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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
102/113

90 一線

「ノクス。精霊人(スピリヤ)の、共通の弱点を知っていますか?」


 フォンゼル・ゾンネンシュトックはかつて、そんな問いかけを寄越した。


 まだ少年と言ってよい年頃であったノクスは、唐突な師の問いに、顔をしわくちゃにした。なんだいきなり、と文句を言いたいところであったが、こういうときの師は質問に答えないことを許さない。しぶしぶ、できの悪い頭を働かせた。


「知りません。ぶん殴られることっすか」

「それは精霊寄りの、特に小柄な方々限定ですね」


 フォンゼルは笑う。秋の木漏れ日に似た、ひっそりとした笑い声であった。内弟子を馬鹿にする笑いではない。そもそも、彼は人を馬鹿にするために笑うことはない。ノクスにもやっとそれがわかってきた。


 洗濯物を干す手を止めて、師を見つめる。フォンゼルはすかさず「手が止まっていますよ」と指摘した。ノクスが作業を再開すると、彼の話も続く。


「精霊人という種族共通の弱点。それは、敵意や武器を見せない相手です」

「敵意や武器を……見せない相手?」


 ノクスが繰り返すと、フォンゼルはうなずいた。左手の指を三本立てる。


「例えば、戦意を削がれた魔物。例えば、杖を構えない精霊指揮士(コンダクター)。例えば、弱者を装って近づく悪党。こういったものたちを攻撃することに、精霊人は強い抵抗を覚えます。たとえ、そうしなければならないと理解していても」


 ゆっくりと語りながら、一本ずつ指を折り曲げていく。ノクスは、師のシャツのしわを伸ばしながら耳を傾ける。


「殺気などを感じられれば、それでもまだ対応できます。しかし、『傷つけるつもりはないが、上手く言いくるめて魔力を搾り取ってやろう』などと考えている輩の場合が、厄介なんですね」

「……厄介ってのは、わかります」


 ノクスは大きくうなずいた。そういった輩は山ほど見てきている。師も、それを承知の上で、こんな話を振ったのだろう。


 タオルを竿に引っかけて、洗濯ばさみで止める。今回の洗濯物はこれで最後だ。ノクスがからの籠を抱えると、フォンゼルは「ありがとうございます」と声をかけてきた。ノクスは、どういたしまして、と低く答える。それから元の話に戻った。


「精霊人って意外と甘いんすね。最初に敵意がなくたって、気が変わるかもしんないのに」

「気が変わるかもしれない、というのは重要な視点ですね」


 穏やかに弟子の言葉を受け取ったフォンゼルは、少しの間、黙って彼の隣を歩いた。風が木々を騒がせたとき、ふと唇を開く。


「彼らのためらいを、甘いと断じるのは簡単です。しかし、実際の理由はもっと根深い」

「どういうことっすか」


 首をかしげる。すると、師は笑みを深めた。嫌な予感がして、ノクスは唇を尖らせる。


「どういうことだと思いますか?」


 そらきた。ノクスは、心の中で吐き捨てた。師はたびたび、こうしてノクスに考えることを強いる。答えを導くための手がかりは教えた、と言って。


 面倒だ。面倒だが、弟子である以上、師の問いかけを突っぱねることは許されない。ノクスは記憶の引き出しをひっくり返した。「手がかり」は今の話だけではない。これまで師から学んだこと、すべてだ。


 考えに考える。だんだん頭が熱くなってきた。数分後、ノクスはを上げた。


「いきなり言われても、わかんないっすよ!」


 うめきながらそう言うと、フォンゼルはまた笑声を立てる。それから悪戯っぽく目を細めた。


「では、ヒントをあげましょう。精霊人は、精霊と人間、双方の性質を持つ種族です。そして、今話した弱点に関しては、精霊としての感覚が強く影響を及ぼしています」


 つまり、精霊について考えていけば、おのずと答えは出る。ノクスはひとつうなずいて、再び記憶の海に潜った。


「精霊とは、多重世界にあまねく存在し、世界を行き来する、命の力の集合体」


 青天の下。少年の静かな声が、流れてゆく。


「精霊は天地にすむ。必要に応じて魔力を吐き出す。ほとんどすべての生物を慈しみ、自然の摂理に従って行動する。そこに元来、善悪の区別はない。また、個々の意思・趣味嗜好も存在しない。一方で『精霊』という集団としての意思は存在しており、特定の個人に対して積極的に魔力を渡し、その者を守るような行動を取ることもある。また、瘴気と親しむ地下魔界の民は、精霊にとって原初よりの敵である」


 それは、飽きるほど読まされた教本の内容だ。知識を出し入れするときには、こうして声に出す。それが、ノクスにとっては一番よかった。フォンゼルもその性質を把握しているから、彼の独り言を咎めない。


 文章をなぞっていると、座学の記憶もよみがえる。この話を初めて聞いたとき、ノクスは「精霊にとっては、生き物みんなが子分ってことか」と言った。それを聞いたフォンゼルは「子分、というのは斬新な解釈ですね」とほほ笑んだものだ。


 思い出の中から必要な知識を選別、抽出する。それはノクスにとって、ひどく神経を使う作業だった。机や陣に日々向き合う精霊指揮士見習いたちよりも、うんと長い時間をかけなければならない。それでも、フォンゼルは急かさない。大樹のように、あるいは沖にそびえる大岩のように佇んで、待つ。


 果たして、ノクスは恐る恐る口を開いた。


「精霊の感覚が影響してるってことは、精霊人にとっても、生き物は子分みたいな感じなんだ。だから……」


 そこで、つっかえてしまった。思わずフォンゼルを見上げる。彼はしっかりうなずいた。しかし、口出しはしなかった。


 ノクスは頭をかきむしりながら続ける。


「だから、なんて言うか……。こいつは悪い奴だとか、裏切り者だとかって、はっきり言えない子分には、あんまり攻撃したくない……ということっすか?」


 不安を感じながら言い切る。と、フォンゼルは笑顔で手を叩いた。


「よい回答です。さすが、自慢の弟子」

「……やめてくださいよ、そういうの」


 ノクスは低く抗議する。しかし師は、ほほ笑んだまま受け流した。


「君の言った通り。精霊人にとっても、この世界に生きとし生けるものは、ほとんどが慈しむべき存在です。――君の言葉を借りれば、『子分』ですね。ですから、自身へ直接危害を加えてこない『子分』へ攻撃することに強烈な抵抗感がある。これは彼らの本能であり、簡単に超克できるものではありません」


 ノクスはうなずいた。師が『根深い』と言った理由が、なんとなくわかった。


「とはいえ、精霊人も人ですから、本能と上手く付き合う方法を学んでいきます。経験を積み、自分なりの一線を決めた方もいらっしゃいます」

「一線?」

「『これを言った者は自分の敵だ』『この行為をした者には、理由関係なく攻撃する』というような基準ですね。わかりやすいところで言うと、人間の精霊指揮士と契約した方々。彼らの多くは、契約者を攻撃した者を敵とみなします。気を付けてくださいね」


 ふうん、とノクスは気のない相槌を打った。彼にとって精霊人は、あまりに遠い存在だ。師は彼らと関わることがあるらしいが、不肖の弟子がその役目を受け継ぐことはないだろう。


 だが――フォンゼルは、ノクスにこんな話をする。今回だけではない。これまでだって、何回も。


「ノクス。君は、彼らの甘さを悪用する人ではなく、彼らの慈愛を守る人になりなさい」


 師の狙いが、かけられた言葉の意味が、ノクスにはずっとわからなかった。



     ※



 ノクスたちはおそらく〈精霊の輪の会〉の集団よりも先に、キーファへ到着した。作戦を立て、コーエン・シュミットと一度別れた。


 魔力を慎重に探りながら町の周辺を見てまわり、林とも呼べない木立の中に白いローブの人々が入っていくのを発見した。その一団は、しかし馬車を引き連れてはいなかった。別動隊だろうとあたりをつけて、しばらく様子をうかがった。


 やがて、ゼンドラングが、木立に入っていく馬車を見つけた。


 ノクスは、今すぐ殴り込みたい衝動をどうにか抑え、かなり遠くから彼らを追跡した。〈精霊の輪の会〉と〈穴〉の関係を暴くためにも、心置きなく彼らをぶちのめすためにも、尻尾を出す瞬間を押さえたい。


「……人間にもあるよな、そういう感覚」


 木々の間に身を隠しながら、ノクスはぼそりと呟く。人間並みに縮んだままのゼンドラングが、耳ざとくそれを拾った。


「ん? どういう感覚だ?」

「いや、別に――」


 とっさにごまかそうとしたが、気が変わる。ノクスは、木立の向こうをにらんだまま、契約相手に声をかけた。


「ゼン。仮に、あの白ローブどもが丸腰だったら……戦いたくないか?」


 ――尋ねるまでもない。ノクスにもわかっていた。ゼンドラングはこれまで、戦意を失った魔物には攻撃せず、拘束するだけに留めていた。内界の魔物との交戦は避けたがっていた。不審な精霊人と対峙したときですら、彼がヘルミに『攻撃』するまで、動かなかったのだ。


 天外界と天地内界の関係を悪くしないため、というのもあるだろうが、彼自身の『本能』も大いに影響しているはずだ。ノクスはそうにらんでいる。


 ゼンドラングは、きょとんとした。ふむ、と顎を撫でて、白い一団が去っていった先を見る。


「そうさなあ。普段であれば、そう思ったかもしれん」


 予想外の答えを聞いて、ノクスはまばたきした。周囲に気を配りながら、少しずつ移動する。


「……普段であれば?」

「おう。あやつらがただ胡散臭いだけの連中であれば、殴ることをためらったであろう」


 何を察したのか、ゼンドラングは悪童のように笑う。


「だが――同胞を傷つけ、連れ去ったとなれば、話は別だ」


 茶色い瞳の奥で、炎が燃え盛っていた。今までは一切表に出ていなかった、怒りの炎。それを見つけたノクスは、知らず笑っていた。


「はっ。気が合うじゃねえか」

「契約した者同士だからな!」

「言われてみりゃ、そうだ」


 潜めた声で軽口を叩きながら、白いローブを追う。やがて彼らも、石造りの建物を見つけた。おどろおどろしい魔力がそこらじゅうに漂っている。正面ではなく、側面。それも人目につきづらい場所にいるにもかかわらず、死体と血の強烈な臭気が漂ってきていた。


 身をかがめるノクスの背後から、重厚な声が降る。


「ノクス」

「おう」

「これは、黒であろう」

「ああ。まっ黒だ。清々しいくらいに」


 ゆっくりと移動する。見張りだろうか、正面に立っていた白ローブを捕まえて、声を上げる前に締め落とした。そいつを木陰まで引きずると、ノクスは荒々しく杖を抜く。


 すぐそばで魔力が弾けた。割れた水風船からあふれ出す水のように。


「行ってよいか、契約者殿。――このような場所に、ヒワとエルメルアリアを置いておきたくはない」


 相棒の体がふくれあがった。偉丈夫から、大地の巨人へ。


 ノクスも杖を振り上げる。それは、ゼンドラングへの合図でもあった。


「ああ。好きなだけ暴れろ、〈巨巌きょがんの闘士〉」


 誰かにそそのかされたのか、欲に目がくらんだのかは知らないが。

〈精霊の輪の会〉の者どもは、一線を越えた。


 ゼンドラングは線を越えてきた者に対して、容赦しないだろう。ならばノクスも手は抜かない。それが彼なりの、慈愛の守り方だ。


「――『レヴレム』!」


 ノクスは、詠唱とともに杖を振り下ろした。

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