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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
103/115

91 極小の魔界

「『精霊の息吹よ、爆ぜろ』!」


 杖を向け、叫ぶ。瞬間、小規模の爆発がいくつも起きた。動揺の声が上がる。白いローブが爆風にはためいた。


精霊指揮士(コンダクター)だと!?」

「我々をだましたのか!」

「小娘が……!」


 そもそも、だまそうとしたのはそっちじゃないか。喉元まで出かかった言葉をのみこんで、ヒワは砂煙をにらむ。そのとき、低い音が恐慌の声をかき消した。煙を割いて迫る影。魔物だ。


「まずっ――」


 ヒワが身をひねったとき。風が吹き、光の弾丸が魔物たちに降り注ぐ。


 指揮術の風により、煙が晴れた。数体の魔物が六角形の外に倒れている。残りの魔物は、敵意と狂気でぎらついた瞳をある一点に向けていた。視線の先にいるのは、精霊人。エルメルアリアがヒワのすぐそばに下りてきた。


「ったく。こっちはこっちで元気になりやがって」

「エラ、ありがと!」


 共通語で礼を言うと、エルメルアリアは「おう」とうなずいた。しかし、すぐに顔をしかめる。


「と、捕らえろ! 精霊指揮士に手加減は不要だ! 足を落としてでも捕らえろ!」


 誰かがわめく。物騒な言葉に驚いて、ヒワは杖を握りしめた。白いローブの人々が、一斉にナイフを取り出した。刃が、わずかな日光を反射してきらめく。


 一方、エルメルアリアはじっとりと目を細めて腰に手を当てた。


「どこが丸腰だ。ばかばかしい」


 ほかでもない自分を叱るように呟いて。楽団の指揮者のように両腕を上げる。


 しかし、それが振り下ろされるより早く、悲鳴が上がった。


 白い群れが割れる。太い腕が伸びる。何人かの襟首や頭巾を鷲掴みにし、紙屑のように放り投げた。


「邪魔するぞ!」


 陰湿な空気に覆われた石室を、陽気な声が揺らす。清々しい笑顔で乗り込んできたのは――もう一人の精霊人だった。


「ゼンさん!」

「ゼン!」


 ふたりの歓声が重なる。ゼンドラングは、暴走した魔動車のごとく敵を跳ね飛ばして、彼らに駆け寄った。


「おお、おお、ふたりとも! 元気そうではないか」


 豪快に笑った大男は、ヒワの頭をばしばし叩く。苦笑した彼女の目の前で、エルメルアリアを両手でつかんだ。


「ぐえっ。潰れる、冗談じゃなく潰れる!」


 暴れる同胞をぬいぐるみよろしく抱きしめる。さすがに止めた方がいいか、とヒワが思ったとき、大男が呟いた。


「無事で何より」


 普段より幾分か落ち着いた声。優しい微笑。そこには、ヒワの知らない情がこもっていた。エルメルアリアも大人しくなる。じっと相手を見上げ、大きな手の中で胸を張った。


「このオレが無事じゃないわけないだろ」

「がはは、確かに! だが、鉄棒で頭を殴られたと聞いたときは肝が冷えたぞ」

「そりゃ悪いことしたな。あんたの肝が冷えるなんて、相当だ」


 さすがのエルメルアリアも、少しばつが悪そうに呟く。ゼンドラングは白い歯を見せて、彼を解放した。かと思えば、その腕をそのまま横に薙ぐ。忍び寄っていた白いローブが、三人まとめて吹き飛んだ。彼らを狙っていた犬のような魔物が、巻き添えを食って石壁に叩きつけられる。


 ヒワは目を丸くした。が、背後の足音に気づくと、すぐ杖を構える。


「『石板よ、へこんで砕けて敵を食え』!」


 遠くの床が、ぼこっと音を立てて陥没し、再び一部が盛り上がった。そこにいた魔物は足を固められてもがいている。だが、敵は彼らだけではない。いびつな術で抑え込まれていた魔物たちが、その怒りをまっすぐヒワたちに向けてきた。不気味な色をした炎が押し寄せる。


「うわっ――『光華(こうか)の砦、ここに建て』!」

「きりがねえな」


 防御結界で炎を防ぐ。エルメルアリアが手を叩くと、魔物たちを竜巻がのみこんだ。


 群がってくる人と魔物を吹っ飛ばしたゼンドラングが、腕を組む。


「一方には狂人ども、一方には〈穴〉と魔物。なんともはや、油断ならぬことよ」

「てめえら精霊人(スピリヤ)が、一番油断してねえくせによ――『グロート』!」


 ゼンドラングの背後から、不機嫌そうな声が響く。休まず詠唱を紡ぎ、石の刃を生み出した。それは、再びナイフを取った白いローブの人々を狙って飛ぶ。腕を的確に貫き、あるいはナイフを弾き飛ばした。


 正面から堂々と入ってきたノクスは、苦悶する白ローブたちに一瞥もくれず、ゼンドラングのもとへ歩いてきた。


「おおノクス、遅かったではないか」

「外に『てるてる坊主』が増えたんで、ぶちのめしてた」

「そうか。それは助かる」


 ノクスは小さく顎を動かす。それから、巨大な六角形の内側を見て舌打ちした。剣呑に光った榛色(ヘーゼル)の瞳が、再び人々をにらむ。


「こいつらをてるてる坊主呼びするのは、てるてる坊主に失礼だな。化け物でいいか」


 吐き捨てた青年は、懲りずに向かってきた一人を足蹴にする。その後、すかさず「『イロ』!」と唱えた。魔力で縒られた糸が伸びて、その人を縛り上げた。まだ動ける人々は、それを見て少しひるんだようである。だが、すぐにいきり立って向かってきた。


 ノクスは眉ひとつ動かさない。杖を上へ放ったかと思えば、一人の腕をつかんで投げ飛ばした。体を反転させ、別の人に膝蹴りを叩き込む。蹴られた相手は、後に続こうとしていた人々もろとも吹っ飛んだ。ノクスは落ちてきた杖を器用につかみ、詠唱とともにくるくる回す。床に倒れた人々に、魔力の糸が巻きついた。


 一連の『作業』は五分とかからなかった。


 ヒワはつい、彼の立ち回りを呆然とながめてしまう。視線に気づいたのか、ノクスがちらと振り向いた。


「この化け物どもは俺らで抑える。てめえらはそっちをなんとかしろ」


 杖の先端が魔物と〈穴〉を指し示す。はっとしたヒワは、杖の感触を確かめてうなずいた。


「わかりました!」


 すぐさま〈穴〉を振り返る。無論、まわりには魔物がひしめいていた。新たに出てきたのだろうか、少し増えているような気もする。


 どうしたものか。ヒワが眉をひそめたとき、虹色の雷撃が迸った。一瞬の気の緩みも許されない。


「『光華の砦、ここに建て』!」


 結界がヒワを覆う。雷撃は阻まれる――かと思いきや、結界の方に亀裂が走った。


 ヒワはとっさに杖の先端で円を描く。


「『石の欠片よ、寄り集まりて盾となれ』!」


 指揮術の応酬で砕けた床の欠片が、素早く前へ飛んでくる。それらが作り出した小さな盾は、結界を突破した雷撃を防いだ。しかし、横合から別の魔物が襲いかかってくる。


 振り向こうとしたヒワの眼前に、若葉色が舞い降りた。その前で目を焼くほどの火花が弾けて、魔物たちを立て続けに昏倒させる。


「『石の剣よ、貫け』」


 別方向から迫っていた魔物を弾き飛ばす。それからヒワは、飛んできた相棒を振り仰いだ。視線に気づいてか、彼もすぐさま振り返る。


「気をつけろ、ヒワ。こいつら、いつも以上に元気いっぱいだ」

「元気? なんで?」

「魔物が過ごしやすい環境になってるから」


 言いながら、エルメルアリアは腕を振る。輝きをまとった風が、起き上がろうとした魔物たちをひれ伏させた。


「ここ、魔力の質が悪い。地下魔界並みだ」

「地下魔界? どうしてそんなに――」


 言いかけて、ヒワは固まった。思わず後ろを見る。――そこに転がるものたちと、床に飛び散った黒い染みを。ここにあるものが魔力の質に影響を及ぼすであろうことは、ヒワでも想像がついた。加えて、〈穴〉もある。


 エルメルアリアがヒワを呼んだ。彼は、魔物を牽制しながら契約者のもとへ飛ぶと、耳打ちする。内容を聞いてヒワは首をひねったが、ひとまず言う通りにしてみることにした。


 杖を高々と掲げる。大きく息を吸った。


「『くすしき風よ、来たれ』」


 濃い魔力をまといながらも澄み切った風が、吹き渡る。確実にこの風を起こせる精霊指揮士は多くない。だが、彼女はそれをまだ知らない。


 エルメルアリアは、にやりと笑って手を叩く。


「気張れ、精霊ども!」


 彼の声が天を打った、次の時。


 奇しき風が暴風となり、魔物たちをのみこんだ。爪も牙も魔力も意味をなさず、異形の獣たちは次々壁に押し付けられる。風が収まる頃には、魔物の大半が気を失っていた。


 唖然としているヒワのもとへ、エルメルアリアが下りてくる。


「さあて。先に送還した方が、やりやすいっちゃやりやすいんだけど……」


 赤紫色の瞳が一瞬背後へ向いて、白いローブを捉えた。それからすぐに〈穴〉を見る。


「今回は、このまま〈閉穴〉をやっちまうか。――頼む、ヒワ」

「……あ、う、うん!」


 ぼうっとしていたヒワは、その声がけで我に返る。慌てて杖を握りしめた。


 息を吸う。呼応するように、エルメルアリアが上昇する。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ』――」


 声は、かすかに震えた。しかし、詠唱自体は滑らかに繋がる。


「『クランダーテ・イリューア・デア・ヒワ・スノハラ

 アリイネラ・イリュール・デア・エルメルアリア』」


 ヒワが唱え切ったとき。エルメルアリアを中心に、力が弾けて波打った。再び石室に風が吹く。高まった魔力は、壁や床をわずかに軋ませた。


 エルメルアリアは〈穴〉の前に飛び出した。鮮やかな闇と光に向き合って、いつも通りに〈閉穴〉を執り行う。


 そのさなか、魔物の数体が身じろぎした。嫌な魔力が動くのを感じて、ヒワはとっさに杖を構える。少し迷って、小さく詠唱した。


「『岩の鎖よ、魔を縛れ』」


 ぱきぱきと音を立てた石の破片が、いびつな鎖を形成する。それは、動いた魔物たちの足もとに巻きついた。


 ヒワが安堵の息を吐いたとき、空気が鼓動のように震える。顔を上げ、小さな精霊人を仰ぎ見た。


「なに、今の」


 彼女が呟くと同時、エルメルアリアが舌打ちした。光で描き出した図形をぱしりと叩く。簡略化された陣は、跡形もなく消えた。しかし、〈穴〉は未だ開いている。


「エラ?」

「だめだ。今回は()()()じゃ〈穴〉をふさげない」


 え、とヒワは気の抜けた声を上げる。エルメルアリアはつかの間目を泳がせた。そののち、勢いよく背後を見る。


「ゼン、そっちはどうなった?」

「おう! ひと通り縛り上げたところだ!」


 大男が拳を握って答える。魔力の糸を維持しているノクスは、小さく鼻を鳴らした。


 うなずいたエルメルアリアは、同胞を手招きする。


「ものは相談なんだけど」

「どうした?」

「〈閉穴〉、任されてくれないか」


 それを聞いて、ノクスとゼンドラングが目を丸くする。ヒワも少なからず驚いていた。


「どうした、何か問題があったか?」

「ああ。この場所はどうも、魔力の質が悪すぎる。〈閉穴〉の術が上手く発動しない」


 エルメルアリアは落ち着いた様子で説明し、人差し指をぴんと立てた。


「そこで、役割分担をしたい。ゼンに〈閉穴〉の術の準備をしてもらっている間に、オレはここを浄化する」


「浄化?」と、少女と青年の声が重なった。一方ゼンドラングは、豪快に笑いだす。


「なるほどな。制限を解いたおぬしなら、浄化もわけないだろう!」


 エルメルアリアはにやりと笑ってうなずいた。だが、すぐに表情を引き締める。


「ただしこれは、その場しのぎの浄化だ。長くはもたない。……ほんとは、遺体をちゃんと埋葬して、血を洗えるのが一番いいんだけどな。今は時間がないから」

「それはしかたあるまい。わしは構わんぞ」


 ゼンドラングは胸を叩いて請け負った。茶色の視線が、契約者の方へ流れる。ノクスは、あからさまにため息をついた。


「結局俺もやるのかよ」


 ぼやきつつ、手の中で杖を回す。先端を契約相手に向けた。


「『イリュ・ドゥーテ・クランダル・ウカータ

 クランダーテ・イリューオ・デア・ノクス

 アリイネラ・イリューオ・デア・ゼンドラング』」


 制限解除の詠唱。その声は、普段の(はげ)しさが嘘のように凪いでいた。


 黄色い貴石が輝いた、その刹那。ゼンドラングの体から満ち溢れた魔力が、大地を揺らした。ヒワはたたらを踏んだが、ノクスは平然としている。得意げに笑った大男を見上げていた。


「うっかり地形変えんなよ」

「気をつけるとしよう!」


 ゼンドラングが〈穴〉の方へ歩く。その足取りは、いつもより慎重だった。〈穴〉の前に辿り着くと、適当な瓦礫をいくつかつかんで検分する。最も尖っているものを選び取った。


「念のため、元の陣を使うか」


 選抜した石をお手玉にしながら呟く。それから陣を彫りはじめた。石の床が粘土にでもなったかのように、するすると溝が刻まれていく。


 エルメルアリアはしばらくそれを見ていたが、やがて静かに上昇した。じろじろと石室をながめている精霊人を、ヒワはそうっと仰ぎ見る。


「浄化ってどうやるの? 手伝い必要?」

「いや。ヒワは魔物どもを警戒してくれてればいい」


 気絶したままの魔物たちを一瞥し、「わかった」と答える。それから少しして、石を彫る音が止まった。


「エルメルアリア! 陣は描けたぞ!」


 大男の足もとには、複雑な図形が描かれている。ひし形と花のような模様、中心にバツ印が描かれた、〈閉穴〉の術の陣。そういえば久々に見るな、とヒワは感慨に浸った。


 エルメルアリアはにっと笑って、高度を上げる。


「よし。そのまま〈閉穴〉に入ってくれ」

「相分かった!」


 答えてすぐ、ゼンドラングが難解な詠唱を始める。その真後ろに飛んだエルメルアリアは、宙で静かに佇んで、深呼吸した。


 手を叩く。瞼が開く。紅い瞳が塗り替えられるように、緑色に染まった。


 ヒワは息をのむ。知らず相棒の姿に釘付けになっていた。


 そこにいるのは、間違いなくエルメルアリアだ。なのに、知らない誰かのようだった。どこか奔放だが優しい精霊人ではなく、もっと遠くて――畏怖すべき存在のような。


 彼の全身が輝きを放つ。それは見る間に石室じゅうに広がって、さらに外へと飛び出した。


 空気が洗われた。場に淀んでいた魔力が吹き飛ばされ、秋の風と草葉の音が吹き込んでくる。建物の外で、虫が喝采し鳥獣が躍っているのが、五感を通して伝わってくるようだった。


 白いローブの人々の中で意識のある者が、興奮と悲嘆の入り混じった声を上げる。


 ノクスもさすがに驚いた様子であたりを見回していたが、彼らへの警戒は解いていないようだった。その証拠に、杖は虜囚たちの方を向いて、一切ぶれていない。


 清浄な空気の中、低い詠唱だけが響き渡る。時折魔物が小さくうめいたが、それは威嚇ではなく苦痛の声だった。


 ヒワは言葉を失っていたが、しばらく経つと身震いした。生ぬるい風が肌を撫でる。吹き飛ばされていたはずの『質の悪い魔力』が、じわじわと戻ってきたのだ。


 思わず相棒を見上げかけたとき――声が、ぴたりと止まる。


 魔力が渦を巻き、〈穴〉が収縮しはじめた。魔物たちが渦潮にのまれるように吸い込まれていく。そうして一体たりとも姿が見えなくなったところで、毒々しい色合いの〈穴〉は白い筋に変わった。ゼンドラングが仕上げとばかりに手を叩くと、その筋も消えていった。

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