95.5 師弟の在り方
今回は番外編です。過去話入りの六章後日譚となります。(やっぱりややこしい)
必読ではありませんが、ノクス推しの方にはおすすめです。
トゥルペの町は、ヒューゲル王国の東にある。王都ルーヴェンシュタットから、魔動車で一時間ほどの場所。都のそばとは思えぬほど、穏やかな町だった。
手のかかる同志を見送ってから、十日ほどが過ぎたある日。ノクスはトゥルペに降り立った。実に数年ぶりだ。――もう、来ることはないと思っていた。
町を流れるフィーア川を横目に見つつ、記憶に刻まれた道を歩く。大地と親しい精霊人も一緒だが、珍しく静かにしていた。
橋を渡って、元気な豚たちの前を通り過ぎ、なだらかな坂を上がる。坂の上、控えめに佇む館を見て、ノクスはわずかに顔をしかめた。
館の前で男性が草を摘んでいる。お茶にも霊薬にもなる蛍火イネ。懐かしい香りが、ノクスの鼻をくすぐった。
ノクスが声をかけるより早く、男性が振り返った。おや、と言うように口を動かすと、立ち上がる。
「こんにちは、ノクス。ご足労をかけました」
「……ども」
ノクスはぺこりと頭を下げる。その後ろで、ゼンドラングが手を挙げた。
「おう、フォンゼル! しばらくぶりだな!」
「これはこれは、ゼンドラング様。弟子がお世話になっております」
フォンゼル・ゾンネンシュトックは、穏やかに笑って麦わら帽子を取った。そうしていると、とても高名な精霊指揮士とは思えない。
ゼンドラングとフォンゼルが握手を交わす。挨拶が終わったのを見計らって、ノクスは口を開いた。
「それで、支部長。今日は何の用事っすか」
すると、フォンゼルはわざとらしく眉を下げる。
「昔のように師と呼んでくれないのですか」
「……俺はもう、あなたの弟子じゃありません」
ノクスは、顔をしかめて言い募った。
「元々そういうことになっていない上に、協会からも抜けたんっすよ」
フォンゼルは、露骨に拗ねたような表情をする。いい大人が何してんだ、と言いたくなったのをこらえて、ノクスは眉間をもみほぐした。
そのうち、フォンゼルがふっとほほ笑んだ。目もとにしわが刻まれる。そのしわが以前より深くなったことに気づいて、ノクスは妙な気持ちになった。この人も年を取るのだな、と。
「……社会的には、そうかもしれません。ですが、私は今でも、君を自慢の弟子だと思っていますよ」
師の言葉は、秋風のように彼の耳をくすぐる。ノクスは「やめてください」とそっぽを向いた。満面の笑みのゼンドラングと目が合う。猛烈に殴りたくなった。勝ち目がないのでやらないが。
「話が逸れてしまいましたね。用件は、先日の任務に関することです」
師の相貌に、支部長としての鋭さがよぎる。ノクスは反射的に背筋を伸ばした。対するフォンゼルは、少し表情をやわらげた。
「そう身構えないで。単なる報告ですから。――一応機密情報ですので、中で話しましょうか」
フォンゼルは農夫のような格好のまま、ノクスたちを館の中へ招き入れる。
ノクスは、かつて暮らしたその場所に足を踏み入れた。瞬間、盛大に顔をしかめる。
「…………支部長」
「うん。言いたいことはわかります」
フォンゼルが、背中を丸めて頭をかいた。威厳のかけらもない師の姿を、しかしノクスは見ていなかった。彼が見ているのは屋内だけだ。
居間と寝室を兼ねた部屋は、はっきり言って、散らかっていた。畳んでいない衣服が隅の方に積み上がり、本の塔が点在している。なぜかカップや調理器具までもが床にあった。
「君が来るからと思って、頑張って片付けてみたのですが……」
「……まあ、はい。支部長にしては頑張ったんじゃないんすかね」
紙屑や携帯食の袋が散乱していないだけ、ましではある。それでもノクスは頭を押さえた。遠慮がちに師を振り返る。
「あの。報告聞く前に、ここ片してもいいっすか……?」
「おや。弟子じゃないのに片付けてくれるのですか?」
「尻のあたりがむずむずするっつーか、手が勝手に動きそうっつーか……とにかく落ち着かねえんっすよ、俺が!」
つい語気を荒げると、フォンゼルは声を立てて笑った。
「もちろん、いいですよ。というより、こちらからお願いしたいくらいです」
許可を得るなり、ノクスは動き出した。「わしも失礼する」と戸口をくぐったゼンドラングが、ついてくる。
「ノクスよ。何か手伝うことはあるか?」
「あぁ? あー……んじゃ、食器と調理器具を台所に持ってっといてくれ。全部台の上に置いといていいから」
「相分かった!」
ノクスは相棒の足音を聞きながら、衣類の山に手をかける。ほんのりと、石鹼の香りが立ち昇った。
――フォンゼル・ゾンネンシュトックに弟子はいない。今日に至るまで、一人も弟子を取っていない。そういうことになっている。
ノクスはいわば『非公式の弟子』だった。ある町でフォンゼルに見出された彼は、しかし正式な弟子になることができなかった。協会支部の上層部と、フォンゼルの周囲の人々が猛反対したのだ。ゾンネンシュトック家の精霊指揮士が、どこの馬の骨とも知れぬ子供を弟子にとるとは何事だ、と言って。
フォンゼルは、ならばいっそ養子にするかと思ったらしい。だが、今度は親族に猛反対された。理由は、弟子にするなと言われたときとまったく同じだった。
ノクスもフォンゼルも、うんざりした。
「もう面倒くさいので、既成事実を作ってしまいましょう。と言うわけでノクス、明日から君は私の家に住みなさい」
――という流れで、ノクスはフォンゼルの弟子となった。当時から根無し草だったので、自然と住み込みで学ぶこととなった。師の身の回りの世話をしながら、その言葉や振る舞いから、精霊指揮士としての在り方を身に着けていったのである。
それゆえ、ノクスはこの館のことを知り尽くしていた。フォンゼル・ゾンネンシュトックの生活能力が、あまり高くないことも。
衣服を収納し、本を研究室へ運び、台所のものたちを元の場所へ戻す。ついでに、微妙に散らかっていた食卓の上もきれいにした。
「やはり、君がいると家がきれいになりますね」
「俺に頼らないでください。ってか、家政婦入れてください。何回も言ってますよね?」
上機嫌に茶を淹れるフォンゼルの横で、ノクスはため息をつく。少し汚れが残っていた食器を片っ端から洗って、水気を切った。
その様子を見ていたゼンドラングが笑う。
「これでは、どちらが上かわからんな」
「まったくです」
フォンゼルが、褒められたかのように目を細めた。ノクスは二度目のため息をついた。
師弟と精霊人は、きれいにしたばかりの食卓で向き合う。蛍火イネのお茶をお供に、フォンゼルは『報告』をした。
「先の一件を受けて、警察が〈精霊の輪の会〉の一斉捜査を行っています。昨日までに、広報員が五名ほど逮捕されました」
「広報員?」
「かの会の中で、広報活動や勧誘を行っている人のことです」
フォンゼルが静かにティーカップを持ち上げる。ノクスも倣って、お茶を飲んだ。レモンに似た爽やかな香りが鼻を抜ける。
「そのうちの二名が、ジェイ・フックスとクラーラ・フックス。……聞き覚えのある名でしょう?」
フォンゼルが、ほほ笑む。ノクスとゼンドラングは顔を見合わせた。沈黙ののち、ゼンドラングが「そうだな。印象深い名だ」と答えた。ノクスはそっと息を吐く。
これで、あの新米も安心するだろうか。それとも、逆に落ち込むだろうか。どちらもあり得そうで、面倒くさい。
知らず、顔を歪めていた。彼の変化をどう取ったのか、フォンゼルは少し眉を上げる。だが、あくまで淡々と話を続けた。
「あとは、〈精霊の輪の会〉が儀式を行っていた社殿の調査も始まっています」
「社殿……あの建物か。ということは、わしらが捕え損ねた白いローブの連中についても、調べておるのか」
ゼンドラングが周囲をうかがうように尋ねる。ノクスも、意味もなく息を詰めた。
フォンゼルは、真剣な表情で首を縦に振る。
「亡くなった会員たちは、『指揮術と思われるもの』で殺害された可能性が高い、ということです。目的は――」
口封じ。それは、言われずともわかる。ノクスがうなずくと、言葉を止めたフォンゼルは、口の端を持ち上げた。
ノクスはふと気になって、尋ねる。
「指揮術と思われるもの……ってことは、指揮術じゃないってことっすか?」
「断定できないということです。人間の指揮術以外に考えられるのは、魔物の力か、精霊人の指揮術か。そんなところでしょう」
館の空気が重くなる。三人が思い浮かべている言葉は、おそらく同じだ。
再び、ゼンドラングが尋ねる。
「わしらを追ってきた瘴気と地下魔界の魔物については、何かわかったか?」
フォンゼルは、悔しそうにかぶりを振った。
「そちらは、何とも。地下魔界の魔力も瘴気も、現時点では観測されていません」
「観測されていない?」
ノクスは、口もとに手を当てた。何かが引っかかる。だが、『何か』の正体はつかめない。
ややして、乱暴に頭をかく。考えるのは、自分の仕事じゃない。そう思いなおして、師の方を見た。
フォンゼルは、報告を始める前と同じ穏やかさを取り戻している。
「今、ヒューゲル支部から報告できることは、以上です」
そうして話を締めくくると、何かを思い出したように、軽く手を叩いた。
「スノハラさんからのお手紙が、捜査の助けになりました」
「手紙?」
ノクスが首をひねると、師はゆっくりうなずく。
「アルクス支部を通して、彼女にお願いしたのです。〈精霊の輪の会〉について見聞きしたことを書き留めて送ってほしいと」
その手紙を、やはり支部経由で受け取ったのだという。
「よければ、君からお礼を伝えてくれませんか」
「……なんで俺なんすか」
「私は彼女の連絡先を知りませんので。君なら、間接的にでも連絡を取れるでしょう」
ノクスは黙り込む。直接連絡を取る気がないことまで見透かされていた。ヒワが伝霊を持っていないので、どのみち直接のやり取りはできないのだが。
フォンゼルは、おもしろがるように瞳をきらめかせる。
「ああそれと、手紙には君のことも書かれていましたよ。たくさん助けてもらった、怖いところもあるけれど、すごい精霊指揮士だと」
ノクスはお茶を吹き出してしまった。咳き込んでいると、ゼンドラングが笑いながら背中をさすってくれる。
「あんのっ……女……余計な、こと……!」
むせながら悪態をつくノクスを、フォンゼルはにこにことながめていた。
「上手くやれているようで、安心しました」
返答に困って、ノクスは曖昧に頭を振る。少しの間の後、フォンゼルが呟いた。
「もとより君は、フリーの方が肌に合っていたのでしょうね。……私は、余計なことをしたのかもしれない」
「余計なこと? それはどういう意味だ」
ゼンドラングが怪訝そうに聞き返す。フォンゼルは、つかの間瞑目した。
「正式な弟子にできないのなら、最初から手を差し伸べるべきではなかったのではないか。そういう話です」
茶色の瞳が小さくなる。
ノクスはその様子を観察してから、そっと口を開いた。
「紹介状の件、まだ引きずってんすか」
「それはもう。人生最大の後悔ですからね」
「大げさな」
ノクスは、あえて刺々しく吐き捨てる。
――非公式の師弟関係でも、しばらくは困らなかった。だが、いざノクスの独立を考え出したとき、壁にぶつかった。
ノクスが正式な弟子でないために、師匠からの紹介状を用意できなかったのである。正確には、用意しても無効とみなされてしまった。
紹介状がないと、通常の協会認定試験は受けられない。現代の精霊指揮士にとっては、たいへんな痛手だった。
ノクスの詠唱が独特だったこともあって、最終的にはなんとかなった。しかし、その後もフォンゼルはたびたび弟子に対して謝罪を口にした。支部長となった今でも、自身の中でしこりとなっているらしい。
ただ。ノクスの考えも、その頃から変わっていない。
「俺は気にしてねえっすよ。認定受けられなかったからって、杖を捨てさせられるわけじゃねえし。あのままうろうろし続けるよりは、支部長に拾ってもらった今の方が、遥かにましです」
フォンゼルは、困ったように頭を傾ける。これもまた、いつもの反応だった。
「それならよかった。私も、師として頑張った甲斐がありました」
彼はまっすぐにノクスを見る。指揮術について語るのと同じ調子で、ささやいた。
「ノクス。君は君らしくやりなさい。――ただし、ゼンドラング様にご迷惑をかけすぎないように」
ノクスは、むっつりとうなずく。隣のゼンドラングが「心配ご無用、楽しくやっておるぞ!」と笑った。
※
ノクスは、その日のうちに発つことにした。泊まっていかないかと誘われたが、断った。この館で、蛍火イネのお茶が飲めただけで十分だ。
「また何かわかったら、お知らせしますね。……捜査が進展するより、次の〈穴〉が見つかる方が、早いかもしれませんが」
見送りに立ったフォンゼルが苦笑する。「そうっすね」とノクスも低く呟いた。
少ない荷物を担ぐ。踏み出す前に、小さく頭を下げた。
「それじゃ……また」
「はい。またお会いしましょう。体には気を付けて」
そんなことを言われて、ノクスは顔をしかめた。
「それはこっちの台詞です。食事、携帯食で済ませないでくださいよ、フォンゼル師」
フォンゼルは、目を見開いた。驚きの表情が、ゆっくりと微笑に塗り替わっていく。年を取っても変わらない、ひっそりとした笑声がこぼれた。
「気を付けます」
気を付けるのは、最初の三日間だけだな。ノクスはそう思ったが、口には出さない。改めて一礼したのち、歩き出した。
「ではな、フォンゼル! 〈穴〉や妙な魔物を見つけたら、知らせてくれ!」
太い腕をぶんぶんと振ったゼンドラングが、すぐ後ろを歩く。彼はすぐに、契約者をのぞきこんだ。
「で、ノクスよ。今夜の宿はどうする?」
「あー……王都で適当に探すか。安いとこなら空いてんだろ」
「相分かった! であれば、目指すは駅だな!」
そんなやり取りをしながら、ふたりは坂を下っていく。
フォンゼル・ゾンネンシュトックは、彼らの姿が見えなくなるまで、館の前に立っていた。
(95.5 師弟の在り方・終)
第六章はここまでです。お読みいただきありがとうございました。
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第七章は2月10日頃開始予定です。今度は○○○編です。ここまで辿り着いた皆様は、もうおわかりですね?
(1.31 ↑のように書いておりましたが、第七章の話数が想定より多くなったため、予定を繰り上げて2月3日から更新を再開します。よろしくお願いします!)
お楽しみに!




