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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第七章 銀と炎のソード・ダンス
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99 心配の発露

 夕刻、ロレンスのもとに赤い光が飛んできた。夕食を済ませ、寮の部屋に戻ろうとしていたときのことだ。


「ロレンス。確認したいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」


 フラムリーヴェの声が、魔力に乗って響く。ロレンスは、少し眉をひそめた。いつもより声色が暗い。


「いいよ。ちょっと待ってて」


 込み入った話だろうかと思い、ロレンスはひと気のない場所を探した。結果、中庭と内部を繋ぐ細い通路に駆け込む。名を呼ぶと、フラムリーヴェもすぐにやってきた。赤い光の中から現れた戦乙女は、なぜかしかめっ面だ。


「待たせてごめん。何かあった?」


 不思議に思いつつ、ロレンスが尋ねると――フラムリーヴェは、いきなり顔を近づけてきた。


 ロレンスはぎょっとして後ずさる。背中が通路の壁にぶつかった。逃げ場がない、などと、本来必要のない思考が走る。


 ロレンスが混乱している間にも、フラムリーヴェはじっと彼を見つめていた。何かを点検するような目つきである。


「見たところ、外傷はないようですが……痛みや体の違和感など、ありませんか?」

「え、ええ? ないよ、そんなの」


 ロレンスがひっくり返った声で答えると、フラムリーヴェはようやく顔を離した。「それなら、よいのですが」とため息をつく。


「突然すみません。昼間から気になってはいたのですが、公衆の面前で姿を現すわけにはいきませんので……」

「昼間からって――」


 なんのことだ、と言いかけて、ロレンスは息をのむ。


「もしかして、見てた? その……ダリオに絡まれたとこ」


 フラムリーヴェはうなずいた。


 ロレンスは頭を抱える。よりによって、一番知られたくない人に目撃されていたとは。


「ごめん。心配かけた。怪我はしてないから、大丈夫」


 顔を上げてそう言うと、フラムリーヴェは再びうなずく。しかし、その表情は晴れなかった。


 生徒たちの話し声が遠くに聞こえる。それをかき消すように、問いが落ちた。


「いつから、あのようなことが起きていたのですか」

「ぶつかられたのは今日が初めて」


 ロレンスは、笑みをつくって肩をすくめる。しかし、フラムリーヴェは引き下がらなかった。


「『ぶつかられる』以外のことはあったんですね」

「……まあ。夏休み明け、くらいから」

「最近といえば最近ですね。なぜ、急に――」


 真剣に呟いたフラムリーヴェが、弾かれたように顔を上げる。ロレンスは、彼女が自分と同じ答えに行きついたことを悟った。案の定、戦乙女はそれを口にする。


「王都に、学生がいたのでしょうか。そこから噂が広がった……?」

「俺もそう思ってる。確かなことは、わからないけど」


 嫌々ながらロレンスが返すと、フラムリーヴェは強く拳を握った。


「申し訳ありません。もっと慎重に行動すべきでした」

「しかたないよ。そんなこと言ってられる状況じゃなかったんだし」

「しかし、私の存在がロレンスに悪影響を及ぼすのは――」

「違う。逆だよ」


 ロレンスは、強くかぶりを振る。


「俺が、フラムリーヴェの足を引っ張ってるんだ」


 どうしても語気が強くなった。


 ――たとえ強い魔物や精霊人(スピリヤ)と契約したことが知られても、兄たちなら嫌がらせを受けることなどなかっただろう。むしろ納得され、称賛されたはずだ。


 ロレンスだから。『グラネスタ家の落ちこぼれ』の自分だから、こんなことになっている。


 あまりの重さと罪悪感に、逃げ出したくなった。その衝動をどうにか抑えて、ロレンスは視線を上向ける。フラムリーヴェは、泣きそうな、それでいて怒ったような顔で契約者を見ていた。


「とにかく、この状況は放っておけません。学院長かエリゼオ卿に相談しましょう」

「……いいよ、そんなの。先生たちは証拠がないと動けないし、父さんに相談したところで『自分でどうにかしろ』って言われるのがオチだ」


 フラムリーヴェの正論を、しかしロレンスは突っぱねる。どうせ誰も味方してくれない。昔からそうだった。いや、トビアスやレオルカが事態を把握してくれている分、今の方がましである。


「兄貴が噂を潰すって言ってくれたし、俺は大人しくしてる」

「兄――レオルカ様ですね」


 苦々しげな言葉に、ロレンスは強くうなずいた。


 しかし、フラムリーヴェの眉間のしわは消えない。紫水晶の瞳には、未だ炎が宿っていた。


「レオルカ様が動いてくださるのは心強い限りですが……こちらはこちらで、対処した方がよいかと存じます。このままでは、噂の鎮静を待っている間、ロレンスが苦しいばかりです」

「別に、それでいいよ。慣れてるし」

「よくありません。慣れるものでもありません。――突っぱねられるかもしれませんが、一度、エリゼオ卿に伝えてみましょう」

「いいって」

「なんなら、私も一緒に協会支部へ参ります。ロレンスの口から伝えてだめなら、私から協力をお願いしても――」


 フラムリーヴェの力強い声を聞いたとき。なぜか、幼馴染の顔が頭に浮かんだ。


 心の奥底に押し込めていたものが、沸騰して、あふれ出す。


「いいって言ってるだろ!!」


 怒声が響く。それは幾度も反響し、指揮術(しきじゅつ)仕掛(じか)けの照明のを、わずかに揺らした。


 世界が凍りついたかのようだった。ロレンスははっとして、うつむく。


「……ごめん」


 かすれた謝罪を吐き出して、目をつぶった。


「でも、これは俺の問題だ。天外界も〈穴〉も関係ない。頼むから、余計なことをしないでくれ」


 ロレンスは、光が集まる方へつま先を向ける。相手の顔を見もせず、逃げるように足を進めた。名を呼ぶ声が追ってきても、決して立ち止まらなかった。


 学生たちが行き交う区画へ出る。同級生とすれ違っても、談笑の声を聞いても、ロレンスはうつむいたままだった。もう、何も見たくない。


 涙がにじむ。頭をかきむしりたい衝動に駆られる。けれど、誰かに見咎められては困るので、ただ歩きつづけた。


 ――やってしまった。ここまで積み上げてきたものを、一時の衝動で、めちゃくちゃにしてしまった。契約解除を言い渡されても文句は言えない振る舞いだ。


 でも、これでいい。ロレンスは自分に言い聞かせる。


 これ以上、人間の若造の問題にフラムリーヴェを巻き込むわけにはいかない。〈浄化の戦乙女〉の名に、何百年もかけて築いてきたであろう信用に、つまらぬことで傷をつけるわけにはいかないのだ。


「これで、いい」


 そのはずなのに。どうして、こんなに苦しいんだろう。


 見慣れた区画に入る。自分たちの部屋の前に立つ。ロレンスは、把手に手をかけて――力なくうなだれた。

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