェが契約者を呼んできた。関係者だけになった後で、近くの広場に移動する。
石の椅子に座るなり、ルートヴィヒは切り出した。
「マールの様子を見にいってくれないか」
四人は、呆けた顔を見合わせる。代表して、ヒワが尋ねた。
「マールさんの……えっと、どういうことですか?」
「水底界へ行ったきり、帰ってこない」
端的な答えを聞いて、ヒワの中には納得と戸惑いが同じだけ生まれた。
マールとは、水妖族のマーリナ・ルテリアのことだ。ルートヴィヒとともに旅をしているが、本人は「水底界出身」だと話していた。要するに、彼女は今、里帰りをしているということだ。
返答に窮したヒワを見て、ルートヴィヒは珍しく言葉を繋いだ。
「マールは、俺と旅をするにあたって、水妖族の氏族長たちといくつか約束をしている。……氏族長のことは、知っているか」
最後の問いは、誰にともなく投げかけられた。ヒワだけが首をかしげる。それを見たロレンスが、やや自信なさげに口を開いた。
「えーっと。確か、水底界の水妖族は、いくつかの氏族に分かれているんだよ。それを取りまとめるのが氏族長」
「あー……なるほど?」
理解できたような、そうでもないような。ヒワが頬をかいていると、精霊人たちが補足する。
「天外界で言うところの里長だな。でも、持ってる権限は里長たちより大きいはずだ」
「水底界には〈銀星の塔〉のような組織がありませんからね」
フラムリーヴェがしきりにうなずく。それを一瞥したエルメルアリアが、ルートヴィヒに視線を戻した。
「で? その約束ってのが、あんたの相談に関係あるのか?」
「ああ。約束のうちのひとつが『定期的に水底界へ帰ること』だ。〈穴〉の存在を把握してからは、その回数をマール自ら増やしている」
「なるほど。故郷の様子を見ては、あんたのところに戻ってくる。マールはこれを繰り返しているわけか」
エルメルアリアが、人差し指で空中に輪を描く。うなずいたルートヴィヒは、続けた。
「今回は、二日から七日ほどで帰ってくると言っていた。だが、七日を過ぎてもなんの連絡もなかった。……今はもう、マールと別れてひと月近く経っている」
ヒワとロレンスは顔をこわばらせた。精霊人たちも、さすがに眉を寄せている。
ルートヴィヒは、やはり淡々と続けた。
「あいつは、何かあったとしても、大抵指揮術で連絡してくる。今回はそれすらない」
「指揮術すら使えない状況になっている可能性がある、ということですね」
フラムリーヴェが言葉を引き取ると、やはりルートヴィヒはうなずいた。それから、精霊人たちをひたと見すえる。
「なので……精霊人たちにお願いしたい。少しでいい。水底界に行って、マールのことを探ってきてくれないか」
青年は、静かに頭を下げる。ヒワたちが戸惑いから互いをうかがっている間に、エルメルアリアが上昇した。
「オレたちだけじゃ決められねえぞ。世界を渡ることになる。それも、任務の範囲外だ。まずは〈銀星の塔〉に話を通さなきゃならない」
「承知している」
「水底界にも、あんたみたいなのがいるかもしれないからな」
言葉がちくりと示すのは、彼らの出会い、カント森林での出来事だ。ルートヴィヒはしばしの沈黙の後、「そうだな」とささやく。頭は下げたままだ。
フラムリーヴェがエルメルアリアの髪を引っ張る。短い悲鳴が上がった。
「何すんだよ」
「人間いじめは感心しませんね」
「いじめてねえ。事実と可能性の話をしてんだよ」
エルメルアリアは、空中でふんぞり返った。フラムリーヴェがため息をつく。契約者たちは「まあまあ」と声を揃えて精霊人をなだめた。
ルートヴィヒがぽつりと言う。
「ここへ来るまでに、俺も色々なことを試した。だが、マールの無事を確かめることはできなかった。そうなればあとは、水底界に直接様子を見に行くしかない。それができるのは、精霊人だけだろう」
北風を思わせる声が、揺れている。氷に小さなひびが入ったかのようだった。
「虫のいいことを言っているのも、無茶な願い事をしていることも、わかっている。それでも、これしか方法がない。だから……どうか、頼む」
ルートヴィヒは、より深々と頭を下げた。あと少しで土下座に達しそうな勢いだ。ヒワはおろおろと上を見る。ちょうどそのとき、エルメルアリアが下りてきて、彼女の肩にさばった。
「ヒワはどう思う?」
「えっ、わたし?」
ヒワはうわずった声を上げた。なんだか、今日は意見を求められてばかりだ。落ち着かない頭で思考して、なんとか言葉をひねり出す。
「わたしは……マールさんのことが、心配だよ」
答えになっていないだろうか。ヒワの不安をよそに、エルメルアリアはふっと笑った。
「そっか」
言うなり、彼はヒワの前に飛び出す。軽やかに同胞を振り返った。
「フラムリーヴェ。数日、ヒワを見ててくれるか?」
「お任せを」
フラムリーヴェは、当然のように胸を叩いた。それを見て笑ったエルメルアリアは、契約者に目を戻す。
「ヒワ。オレはちょっくら天外界に行ってくる。大丈夫か?」
「……うん。もちろん!」
胸の中に熱が満ちる。ヒワは顔を輝かせ、小さな精霊人の両手を握った。そのままぐるぐる踊り出したふたりを見て、ルートヴィヒがぽかんとする。
「いいのか?」
「頼んできたのはそっちだろ」
エルメルアリアは、回転の勢いを利用して飛び上がった。ルートヴィヒを見下ろし、腰に手を当てる。
「言っとくけど、水底界に行くかどうかは〈塔〉の回答次第だ。じじいどもにだめだと言われたら、行きたくても行けない。それは覚えといてくれ」
「無論だ。……かたじけない」
ルートヴィヒは再び頭を下げた。顔をしかめたエルメルアリアは「あーもう、そういうのいいっての!」と手を振る。
元の姿勢に戻ったルートヴィヒは、自然に腰のものを叩く。剣の鞘だ。
「エルメルアリアが不在の間、俺もヒワを警護しよう」
ヒワはぎょっとした。
「警護って……そこまで仰々しくしなくていいですよ……?」
忍びのごとく自宅周辺に潜む青年を想像して、苦い気持ちになる。ヒワが思わずルートヴィヒから距離を取ると、彼は不思議そうに頭を傾けた。
対して、ヒワを頼まれたフラムリーヴェは、感心したようにうなずく。
「見守りの目が増えるのは助かります。お願いしてもよろしいでしょうか」
「承った」
ルートヴィヒがうなずく。両目には、一点の曇りもない。ヒワは頭を抱えそうになるのをなんとかこらえる。ロレンスが、眠そうな声で「がんばれ」とささやいた。
※
「エルメルアリア? どうした、突然」
その日のうちにエルメルアリアは天外界へ渡り、〈銀星の塔〉に顔を出した。運よく鉢合わせたステアルティードが、目を丸くする。エルメルアリアは、にやりと笑って顔を寄せた。
「ステア、ちょうどよかった。相談したいことがある」
「貴様から相談とは、珍しいな。何事だ」
「今日、人間の知り合いに人探しを頼まれてな。その関係で水底界に渡りたいんだ。じじいどもに話を通してくんねえか?」
エルメルアリアがあっさり打ち明けると、ステアルティードは顎を落とす。魂が抜けたような顔で、しばし黙った。
今、〈塔〉の通路には二人しかいない。耳が痛くなるような静寂の後、ステアルティードが顔を覆った。
「……詳しく聞かせてくれ」
「よしきた」
うめき混じりの事務官の言葉に、エルメルアリアは指を鳴らす。通路を進みながら話を続ける。ルートヴィヒとマーリナ・ルテリアの名は伏せたが、できる限り詳細を明かした。
話を聞いたステアルティードは、顎を撫でる。
「水底界の水妖族か。特徴を聞く限り、〈泡の氏族〉か?」
「多分そうだ。本人は何も言ってなかったけどな」
「ふむ……内界へ渡れるほどの〈泡の氏族〉のお方が、そうそうどうにかなるとは考えづらいが……」
ステアルティードはぶつぶつ呟く。その後、足を止めた。慌てて停止したエルメルアリアを振り返る。
「わかった。ひとまず上司に話してみよう。よい返事がもらえる保証はないが、待ってもらえるだろうか」
「おう。期待せずに待ってるわ」
エルメルアリアが手を振ると、ステアルティードは苦笑した。
『水底界へ行きたい』というエルメルアリアの要請に対し、高官たちはやはり難色を示したらしい。ただ、即座に突っぱねられることもなかった。この一件は高官たちが審議することとなり、その間、エルメルアリアは〈都〉で待たされた。
そして、五日後。エルメルアリアは〈塔〉に呼び出された。いつも仕事を言い渡される事務室で、ステアルティードが待っていた。少し疲れた様子だ。
「よう、ステア。どうだった?」
「水底界へ渡る許可は下りた。これから、あちらの主要な門を管理する水妖族に、話を通すそうだ」
告げて、ステアルティードは分厚い紙を滑らせる。エルメルアリアは、その表面に素早く目を通した。事務官の言葉とほぼ同じ内容が、まどろっこしい文章で記されている。ふうん、と呟いたエルメルアリアは、再びステアルティードを見た。
「珍しく話がわかるじゃねえか、じじいども」
「水底界側からも、色々話をうかがったようでな。いささか深刻な事態だと判断したらしい」
ステアルティードは、目を伏せる。やにわに右手の指を三本立てた。
「それに、ただで許可されたわけではない。いくつか条件がある」
「条件?」
尋ねると、事務官の青年は重々しく条件とやらを告げる。それを聞いたエルメルアリアは、目を丸くした。




