92 闇色の嘲笑
〈閉穴〉の終わり。今回は、少しにぎやかだった。
「終わったぞ、エルメルアリア!」
「お疲れ。助かったぜ、ゼン」
ゼンドラングが手を叩いて告げる。それを聞いて、エルメルアリアも下りてきた。いつの間にか、瞳の色は赤紫に戻っている。まとう空気も皆が知る精霊人のものだ。
ヒワは安堵の息を吐く。そして、いつも通りに相棒と手を打ち合わせた。
一方、ノクスはがりがりと頭をかく。
「やっと片付いたぜ。あとは――」
言いながら下を見た。榛色の瞳が鋭利な光を帯びる。
「こいつらから搾り取れるもん、搾らねえとな」
青年がにらんでいたのは、床に転がっている白いローブの人々だ。未だに、魔力の糸できつく縛られている。彼らの間に漂う不穏な空気に気づいたヒワは、息をのんだ。
「搾るって、何するんですか?」
「あ? 決まってんだろ。尋問だよ。じ、ん、も、ん」
「じっ……」ノクスの答えを聞いて、ヒワは声を詰まらせる。春頃まで精霊指揮士ですらなかった彼女にとっては、あまりに縁遠い言葉であった。そして、できれば聞きたくなかった。
絶句したヒワをよそに、ゼンドラングが拳を合わせる。エルメルアリアは目をすがめたが、動揺はしていない。
「そうだな。早く済ませてしまおう」
「オレ、そういうの気が進まないんだけど……」
「ならば任せておけ! 今日のわしらはやる気満々だからな」
「それはそれで怖いな」
言いあいながらゼンドラングはノクスの方へ、エルメルアリアはヒワの肩あたりにやってくる。
ヒワが戸惑っている間に、白いローブの人々がわめきだした。
「で、できるものならやってみろ! 我々は、精霊指揮士の拷問になど屈しない!」
「そうだ! 簡単に答えを得られると思うな――うぎっ」
ノクスが一人の肩を蹴りつける。その人は、途中でおかしな声を上げる羽目になった。ノクスは蹴った肩をそのまま踏みつけ、相手の相貌をのぞきこむ。
「ほお? 言ったな? だったらせいぜい頑張って、お口を閉じてろよ」
流れるように木製の杖を突きつけた。先端で蒼白い電光が弾けると、相手の顔におびえの色が差す。
「言っとくけどな。俺はする方もされる方も経験済みだ。とっとと情報吐いた方が、身のためだぜ」
「なんのことだか――」
相手が言いかけたところで、ノクスは再び肩を蹴る。ヒワは思わず目を逸らした。それに気づいたのか、ゼンドラングが契約者の後ろで身をかがめた。
「ノクス。あまり残虐なのはなしだぞ。淑女が見ておるゆえ」
「そりゃこいつら次第だな」
気のない答えを口にして、ノクスは杖を跳ねさせるように振る。すると、糸に拘束された人々の体が、勝手に起き上がった。彼は杖を収めると、目を白黒させた人々をにらみつけた。
「おいてめえら。あの裂け目を見つけたのはいつだ? この儀式は、裂け目を広げるためのものか?」
ノクスはゆっくりと、凄みのある声で問う。
白いローブの人々は当初の宣言通り、頑なに口をつぐんだ。ノクスはゆっくりと彼らの前を歩きながら、両手の指をぽきぽきと鳴らす。そのうち、人々の顔が蒼くなってきた。最初に肩を蹴られた人が、口を開く。
「しっ……知らない! 俺たちは何も知らない!」
「へえ」ノクスはどうでもいいと言わんばかりに呟いて、彼の胸倉をつかむ。そこで、ずん、と地面が揺れた。ゼンドラングが軽く足踏みをしたのだ。
ノクスは、再び口を開いた。
「なら――何人ここへ連れてきた? 攫った場所と日付も吐け」
地を這うような声が響く。
ヒワは、息をのんでしまった。尋問されている側ではないというのに。
当然『されている側』は顔面蒼白だ。それでも口をつぐんでいたが、ノクスが何度か凄んでみせると、おびえた様子で唇を開く。
音が発される前に、エルメルアリアが弾かれたように振り返る。ヒワは怪訝に思って相棒の名を呼んだ。そこに、絶叫が重なる。
ノクスに尋問されていた白いローブの者が、突然叫びだしたのだ。眉をひそめるノクスの前で、糸に縛された体を激しく揺すり、弓なりに反らせる。
「なんだ、こいつ――」
「ノクス、退け!」
疑問の声に警告が重なった。ゼンドラングが契約者の襟首をつかむ。引きずられる形で後退したノクスは、しかし文句のひとつも言わない。その目は、すぐ前の光景に釘付けになっていた。
絶叫している人物の目や口から、暗紫色の泥のようなものがあふれだした。それは顔から胸あたりまで伝った後、意思を持っているかのように動き出し、暴れる彼の全身を覆っていく。
ほどなく、彼は大人しくなった。同時、彼を包んでいた物体も霧散する。現れたのは――肌が紙のように白くなり、目と口をだらりと開けた男の体。枯れ木のようになった体から、白いローブがずるりと滑り落ちる。魔力の糸も、消えていた。
ヒワもノクスも、絶句した。
驚愕と恐怖は、じわじわと人々に伝播する。一部始終を見ていた白いローブの人々が、明らかにおびえた様子で身をよじり、あるいはうなだれて命乞いをした。
そのうちの一人が、突然「がっ」と息を詰まらせる。ほかの白いローブたちも、同じように苦しみ出した。最初の一人と同じように体から闇の泥があふれ出し、止める間もなくそれに包まれた。静かになってそれが消えた後、残ったのはやはり、物言わぬヒトのみだった。
ヒワは無意識に後ずさりする。か細い音が、唇の隙間から漏れた。
視界が歪む。上下左右がわからなくなる。地面が溶けて、天井と混ざりあったみたいに。
よろめいた彼女を、エルメルアリアが慌てて支える。それから、叫んだ。
「精霊ども!」
ひゅっ、と高く風が鳴る。エメラルド色の輝きが、四角い窓のひとつから外へ飛んでいった。ややして、ゼンドラングが彼を振り返る。
「どうだ?」
「――だめだ。かわされた」
エルメルアリアは、口惜しそうに呟いた。だがすぐに「深追いするなよ」と精霊たちに呼びかけた。
ゼンドラングは苦虫を噛みつぶしたような表情で押し黙っている。そしてノクスは舌打ちした。
「くそったれ」
吐き捨てる声には、憎しみにも等しい激情がにじんでいる。ゼンドラングの手を振りほどくと、人々の前に膝をついた。一人一人の手首を触る。そうしながら、口を開く。
「おいゼン。なんか言えよ。精霊人ならわかってんだろ」
声をかけられた精霊人は、むっつりと口をつぐんでいた。しかし、契約者が再び「おい」と言うと、息を吸う。
「全員、死亡だ」
いつになく重い声が告げる。それを聞いて、ノクスはため息をついた。しかし、動きは止めない。白いローブの人々の脈を測っていく。――もはや測りようのない脈を。
彼の背後で、ゼンドラングが腕を組んだ。
「……おぬしの姿勢を嘲るようなまねは、したくなくてな」
「そういうの、いらねえよ。知ってんだろうが」
言いながら、動く。そうして事実確認が済むと、ノクスは静かに立ち上がった。悪態をつきながら石の床を蹴りつける。
その間、ヒワは立ち尽くしていた。自分も何かしなければ、と思うのに、体はまったく動かない。
目の前で人が死んだ。先ほどまで声を発していた人々が――おぞましい形で。その事実は、なかなか頭に入ってこない。黒く冷たい闇ばかりが、胸の奥に染み込んできた。
息絶えた人々から、目が離せなくなっていた。しかし、あるとき少し上を見た。あたりが急に暗くなったのだ。
「なんだ?」
ノクスも気づいたのか、振り返る。ぎょっと顔をこわばらせた。
建物に穿たれている、四角い窓。そこから、真っ黒いモノが入り込んできていた。白いローブの人々からあふれ出したのと同じ闇。それは、生者ににじり寄る。
「こりゃまずいな」
「うむ。逃げるとするか」
精霊人たちが言葉を交わす。
エルメルアリアがヒワを振り返った。
「ヒワ、走れ」
しかし、ヒワは応えられなかった。体と心が切り離されてしまったようだ。彼女の異常に気付いたらしく、エルメルアリアの顔がこわばる。
「ヒワ! しっかりしろ!」
小さな手が肩をつかんで、揺さぶる。見た目に反して力強かった。
ヒワの意識がようやく浮上する。目が合うと、エルメルアリアは静かに言葉を重ねた。
「しんどいだろうけど、今はここから出るぞ」
うなずこうとして、けれど上手くいかない。ヒワが唇を震わせていると、相棒の向こうから怒声が飛んできた。
「ぐずぐずすんな! こいつらみたいになりてえのか!」
ヒワははっとする。闇と骸を認識すると同時、心が悲鳴を上げた。すくんだヒワに、すかさずノクスが追撃する。
「それとも何か? また相方に面倒みてもらおうってのか!」
言われた瞬間、ヒワの脳裏に嫌な記憶がよみがえった。振りかざされる鉄の棒。異様な音。彼の体が吹っ飛ぶ光景。それは不本意ながら、彼女の足を動かす力となる。
駄々っ子のように首を振ったヒワは、小さな手を取って駆けだす。よろめきながらではあったが、なんとかノクスたちに追いついた。
そのノクスは「『ラズィ』!」と詠唱して杖を振り上げる。白から黄、赤、青色へ変化する火花が空へ打ち上がった。それを見るなり、駆け出す。いつの間に取り返していたのか、出入口付近に放っていたヒワのバックパックを、ついでのように担いだ。
四人ともが建物から出たところで、エルメルアリアが最後尾に回った。複雑そうな表情のまま、手を叩く。すると、建物を光り輝く壁が覆った。泥のような闇も、壁に阻まれてうぞうぞうごめいている。
「やるな、エルメルアリア!」
ゼンドラングがそれを見て、にやりと笑う。一方のエルメルアリアは、浮かない顔のまま契約者のもとへ戻った。
「一時しのぎだ。多分、五分ともたない」
「了解した。では、迅速に撤退するとしよう。――失礼するぞ、契約者諸君!」
ゼンドラングは、いきなりヒワとノクスを抱え上げた。ノクスは慣れた様子で自ら大男の肩にのぼったが、ヒワは思わず裏返った声を上げてしまう。しかし、エルメルアリアが平然としているのを見て、落ち着いた。
どん、と一発低い音。巨人が木立を疾駆する。ヒワは反射的に口を閉じたが、その隙間から悲鳴が漏れた。相棒の肩にしがみついたノクスが、そんな彼女を指さす。
「無茶だゼン! あいつが耐えらんねえ!」
「そうも言っとられんぞ。ほれ、見ろ」
のんびりと答えたゼンドラングが背後を指さす。建物の方から、黒い人形の集団が走ってきていた。
「うげぇっ。なんだありゃ」
「あれは……どっかで見たような泥人形だな」
舌を出したノクスの横で、エルメルアリアが顔をしかめる。彼がその場で手を振ると、光の剣が泥人形たちを串刺しにした。しかし、ソレは何事もなかったかのように起き上がり、動き出す。
ゼンドラングは地面を揺らしながら逃げた。しかし、途中で足を止める。彼の隣を飛んでいたエルメルアリアも、急停止した。
魔力が踊った。木枯らしにも似た、しかしそれより硬い音が流れてくる。ほどなくして、道の向こうから何かがやってきた。箱型の乗り物だが、それをひく動物はいない。
「ま、魔動車……!?」
ヒワが思わず叫んだとき。近づいてくる魔動車の運転席から、人が顔を出した。大きく手を振っている。少しして、魔動車の駆動音に混じって声が響いた。
「ノクス様、ゼン様! ご無事ですか!」
「コーエン! 早いではないか」
ゼンドラングが手を振り返す。彼の方から、魔動車に追いついた。コーエン・シュミットは驚きもせず、車を停める。
「すみません。お二人が向かった方角に黒いドロドロが見えたものですから、様子見のために接近しておりました。途中でノクス様の合図を確認しました」
「いや。結果的に、ちょうどよかったぞ」
ゼンドラングが口を開けて笑う。
ヒワは、合図ってなんだろう、と考えた。ノクスが空に火花を打ち上げていたのを思い出して、納得する。思考を遠くへ飛ばしていると、突然引っ張られた。
「え、うわあ!?」
「ほれ。契約者たちはこちらの方がよかろう」
人間二人が、ゼンドラングの手によって魔動車の後部座席に投げ込まれる。すぐに扉が閉められた。
「いきなりすぎんだろ!」
ノクスが窓から顔を出して、契約相手に抗議する。反対に、ヒワは唖然としていた。
豪快な笑い声があたりに響く。
「許せ、今は時間がない。出してくれ、コーエン!」
「お二人は乗られないので?」
「おう。並走できるのでな」
ゼンドラングが胸を叩いた。エルメルアリアも、彼の肩から顔を出す。コーエンはそれで納得したらしく「わかりました」と加速板を踏んだ。精霊への指令が内外に走り、魔力が熱を帯びる。動力部に埋め込まれた貴石の輝きがかすかに漏れて、車体を淡い橙色に輝かせた。
車はみるみる加速した。少し走った後、器用に反転する。これは無論、コーエンの並外れた運転技術によるものだった。
ただし、その衝撃は同乗者に小さくない影響をもたらす。ずり落ちそうな格好で座っていたヒワは、ぐわん、と頭を揺さぶられる羽目になった。慌てて座席にしがみつき、なんとかシートベルトを手繰り寄せる。そこまで乗り物酔いをする方ではないのだが、今は胸のあたりがむかむかした。
そっと隣をうかがう。ノクスは不服そうにベルトを締めていたが、顔色は悪くない。
車はすさまじい速さで走り続けた。精霊人も、まったく遅れを取らずについてきた。しかし、途中で車外からキュルキュルと妙な音が聞こえる。
「おや? くぼみにでも嵌まりましたか?」
コーエンが怪訝そうに言う。並走していたゼンドラングがすぐさま否定した。
「違う。外を見てみろ」
言われた通りにしたコーエンが「うぎゃあっ」と哀れな悲鳴を上げる。ヒワも、恐る恐る外を確認して、口もとを押さえた。車輪に黒い泥人形たちがへばりついていたのだ。
「なんですかこれ! 新種の魔物ですか!」
「別に新種ではないが、魔物ではあるな」
わめくコーエンに返事をしながら、ゼンドラングが泥人形たちをちぎっては投げる。いらぬ張り紙を剝がすかのような無造作さであった。そして、エルメルアリアが投げられた泥人形たちを吹き飛ばす。ひとまず車輪まわりに魔物がいなくなると、小さな精霊人は魔動車を振り返った。
「気にせず走れ、コーエン。魔物はオレたちでなんとかする」
「かしこまりました。頼みましたよ、お二人とも!」
コーエンはやけ気味に答えて、再び車を発進させた。




