100 同じ過ち
土手に吹く風が、少し冷たくなってきた。季節の移ろいを感じ取ったヒワは、上着の襟を寄せる。
アルクス王国の冬は、ヒダカやレグンと比べれば暖かい。それでも、年中そこで暮らしている人は「寒い」と感じるものだ。
弾むように足を動かす。寒くとも元気な友人に、どうにかこうにか追いついた。
「シルヴィー、早いよ……」
「ああ、ごめんごめん。張り切りすぎちゃった」
シルヴィー・ローザは、軽く笑って速度を落とす。ヒワにとっては辛い走り込みも、彼女にとっては準備運動のようなものなのだ。
放課後の今、シルヴィーに誘われて体を動かしにきている。精霊人の姿はない。二人の少女がお年寄りや親子連れに混じって走る、という構図ができあがっていた。
「あの子も一緒にいればよかったのに」
唇を尖らせたシルヴィーに、ヒワは苦笑する。あの子とは、エルメルアリアのことだ。
「まあ、飛ぶわけにもいかないし……地面を走るのは、そんなに得意じゃないみたいだから」
「そうなんだ? まあ、あの体で人間に合わせて走るのはきついか」
シルヴィーはエルメルアリアも誘ったのだが、当人は「邪魔するのは悪いから」と言ってどこかへ飛び去っていった。ジラソーレからは離れていない。魔力の流れが教えてくれる。
大きな橋の前まで来たところで、シルヴィーが足を止める。ヒワも立ち止まって、乱れた呼吸を整えた。
「さて、休憩しよっか」
シルヴィーが額をぬぐう。その後、ある場所を見てきょとんとした。
「ん? あれは――」
まじまじと斜め上を見つめる。そして、大きく手を振る。
「フラムリーヴェさん? そんなところで何してるんですかー?」
「えっ?」
ヒワは素っ頓狂な声を上げ、友人の視線を追う。この土手を見下ろせるところに、炎色の髪の女性が立っていた。いつもならすぐにやってくるところだが、今日の彼女は動かない。慌てたように二人から視線を逸らし、踵を返そうとしていた。
「あれっ? ちょっとー! なんで逃げるんですか!」
ヒワが疑問を口にする前に、シルヴィーが駆けだす。
「あ、待ってよシルヴィー!」
ヒワも慌てて追いかけた。
幸い、と言うべきか。フラムリーヴェはまだそこにいて、シルヴィーに捕まっていた。精霊人が本気で逃げれば、人間の少女などすぐに撒けるはずだ。そうしなかったのはやはり、二人のどちらかに用があるからなのだろう。
「あ、あの。こんにちは」
「……どうも」
ヒワがおずおずと声をかけると、葡萄酒色のワンピースを着た彼女は、気まずそうに応じる。その腕をつかんだままのシルヴィーが、ずいと顔を寄せた。
「なーんからしくないですね。どうしました? お腹でも痛いんですか?」
溌溂とした少女は、精霊人にも容赦ない。初対面のときより距離が近づいていることに気づいて、ヒワはおや、と目を瞬く。
あれこれ想像を巡らせるヒワをよそに、フラムリーヴェは視線をさ迷わせていた。いえ、とか、その、とか呟いた後――シルヴィーに向かって、頭を下げる。
突然のことに、少女二人は口を半開きにして固まった。
「ん? えっと? ほんとにどうされたんです?」
「実は、シルヴィー様にご相談がありまして」
「あたしに? 相談? いやまあ、聞けることなら聞きますけど」
シルヴィーが己の顔を指さすと、フラムリーヴェは頭を下げたまま続けた。
「いえ、その前にお叱りが必要かもしれません。拳の一発や二発は覚悟しております。すべて私の不徳の致すところです」
「なんですかいきなり。昔の騎士や軍人じゃないんだから……って、フラムリーヴェさんは現役の武人だったわ」
シルヴィーは混乱のあまり、ひとり漫才を繰り広げた。かと思えば、急に何かを察したような顔になる。まばたきするヒワの前で、腰に手を当てた。
「わっかりました。どこか、暖かいところで話しましょ」
「……ありがとうございます」
「いいですから。そろそろ顔を上げてください」
シルヴィーが困ったように笑うと、フラムリーヴェは恐る恐る言う通りにする。
空気の変化を察したヒワは、そろりと手を挙げた。
「じゃあ、わたしは体操やって待っとくね」
しかし、シルヴィーは振り返ると、ヒワの腕をむんずとつかんだ。
「何言ってんの。一緒に聞いてよ」
「えええ? これ、どう考えても、わたしが聞いちゃだめなやつじゃない?」
「いいや。ヒワの意見が必要な案件だよ、これは。あたしの勘がそう告げてる」
「何それええええ」
ヒワは情けなくも叫んだが、こうなったシルヴィーが聞く耳を持たないことも知っている。あきらめて、フラムリーヴェ共々引きずられていった。
シルヴィーが相談場所に選んだのは、学生や若者に人気の食堂だった。彼ら向けの定食だけでなく、珈琲やお茶、季節の果物を使ったお菓子なども評判がよい。今もやはり、若者たちでにぎわっていた。
なんとか席を確保したヒワたちは、飲み物と軽食を注文した。それから、フラムリーヴェの話に耳を傾ける。ソーラス院で起きていることと、昨日の出来事を知った。
言葉が出ないヒワの隣で、シルヴィーが頭を抱える。
「あの馬鹿……」
尖った声と、深いため息。いずれも、精霊人ではなく、幼馴染に向けられたものだった。
ヒワは両者を見比べる。そうしながらも、自身の記憶に触れていた。まだ、この国に馴染めていなかった頃。シルヴィーに出会う頃のことに。
「ロレンス……」
ぽつりと呟いたとき、荒っぽく頭をなでられる。驚いて振り向くと、シルヴィーが怒ったような顔でヒワを見ていた。ヒワはつい、笑みをこぼす。知らず、肩から力が抜けた。
それを見て、シルヴィーもにっと笑う。それから、今問題に直面している女性に向き直った。
「あたしとしては、馬鹿ロレンスがまたやってんなー、と思うわけですけど」
「いえ、ロレンスは……」
「悪くない。自分が悪いって思ってるんでしょ? フラムリーヴェさんは」
フラムリーヴェが顔を上げた。驚きの視線を受け止めてもなお、シルヴィーの表情は変わらない。
「よければその理由、教えてくれません?」
フラムリーヴェは目を泳がせた。だが、すぐに少女たちを見据える。双眸が透き通った。
「……私は、同じ過ちを犯したことがあるのです」
ヒワとシルヴィーは視線を交わす。代表して、シルヴィーが口を開いた。
「お友達と喧嘩でもしたんですか?」
「いえ」とフラムリーヴェはかぶりを振る。
「ある……友人のためを思ってやったことが、空回りして、大きな騒動に発展しました。騒動自体はすぐに収まりましたが、それが友人を傷つけていたのです。最近、知りました」
フラムリーヴェが言葉を切る。ちょうどそのとき、「お待たせしました」と声がかかった。店員が飲み物と軽食を丁寧に並べて去っていく。その姿が見えなくなるのを待って、フラムリーヴェが再び口を開いた。
「騒動の折、私は色々なことを言われました。根も葉もない噂が流れたこともあったようです。彼は、それを気にしていたようなのです。『自分のために、私たちが傷ついた』と」
あ、と。ヒワとシルヴィーは同時に声を漏らした。先ほど聞いた話と重なる部分がある。フラムリーヴェもうなずいた。
「彼の気持ちを知って、今後は気をつけようと思っていたはずでした。それなのに、私は、また……」
声がしぼむ。炎をまとい、大剣を振るって戦う戦乙女らしからぬ姿だった。思わずうつむいたヒワの横で、シルヴィーが腕を組む。「んー」とうなって、赤茶色の瞳を隣に向けた。
「ヒワはどう思うよ」
「……えっ、わたし?」
話を振られたヒワは、うろたえて変な声を上げてしまう。シルヴィーから顔を逸らした先で、すがるような紫の瞳を見てしまい、声を詰まらせた。
耳元の髪をいじくりながら、言葉を探す。
「フラムリーヴェさんが言ったことややったことは、多分、間違ってないんだと思う。でも……その『お友達』やロレンスの気持ちも、ちょっと、わかるかも」
フラムリーヴェが目を伏せた。対してシルヴィーは「ほう」と目を開く。あっという間に乾いた喉を、温かいお茶で潤してから、ヒワは続けた。
「自分のせいでまわりの人が悪く言われるのも嫌だし、その様子を見て自分が傷つくのも嫌だ。そんなことになるくらいなら、自分一人が黙って我慢してた方がいいって……そう考えちゃうんじゃないかなって」
シルヴィーが目を細める。「あんたそんなこと思ってたの?」と問うてきているようだった。ヒワは、ちょっと苦笑する。
「ましてやフラムリーヴェさんは、本来違う世界に住んでいるわけだし、二つ名があるくらいすごい人だし。余計気になっちゃうよ。わたしも、自分の失敗のせいでエラが悪く言われるの、嫌だもん」
「あー……なるほど。それは、あんたたちじゃないとわからない感覚だわね」
シルヴィーがしかつめらしくうなずく。その向かいで、フラムリーヴェは難しい顔をしていた。
「やはり、私はロレンスを追い詰めてしまったのでしょうか」
「……そこまで責めることはないと、思いますけどねえ」
ため息まじりに呟いたシルヴィーが、紅茶に口をつける。それから、身振りを交えて語った。
「今回の件に関しては、ロレンスの受け取り方の問題もあると思いますよ。……まあ、あんな環境で育てば、何もかもにおびえちゃうのもやむなしですけど」
少女の声が、一瞬、暗くなった。フラムリーヴェが不思議そうに彼女を見る。ヒワも釣られてしまった。
二人分の視線を受けて、シルヴィーが眉を下げる。
「――あー。もしかしたらロレンス、『あのこと』引きずってるのかもなあ」
「あのこと?」
「むかーしむかしの話なんだけどね」
シルヴィーが、ティーカップをソーサーに置く。それから、語り出した。ふたりともに向けて。
「あたし、小さい頃はローザ家の別邸で暮らしてたんですよ。オルキデーアって町にある、小さめのお屋敷でね」
町の名前を繰り返したフラムリーヴェが、目をみはる。それを見たシルヴィーは、得意げに片目をつぶった。
「そ。ロレンスの実家がある町です」
ヒワは息をのむ。背筋を伸ばして、友人の声に耳を傾けた。
「あいつと出会ったのは、まあなんか、たまたまだったんじゃないかな? 気づいたら一緒に遊ぶようになってて……あいつが家でほとんどひとりぼっちだって知ってからは、多少無理やりに屋敷から連れ出すこともありました」
シルヴィーは懐かしそうに目を細める。だが、すぐに眉をつり上げて、左手の人差し指を立てた。
「で。あるとき、それがロレンスのお父さんにばれたみたいなんです。ロレンスに接触禁止命令みたいなのが出て、うちにも苦情がきました」
いきなりの展開に、ヒワはひっくり返りそうになった。叫び声をこらえつつも、身を乗り出す。
「なにそれ!? 二人は一緒に遊んでたってだけでしょ? なんで――」
ヒワの疑問に答えをくれたのは、フラムリーヴェだった。
「伝統ある家の精霊指揮士たちは、同業者以外と交流することを嫌うのです。精霊を感じられぬ者と接することで、その感覚が鈍ったり、研究や勉学がおろそかになると困る、ということで」
どこかで聞いた話だ。ヒワが口をぱくぱくさせていると、シルヴィーが「馬鹿みたいだよね」と吐き捨てた。
「当然、あたしは『こんなのおかしい』って言ったし、家族も味方してくれました。けど……相手が相手でしたから。真正面から戦うことはさすがにできません。
あたしは隠れてロレンスのところに遊びにいきました。でも、あいつは日に日に元気をなくしていった。そんで、あるとき、わんわん泣きながら言ったんです」
シルヴィーが一度言葉を止める。彼女らしからぬ苦しげな表情で、唇をひらいた。
「『もう来ないで。今度見つかったら、シルヴィーがちちうえになぐられる。うちのひとにもいっぱい悪口を言われちゃう』」
幼き日を再現した言葉に対し、ヒワは何も返せない。大粒の涙をこぼす男の子の姿が、目に浮かぶようだった。
「あたしは『そんなの気にしない』って言いました。そしたらあいつ、なんて答えたと思います?」
ふたりとも、無言だった。シルヴィーは気にせず続ける。
「『おれがいやなんだ。おれのせいでシルヴィーが傷つくのがいやだ』――さっきも聞いたね、これ」
シルヴィーはからかうようにヒワを見る。見られた方は何とも言えず、頬をかいた。
「その一か月後くらいに、あたしは本邸へ移りました。もともと、学校に通う年齢になったら移る予定だったんですけど……それがだいぶ早まったんですよ。グラネスタ家の顔色を、うかがわざるを得なかったんでしょうね」
ヒワはフラムリーヴェを見る。やはり、重々しく沈黙していた。こみ上げる苦味をのみこんで、友人に目を戻す。
「じゃあ……ロレンスと離れることになったんだ」
恐る恐る確認すると、シルヴィーは「そう」と指を振った。
「ま、結局はロレンスもソーラス院に通うことになって、二人はジラソーレで再会しました。めでたしめでたし……ってわけなんだけどさ」
明るく締めくくって、シルヴィーは再びカップを持ち上げる。紅茶を堪能してから、口をつぐんでいる精霊人を見た。
「つまり、何が言いたいかというとですね。あたしも同じことやったんですよーってのと、フラムリーヴェさんのせいじゃないってことですよ」
フラムリーヴェは、しきりに目を瞬く。
シルヴィーは、幼い子に言い聞かせるように語った。
「きっと、あいつだってわかってます。フラムリーヴェさんの気持ちも。本当は頼った方がいいんだってことも。でも、そうしたらまた傷が増えるって、思い込んじゃってるのかも。――精霊人の精鋭と、無鉄砲なだけの女の子を一緒にすんなって話ですけどね」
かつて『無鉄砲な女の子』だった少女は、からりと笑う。それを見つめた紫水晶が、揺らいだ。
「……私は、どうしたらよいのでしょう」
静かな問いは、けれど、まるで悲鳴のようだった。
「私は、ロレンスに、何ができるのでしょう。戦うしか能のない私に……」
ヒワは、手もとのカップをにらむ。自分の心の叫びが、そのまま返ってきたかのようだった。無力なわたしが、契約相手に、何をしてあげられるのか。
精霊人でも精霊指揮士でもない少女は、顎に指をかける。そして、対面の女性を見据えた。
「あいつの幼馴染としては、見捨てずにいてくれると嬉しいなあって思いますよ」
フラムリーヴェは、弾かれたように顔を上げる。
「見捨てるなど。あり得ません」
揺るぎない。いつもの〈浄化の戦乙女〉がそこにいた。ヒワは思わず笑みをこぼす。シルヴィーも吹き出した。
「いやあ、頼もしい。ロレンスにも聞いてほしいわ。ね、ヒワ」
「そうだね」
きっと今頃、あれこれ悩んでいることだろう。戦友でもある彼の姿を想像した後、自然とフラムリーヴェを呼んでいた。首をかしげた彼女に、ヒワはほほ笑みかける。
「ロレンスのそばにいてあげてください。顔を見るのが気まずかったら、隠れててもいいので」
フラムリーヴェは目をみはる。それから、わずかに瞼を狭めた。人によっては無表情と区別がつかないかもしれないが。それは確かに、微笑だった。
「……はい。そうします」
はらはらしながら入った店から、穏やかな気持ちで退店する。フラムリーヴェは、すぐにでも戻ろうとしていた。が、そこに爽やかな風が吹く。ほどなくしてヒワの眼前に光が灯り、小さな少年が現れた。
「エラ!」
「よう。土手に姿がなかったから、辿ってきたぞ。どうしたんだよ。なんでフラムリーヴェがいるんだ?」
ヒワは、不思議そうなエルメルアリアを見上げる。なぜだか胸がしめつけられて。気が付いたら、彼の体に手を伸ばしていた。
「うわっ。なんだよ、突然」
「なんとなく、こうしたくなって」
「なんだそれ。あんた最近、オレのことを子供か何かと勘違いしてないか?」
抱きしめる少女と、複雑な面持ちで抱きしめられる精霊人。ふたりを見つめる視線の色は、それぞれだ。にやにやしているシルヴィーに気づいたエルメルアリアが、目をすがめる。
「……なんだよ」
「いや、なんでもー?」
シルヴィーはわざとらしくかぶりを振る。詰め寄ろうとしたエルメルアリアはだが、勢いよく振り返った。
「エラ?」
「――ヒワ」
ふたつの呼びかけが重なる。
ヒワを呼んだのは、エルメルアリアではなかった。もっと低い、北風のような声。
「へ?」
ヒワは驚いて、声のした方を見る。
歩道のただ中。人の流れを避けるようにして、一人の青年が立っていた。銀灰色の髪に冷たい瞳、徒歩での旅を想定した外套。すべて、ジラソーレではひどく浮いている。
「ルートヴィヒさん?」
「あんた、なんでこんなところにいるんだ」
ヒワはうわずった声で名を呼ぶ。腕の中で、エルメルアリアが眉をひそめた。
様々な感情を受け止めてなお、旅の青年ルートヴィヒは眉ひとつ動かさない。
「おまえたちを探していた」
「わたしたちを……? 何かご用ですか?」
「ああ。精霊人たちに、相談したいことがある」
意外すぎる言葉に、ヒワは固まる。
ルートヴィヒに呼ばれた二人は、怪訝そうに視線を交わした。




