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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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93 たとえ弱くても(2)

 ともあれ、方向性は決まった。ヒワとエルメルアリアは三人と別れ、ネーベルについていく。


 案内されたのは、町の東。立派な二階建ての住宅だった。キーファの家々の例に漏れず、屋根はかぼちゃ色。白い外壁に茶色い木組みが映える。


「でっかい家だな」


 エルメルアリアが呟くと、ネーベルは軽く笑声を立てた。


「半分は仕事場ですよ」


 家主に案内されて、家に入る。


 彼の言葉通り、一階は診療所のようだった。中心あたりに動物用の診察台が鎮座し、棚には薬や診療用具が並んでいる。奥にはいくつか、扉も見えた。エルメルアリアがそれらに興味を示してはいたが、あれこれ尋ねることはしなかった。


 階段を上り、二階へ。ひとつの部屋が仕切りで分けられており、手前は台所と食卓、奥は寝室のようである。さらに、狭くはあるが書斎のような空間も作られていた。


「ちょうど寝具は洗ったばかりなんです。遠慮なく使ってください」


 そう言ってネーベルが見せてくれたのは、大きめの一人用ベッドだった。エルメルアリアとふたりなら余裕で寝られそうである。ただ、ヒワは別のことが心配になって、父の知り合いをうかがった。


「わたしたちがここを使ったら、先生の寝る場所が……」

「大丈夫ですよ。私は下の相談室で寝るので」

「相談室って、寝る場所ではないんじゃ」

「あそこソファも、なかなか寝心地がいいんですよー」


 ネーベルは、ヒワの心配などどこ吹く風だ。聞けば、入院患者がいるときや『残業』をするときなど、相談室で寝ることがしばしばあるのだという。


 そこまで言われてしまっては、断ると逆に失礼だ。ヒワたちは、ありがたく寝室を使わせてもらうことにした。


 バックパックの中を点検した後、疲れ切った体を休める。といっても、どこか興奮しているような感覚は抜けきらない。そうこうしているうちに空が暗くなる。


 アルド・ネーベルはヒワたちに、手作りの夕食を振る舞ってくれた。イモと根菜のスープに、短いパスタをチーズに絡めた料理、そして硬いパン。簡素だが、温かい料理だった。


 夕食の席で、ネーベルは色々な話をした。トウマとの思い出や最近の関わり。スノハラ一家に会ったときの話。仕事の話も、少しだけ。ヒワはそれらに相槌を打っていた。エルメルアリアは、興味深そうに聞いていた。


 ネーベル宅に立派なお風呂はないが、体を流せる場所はある。診療所に併設されているそこをこわごわと借りてから、ふたりは寝室に入った。しかしヒワは、なかなか寝付けなかった。体は疲れているはずなのに、頭は怖いほど冴えている。ベッドで横になっていても、目を閉じていても、眠気の波はやってこない。それどころか、余計な考えが頭の中を回り続けていた。


 布団から顔を出す。ささやきが、夜の静寂を揺らした。


「寝れないのか?」


 エルメルアリアが窓辺に座って、じっとヒワを見ていた。ヒワが起き上がると、ベッドへ飛んでくる。


「なんか、色々考えちゃって」

「まあ、しかたねえよな。今日だけでも色々ありすぎた。……()()()()()見たら、普通は参るし」


 だよね、と答えつつ、ヒワは目を伏せる。思考の一部を見透かされた気がした。――当然だ。エルメルアリアだって、ずっとそばにいたのだから。


「でも……エラやノクスさんたちは、ちゃんと動けてた。わたしも、もっと、みんなみたいに強くならないとね」


 声を明るくしようとする。けれど、エルメルアリアは眉を寄せた。それから、ヒワの隣にぽすんと座る。


「オレたちはまあ、元々そういう仕事してるわけだし。ノクスも、多分、そういうのに慣れちまってるんだろう」


 慣れ。ヒワは、心の中でその言葉を繰り返す。いつかは慣れるのだろうか。慣れていかなければいけない気がする。そう考えると、体の奥底が冷たくなった。初めて契約の話を聞いたときと同じ感覚が、這い上がってくる。


「無理に比べることねえよ。オレだって別に、そんなに強くねえし」


 静かな声が夜を撫ぜた。ヒワはまばたきして、相棒を振り返る。


「……強く、ない? エラが?」

「そうそう。〈天地の繋ぎ手〉なんて、大層な二つ名を負っちゃいるけどさ。実際は、誰よりも無知で臆病で、弱っちい精霊人(スピリヤ)だ」


 語りはまるで、独白だ。その横顔には、何の感情も浮かんでいない。天外界で六十年前のことを語った彼と、同じだった。


「そんな弱虫が、できない背伸びを無理やりした結果が、今のオレ」


 口が笑みの形に歪む。けれど、瞳は透明だった。


 ヒワは、声の余韻を、言葉の影を噛みしめる。出会ってから今までの、彼の姿を思い出す。


 確かに、エルメルアリアはただ強くて神聖な精霊人ではない。脆さも危うさも抱えている。ヒワの知らない一面だって、きっとある。けれど。


「わたしが知ってるエラは……自信満々で、ちょっと偉そうで、とっても強くて、とっても優しい。そんな人だよ」


 つい呟くと、エルメルアリアが振り返った。夜のせいか、赤紫色の瞳が水面みなものような輝きを湛えている。


 ヒワは、見入りそうになってかぶりを振った。布団を見つめて、不器用に言葉を紡ぐ。


「わたしは、そんなきみにいっぱい助けられたし……今のきみが、好きだよ」


 きっと彼は、ヒワの声がけを求めていたわけではないだろう。それでも、何か言わなければならないような気がした。


 エルメルアリアは最初、返事らしい返事をしなかった。人見知りをする子供のように両目をうろうろさせる。それから、ふわりと飛び上がって、踊るようにヒワを振り返った。


「その言葉、そっくりそのままお返しするぜ。契約者殿」

「……え?」

「オレも、今のヒワが好きだ」


 精霊人は、はにかんで笑う。呆気にとられたヒワのもとに、彼の言葉が優しく降ってきた。


「たとえ弱くても、失敗しても。強くなりたいって思いながら進んでいける。そんなあんたに救われているし、尊敬してる。

 それにさ。がむしゃらに進んでるうちに、変わってることもあるもんだぜ。今までだって、そうだっただろ?」


 出会ってから今まで。無我夢中でもがいて、ここまできた。その記憶が、再びヒワの頭の中で描き出される。目をつぶって、こみあげてくるものをこらえて、上を見た。


「そうだといいなあ」

「そうさ。このオレが言うんだから、間違いない」


 ヒワがことさらに明るく言うと、エルメルアリアがにやりと笑う。


 強がりの作り笑いが、心からの笑みに変わるまで、さして時間はかからない。ヒワがふっと吹き出すと、エルメルアリアの(かお)に浮かぶ影も薄れた。


「寝れそうなら寝ろよ。帰るまでにへばったら大変だからな」

「うん。おやすみ」


 ヒワが声をかけると、エルメルアリアは彼女に背を向ける。それから振り返って、目を細めた。


「おやすみ」



     ※



 星が瞬く。夜が深まる。


 知らない国の、慣れない家で、少女が眠りについたのを確かめると、エルメルアリアは高度を上げた。ふと思い立って、彼女の寝顔をじっと見つめる。


「大丈夫」


 このままではいけないと思っても。

 変わろうと、行動しても。


「あんたなら、オレみたいにはならない」


 彼女は温かさを知っている。


 独りで勝手にもがいて間違えた、つぎはぎだらけの精霊人のようには、ならない。


『もちろん、今のエラも好きだよ』

『今のきみが、好きだよ』


 親友と、彼女の声が、耳の奥にこだまする。


 今の己にとって、それは祝福なのか呪いなのか。エルメルアリアにはわからない。ただ、渡されたものを受け取って、祈るように瞼を下ろした。


「――無辜(むこ)の人よ、よい夢を」


 ささやいて、宙を蹴る。小さな体を淡い光が包んだ。


 開いていないはずの窓を通り抜け、家の外へ出る。夜番の篝火しか見えない町を過ぎ、城壁の向こうへと飛んだ。


 空を駆けた先。眼下に見えるは暗い影。精霊たちを脅かす瘴気をまとった魔物が、鬼火のような目を周囲に向けている。


 エルメルアリアは、少し高度を下げた。低く、風がうなる。


「おう、エルメルアリア」


 巨大な人影が、魔物の前に立ちふさがった。それを見て、エルメルアリアも不敵に笑う。


「考えることは同じか」

「そのようだな!」


 夜でも明るいゼンドラングは、魔物たちを舐め回すように見る。そして――飛びかかってきた影を、豪快に薙ぎ払った。


「このまま昼間の建物まで走るぞ。一緒に来るであろう?」

「おう。邪魔者退治も手伝うぜ」

「がははは! それはありがたい!」


 鳥獣すらも息をひそめる夜の中、その暗さを吹き飛ばすような笑い声が響く。


 行き先を定めた精霊人たちは、黒い群れに飛び込んだ。

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