95 帰郷の後
宣言通り、ノクスたちはヒワたちが飛び立つ直前までついてきた。ひらけた場所で別れの挨拶を交わす。
「道中気をつけてな!」
「今度こそへますんなよ、新米」
ゼンドラングは気持ちよく笑う。対照的に、ノクスはやはり刺々しい。だが、ヒワたちに向けられたまなざしは、今までで一番やわらかかった。
ふたり、手をつなぐ。南の空へ飛び立った。行きと同じく山岳地帯を越えて、アルクス王国へ入る。
下り立ったのは、王都近くのうら寂しい平地だった。見慣れた風景ではないが、木々の姿や風のにおいに第二の故郷を感じて、ヒワはほっと息をついた。
その後、王都に寄った。念のため精霊指揮士協会の支部に顔を出す。支部長が不在だったので、代理を務めていたエリゼオが帰還を確認し、諸々の手続きをしてくれた。
再び空を飛んで、ジラソーレへ。授業から解放された学生で町がにぎわう時分に、ヒワは家の扉を開けた。
「た、ただいまー……」
締められた鳥のような、細く高い声が出る。
少しして玄関に顔を出したのは、姉でも母でもなかった。
「ヒワ、おかえり。エルメルアリアさんも」
「あれっ、お父さん?」
バックパックを下ろしかけていたヒワは、それを落としてしまった。慌てて拾ってから、父の顔をまじまじと見る。
「ただいま。いつから帰ってたの?」
「昨日から。ちょうど仕事が落ち着いたんでな」
靴を脱いで上がったヒワに、父は悪戯っぽい笑みを向ける。
「ネーベル先生に会ったんだって? 連絡来たぞ」
「えっ、早!?」
ヒワは思わず叫んだ。エルメルアリアも素っ頓狂な声を上げる。
「さすがに早すぎだろ。伝霊使ったのか?」
「ええ。キーファの役場から連絡をくださったみたいで」
父はのんびりと答える。空飛ぶ精霊人を追う目は、少年のように純真だ。
「お互い、役所にはよく行きますからねえ。どこかに一報を入れておけばそのうち届く、という算段ですよ」
「雑だな」
三人の、そんな会話を聞きつけたのか。母とコノメも顔を出した。たちまち、スノハラ家にいつものにぎやかさが戻る。
この日は家族で色々な話をして、平和に時間が過ぎた。
――問題は、翌日である。
「おーい、ヒワ。そろそろ出てきたらどうだ」
「……あと五分……」
「十分前に聞いたぞ、それ」
「今日くらい怠惰でいさせてほしい」
「別に怠惰でいるのは構わねえけど。寝すぎるとかえってだるくなるぜ」
今日はそもそも休日である。体のだるさが抜けきらなかったヒワは、ベッドのまわりを飛び回るエルメルアリアと妙な応酬を繰り広げていた。布団の中でもぞもぞしていたとき、部屋の外が騒がしくなる。あっ、と相棒の声がした。
「どしたの、エラ」
「起きろヒワ。お客さんだ」
エルメルアリアの声が、少し沈んだ。怪訝に思ったヒワは、やっと体を起こして伸びをする。そのとき、部屋の扉が叩かれた。
『ヒワち、起きてる?』
コノメである。ヒワは、掛け布団を雑に畳みながら答えた。
「今起きた」
『まじかー……。ま、いいや。寝間着のままでもいいから、出てきなさーい』
ヒワは首をひねる。いつもなら何事かと尋ねるところだが、寝起きの頭はそこまで回らなかった。とりあえず、軽く髪を梳く。寝間着の上から薄手の上着を一枚羽織って、外に出た。
扉の前で待っていたコノメに急かされながら、歩く。ひやりとした外の風を肌に感じたとき――赤い弾丸が飛んできた。
「ヒワっ!!」
涙交じりの金切り声が、少女の耳を貫いた。
音と衝撃で頭が一気に覚醒する。飛んできた『何か』を受け止めたヒワは、しきりにまばたきした。
「え、え?」
「馬鹿! 大馬鹿! こっちの気も知らないで、寝坊なんかしちゃって!」
誰かが自分に抱き着いて、泣きじゃくっている。寝起きのヒワでもそれは理解できた。そして――その誰かは、よく知る人物だ。
「いきなり激しいな」
ヒワのかたわらで耳をふさいでいたエルメルアリアが、呟く。瞬間、赤茶色の瞳がきっとそちらをにらんだ。
「き、み、も!」
「うおっ」
少女の手が精霊人の腕をむんずとつかむ。彼女はそのままふたりを抱きしめた。混乱したヒワは、視線で姉に助けを求める。しかし、その姉は慈愛に満ちた微笑を浮かべて、首を振った。
そのとき、家の外から声と足音が近づいてくる。
「シ、シルヴィー……。ひとんちの玄関で騒いだら、だめだって……」
息を切らせて走ってきたのは、これまた見覚えのある少年だった。彼は家人の姿を見つけると、「すみません、お邪魔しま――」と会釈しかける。しかし、そこで固まった。
青と黄緑色が、かち合う。
「あ、ロレンス、ただいま。……あの、これ、どういう状況?」
ヒワはここぞとばかりに説明を求めた。しかし、答えは返ってこなかった。
彼――ロレンス・グラネスタもまた、ヒワたちを見てぼたぼたと両目から涙をこぼしていたのである。
ヒワはますます顔を引きつらせた。
「ロレンス、さん?」
「よかっ……よかった……ふたりとも、無事だったぁ……」
ロレンスも、そのまま子供みたいに泣き出してしまう。ヒワたちが戸惑っていると、彼の後ろから炎色の髪の女性が現れた。彼女は、ぎょっとしているコノメを見て小さく頭を下げる。
「ヒワ様のお姉様ですね。お騒がせしております」
とりあえず、全員で居間に集った。両親は不在である。コノメは、客人たちにお茶を出した後、台所に引っ込むことでさりげなく距離を取った。
シルヴィーとロレンスはまだ泣いている。なので、フラムリーヴェの口から事情が語られた。
「ヒワ様。例の団体の調査のため、ロレンスと連絡を取り合っていましたよね」
「あ、はい」
例の団体――すなわち、〈精霊の輪の会〉。彼らのことを探るため、ロレンスに古代指揮術の話を聞いていた。状況が動いたのは、その矢先。
「ロレンスが古代指揮術の報告を行った翌日に、ノクス様から連絡があったのです。ヒワ様たちが『彼ら』に捕まったらしい、と」
「あっ」
ヒワは、そこですべてを察した。エルメルアリアも無言で天を仰いでいる。
フラムリーヴェが説明を続ける。その声も、どこか乾いていた。
「伝霊で安否確認できたことも、状況を利用して『彼ら』の居場所を突き止めるつもりだという話もうかがいました。先日、無事に作戦を終了したとの報告も受けております」
そこで一旦言葉を止め、フラムリーヴェは契約者を見やる。
「ですが、ロレンスは昨夜まで、心ここにあらずと言った様子でした。シルヴィー様も、おそらくは……」
「そう、だったんですね」
ヒワはゆっくりうなずいて、友人二人を見る。説明を聞いているうちに多少冷静になったらしい。しかし、シルヴィーは未だしゃくりあげている。ロレンスも、腫れぼったい目をしきりに瞬いていた。
「ロレンス、シルヴィー」
そっと名を呼ぶと、二人ともがヒワの方を見る。ヒワは、深々と頭を下げた。
「心配かけて、ごめんなさい」
謝罪を絞り出したとき。頭の中に、色々な光景がひらめいた。暗い馬車。死の色に満ちた石室。悲鳴と、ナイフのきらめき。
ぬるいものが頬を伝う。それが涙だとヒワが自覚したのは、ズボンにできた染みを見たときだった。
二人の手が、頭と背中に触れる。
「怪我、してないでしょうね」
「うん。だいじょぶ」
シルヴィーが問う。ヒワはかすれ声で答えた。
「儀式に巻き込まれなかった?」
ロレンスが静かに確かめる。ヒワは泣きながら苦笑した。
「ちょっと、巻き込まれかけた。いろいろ見ちゃった」
「それは……怖かっただろ。俺でも見たくないのに」
ロレンスがあからさまに眉を寄せる。シルヴィーが小さく吹き出して、そこから波紋が広がった。
三人で泣きながら笑いあう。嬉しいのか、悲しいのか、ほっとしたのか、辛いのか――誰もわかっていなかった。
「おかえりなさい、ヒワ」
「無事でよかった」
「うん……うん。ただいま」
今度はヒワが、二人の背中に手を回した。
その輪の外で、エルメルアリアが息を吐く。
「どうにかこうにか、落ち着いたか」
「――エルメルアリア」
まじめくさってうなずいていた彼のもとに、フラムリーヴェがやってくる。彼女はやおらエルメルアリアの両肩をつかむと、彼の頭を矯めつ眇めつながめた。
「な、なんだよ」
「体に異常はありませんか」
「ないけど」
「本当に?」
身構えたエルメルアリアの目の前で、紫水晶がきらめく。
「頭を殴られたと聞きましたが。本当になんともないんですね?」
小さな精霊人の顔が、明らかに引きつった。もちろん、不調を隠しているわけではない。
「ノクスの奴っ……全部言いやがったな!」
エルメルアリアが叫んだ瞬間、フラムリーヴェが彼を引き寄せた。篭手をしていない両手は、しかし戦乙女らしい力強さである。
「どうせ精霊人より人間が優先だと考えて、自分の身を軽んじたのでしょう。そうでもない限り、あなたが人間に後れを取るなどあり得ない」
「……フラムリーヴェ、怒ってねえ?」
「怒ってません。あなたを殴った卑怯者に仕返しできないのは大変遺憾ですが」
「怒ってるじゃねえか!」
友達予備軍二人の会話は、口論の様相を呈している。ヒワたちは、唖然として彼らを見た。驚きと戸惑いで涙が引っ込む。
「念のため、一度診てもらった方がよいですね。しかし、エルメルアリアが絡むと、医院は信用できません。となると――」
「大丈夫だっつってんだろ! 離せ! オレが悪かったから! 謝るから!」
エルメルアリアの抗議は、もはや悲鳴と化している。絶句しているヒワの肩を、誰かの指がつついた。振り返ると、ロレンスと目が合う。彼は珍しく、にんまりと笑っていた。
「フラムリーヴェも、ここ数日、ちょっと変だったんだ」
ヒワはぱちぱちとまばたきした。遅れて言葉の意味を察し、笑みがこぼれ出る。
「ヒワ! こいつどうにかしてくれ!」
じたばたと暴れる精霊人が、契約者を呼ぶ。ヒワは悩んだ末にひらりと手を振った。
「今は我慢しよ、エラ?」
――懇願とも絶叫ともつかぬ声が、居間にこだまする。少年少女の苦笑いが後に続いた。
家人の一人であるコノメ・スノハラは、騒がしい妹たちを怒らない。台所でのんびりと茶を飲みながら、居間の方をちらと見た。
「青春だねえ」
※
大陸某所。一足早く冬の便りが届いたこの地に、大きな湖がある。複数の川から流れ込んだ水が、冬支度を済ませた太陽に照らされて、きらきらと光を振りまいていた。
湖畔にひと気はない。この時期には雪と花の共演が見られるため、観光客が多いはずなのだが、今日に限ってはしんと静まり返っている。
精霊も魔力もわからない、と思い込んでいる人でも、本能で何かを察知するのかもしれない。
そんなことを考えながら、ルートヴィヒは湖畔に立った。かたわらに浮く、小さな人魚を振り仰ぐ。
「ここでいいのか、マール」
「ええ。門はここに開くと聞いているわ」
水妖族のマーリナ・ルテリアは少女のようにほほ笑んだ。その後、青い瞳を湖に向ける。
マーリナ・ルテリアは長いこと、ルートヴィヒの放浪に付き合ってくれている。だが、元々は水底界の民だ。時折、家の様子見も兼ねて故郷へと戻っている。それは、水妖族の氏族長たちとの約束でもあった。
そして、世界の境目にあいた〈穴〉のことを知ってからは、帰郷の回数を増やしていた。
「ごめんなさいね。また、しばらく留守にするわ」
「構わない。戻るときに連絡してくれ」
ルートヴィヒが淡白に言うと、マーリナ・ルテリアはくすりと笑った。
「ええ。短ければ二日、長くても七日ほどで戻ってくるわ」
世界が違えば、時間の流れ方も違う。そのため、このような幅を持たせた伝え方になってしまうのだった。ルートヴィヒも最初は戸惑ったが、今はすんなり受け入れている。
小さくうなずくと、マーリナ・ルテリアは人差し指を彼の鼻先につけた。
「あたくしがいない間、無茶をしてはだめよ、ルートヴィヒ? ご飯もちゃんと食べなさいね」
「……わかっている」
ルートヴィヒがむっつりと答えると、マーリナ・ルテリアは鈴を転がすような笑声を立てた。
そうこうしているうちに、精霊たちが騒ぎ出す。湖水がうねり、湖の上に玻璃のような門が現れた。ゆっくりと開いた門扉の狭間に、小さな人魚が飛び込む。
世界を渡る直前、彼女はちらと振り返った。ルートヴィヒがうなずくと、花が咲いたように笑う。
そうして彼女は、帰っていった。門が消えるのを見届けると、ルートヴィヒは踵を返す。頭の中に地図を広げながら歩き出した。
いつものように、待てばいい。そう思っていた。
しかし――帰郷から十日が過ぎても、マーリナ・ルテリアからの連絡はなかった。
(第六章 表と裏のフォーリン・トリップ・完)
次回、過去話入りの後日譚(ややこしいな)が1話あります。




