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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第七章 銀と炎のソード・ダンス
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96 届け物

 夕刻のソーラス院、男子寮。休日を控えているとあって、前庭は浮足立った生徒で埋めつくされていた。


 和やかに談笑する少年少女。その輪から少し離れた木陰の下に、二人の少年がいた。彼らは、大多数の生徒たちとは別の意味で騒がしい。


「いだだだだっ! トビー、まっ、体、ちぎれる! 死ぬ!」

「死なない死なないちぎれない。はい、息吐いてー」


 ローブを脱いで座り、柔軟体操の姿勢を取った一人の背中を、もう一人が押している。彼がさらに体重をかけると、下から声にならない悲鳴が上がった。


「シルヴィーさんの指示通りやってるから。安心して泣き喚けー」

「横暴……冷徹……このやろー……」


 気が抜けるようなやり取りと悲鳴が、かわるがわる響く。


 五分後。芝生に寝転がった少年に、背中を押していた方が手を差し伸べた。


「よーし。薬草園に行くよ、ロレンス」

「もうちょっと、待って……」

「早くしないと夕飯抜きになるけど、いいの?」


 そう言われて、ロレンス・グラネスタは低くうめいた。満面の笑みの同居人をにらむ。しかし、すぐにそれすら無駄だと悟って、身を起こした。


 ロレンスの幼馴染、シルヴィー・ローザが提案した『ロレンスでもできる体力づくり計画』に沿って、ソーラス院内の薬草園へ向かう。今度の実習に使う薬草を頂いて寮に戻ると、ちょうど夕食の時間だ。他の生徒に混じって夕食を摂り、それが済むと「疲れた」と言いあいながら部屋に戻る。


 それが、ロレンスたちの最近の日常であった。


 寮に戻るなり、同居人ことトビアスが、ロレンスに何かを差し出す。


「お手紙ですよー」


 それを聞いて、ロレンスは目を丸くする。部屋に戻る前、彼が事務局に顔を出していたのを思い出した。


「手紙来てた?」

「うん。グラネスタ家から」


 ロレンスは、さらに眉を上げた。思ったより返信が早い。


「そっか。悪いな、取ってきてもらって」

「いいよ、いいよ。ついでだから」


 からりと笑う友人から封筒を受け取ると、二段ベッドの下段に腰かける。差出人の名を確かめて、封を切った。便箋(びんせん)は、やはり一枚だけ。


 ロレンスがそれに目を通していると、トビアスが尋ねてくる。


「お父さんから?」

「うん。いつもの定期連絡の返信」

「相変わらず短いの?」

「相変わらず短いね」


 オウム返しのように答えてから、ロレンスは「あっ」とこぼす。


「でも、最近は文章がちょっと増えた」

「えっ、まじ?」


 トビアスが前のめりになる。思った以上の食いつきだったので、ロレンスは慌てて言葉を足した。


「連絡することが一個増えたから、そのぶん返事が増えただけだよ。情緒がないのは変わらない」


「そっかあ」と、トビアスは残念そうに身を引く。同居人の反応に、ロレンスは苦笑した。


「なんでトビーが俺の手紙を気にするのさ」

「だってさあ。親子のやり取りと思えなくて、心配になるんだもんよ。どんな気持ちでそれ書いてるんだろうな、エリゼオ卿は?」

「さあ。仕事感覚かな」


 呆れているのか、憤慨しているのか。高まるトビアスの声を聞き流しつつ、ロレンスは手紙に目を通す。


『詰めが甘い。フラムリーヴェ殿が送還完了を確認するまで気を抜くな』


 先の『任務』の評価を見て、眉をひそめる。


「……悪かったな、詰めが甘くて」


 呟いた声は、幸い、トビアスには聞こえていないようだった。



 翌朝早く、ロレンスは寮の中庭に出た。陰になっているところで、あるものを待っていた。


 ややして、それは訪れる。焚火のように爆ぜる魔力。ぬくもりが額を撫でて、赤い光が眼前に灯った。それは炎のごとく広がった。


 光の中から女性が現れる。黒い鎧と暗き炎を思わせる衣をまとい、火の色を写し取ったような長髪をなびかせるひと。彼女は人間ではない。人と精霊、両方の性質を持つ種族――精霊人スピリヤだ。


 赤い光が消えると、彼女はロレンスを見る。紫水晶の瞳が、朝日を受けてきらめいた。


「ただいま戻りました、ロレンス」

「おかえり、フラムリーヴェ。報告お疲れ様」


 ロレンスが労うと、フラムリーヴェは一礼する。いつものやり取りだった。


「変わったことはなかった?」

「はい。報告も、無事完了しました。〈穴〉は観測され続けていますが、ひとまずはヘルミ様やノクス様の組が対応しているようです」

「そっか。……やっぱり現役の精霊指揮士コンダクターは違うな」


 ロレンスは素直に感嘆する。対してフラムリーヴェは、眉一つ動かさずにこう言った


「我々は我々で、手の届く範囲の〈穴〉をふさげばよいのです。ロレンスは、それが十分できているかと」

「……だといいな。ありがと」


 ロレンスは、はにかんで肩をすくめた。


 ――いくつもの世界が重なり合う多重世界。その境目に突如あいた〈穴〉をふさぐのが、この天地内界(てんちないかい)へ下りてきた精霊人の使命である。ロレンスは、精霊人の一人であるフラムリーヴェと契約し、共に立ち向かっていた。彼女が必要な時に全力を出せるよう『制限』を解除するのが主な役目だが、最近は純粋な戦力として期待されているところもあった。ロレンスとしては、嬉しくもあるが、重圧も感じている。


「ロレンス。今日は何かご予定がおありですか」


 最低限の報告を終えたのち、フラムリーヴェがおずおずと口を開いた。ロレンスは、両目をしばたたかせる。


「特にないよ。どうしたの?」

「いえ、その――ヒワ様のお宅にお伺いしたいのです」


 続く答えを聞いて、ロレンスは絶句した。やりにくそうな契約相手をまじまじと見つめる。


「もしかして、エルメルアリアに用事? 仕事の話……ではなさそうだけど」


 仕事の話ならば、これほど気まずそうに切り出すことはないはずだ。案の定、フラムリーヴェは曖昧にうなずいた。顔をしかめて、続ける。


「私も、詳しいことはわからないのですが。おふたりへのお届け物を預かっているのです」

 ロレンスは、首をかしげることしかできなかった。



     ※



 ジラソーレ市内にある集合住宅。その一角に来客があったのは、昼前のことである。


 家の留守を預かっていたヒワ・スノハラは、呼び鈴の音を聞いて、すぐに立ち上がった。やりかけの課題のノートを机の端に寄せて、慌てて部屋を出る。


 玄関扉を開けて――ほっと肩の力を抜いた。


「あ、ロレンス。こんにちは」

「こんにちは。いきなり来てごめん」


 この頃何かと顔を合わせる機会が増えた友人は、そう言って頭を下げる。ヒワは「気にしないで」とほほ笑んだ。その上で尋ねる。


「今日はどうしたの?」

「それが……」


 ロレンスが、言いよどんで後ろを向いた。そこには、当然のようにフラムリーヴェが立っている。


「フラムリーヴェが、ヒワたち宛ての荷物を預かっているみたいで」

「荷物?」


 ヒワは、素っ頓狂な声で繰り返す。


 はて、天外界(てんがいかい)から荷物が届く覚えなどないのだが。戸惑ったヒワは、フラムリーヴェに声をかけた。


「えっと……どなたからのお荷物です?」

「クロードシャリス様からです。おふたりに渡すようにと」


 ヒワは、ロレンスと顔を見合わせた。


 知っている名だ。それどころか、ヒワの契約相手の親友である。


 戸惑いは消えなかったが、ひとまず客人を中に招き入れた。そして『契約相手』を呼ぶ。


「おーい、エラ!」


 彼は外にいたらしい。が、すぐに戻ってきた。やわらかな光の中から現れた小さな精霊人は、不思議そうに人々を見る。


「お? なんだなんだ。また面倒事か?」

「いや。フラムリーヴェさんが、クロさんから荷物を預かってきたんだって」


 ヒワがそう言うと、彼――エルメルアリアは眉を寄せる。少し高度を下げて、同胞を見た。


「クロから? どうしたんだ?」

「私にもよくわかりません。ただ、〈銀星(ぎんせい)の塔〉でお会いしたときに、箱を預かっただけです」


 フラムリーヴェは虚空に手をかざす。すると、四角い箱が現れて、彼女の手に乗った。そこそこ重さがありそうだ。しかも、箱に冷たい魔力がまとわりついている。


 精霊人たちは、眉を寄せた。


「……指揮術(しきじゅつ)で保冷してあるな」

「はい。生ものでしょうか」

「オレに訊かれても」


 生ぬるい沈黙。その中で、エルメルアリアが手近な椅子に腰かけた。


「とりあえず、開けてみるか。危険物ではなさそうだし」

「うん」


 ヒワはうなずいて、箱を受け取る。慎重に開封して――えっ、とこぼした。


 箱を開き切った瞬間、甘酸っぱい匂いが立ち昇る。誕生日の夜を思い出す香りだった。


「ケーキ?」

「だな」


 ふたりは箱をのぞきこむ。そこにあったのは、まぎれもなく、円筒形のケーキだった。クリームで覆ったスポンジケーキの上に、桃色のムースを乗せてあるようだ。天面には、桑の実に似た木の実や、小さな葉っぱが飾り付けられている。


 ヒワは感嘆し、次に首をかしげた。


「でも、なんでケーキ……?」

「あ。手紙が入ってるぞ」


 エルメルアリアが、ケーキの横に添えられていた厚い紙を抜き取る。折りたたまれたそれを開いて、目を走らせた。


「なになに……?

『エラ、並びにヒワさんへ。先日はヒューゲル王国での任務、お疲れ様。大変な旅と戦いだったようだね。少しでも癒しになれば……ということで、お菓子を作ってみたので、受け取ってほしい。

 天外界の食材を天地内界へ持っていくと傷みやすくなるので、開封後は早めに食べてね』――だとさ」


 ヒワは、驚いて箱と相棒を見比べた。その相棒はというと、手紙を見て笑っている。


「クロの奴、相変わらずだな」

「心配かけちゃったかなあ」


 ヒワは頬をかく。


 確かに、先のヒューゲル王国での〈穴〉探しは波乱万丈だった。未だに社殿で見たものが夢に出ることがあるくらいだ。だが、それがクロードシャリスの耳に届いていること、そしてこんな贈り物が来ることは予想外だった。


 小さくなっているヒワに、しかしエルメルアリアが片目をつぶる。


「それもあるかもしれないけど……ヒワに手作り菓子を食べてもらいたかったんじゃねえ?」


 ここにいない親友をからかうような口調である。ヒワは少し戸惑ったが、ややあって、へにゃりと笑った。


「そういうことなら……とりあえず、頂こっか」

「おう」


 ヒワが箱の中に手を差し入れると、エルメルアリアが台所へ飛ぶ。ケーキを慎重に取り出したヒワは、所在なさげにしている友人を見た。


「ねえ。ふたりも一緒に食べよう」

「――え?」


 ロレンスとフラムリーヴェが、揃って目を丸くする。


「いや、でも……。ヒワたちに贈られたものでしょ。俺たちはヒューゲルにだって行ってないし」

「でも、調査を手伝ってくれたでしょ。フラムリーヴェさんだって、ケーキを届けてくれたわけだし。それにほら、わたしとエラで食べるには、ちょっと大きいよ」


 ヒワがおどけて言うと、ふたりは顔を見合わせる。


 ややあって、ロレンスが軽くお辞儀をした。


「それじゃあ……ありがたく」


 フラムリーヴェも恭しく一礼して「ご相伴にあずかります」と言う。ヒワは顔を輝かせた。そこへ、相棒が戻ってくる。


「おう、食ってけ食ってけ。……ただし、クロには内緒な」


 一揃いの食器を持ってきた彼は、悪だくみでもするようにささやいた。



 クロードシャリスお手製のケーキを四人で囲む。切り分けたそれをそうっと口に入れたヒワは、目をみはった。


「おいしい……!」

「うん。クリームがくどくなくて食べやすい」

「だろ? 美味いだろ」


 感激している少年少女を見て、エルメルアリアが胸を張った。自分が褒められたとき以上に嬉しそうだ。


 しばしケーキや作り手の話で盛り上がる。その後、話題は近況に移った。


「そういえば、わたしたちがヒューゲルに行ってる間、ロレンスたちも〈穴〉をふさいでたんだよね? どうだった?」

「相変わらず魔物の数はすごいけど。やることはいつもと変わらなかったよ」


 ヒワの問いかけに、ロレンスが淡白に答える。フラムリーヴェも、静かにうなずいた。


「不審な点や大きな変化はありませんでした」

「そりゃよかった。……ほかに、変わったことはないよな? 変な魔力を感じたとか」


 ケーキを少しずつ崩しながら、エルメルアリアが尋ねる。フラムリーヴェは「ありませんね」と答えてフォークを置いた。


「第一、この町で不審な魔力を感じたら、まっさきにあなたが気づくでしょう」

「ま、そうなんだけどな。一応の確認ってやつだよ」


 友達予備軍の二人は相変わらずだ。ヒワはそっとほほ笑んで、何気なくロレンスの方を見る。


「変化、か」


 彼は、ぽつりと呟いて、切り分けたケーキを口に運んだ。いつもの眠そうな表情。だが、なんとなくくすんで見える。ヒワは思わず口を開いた。


「どうかした、ロレンス?」

「ふえ?」


 ロレンスは、今しがた目覚めたかのような表情で振り返った。疑問の視線が突き刺さる。ヒワは、慌てて言い訳した。


「えっと。なんか、元気ないように見えたから」


 すると、ロレンスの顔がわずかにこわばる。視線が泳いで、皿に落ちた。


「そ、そう? ごめん。ちょっと考え事してた」


 考え事、と繰り返して。ヒワは努めて表情をやわらげた。


「悩みがあったら聞くからね。……本当に聞くことしかできないかもしれないけど」


 反射的に言ってから、顔を引きつらせる。『考え事』が指揮術関係のことだった場合、なんの助言もできないのだ。自分に自分の未熟さを突きつけてしまった感覚だった。小さくうなったヒワの前で、しかしロレンスは顔をほころばせる。


「ありがと」


 そう言って、ケーキの残りをすくいあげた。

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