96 届け物
夕刻のソーラス院、男子寮。休日を控えているとあって、前庭は浮足立った生徒で埋めつくされていた。
和やかに談笑する少年少女。その輪から少し離れた木陰の下に、二人の少年がいた。彼らは、大多数の生徒たちとは別の意味で騒がしい。
「いだだだだっ! トビー、まっ、体、ちぎれる! 死ぬ!」
「死なない死なないちぎれない。はい、息吐いてー」
ローブを脱いで座り、柔軟体操の姿勢を取った一人の背中を、もう一人が押している。彼がさらに体重をかけると、下から声にならない悲鳴が上がった。
「シルヴィーさんの指示通りやってるから。安心して泣き喚けー」
「横暴……冷徹……このやろー……」
気が抜けるようなやり取りと悲鳴が、かわるがわる響く。
五分後。芝生に寝転がった少年に、背中を押していた方が手を差し伸べた。
「よーし。薬草園に行くよ、ロレンス」
「もうちょっと、待って……」
「早くしないと夕飯抜きになるけど、いいの?」
そう言われて、ロレンス・グラネスタは低くうめいた。満面の笑みの同居人をにらむ。しかし、すぐにそれすら無駄だと悟って、身を起こした。
ロレンスの幼馴染、シルヴィー・ローザが提案した『ロレンスでもできる体力づくり計画』に沿って、ソーラス院内の薬草園へ向かう。今度の実習に使う薬草を頂いて寮に戻ると、ちょうど夕食の時間だ。他の生徒に混じって夕食を摂り、それが済むと「疲れた」と言いあいながら部屋に戻る。
それが、ロレンスたちの最近の日常であった。
寮に戻るなり、同居人ことトビアスが、ロレンスに何かを差し出す。
「お手紙ですよー」
それを聞いて、ロレンスは目を丸くする。部屋に戻る前、彼が事務局に顔を出していたのを思い出した。
「手紙来てた?」
「うん。グラネスタ家から」
ロレンスは、さらに眉を上げた。思ったより返信が早い。
「そっか。悪いな、取ってきてもらって」
「いいよ、いいよ。ついでだから」
からりと笑う友人から封筒を受け取ると、二段ベッドの下段に腰かける。差出人の名を確かめて、封を切った。便箋は、やはり一枚だけ。
ロレンスがそれに目を通していると、トビアスが尋ねてくる。
「お父さんから?」
「うん。いつもの定期連絡の返信」
「相変わらず短いの?」
「相変わらず短いね」
オウム返しのように答えてから、ロレンスは「あっ」とこぼす。
「でも、最近は文章がちょっと増えた」
「えっ、まじ?」
トビアスが前のめりになる。思った以上の食いつきだったので、ロレンスは慌てて言葉を足した。
「連絡することが一個増えたから、そのぶん返事が増えただけだよ。情緒がないのは変わらない」
「そっかあ」と、トビアスは残念そうに身を引く。同居人の反応に、ロレンスは苦笑した。
「なんでトビーが俺の手紙を気にするのさ」
「だってさあ。親子のやり取りと思えなくて、心配になるんだもんよ。どんな気持ちでそれ書いてるんだろうな、エリゼオ卿は?」
「さあ。仕事感覚かな」
呆れているのか、憤慨しているのか。高まるトビアスの声を聞き流しつつ、ロレンスは手紙に目を通す。
『詰めが甘い。フラムリーヴェ殿が送還完了を確認するまで気を抜くな』
先の『任務』の評価を見て、眉をひそめる。
「……悪かったな、詰めが甘くて」
呟いた声は、幸い、トビアスには聞こえていないようだった。
翌朝早く、ロレンスは寮の中庭に出た。陰になっているところで、あるものを待っていた。
ややして、それは訪れる。焚火のように爆ぜる魔力。ぬくもりが額を撫でて、赤い光が眼前に灯った。それは炎のごとく広がった。
光の中から女性が現れる。黒い鎧と暗き炎を思わせる衣をまとい、火の色を写し取ったような長髪をなびかせるひと。彼女は人間ではない。人と精霊、両方の性質を持つ種族――精霊人だ。
赤い光が消えると、彼女はロレンスを見る。紫水晶の瞳が、朝日を受けてきらめいた。
「ただいま戻りました、ロレンス」
「おかえり、フラムリーヴェ。報告お疲れ様」
ロレンスが労うと、フラムリーヴェは一礼する。いつものやり取りだった。
「変わったことはなかった?」
「はい。報告も、無事完了しました。〈穴〉は観測され続けていますが、ひとまずはヘルミ様やノクス様の組が対応しているようです」
「そっか。……やっぱり現役の精霊指揮士は違うな」
ロレンスは素直に感嘆する。対してフラムリーヴェは、眉一つ動かさずにこう言った
「我々は我々で、手の届く範囲の〈穴〉をふさげばよいのです。ロレンスは、それが十分できているかと」
「……だといいな。ありがと」
ロレンスは、はにかんで肩をすくめた。
――いくつもの世界が重なり合う多重世界。その境目に突如あいた〈穴〉をふさぐのが、この天地内界へ下りてきた精霊人の使命である。ロレンスは、精霊人の一人であるフラムリーヴェと契約し、共に立ち向かっていた。彼女が必要な時に全力を出せるよう『制限』を解除するのが主な役目だが、最近は純粋な戦力として期待されているところもあった。ロレンスとしては、嬉しくもあるが、重圧も感じている。
「ロレンス。今日は何かご予定がおありですか」
最低限の報告を終えたのち、フラムリーヴェがおずおずと口を開いた。ロレンスは、両目をしばたたかせる。
「特にないよ。どうしたの?」
「いえ、その――ヒワ様のお宅にお伺いしたいのです」
続く答えを聞いて、ロレンスは絶句した。やりにくそうな契約相手をまじまじと見つめる。
「もしかして、エルメルアリアに用事? 仕事の話……ではなさそうだけど」
仕事の話ならば、これほど気まずそうに切り出すことはないはずだ。案の定、フラムリーヴェは曖昧にうなずいた。顔をしかめて、続ける。
「私も、詳しいことはわからないのですが。おふたりへのお届け物を預かっているのです」
ロレンスは、首をかしげることしかできなかった。
※
ジラソーレ市内にある集合住宅。その一角に来客があったのは、昼前のことである。
家の留守を預かっていたヒワ・スノハラは、呼び鈴の音を聞いて、すぐに立ち上がった。やりかけの課題のノートを机の端に寄せて、慌てて部屋を出る。
玄関扉を開けて――ほっと肩の力を抜いた。
「あ、ロレンス。こんにちは」
「こんにちは。いきなり来てごめん」
この頃何かと顔を合わせる機会が増えた友人は、そう言って頭を下げる。ヒワは「気にしないで」とほほ笑んだ。その上で尋ねる。
「今日はどうしたの?」
「それが……」
ロレンスが、言いよどんで後ろを向いた。そこには、当然のようにフラムリーヴェが立っている。
「フラムリーヴェが、ヒワたち宛ての荷物を預かっているみたいで」
「荷物?」
ヒワは、素っ頓狂な声で繰り返す。
はて、天外界から荷物が届く覚えなどないのだが。戸惑ったヒワは、フラムリーヴェに声をかけた。
「えっと……どなたからのお荷物です?」
「クロードシャリス様からです。おふたりに渡すようにと」
ヒワは、ロレンスと顔を見合わせた。
知っている名だ。それどころか、ヒワの契約相手の親友である。
戸惑いは消えなかったが、ひとまず客人を中に招き入れた。そして『契約相手』を呼ぶ。
「おーい、エラ!」
彼は外にいたらしい。が、すぐに戻ってきた。やわらかな光の中から現れた小さな精霊人は、不思議そうに人々を見る。
「お? なんだなんだ。また面倒事か?」
「いや。フラムリーヴェさんが、クロさんから荷物を預かってきたんだって」
ヒワがそう言うと、彼――エルメルアリアは眉を寄せる。少し高度を下げて、同胞を見た。
「クロから? どうしたんだ?」
「私にもよくわかりません。ただ、〈銀星の塔〉でお会いしたときに、箱を預かっただけです」
フラムリーヴェは虚空に手をかざす。すると、四角い箱が現れて、彼女の手に乗った。そこそこ重さがありそうだ。しかも、箱に冷たい魔力がまとわりついている。
精霊人たちは、眉を寄せた。
「……指揮術で保冷してあるな」
「はい。生ものでしょうか」
「オレに訊かれても」
生ぬるい沈黙。その中で、エルメルアリアが手近な椅子に腰かけた。
「とりあえず、開けてみるか。危険物ではなさそうだし」
「うん」
ヒワはうなずいて、箱を受け取る。慎重に開封して――えっ、とこぼした。
箱を開き切った瞬間、甘酸っぱい匂いが立ち昇る。誕生日の夜を思い出す香りだった。
「ケーキ?」
「だな」
ふたりは箱をのぞきこむ。そこにあったのは、まぎれもなく、円筒形のケーキだった。クリームで覆ったスポンジケーキの上に、桃色のムースを乗せてあるようだ。天面には、桑の実に似た木の実や、小さな葉っぱが飾り付けられている。
ヒワは感嘆し、次に首をかしげた。
「でも、なんでケーキ……?」
「あ。手紙が入ってるぞ」
エルメルアリアが、ケーキの横に添えられていた厚い紙を抜き取る。折りたたまれたそれを開いて、目を走らせた。
「なになに……?
『エラ、並びにヒワさんへ。先日はヒューゲル王国での任務、お疲れ様。大変な旅と戦いだったようだね。少しでも癒しになれば……ということで、お菓子を作ってみたので、受け取ってほしい。
天外界の食材を天地内界へ持っていくと傷みやすくなるので、開封後は早めに食べてね』――だとさ」
ヒワは、驚いて箱と相棒を見比べた。その相棒はというと、手紙を見て笑っている。
「クロの奴、相変わらずだな」
「心配かけちゃったかなあ」
ヒワは頬をかく。
確かに、先のヒューゲル王国での〈穴〉探しは波乱万丈だった。未だに社殿で見たものが夢に出ることがあるくらいだ。だが、それがクロードシャリスの耳に届いていること、そしてこんな贈り物が来ることは予想外だった。
小さくなっているヒワに、しかしエルメルアリアが片目をつぶる。
「それもあるかもしれないけど……ヒワに手作り菓子を食べてもらいたかったんじゃねえ?」
ここにいない親友をからかうような口調である。ヒワは少し戸惑ったが、ややあって、へにゃりと笑った。
「そういうことなら……とりあえず、頂こっか」
「おう」
ヒワが箱の中に手を差し入れると、エルメルアリアが台所へ飛ぶ。ケーキを慎重に取り出したヒワは、所在なさげにしている友人を見た。
「ねえ。ふたりも一緒に食べよう」
「――え?」
ロレンスとフラムリーヴェが、揃って目を丸くする。
「いや、でも……。ヒワたちに贈られたものでしょ。俺たちはヒューゲルにだって行ってないし」
「でも、調査を手伝ってくれたでしょ。フラムリーヴェさんだって、ケーキを届けてくれたわけだし。それにほら、わたしとエラで食べるには、ちょっと大きいよ」
ヒワがおどけて言うと、ふたりは顔を見合わせる。
ややあって、ロレンスが軽くお辞儀をした。
「それじゃあ……ありがたく」
フラムリーヴェも恭しく一礼して「ご相伴にあずかります」と言う。ヒワは顔を輝かせた。そこへ、相棒が戻ってくる。
「おう、食ってけ食ってけ。……ただし、クロには内緒な」
一揃いの食器を持ってきた彼は、悪だくみでもするようにささやいた。
クロードシャリスお手製のケーキを四人で囲む。切り分けたそれをそうっと口に入れたヒワは、目をみはった。
「おいしい……!」
「うん。クリームがくどくなくて食べやすい」
「だろ? 美味いだろ」
感激している少年少女を見て、エルメルアリアが胸を張った。自分が褒められたとき以上に嬉しそうだ。
しばしケーキや作り手の話で盛り上がる。その後、話題は近況に移った。
「そういえば、わたしたちがヒューゲルに行ってる間、ロレンスたちも〈穴〉をふさいでたんだよね? どうだった?」
「相変わらず魔物の数はすごいけど。やることはいつもと変わらなかったよ」
ヒワの問いかけに、ロレンスが淡白に答える。フラムリーヴェも、静かにうなずいた。
「不審な点や大きな変化はありませんでした」
「そりゃよかった。……ほかに、変わったことはないよな? 変な魔力を感じたとか」
ケーキを少しずつ崩しながら、エルメルアリアが尋ねる。フラムリーヴェは「ありませんね」と答えてフォークを置いた。
「第一、この町で不審な魔力を感じたら、まっさきにあなたが気づくでしょう」
「ま、そうなんだけどな。一応の確認ってやつだよ」
友達予備軍の二人は相変わらずだ。ヒワはそっとほほ笑んで、何気なくロレンスの方を見る。
「変化、か」
彼は、ぽつりと呟いて、切り分けたケーキを口に運んだ。いつもの眠そうな表情。だが、なんとなくくすんで見える。ヒワは思わず口を開いた。
「どうかした、ロレンス?」
「ふえ?」
ロレンスは、今しがた目覚めたかのような表情で振り返った。疑問の視線が突き刺さる。ヒワは、慌てて言い訳した。
「えっと。なんか、元気ないように見えたから」
すると、ロレンスの顔がわずかにこわばる。視線が泳いで、皿に落ちた。
「そ、そう? ごめん。ちょっと考え事してた」
考え事、と繰り返して。ヒワは努めて表情をやわらげた。
「悩みがあったら聞くからね。……本当に聞くことしかできないかもしれないけど」
反射的に言ってから、顔を引きつらせる。『考え事』が指揮術関係のことだった場合、なんの助言もできないのだ。自分に自分の未熟さを突きつけてしまった感覚だった。小さくうなったヒワの前で、しかしロレンスは顔をほころばせる。
「ありがと」
そう言って、ケーキの残りをすくいあげた。




