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春風のサーガ  作者: 蒼井七海
第六章 表と裏のフォーリン・トリップ
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89 血染めの社殿

 浅い眠りと不快な目覚めを何度も繰り返した。体の感覚も、時間の感覚も、とうになくなってしまった。


 あるとき、馬車がひときわ激しく揺れた。けたたましい音と身の内をかき回すような震動が、ヒワを叩き起こす。


 ヒワは壁に耳をくっつけた。人の声と、やや慌ただしくなった足音、重い物を転がすような音が聞こえてくる。


「着いた」


 途切れ途切れに響く共通語を拾って、呟いた。そのとき、エルメルアリアが身じろぎする。一瞬、何かをこらえるような表情になった。だが、それはすぐ悪戯っぽい笑みの下に隠れる。


「具合悪いふりしておくか」

「いいかも」


 ヒワもにやりとして、エルメルアリアを抱き寄せた。直後、扉が開く。白いローブが一人、乗り込んできた。体格からして男性だろう。ヒワは反射的に相手をにらんだ。だが、彼は一顧だにせず、彼女の肘をつかむ。


「降りろ」


 命令しつつ引っ張った。あまりの力の強さに、ヒワは顔をしかめる。


「痛っ……! 降りる、自分で降りますから!」


 意識せずとも母語が飛び出した。男性の手は離れない。目の前の少女がなんと言ったのか、わかっていないのだろう。


 ヒワたちは、半ば引きずられる形で馬車から下りた。そのままどこかへ連れていかれる。自力で歩こうにも、体のあちこちがこわばって上手くいかない。結局、罪人よろしく連行されることを受け入れた。


 飛び出したそうなエルメルアリアに「抑えて、抑えて」とささやきかける。あやすように彼の背中をさすりながら、ヒワはちらりとまわりを見た。


 森や林というほどではない、木立。ぼろきれを思わせる木々の隙間から、青空がのぞいていた。


 草を踏み、時折木の根を越えながら、歩く。その間、誰も、一言も発しなかった。


 しばらくして、ヒワは足を止めた。わずかながら吐き気を覚えたのだ。うつむきかけたところで、白いローブに背中をどつかれる。彼女を馬車から引きずり下ろしたのとは別の人だった。ヒワはしかたなく歩みを再開したが、その足取りは重い。


 空気が悪い。漂う魔力が、まるで泥のようだ。この先に何かがあるのは間違いない。『具合悪いふり』を続けているため顔は上げないが、エルメルアリアも体を震わせた。


 一団の歩みが止まる。彼らの前に水晶の塊が並べられていた。少し先に、建造物らしき影がある。


 膜のように広がった魔力が、ぴりぴりとヒワの皮膚を突き刺す。結界だ。輝く砦は見えないが、なぜか結界があるとわかった。


 先頭にいた白いローブが、何かを唱えて水晶に触れた。瞬間、結界が揺らぐ。天地がぶわりと熱を帯びた。そして――前方から、どす黒い魔力が押し寄せる。


「うっ……!」


 ヒワとエルメルアリアのうめき声が重なった。


 〈穴〉だ。だが、それだけではない。〈穴〉の魔力に混じって、もっと異質で暗い何かが漂ってくる。


 行きたくない。足がすくむ。体が震える。ヒワは無意識のうちに、首を横に振っていた。それでも白い一団は動き出す。流れに逆らえず、ヒワもよろめきながら前へ進んだ。


 そして現れたのは、石造りの大きな建物だった。正面は、三角屋根を左右三本ずつの柱が支えている形だ。真っ暗闇の内部から、冷たい風と異様な臭気が流れてくる。


 正常な人間であればとても長居できない場所に、白い一団は平然と踏み込んだ。ヒワたちも、闇の中へと押し流される。


 ヒワは恐る恐る顔を上げた。最初は原色の光しか見えなかった。だが、少しずつ目が慣れてくる。


 石の壁。窓か通風孔か、四角い穴が点々と穿たれている。石室の奥に、色とりどりの光が渦巻く裂け目があった。


 ヒワの視線はその裂け目――〈穴〉に釘付けになる。呆然としていたところ、白いローブ二人に背中を押された。同時、ほかの人々が退しりぞいて、道を開ける。


「うわっ!?」


 ヒワは突き飛ばされて前に出た。床の溝につまずいたが、なんとか踏みとどまる。顔を上げて、凍った。


 床の溝は、部屋の中心に大きな六角形を描いていた。その内側に、生物だったものが大量に転がっている。乾ききった血液が、黒くこびりついていた。さらに、六角形の内と外に生きた動物もいた。背中を丸め、体を小刻みに震わせてヒワたちをにらんでいるのは――見たことのない魔物だ。


「何……? なにこれ、どういうこと……?」


 ヒワは声を震わせる。すると、エルメルアリアがささやいた。


「――擬似開門だ」

「え?」

「擬似開門のための儀式を応用して、〈穴〉を広げようとしてやがる。しかも、内界の人や獣だけじゃなく、他世界の魔物まで贄にする気だ……!」


 それを聞いて、ヒワはクラーラ・フックスの言葉を思い出した。礎。それは、つまり――


 息をのんだとき、ローブの人々が近づいてきた。そのうち二人が、いきなりヒワの両脇をつかむ。そして、前に回り込んだ二人がエルメルアリアを持ち上げた。


「何す――むぐっ」


 叫びかけた彼の口を、右側の人が押さえた。エルメルアリアはじたばた暴れ、自分のまわりに魔力を集めようとした。しかし、何かを思い出したように目を見開き、動きを止める。


 対して、ヒワは反射で動いていた。身をよじり、上半身を前へ出す。宣言通り右の人の腕に噛みつこうとしたのだが、その前にヒワを拘束しているうちの一人が彼女の口を押えた。腹いせにその手を噛んでやると、そいつは情けない悲鳴を上げた。次いで激しく罵られたが、今ばかりは気にならなかった。


 そんなヒワの目の前で、もう二人も動いた。左側の人が、鈍色の鎖を持ち上げる。


「この子はこれで縛って離しとけ、って言われた。なんでだろうな?」

「さあ? 精霊留めの鎖をそんなふうに使うなんて、初めてだ」


 エルメルアリアを抱えている方が、彼の腕をがっちりつかんで背中に回す。もう一人がその体に鎖を巻いた。すると鎖がひとりでに動き出し、腕と胴体をきつく締め上げる。エルメルアリアは、首を絞められたかのような、引きつった悲鳴を上げた。


 ヒワは相棒の名を叫んで、力の限り暴れた。しかし、抵抗むなしく白いローブに引きずられていく。六角形の中心あたりに投げ込まれ、二人がかりで体を押さえつけられた。


 石の床に当たった四肢が痛みを訴える。うめくヒワをよそに、残るローブの人々は、六角形を囲むように立った。魔物がそこかしこにいるというのに、おびえるそぶりすら見せない。


 歌が響く。知らない言語の歌。聴く者を不安にさせるような旋律。それを、白いローブの人々が歌っている。


「新たな贄」

「これにより、礎は完成する」


 歌の狭間で誰かが言う。ほかの人々も同じ言葉を唱和する。そしてまた、歌が始まる。異様な雰囲気の中、新たな三人が溝をまたいでヒワに近づいた。硝子のような瞳で彼女を見下ろし、何かを取り出す。わずかな明かりを受けて、銀色の刃がチカリと光った。ナイフだ。


「礎は完成する」

「門をここに」

「世界を真なる姿へ導く門を、ここに」


 白いローブが口々に唱える。歌う。それに反駁(はんばく)するように、魔物が吠える。粘性の液体をかき混ぜたかのごとく、魔力がうねった。ヒワは死体の山の中、恐怖と気分の悪さにすくんで、ただその光景を見上げていた。


 視線の先で、ナイフが鈍く輝く。それが振り下ろされたとき――世界が、まっ白に染まった。


 疑問に思う間もなく、轟音が天地を揺らす。残響と震動が、いつまでも尾を引いた。


 まさに青天の霹靂(へきれき)。だがそれは、自然に起こったものではない。淀んでいた魔力が、今までとは違う熱を帯びた。


 獣の声が石室を満たす。それまで何かに押さえつけられている様子だった魔物たちが、一斉に興奮しだした。白いローブの人々がうろたえる。


 見計らったかのように、澄んだ音が響き渡った。砕けた鈍色の金属が、そこらじゅうに飛び散った。


「馬鹿な!」


 誰かの悲鳴を、風の音が打ち消す。


 ヒワのそばでも異変が起きた。彼女を押さえつけていた二人が吹っ飛んだのだ。ヒワは、身をよじって振り返る。視線の先で、壁に叩きつけられた二人がうめいていた。


 ヒワは慎重に手足を動かした。血痕がある床に手をつくのは嫌だったが、どうしようもない。ようやっと体を起こしたとき――闇の中にプラチナブロンドが舞った。


「ずいぶんと好き勝手やってくれたな、おまえら」


 透き通った声が、怒りをはらんで天を打つ。


「もう怒った。これ以上手加減してやらねえ」


 解き放たれた精霊人(スピリヤ)は、赤紫の瞳に炎を湛えて、敵をにらみつけた。


 知らず吐息をこぼしたヒワの前に、光が灯る。泡のように弾けた光の中から、細長い袋が現れた。手を伸ばし、袋をつかむ。素早く杖を引き抜いた。

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